音楽理論を学ぶというのは、別
に悪いことじゃないし、役にも立
つとは思うんですが。
ときに、中途半端な知識がかえって邪
魔になったり、演奏がおかしなことに
なったりもします。
演奏そのものよりも、自分がちゃんと
理論にかなった演奏してるかが気にな
ったりしてね。演奏の方がおろそかと
いわないまでも微妙になってしまった
り。
でもまあ、それも通らねばならない道
なのかもしれませんけどね。
この前、言語学に関連した本、といっ
ても本格的な学術書ではなくて、エッ
セイ集みたいなものですが、そんな本
を読んでいたんですが。
外国語を話すときよくある間違いを気
にするあまり、過度に修正をかけてし
まうことがあるそうで。
例えば、ラテン系の言葉(フランス語
とかイタリア語とか)のネイティブ・
スピーカーは H の音の発音ができない
というか、そもそも H はそういった言
語だと無音なので、「花」を「穴」み
たいに読んでしまう、なんてことが起
こります。
で、それを教える側は修正するわけで
すけど、話す側が、そのことを気にす
るあまり過剰に修正しようとする傾向
が出ることがあるそうです。つまり、
この場合「穴」を「花」と読んでしま
うことになったりするわけで、
Hypercorrection
とかいうそうですけど。
ハイパー修正?
ま、用語はどうでもいいんですが、よ
く言語の習得と音楽(理論)の習得を
比較する話を見たりするんですが、こ
んなことも似てるかな、などと、思っ
たある日の読書体験ではありました。
て、ことで。
それでは、また( ̄▽ ̄)