メタ認知すればいいってもんでもない?

タ認知って言葉は、最近結
構知られるようになっているよ
うで。

 

簡単にいうと、自分がどう感じたり考
えたりしているか認知しているか)
ことを客観視して見る力のことですけ
ど。

 

それによって現状を評価したり、問題
を修正したりするために大切、という
ことですね。メタ認知が出来る子供は
成績がいいとか、そんな記事をこのあ
いだ見ました。

 

そっち方面にも攻めてきたか、って感
じですけどね。

 

で、

 

適切に自分をメタ認知するっていうの
は確かに大切なんですが、問題はこの
「適切に」ってことでして。つまり、

 

適切でないメタ認知もある

 

ってことなわけです。

 

それが信念レベルまでいってしまうと
話は結構やっかいになります。

 

たとえば、ある成功経験をもとにこう
いう時にはこうすればいいとかいう
を持っているとしても、それがいつ
も通用するとは限らないわけです。

 

会社部下にこういう言いかたをすれ
やってもらえたという知識をもとに、
趣味の集まりとかで同じ言いかたをし
ても上手くいくとは限らないとか。あ
りますよね。

 

そういう問題に陥らないようにするに
は、そういうメタ認知的知識さらに
俯瞰的に見ることが必要だそうで。

 

メタメタ認知っていうそうですが(笑)

 

経験豊富だと自分で思ってる人ほどメ
タメタになった方がいいのかもしれま
せん。

 

え? それが言いたかっただけだろう
って? ばれたか←

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

脳をハラハラさせるのにいいこと?

年(2023年)のゴールデン
・ウィーは結局特に遠出もせ
ずにぐうたらしていたんですが。

 

私、あまりぐうたらしてるとボケる
なあなんていう不安にかられる、そん
な年ではありましてですね。

 

そんなことを思っていると、また
ことを書いた記事なんかが目に入って
きたりするんですけど。そんな中に、

 

というのはハラハラしてるときがい
ちばんフル稼働して冴える

 

ということが書いてありまして

 

これはまあ、ボケ防止とかそんな話と
いうよりはどうやっていろんなアイデ
アを生み出すか、なんて話の流れで出
てきたんですけどね。

 

というのは、なまけものというか、
危険を避けるために無意識にハラハラ
するようなことを避ける傾向があるの
で、意識的にハラハラするような
環境に身を置くようにすると、頭が冴
えてアイデアが生れやすいなんて書い
てありました。

 

とはいえ、どうすりゃいいんだ、とい
う話ですが、例えばいつもと違ったラ
ンチを食べにいくんでもいいんだなん
と筆者はいうんですが。

 

そんなら、セッションで、ふだんやっ
たことのない曲をやったりして、うま
く弾けるかとか、ロストしないかとか、
そんなことでハラハラするのもありで
はないか、なんて考えたのではありま
した。

 

まあ、この歳になると、あんまりハラ
ハラしっぱなしというのも、心臓に良
くない気もしますからね。良く知って
いてやってて楽しい曲と、ハラハラす
るような曲とを上手く「配合」するの
がよいかな、などと思ったりした大型
連休ではありました。

 

いかがですか?(なにが?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

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「○○入れが強すぎる」問題?

事に対して「思い入れ」
い人っているわけですが。

 

思い入れが強いのは別に悪いことじゃ
ないとは思いますが、「過剰に」思い
入れの強い人、仕事をものすごく愛し
ちゃってる人っていますよね。なので
頑張る、と。

 

頑張るのはいいとしても、無理をして
でも頑張るようになったりしてね。
日返上とか、深夜残業とか。

 

たまには仕方ないこともあるかもしれ
ませんが、恒常化しちゃったりとか。

 

そうなると色々と周囲とかと軋轢が生
まれたりとか、本人の私生活にも影響
が出たりとかするわけです。メンタル
やられちゃったりとかね。燃え付き
りとか。

 

思い返してみても、私のまわりにも
ういう人いましたねえ(遠い目)。今
からそういう人とまた仕事しろといわ
れてもご辞退申し上げたいですが。

 

 

まあ、今はそういう傾向のある人には
早めに警鐘を鳴らすようにマネジメン
する側も対策してるとは思いますけ
どね。絶対数も減ってるんではとは思
いますけども。

 

で、

 

そういう人間の傾向って、仕事以外
アクティビティにも現れたりするんじ
ゃないか、と思ったりもするんですよ
ね。趣味でやってることでも、音楽
か、それ以外のものでも。

 

過剰に熱心に練習したりとか、不必要
に(?)レベルを上げたいと思ったり
とか。本人が楽しくやってる分にはそ
れもいいかもしれませんが。

 

思い入れが強すぎると、いろいろ
き違いが生れたりしかねませんよね。

 

良い熱心さと、ちょっと困った熱心さ
と、なかなか線引きが難しいところも
あるとは思いますけども。仕事も趣味
も人間の活動の一部でしかない、とい
うことは忘れずにいるのが吉かと。

 

バブル時代24時間戦えますか、とか
いう広告を久しぶりに観て、そんなこ
とを考えましたとさ。

 

この CM を観て働いていた元「ビジ
スマン」のシニア男子は気をつけた方
がいいかもしれません。

 

余計なお世話かもしれませんが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

〇望的観測?

