音楽理論を学ぶというのは、
別に悪いことじゃなくて、必要
なことだとは思うんですが。
ときに、中途半端な知識がかえって邪
魔になったり、演奏がおかしなことに
なったりもします。
演奏そのものよりも、自分がちゃんと
理論にかなった演奏してるかが気にな
ったりしてね。演奏の方がおろそかと
いわないまでも微妙になってしまった
り。
でもまあ、それも通らねばならない道
なのかもしれませんが。
この前、言語学に関連した本、といっ
ても本格的な学術書ではなくて、エッ
セイ集みたいなものですが、そんな本
を読んでいたんですが。
外国語を話すときよくある間違いを気
にするあまり、過度に修正をかけてし
まうことがあるそうで。
例えば、ラテン系の言葉のネイティブ
・スピーカーはHの音の発音ができな
いというか、そもそもHはそういった
言語だと無音なので、「花」を「穴」
みたいに読んでしまう、なんてことが
起こります。
で、それを教える側は修正するわけで
すけど、話す側が、そのことを気にす
るあまり過剰に修正しようとする傾向
が出ることがあるそうです。つまり、
この場合「穴」を「花」と読んでしま
うことになったりするわけで、
Hypercorrection
とかいうそうですけど。
ハイパー修正?
ま、用語はどうでもいいんですが、よ
く言語の習得と音楽(理論)の習得を
比較する話を見たりするんですが、こ
んなことも似てるかな、などと、思っ
た秋の一日ではありましたよ。
て、ことで。
それでは、また( ̄▽ ̄)
お読みいただきありがとうございま
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