めんどくさい奴になりたくなければ、ちょっとめんどくさく考える?

SNSとかの投稿読んでるとた
(よく?)めんどくさい人がい
るなあとか思いません?

 

なんか、自分の主張を繰り広げること
読む人間押さえ込もうというか、
自分の理屈万能であるかのように書
いたりしてるとかね。で、それに反対
なことを書かれたりすると怒ったり
バカにしたりとか。

 

まるで理屈さえ通っていればなんでも
許されると思ってるというかね。まあ
その人の理屈なんですが。

 

あと、コロナ直接対面でのコミュニ
ケーションの量が減ってメールとか
文章でのコミュニケーションが増える
中で、正論を振りかざして人を追いつ
めるなんていうケースも増えているの
だとか。

まあ文章というのは、書いてからも見
直して(自分から見て)スキのない
うに手直しできたりするのでね。そん
なことをやったりする人は、スキのな
いメールが送れれば、それで誰でも納
するなんて思いがちですが。

 

実は文字でのコミュニケーションは、
対面のコミュニケーションに比べて情
報量が格段に少ないので、伝わらない
ことも十分考えられるのですが、書く
側はそれが我慢できなくて、結局言い
たいことの押し付けになったりして。

 

結果めんどくさいやつ認定されてしま
うなんてことになったりしてね。

 

結局、大事なのは、そんなふうに白黒
ハッキリつけられることそんなに
ないわけで、それを受け入れられるか
どうか、そんな思考ができるかなので
はないかとか思うんですけど。

 

グレーな領域を無視しないというかね。

 

ある意味めんどくさいことなわけです
が、そういう考え方ができると「めん
どくさいやつ」と思われるのを防ぐこ
とができるのではないか。

 

なんてことを考えて、SNS でのやり
とり覗いたりしておりますですよ。
あーめんどくさ。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

ハイパーな修正?

楽理論を学ぶというのは、
に悪いことじゃないし、役にも立
とは思うんですが。

 

ときに、中途半端な知識がかえって
になったり、奏がおかしなことに
なったりもします。

 

演奏そのものよりも、自分がちゃんと
理論にかなった演奏してるかが気にな
ったりしてね。演奏の方がおろそかと
いわないまでも微妙になってしまった
り。

 

でもまあ、それも通らねばならない道
なのかもしれませんけどね。

 

この前、言語学に関連した、といっ
ても本格的な学術書ではなくて、エッ
セイ集みたいなものですが、そんな本
を読んでいたんですが。

 

外国語を話すときよくある間違い
にするあまり、過度に修正をかけてし
まうことがあるそうで。

 

例えばラテン系の言葉(フランス語
とかイタリア語とか)ネイティブ
スピーカーH の音発音ができな
というか、そもそも H はそういった
語だと無音なので、「花」を「穴」
たいに読んでしまう、なんてことが起
こります。

 

で、それを教える側は修正するわけで
すけど、話す側が、そのことを気にす
るあまり過剰に修正しようとする傾向
が出ることがあるそうです。つまり、
この場合「穴」を「花」と読んでしま
うことになったりするわけで、

 

Hypercorrection

 

とかいうそうですけど。

 

ハイパー修正?

 

ま、用語はどうでもいいんですが、よ
言語の習得と音楽(理論)の習得を
比較する話を見たりするんですが、
んなことも似てるかな、などと、思っ
たある日の読書体験ではありました。

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

ギリギリも悪くない、のかも?

休みの宿題(でも会社の提出
書類でもなんでもいいんですが)
を、ギリギリのタイミングで仕上
人っていますよね?

 

で、ギリギリに出すんだけどちゃんと
したものを出したりね。結構、クォリ
ティ高かったりして。

 

前の日までは、何もしてないんだよ〜
とか、やばいなあどうしよう、とか言
ってたとしても、ちゃんと帳尻は合わ
せるという人、周りにいませんでした
か?