間なにごとにもポジティブ
人もいればネガティブな人もいま
すよね。

 

どちらが良い悪いという話でもないん
ですが、ポジティブな人にありがち
のは、根拠がなくても楽観的な見通し
を持っているってことでして。いわゆ
る、

 

希望的観測

 

ってヤツですが。

 

気をつけなきゃいけないのが、そんな
ポジティブな人情熱をもって語る、
希望的観測に引っぱられると、上手く
行けばいいですが結構失敗してドツボ
にはまるなんていうリスクもあること
です。

 

なんせ根拠には乏しいですからね。

 

なんでもポジティブがいいってもんじ
ゃないよね、なんてどちらかといえば
中立ネガティブ寄りな私なんかは考え
てもしまうんですが。

 

ところで、

 

「希望的観測」の反対語って知ってま
すか? 聞いたことあります?

 

絶望的観測

 

……なんですけどね。

 

希望的観測とは真逆で、根拠があろう
がなかろうが「失敗するだろう」とか、
「上手くいかないだろう」とか、思っ
てしまうことなわけですが。

 

 

別に国際比較したいわけでもないです
が、なんか日本人に多そうですよね。
そういう人は、新しいことを思いつい
てもやらないとか、勧められても手を
出さないとか、そういうことになりが
なわけです。

 

まあ、希望的観測乗せられるよりも
リスクは少ないですが、一方で、

 

面白くない

 

ということにはなりますよね。音楽
とくに仲間とやるなんていうのには、
あまり良い方向には働かないのかなあ
とも思います。

 

なんか面白いことをやってみよう、と
いう思いというのは、音楽やるのには
やはりある程度は必要ではないか、と
思うのではありますが。

 

とはいうものの、上にも書いたように
どちらが絶対的に良い悪いというもん
もないというか、その人の生き方
すからね。

 

無理は禁物だとも思うのですよね。ま、
でも人間のそういう傾向を意識してみ
と、結果的に少し違いも生まれるの
かもしれません。

 

皆さんは、どちらの傾向が強いですか?

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

プレイヤーの狙い vs. オーディエンスの感想(ちょっとつづき)

つづきなんですけど。

 

前回の文章を最初に書いた頃「教授」
こと本龍一さんの訃報が流れてきま
した。同世代の多くの人たちと同じよ
うにやっぱりかなりショックだったん
ですが。

 

それで、教授のアルバムを聴いたり、
いろいろSNSネット記事を見たり
してたんですけど、そういえばと思い
出したのが、昨日の話に関連するよう
なエピソードで。

 

どんなエピソードかというと、昔教授
がとあるアニメ映画の音楽を担当した
ことがあってですね。当初本人はノリ
ノリでやる気まんまんだったそうなん
ですが。

 

なんだか、その音楽を作っていく過程
でアニメの制作側と色々あったらしく
て。といっても別に音楽降りたってこ
とではなく、映画は最終的には公開
れたんですけども。

 

でも、教授本人はそれについては「黒
歴史」くらいに思っていて、語りたが
らなくなってしまったということらし
いんですね。

 

このエピソードを私はそのアニメ映画
制作側にいた人(岡田斗司夫さんな
んですけどね)の動画で知ったんです
が。

 

まあ、ハリウッド映画アカデミー賞
も獲った教授と、日本のアニメ制作側
作業イメージ噛み合わなかった
いうことのようです。

 

で、

 

でも教授の死を悼む Twitter 上の投稿
を見たりしていると、このアニメ映画
の音楽が大好きで、なんなら教授の曲
の中でも一番好き、みたいなことを
いている人もいるんですよね。

 

この音楽の YouTube 動画とかのコメン
ト欄見ても、そんなコメントがたくさ
んあるんですよ。

 

人間の気持ちというのはままならない
ものですね。

 

坂本龍一「教授」にもそんなことがあ
ったんだよなあ、と。そんなお話でご
ざいました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ちなみにご興味のある方は、わりと
有名な話のようなので、ネットで検索
してみてくださいませ。キーワード
「オネアミス」です。

 

空気読め(ま)ないおじさんが通りますよ

然ですが、空気読むの得意
ですか?

 

最近目にする言葉「働かないおじさ
ん」というのがあって、この言葉によ
って自分が組織のお荷物扱いされてい
ると思って落込む50過ぎの社員、なん
を読んだりしましてね。

 

50歳過ぎおじさん働かないとか使
えないとかそういう空気があって、そ
れがプレッシャーになっておじさんた
ちを苦しめるというね。切ない話です
が。

 

たいていの人若いうちは多かれ少な
かれ「空気の読めない」ところがあっ
て、だんだん経験を積んでいくうちに
空気が読めるようになるんでしょうけ
ど。

 

その経験のせいで、色々考えてしまっ
苦しむおじさん、なんて構図なのか
もしれません。

 

で、

 

冒頭の質問に戻るのですが、私自身
ですね、空気を読むのは

 

あまり得意とはいえない

 

と思うんですよね。

 

結構会社勤めしてるときその時は気
がつかなくて、あとから言われてあー
そうだったのか、なんて思うことも
構あったなあと、今になって思うんで
すが。

 

でも、だから不幸だったかというと
うとも言えない気もしてるんですよね。
私のまわりにもそんな「使えないやつ
だな」的な空気あったのかもしれな
いとか思ったりもするんですけど。
になればね。

 

でも鈍感空気の読めない私はそれに
気がつかなかっただけかもしれません。

 

前にアクティブ疲れの話を書きました
けど、人間、アラカンとかシニアとか
いわれる年齢になったら少々空気が読
めないくらいなのも悪くないのかも
れません。

 

まあ、もちろん程度問題かもしれませ
んけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また ( ̄▽ ̄)

 

NO MUSIC, NO LIFE ……なのか?

間には基本的な欲求という
のがあるといわれますよね。

 

よくいわれるのが三大欲求てやつで、
食欲・性欲・睡眠欲だとかいわれて
ます。諸説あるようですが、深入り
するとめんどくさいので、やめてお
きますけど。

 

生存欲求なんていう言いかたもあり
ますね。確かに個体の生存とか種の
存続とかにかかわる欲求といえるで
しょう。

 

で、それはそれとして、

 

音楽を聴きたいという欲求を考えたと
きに、これってどの程度の欲求なのか
なんて思ったわけですよ。

 

生存欲求というほどのもんじゃない
ろう、とまずは思ったんですけど。と
はいえ、音楽の全く聴こえてこないこ
とに人間はどれだけ耐えられるのか?
なんてことを考えるとですね、

 

案外、音楽なしだとつらくないか?

 

と思ったりもするんですね。

 

私が音楽好きだからでしょうかね?

 

人間音楽を聴かずに、そして自分で
鼻歌歌ったりとか口笛吹いたりとか
することなしに、どのくらい正気でい
られるもんでしょうかね?

 

案外すぐに根を上げるんじゃないでし
ょうか?

 

死なないかもしれないけど、正気でも
いられないんじゃないか? なんて思
ったりしたんですが。どうなんでしょ
うね。

なにかそういう研究とかあるかと思っ
検索してみたんですが、見つけられ
なかったんですが。

 

“NO MUSIC, NO LIFE” というフレー
ズがありますが、単なるレコード屋の
キャッチコピー以上の意味があるのか
しれないなあ、などと思ったある日
のことでございました。ヒマかよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

効くか効かないかは○○しだい?

ラセボ(プラシーボ)効果
いう言葉はご存知の方が多いかと
思うんですが。

 

「偽薬効果」などとも言われますが、
効き目のある成分のないはずの薬を飲
んでも、飲む人効き目があると思い
込むことで、病気の症状が改善したり
することがあるのですね。そういう効
果のことを言うですが。

 

その反対語というか対義語というかが
あるのをご存じですか? 私、最近知
ったのですが、

 

ノセボ(ノーシーボ)効果

 

というそうで。

 

つまり、薬を飲む人効果がないとか
副作用があるとか思い込んで飲むと、
実際に副作用が現れたり薬の効果が減
少してしまうということを指すそうで
す。

 

まあ、言われてみれば、人の心理的な
モノ体に影響するってことなので、
良い方にも出るなら悪い方にも出るだ
ろうってことはまあ、さもありなん
感じですよね。

 

で、このノセボ効果ですが、「医療者
への不信感があると起こる」なんてこ
とが言われておりまして、薬の効果が
約 30% ほども落ちるのだとか(医者
の言うことを信頼するあまり、誤診さ
れてもそれを信じて具合悪くなってし
まうなんてのもあるそうですが)。

 

で、

 

薬の効果なんていうのでも、こんなふ
うに信頼だとか不信感だとかそんな
理的なことが影響するんだから、音楽
にしてもそれ以外のことにしても、
うすればよくなるとかどうとか言われ
ても、結局信頼してその言葉を聞ける
かどうかだよなあと思わされますよね
え。

 

いくら正しそうでも、言う人への信頼
がなくなってしまえば、役に立たなく
なってしまうというか。言われれば言
われるほど状況が悪化するなんてこと
になったりして。

 

まあ、当たり前だろうといえばそうで
すけどね。

 

に言うと、人のアドバイスとかって
良い方にせよ悪い方にせよ、あまり強
い思いこみを持って聞かない方がいい
ってことかと思ったりもして。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

アクティブに生きろ、という呪い?

「呪い」とか言ってる、
と思われるかもしれませんけど。

 

この前の、コンフォート・ゾーンを出
る出ないという話と通じるところがあ
るかもしれませんが、

 

シニアもアクティブに生きないと

 

なんてことよく言われませんか?