で、

 

結局、そういう人たちって、

 

1.ついて前からやっていた、か、
2.実際にギリギリに手をつけて間に
合わせるのが上手い

 

か、どちらかなわけですよね。

 

の方はひとまず置いておくとして、
の方の人たちって、どういう人なの
かというと、どうも意識的にそうやっ
自分を追い込むことで良い仕事をす
タイプの人なわけです。

 

そういえば、ビジネス生産性を上げ
メソッドなんかを専門にしてる人が、
「ギリギリ」に仕事に手をつけるのも
悪くないよ、なんてことを書いていた
のをだいぶ前に見たような気がするん
ですが。

 

そうやって時間的な制約自分にかけ
ことで、よりクリエイティブな結果
を残せるタイプの人もいるってことら
しいんですよね。

 

考えてみれば、音楽でアドリブでソロ
を弾いたりするってのも、似たような
ところがある気もするので、そういう
ギリギリを試してみるのもいいかも
なんて思ったんですけどね。

 

ただ、その専門家の人によれば、「ギ
リギリ」が上手くいくためには

 

1.それを意識的にやっているとちゃ
んと自覚してること
2.そしてその仕事にどれだけかか
かの時間の見積りがちゃんとできて
こと

 

重要だ、といってました。

 

なので、単にびすぎててやるのを
れてたてのはダメってことみたいで
す。

 

ま、そりゃそうか

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

「できない」は世界を救う?

年ぶりか……俺はつぶやいた。

 

最後に出社してから、確かに1年
が過ぎていた。久しぶりにオフィス
戻った俺は、浦島太郎のような気分だ
った。

 

1年半前、俺は希望していた1年間の
大学院での国内留学の選考に受かり、
あの同僚とのコンビ解消して、学生
生活を送らせてもらったのだ。このご
時世に、会社もよく行かせてくれたも
のだ。

 

1年間なのでハードではあったが、土
日にはジャムセッションにもしょっち
ゅう行けたし、おれはハッピーだった。
そして無事に MBA の資格を手にした
俺は、こうやって会社に戻ってきた
いうわけだった。

 

俺がやっていた仕事どうなったんだ
ろうな。俺は思った。確かあの仕事は
入社2年目若手社員同僚とコンビ
を組むことになったはずだった。

 

あの同僚との仕事をそんな若者に託す
ことになって、俺は少々心が痛んだ
それ以上にあの同僚から解放される
とが嬉しかった

 

あれ? そうか1年経ったんですね。
おかえりなさい。後ろでがした。

 

見ると、留学に行く前一緒に仕事
していた内勤の社員だった。同僚がな
んでもクライアントに言われた無理を
押し付けるので、かなりの苦労をかけ
相手だ。

 

ああ、君か。どうだい、最近例のクラ
イアントの仕事は? 相変わらず無茶
なこと言ってくるんだろうな。俺は尋
ねた。

 

ああ、いや、それがね。あの若手の彼
に担当が替わってすぐに、一つとてつ
もない無茶な依頼が来たんですが、結
局それ、納期に間に合わなくて、穴を
開けちゃったんですよ。

 

え? 本当か? それでどうなった?
俺は驚いて聞き返した。

 

それがね、もちろんうちの社内でも問
になったんですが、あちらさんの方
でも、あんまり無茶な発注をするもん
じゃない、という話になりましてね。
最近では、そんなわけで、結構オーダ
ーがまともになりました。おかげで、
定時に退社できることも多くなりまし
たよ。

 

その社員は、笑って、じゃまた、とい
って立ち去ったえええ〜〜

 

そんなことがあったとは。社内の根回
しとか大変な苦労していた俺の努力は
何だったんだ。俺は、呆然として、そ
ばにあった椅子に崩れ落ちた

 

……

 

と、いうところで目が覚めたか。
ちぇ。世の中は甘くない。ま、今どき
MBA なんてのも流行らないか。

 

また、昼寝か。いい気なもんだな。
の声がした。見ると俺の目の前に立
っていた。

 

お得意からのあの発注の件内勤には
伝えたのか? どうせあいつらは時間
がないとか文句言うんだろうが、ちゃ
んと言うこときかせてくれよ。
日ライブがあるから帰るぞ。じゃな。
そう言って同僚は立ち去った

は、黙って見送っていたが、この案
件、穴を開けた方がいいのではないか
思いはじめていた。それが、みんな
の幸せのためじゃないのか? いや
対そうに違いない。

 

そんなどす黒い思い脳内を駆け巡る
のを、俺は押しとどめることができな
くなりつつあった……

 

このお話はフィクションですので、
現実の国内留学制度、クライアントの
無茶振り、社内のもめごとなどとは無
関係ですよ。たぶん。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

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踏切とアドリブ・ソロの関係?