 

特に会社生活などのキャリアを終えて、
次のステージに移ろうというときに言
われるかと思うんですね。まあ、人生
100年時代とかいわれる超高齢化した
世の中ですから。

 

なるべく長くクオリティ・オヴ・ライ
フを良くしてもらいたいという親切心
のようなもの(?)から言われている
のかもしれないとは思うんですが。

 

一方で、世の中のシニアが「アクテ
ィブ疲れしてるのではないか」という
ようなこともいわれているようでして。

 

どういうことかというと、生きがい
持つとか、アクティブでいることが正
というようなことを言われ続けてい
ることの弊害があるんじゃないか、と
いうことですね。「忙しいことは善い
ことだ」症候群とか書かれてましたけ
ど。

 

シニアアクティブでいるのは一般論
としては悪いことだとはいえないでし
ょうが、そんな風に自分を追い込んで
しまうシニアが多いのだとしたら、そ
れはそれで考えものですね。それはア
クティブというよりは、いわゆる「ブ
ラック」に近いわけで。

 

今のシニアというのは、世の中的な都
少子高齢化による労働力の問題と
か消費意欲の喚起の問題とか)のせい
で、働いてもらいたいモノを買って
もらいたいということで、いろいろ
レッシャーを受けるお年頃でもあるわ
けですね。

 

そして、もう一方では、そうやって
クティブに過ごしている人を見ては
分も同じようにしなければ、という
レッシャーを自分にかけている側面も
ありそうです。真面目な人なんかはと
くに。

 

が日頃セッションなどでご一緒して
いるアラカンそれより上皆さんは、
幸いあまりそんな風にはお見かけしま
せんけど(←それは褒めているのか?)

 

ま、シニアは少々不真面目に生きるく
らいがいいのかもしれません。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

コンフォート・ゾーンを出ろ、という呪い?(続き)

こちらの続きです)
ンフォート・ゾーンから出
うとするのがいいのが悪いのかと
いうようなお話でしたが。

 

コンフォート・ゾーン出て成長しろ
という言説が多い中、コンフォート・
ゾーンを出て頑張ろうとすると心身病
んだりするかも、というもあるよ、
という話でした。

 

一方で、じゃあそれで成長できるのか
人間は? という疑問はやはり感じて
しまいますよね。

 

あまり多数派とはいえなさそうな
ようとしない方がいいよという記事
るとですね、成長には、負荷はかかる
けれど自分でやれる範囲の中ちょっ
とずつやっていくのが良い、みたいな
ことが書かれていたりするんですね。

 

自分の手の届かないようなことを目指
すのではなく、自分でマネージできる
レベルの難しさのことをしなさいとい
うことですね。そういう「スイート・
スポット」を狙いなさい、と。

 

なるほど。まあなんかそういわれる方
心は穏やかでいられそうですよね。

 

しかし「コンフォート・ゾーンを脱け
出せ」主張してる人たちのを読ん
でも、多くはいきなりとんでもなく難
しいレベルを目指すと「パニック・ゾ
ーン」に突入してしまう。だからちょ
とだけ先「ラーニング・ゾーン」
を目指しなさい、というようなことを
言っているんですよね。

 

こうなってくると、なんか表現の仕方
の違いなのでは? という気もしてき
ます。

 

結局、コンフォート・ゾーンを脱けて
上を目指せ、という掛け声にあまり
らされずに地道にできることを拡張
ていけばいいんじゃないの、という
りと普通の結論になってしまいそうで
すが。

 

でさて、

 

いろいろとりとめなくなりましたが。
私なりの感想としては、仮にコンフ
ート・ゾーンを脱け出して成長しよ
とするとしても、無理して上を目指す
というよりは、ちょっと視点をずら
てみるとか、立ち位置を変えてみる
か。そういう風に考えた方が良い気が
するんですけどね。

 

若いうちちょっと無理しても頑張っ
て上を目指すという選択もありなのか
もしれませんけど、とくにアラカン以
上の人間にとっては、そんな無理しな
い考え方の方がしあわせになれる気が
します。

 

だれかが、「コンフォート・ゾーン」
の外に出るには、上に出るのと横方向
に出るのと2つあるんじゃないか、な
んてことを言ってましたが、まさにそ
んな横方向な感じかもしれません。

 

そんななまっちょろいことでは成長で
きないっていう人もいるんだろうなぁ
って気もしますけどね。そんな方はど
うぞ自由にって感じですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

コンフォート・ゾーンを出ろ、という呪い?

ンフォート・ゾーンのこと
前にも書いたことがありましたが。

 

そこでは、そのコンフォート・ゾーン
から脱け出すにはどうするかというよ
うなことで書いたと思うんですけど。

 

改めて感じるのは、世の中にはコンフ
ォート・ゾーンを飛び出して成長しろ
という言説山のようにあるってこと
ですね。そうしないと次はないぞ、み
たいな。ちょっと脅しに近いものもあ
ったりして。

 

そんなコンフォート・ゾーン脱出作戦
で高らかなマーチ鳴り響くみたいな
記事が、ネットを検索してもたくさん
出てきます。

 

ですが、

 

なんかそんなのばかり見ていると、
があまのじゃくなので、何かコンフォ
ート・ゾーンにいてはけないという呪
のようなものをかけられているよう
な気にもなるわけです。

 

それもどうよ的な気にもなりまして。

 

まあ、よく探してみると、そんなコン
フォート・ゾーンを抜け出せ的な言説
に対する批判もないわけじゃなくて、
そうやって自分を高めようとするあま
り、自分を追い詰めすぎて身体や心を
病んでしまう危険性を指摘する人もい
ることはいるんです。

 

ただ、ネットで検索する限りあまり多
くはないようですけど。というか、
ても少ないという感じですけどね。

 

自己啓発系の記事にしてもビジネス系
にしても。威勢よく上を目指せとかい
う記事の方がウケはいいでしょうから
ね。

 

で、さて、じゃあ身体や心を傷つける
ことなしに「成長」するためにはどう
したらいいかって話になるわけですが。

 

え? 別に成長しなくていい?

 

……ま、ちょっと続きます。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

自分らしくしない訓練?

分らしく生きてますか、皆さんは?

 

だいたいよく言われるのが、自分らし
くあらねばとか、自分に素直にならな
ければとかとか、自分に嘘をつくのは
よくないとかそんなことなわけですけ
が。

 

とはいえ、人間そうそう自分の意に沿
ったことするだけでは生きていけま
せんよね。よほどの暴君でもなければ。

 

だいたい、何が本当に「自分らしい」
のか、皆さんわかります? はとい
えば、じつは「よくわからない」んで
すよね。

 

せいぜい、そのときどきこれは好き
だなあとか、これは「今の」気分じゃ
ないなあとか、そんな程度な気がする
わけです。

 

心理学「役割性格」っていう用語
あるそうで。人間というのは、いろん
シチュエーションに合わせて、その
場で必要な性格役割として演じてい
ってことなんですね。

 

で、心理学的には「それでいい」って
ことらしいんですけど。あまり自分ら
しさなんてものにとらわれて自分に批
判的になったり自分を責めたりすると
ろくなことはない、ということでして。

 

なので、まあそんな「自分らしさ」
あまり気にせずに、これからも生
ていこうかな。というか、ちょっと
識的「自分らしくない」役割なんて
のを引受けてみる練習をするのも時
いかも、なんて思う今日この頃
ございますが。

 

そういえば、

 

一方、音楽やってると「自分らしく」
ということを過剰に意識してる人とか
出くわす気がするんですけどね。ど
うなんでしょう? 何かの反動ですか
ね、あれは?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

頭の中の「あいつ」を飼いならす?

の中にウトサイダーを飼っ
ていたりしませんか?

 

アウトサイダーというとわかりにくけ
れば、「あまのじゃく」という方がわ
かりやすいですかね。

 

誰かの考えを聞いて面白いと思ったり
した時とか、新たに加わったコミュニ
ティのルールとか聞いたときとか、色
々あると思うんですが、そんなとき、
頭の中で、

 

えー、なんか違わない?

 

なんて突込んだりする奴がいませんか
ね? え? そんなことない?

 

まあ、その人それぞれなのかもしれな
いんですが、私個人としては

 

あるある

 

なのですよね。

 

とはいうものの、だから何にでも反抗
していたら「厨二病」とかいわれるし、
身体ももたないですからね。そこはそ
れなりに折合いをつけて取り入れるべ
きものは取り入れ、受け入れるべきも
のは受け入れて生きている(つもりな)
のですが。

 

自分でももうちょっとだけ素直になれ
ないものかと思ったりしなくもないの
ですけど。まあいまさら変わらない
は思いますが。

 

一方、

 

じゃあ、そういう「あまのじゃく」な
アウトサイダー頭の中に全くいない
としたら、それはそれで危険ではない
かとも思うわけです。

 

素晴しい考えだとか、この人の意見は
正しい、と思っても一応疑ってみる
か、みんながこうしようと言っている
ときに逆張りしたらどうなるかと考え
てみるとか。

 

詐欺だとかカルトだとかを例にとるま
でもなく、生きていればそんな思考が
必要なこともまた結構あるわけで。

 

結局、そういうアウトサイダーを頭の
中でどう飼いならしておくか、という
ことかな、と。そんなことを考えたと
いうことでございました。素直とあま
のじゃくのバランスということですか
ね。

 

SNS人の意見を読む(聞く)時
んかは、そんなアウトサイダーを前面
に立てておいた方が安全な気もします。
たぶんね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

他人のせいにするのはいけないことか?

く、人のせいにしてはいけ
せんなんて言葉を耳にするんで
すが。特に子供に言ったりします
よね。

 

それがそんなに悪いことか、というの
今日のお話なんですが。

 

まあ、そりゃ本当に自分が悪くても
れを人のせいにして知らん顔をしてる、
なんてのはいけないとは思うんですけ
ど。

 

人間のやることってそう簡単に割切れ
ることは少ないですよね。どっちにも
言い分がある、なんてことが大多数
ことなわけです。

 

で、

 

問題なのは、子供の時に言われた冒頭
の言葉頭に染み付いているせいなの
か、なんでも自分の方が悪いとか、
分のやり方カイゼンしなくちゃいけ
ないとか。そんな風に思ってしまう人
結構多いんじゃないか、ということ
ではないかってことなんですよね。

 

それが立派な態度だ、という思い込み
いったん忘れた方がいいのかもしれ
ません。

 

とくにメンタル的に落込んでいるとか、
そういう時に自分がいけないんだとか
思ったりしてると、下手すると心を病
でしまったりするおそれも出てきた
りするかもしれませんし。

 

そんな時は「戦略的に」相手が悪い
だとか、あいつのせいだとか、そう思
うことも必要なんではないかと。そん
な風に思う今日この頃ではあります。

 

セッションで、演奏しててちょっとグ
ズグズになったりした時とか、他のメ
ンバーと息が合わないなとか、そんな
時にも、ホストのあいつの仕切が悪い
からだと思って忘れてしまうとか、ね。

 

あれ?

 

ただし、反射的に口に出して相手に言
わないようにするべきでしょうけどね。
お互いに本当に「カイゼン」につなが
ような提案ができるなら別ですが。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

休めない日本人? 休んでばかりの日本人?

れを書いているのはサッ
ーの2022年カタール・ワール
ドカップの日本 vs ドイツ戦の
翌日なんですけど。

 

日本なぜか勝ってしまいまして。まあ
ドイツ自滅っぽいところもありまし
たけど、世の中的には日本中大喜び
たいな状況でございます。

 

まあ、勝ちは勝ちとして素直に喜んで
いいかなとか思ってネットとか SNS
見てたんですが、それで目に入ったの
こちらのツイート記事だったわけです。

 

どうも日本サポーターの人が会社
2週間休んで現地に応援に行っていて
上司に休ませてもらってありがとう
いうサインを掲げている、という写真
なんですね。

 

で、

 

これ見て微笑ましいと思うとか、そん
なの有給休暇を取るのは権利なんだか
上司に礼を言う必要なんかないとか、
いろんな反応がこのウラで聞こえてく
ような気がするんですけどね。

 

そして、なんとなく日本人休みがな
かなか取れなくて、あくせく働かされ
ているなんていうイメージがつきまと
うんですけど。

 

でも、実際には今の日本人ってそんな
に働いてないっていわれてたりするん
ですよね。もちろん人によるとは思い
ますが、全般的に働き方改革とかそ
んなことの関係が大きいのかとは思い
ますが。

 

今やイタリア人の方が年間の労働時間
でいうと日本人より働いているとかい
ないとか。

 

前に日本で働いているフランス人のパ
ティシエの話を YouTube かなんかで
見たんですが、日本ではフランスほど
長い休暇をとることは少ないけど、
日とかは結構多くて、休みは多いと思
うなんて話してたんですよね。

 

なので、最初のツイートの話に戻ると
あとは長い休みもより気兼ねなく取る
ことが出来るようになれば、日本の労
働環境は最高なのかもしれません。

 

賃金が上がらないという問題を除けば
(こらこら)。

 

空いた時間音楽などいかがですか?

 

さて、最後にサッカーに戻って、こん
ツイートもありましたよ▼▼▼

 

記者会見中ドイツが日本に負けた
とを知らされたフランス代表デンベ
レ選手反応です。わーお。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

グローバルよりパーソナル?

、もう会社勤めは終了した
ですが。

 

勤めていた時に申込んだ、ビジネス系
雑誌とかのメディアメルマガとか
まだ送ってくるんですよね。配信停
止とかしてないからそりゃそうか。で、
来るからときどき読むんですけどね。

 

それで、そこにある人気の記事とかの
ランキングを眺めると、かなりの割合
で、

 

あまりビジネスに関係ない

 

と思われる記事が多いんですよね。

 

ビジネスじゃなくてどちらかというと
人間どう生きていったらいいか、とい
うようなモノが多いわけです。

 

人間関係をどうしたらいいかとか、
年後への備えだとか、脳を活性化する
にはどうしたらいいかとか、その他の
健康維持の話題とか。モノの捨てかた
とか。料理のレシピとか。

 

そんな話を、学者とか医者とか各種
ンフルエンサーとか、そういった人が
解説したりしてるわけですね。

 

もちろんビジネスをするのも人間なの
で、間接的にはビジネスにかかわる話
ともいえるわけではありますけど。

 

それにしても、業界動向とか世界経済
の行方とか政府の景気対策とか、ブロ
ックチェーンとか、そんな話はあまり
ランクインしてないようなんですよね。

 

で、

 

そんな傾向について、批判的なこと
書こうと思えば書けるんですけど、
まらないのでやめておいてですね。思
うに、ビジネス系メディア読む(観
る)人たちにとっても、結局自分のま
わり半径 1.5 メートル程度の関心事が
一番なんだなあ、ということなわけで
すよ。

 

そういうのがデジタルなメディアでは
簡単に可視化されてしまうのかもしれ
ません。

 

ミュージシャン向けメディアでも、
じつはそういう話題取り上げると結構
食い付きがいいんじゃないかとか、
ったりもするんですけどね。

 

ミュージシャンメンタル問題とかね。
まあ、やってる人もいますけどね。私
知合いのベーシストの人とか(笑)

 

ライブ前食事メニューのオススメ
とか。機材整頓術とか。ミュージシ
ャン投資術とか。

 

どんなもんでしょうね?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

叱ったら、褒めろ?

(このお話はフィクションです)

 

に呼び出してすまんな。部
長が言った。

 

いえは答えたが、同僚は何も言わ
なかった。まあ、予想されたことでは
あるが。

 

俺も同僚も、今日は在宅勤務の日で、
家で作業していたのだが、急に部長
オンライン会議招集がかかったの
だ。

 

実は、S山のことなんだが。部長は言
った。S山というのは、最近俺と同僚
のチームに加わった若手の社員のこと
だ。

 

S山がどうしたんですか? 俺は聞い
た。

 

いや、どうもちょっと自信喪失気味
ようでな。自分がチームの戦力なれ
ていないと思ってるようで、落ち込ん
でいるみたいなんだ。叱られてばかり
なんです、と言ってたが。

 

部長はS山が誰に叱られるとは言わな
かったが、もちろんそのほとんどは同
なのだ。確かに何をやっても同僚
あれこれとダメ出しをしている。
ちょっとは気を使った方がいいんじゃ
ないかと言ったこともあったが、同僚
気にするそぶりも見せないのだった。

 

仕方ないじゃないですか、ジなこと
ばかりしてるんだから。そこで同僚
口を開いた

 

うん、そりゃ業務上注意したり教えて
やらなければいけないこともまだ多い
というのはわかる。部長は言った。

 

だが、このまま行くと、下手すると
ち込んだまま会社を辞めるとか言い出
しかねない気がするんだ。最近のあの
Z世代とかいう若い連中は、挫折や失
敗の経験が少なくて、耐性が低いそう
だ。部長は続ける。おおかた部長研修
ででも聞いたんだろう。

 

なので、叱るとき一緒に褒めること
も考えてやってほしい。部長は言った。

 

褒めるようなことしてないのに、何を
褒めろっていうんですか? 同僚は即
座に反論した。

 

なんでもいいんだよ。彼の存在を肯定
するようなことをつけ加えるんだ。部
長はそう同僚に答えた。これは部長と
しての業務指示と受けとってもらいた
い。

 

そう言われて同僚不服そうな顔はし
つつもそれ以上の反論はしなかった

 

もう少ししたら、この会議にS山も参
することになっている。なので、
ず最初にこの3人で彼にポジティブな
声をかけることにしようじゃないか。
部長は続けた。

 

同僚は一瞬部長を睨みつけるような目
をしたが、すぐに下を向いた

 

特に具体的に仕事のことを褒めなくて
もいいんだ。着てる服がかっこいい
とか、そんなことでもいい。いつも頑
張ってるなとか、そんな程度でいい。
何かポジティブな言葉をかけてやって
くれ。お、S山が入ってくるぞ。いい
な、業務指示ということで頼む。

 

S山が入ってきた。

 

お疲れさん。お、眼鏡変えたのか?
そうか、なかなかいいじゃないか
がまず声をかけた。

 

お疲れ。S山がチームに入ってくれて
助かってるよ。ありがとうな。は続
いて声をかけた。結構本音の気持ち
った。あの同僚からの嫌味なプレッシ
ャーを受けるのを分担できて、とし
てはかなり助かっているのだ。

 

そして、俺と部長は、固唾を飲んで
同僚が口を開くのを待った。

 

い……

 

同僚は何か言おうとしている。

 

いつ……

 

いつも頑張ってるな、と言おうとして
いるようだ。早く言ってくれ。俺は緊
張しながら思っていた。

 

い、いつになったらお得意へのレポー
トを送るんだ、さっさとやれ。

 

画面越し部長ズッコケてフレーム
アウトするのが見えた。

 

俺は思ったこいつギター・デュオ
しかやらないのは、好きでやってるわ
けではなくて、3人以上のバンド・メ
ンバーとやってなんかいけないから
ゃないだろうか。

 

いや、そうに違いない。

 

このお話はフィクションなので、現
実のZ世代若手社員、チーム内の軋轢、
司からの指示どとは無関係です。
ぶんね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

予想どおりに(?)不合理な私

間というのは合理的に考え
合理的に行動する生き物であ
る……とも限らない、というの
は近年ではよく言われることで
すが。

 

経済学なんかでは、合理的に考え行動
する人間前提となっていたわけです。
昔はね。

 

それに対して行動経済学なんてものが
出てきて、人間の思考や行動の非合理
に焦点があてられるようになってき
たわけですね。

 

そんな経済学の話ググればいっぱい
出てくるんで、ご興味のある方は読ん
でいただければと思うんですが。

 

で、

 

そんな人間の非合理性をいちばん肌身
で感じられるのは、

 

音楽をやるとき

 

じゃないか、なんていうことを思った
わけです。アドリブで演奏する時なん
かはとくに。

 

音楽にはこうすればこうなるとか、
れをやればこういうことになる、なん
ていうこと(あえて理論とはいいませ
んが)は色々あって、それを覚えて演
するのが普通なわけですが、必ずし
それを守る人ばかりじゃないし。

 

ライブで、必要以上に声を張り上げ
り、事前には考えてもいなかった奇声
を発してしまったり。

 

決められたテンポがあるのに、なぜか
だんだん速くなって(走って)しまっ
たり

 

だけど、そういう「逸脱」した演奏が
なぜかウケてしまったり

 

本番の演奏だけでなく、練習すれば、
そしてそれを続ければ上達するわけで
すが、それが出来なかったり

まあ、色々あるわけですよね。

 

で、思うんですが、自分ごとにしても
他人事にしても、そうした非合理とい
うか不合理な現象を楽しむことができ
ることが一番なんじゃないかと思うん
ですが。

 

まあ、別に強制はしませんけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

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ネガティブを受け入れていいこと、悪いこと?

ジティブ vs ネガティブ
たないな話は前にも書いている
んですが。

 

基本的にはなんでもポジティブであれ
ばいいというもんじゃないというこ
だったかと思います。時にはポジテ
ィブの押付けになって、害もあるぞ、
なんてね。

 

ネガティブな感情を持つことも受け入
て、何ができるかを考える必要があ
あるよ、ってことなんですが。

 

で、

 

ここで大事なのは、

 

ネガティブな「感情」を感じている
ということを受け入れる、ってことな
んですね。

何が言いたいのかというと、つまり、
ネガティブな「結果」をそのまま受け
入れろということではない、というこ
となわけです。

 

ネガティブな結果については、次回こ
うしようとか、それを避ける準備をし
ておこうとか対策を立てる必要がある
わけでして。そのままにしておいても
あまりいいことはありませんよね。

 

この違いについては、以前からよくご
紹介している、ジュリアード卒のバイ
オリニストでもある心理学者のノア・
カゲヤマさんのブログに書かれていた
んですが。

 

同じ記事には、ネガティブな考えや感
を持つことを素直に受け入れる(そ
して、受け流す傾向にある人のほう
が、ネガティブな感情をもってしまう
ことが悪いことだと考える人より、
とか不安を持つ傾向が少ないなんて、
研究結果についても書かれていました。

 

平たく言えば、そういうふうに、自分
のネガティブな思考や感情に素直に向
きあえる人の方が幸せ、ということで
すね。

 

そして、研究によればパフォーマンス
も良くなるのだそうですよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

静かに「辞める」人たち?

こ最近、英語圏ではやりの
言葉がありまして。まあ、主に
アメリカですけど。

 

Quiet quitting

 

っていうんですけどね。

 

まだ日本ではそれほど知られてない言
かもしれないんですが、こういうの
はだいたい日本でも後追いで流行る
じゃないかと思うんですが。

 

で、

 

この quiet quitting というのは、直訳
すると「静かな退職」ってなるわけで
すが、本当に仕事を辞めるというより
は、

 

会社の仕事は(クビにならない程度に)
必要最低限しかしない

 

ということなわけですね。しかもそれ
をストライキみたいな抗議活動として
声高にやるわけではなく「静かに」
やるわけです。

 

こういう言葉や行動が注目されてきて
いるのは、特にアメリカ「ハッスル
・カルチャー」とかいわれている、
されている以上パフォーマンス
発揮してどんどん出世しようとか、そ
ういうののアンチテーゼみたいになっ
ているからのようでして。

 

ビジネス・マネジメントについての
から TikTokYouTube動画まで、
いろんなところで目につくようになっ
ています。

で、まあ、別に私としてはこの「静か
な退職」人に勧める気が特にあるわ
けではないんですが。

 

こういうのって、自分の考える自分へ
の期待値も下げないと出来ないことで
はないかと思うんですよね。なので、
こんなことも世界では起きてるってこ
とを知っておくのは良いことではない
かと思ったりするわけです。

 

とくに、人にも自分にも厳しいおじさ
たちにはね。

 

まあ、最近では日本という国が全体と
して quiet quitting してるという気
がしないではないですが。

 

Quiet quitting についてもう少し知
たい方は、例えばこちらの記事など
どうぞ。▼▼▼
※※なお、アメリカの労働者の少なく
とも 50% は「静かな退職」をしてる
というギャラップ社の調査報告もある
そうです。

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)