かずの踏切っていうのがあ
ましたよねえ。あ、今でもあるの
か。

 

もっとも、最近は、線路高架化され
たりして、数は減っているんだと思い
ますが、の家の近所にも昔はありま
した

 

一方の電車通り過ぎたと思ったらす
ぐに反対方向の電車がやってきて、踏
切は長いこと閉まったまま、なんてこ
とになるわけです。特にとか夕方ね。

 

それが道路の渋滞を引き起こしていた
りしたわけで、社会問題になったりも
してたわけですが。
でね、

 

ジャムセッションとかやってると、と
きどきアドリブソロ弾いているう
ちに頭の中がバグってきて(?)終わ
りどころを逃してしまって、長〜いソ
になってしまうことが、起こるんで
すよね。

 

そういうのを見ると、ああ頭の中が
かずの踏切状態なんだな、なんて思っ
たりするわけです。

 

そうならないうちにソロを終わらせる
方向に持っていくことが肝要なんです
が、なかなか言うは易しで、起こりが
なことではあるんですよね。

 

あと、

 

1コーラス最後まで弾き切ることに
集中するあまり、ソロを次の人に受け
渡しするのをれて次のコーラスに
突入してしまう、なんてのもあります
ね。

 

ま、そういう時もう1コーラス責任
取って弾いていただくしかないんです
けど。

 

セッションあるあるってことで。

 

お気をつけくださいまし。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

花粉症と気の乗らない練習の共通点? とその「治療法」

粉症の季節って春先のよう
なイメージですけど、実は一年
中色んな植物の花粉は飛んでい
て人によっては結構長い期間苦
しむ人もいてね。秋なんかにも
結構あるとか。

 

私は普通の(?)スギ花粉症だと思う
んですが、以前は結構大変だったん
すよ、何の対策もなしに花粉症の季
を乗り切るのは。そんなわけで、早々
に(本格的なシーズン前に)耳鼻科
行ってもらってきたりとかしてたん
ですが。

 

そんなだったんですけど、なんか最近
なぜかどんどん症状が軽くなってきま
して。もうここ数年、耳鼻科に通うこ
ともなく過ごしております。のせい
鈍感になったんでしょうか? 仕事
のストレスが減ったせい?

 

ま、それはともかく。

 

根本的に治したいと思わなかったわけ
でもないのですが、どうしても飲み薬
だとか点鼻薬のスプレーだとかの、
療法的なものになってしまいます。

 

根本的な治療法というのもないわけじ
ゃないんですけどね。「減感作療法」
というのがありまして。

 

ご存じの方も多いと思いますが、減感
作療法というのは、アレルギーを引き
起す物資(アレルゲン)を特定して、
その物質を少しずつ皮下注射していく
ものです。で、最初は濃度も薄く量も
少ないところから始めて、だんだん
や濃度を高めていくのですね。徐々に
慣らしていく感じでしょうか。

アレルギーの根本的な治療法としては
これしかないと言われてますが、時間
がかかるのが難点で、何年もかかるん
ですよ。なので薬などでの対症療法を
選ぶことが結局多くなってしまうんで
すねえ。

 

で、

 

それで思い出したんですが、心理学に、
「脱感作法」というものがあります。
これは、恐怖を感じるもの、不安を感
じるものに対して過敏になった状態か
ら、段階的に抜け出していくための方
で、特にトラウマなどをケアする手
法なんですが。

 

不安や恐怖を感じる場面をいくつも想
定して順序付けをおこない、怖くない
順にリストを作り、恐さ度合いの少な
いところからイメージをしたり実際に
その場面に対面したりしていき徐々に
クリアしていく、というものです。ち
ょっと似てるでしょ?

 

この考え方を応用して、なんとなく気
が乗らずになかなか始められない曲の
練習などを始めるやり方があるんです
よ。どうやるかというと、まずとにか
極端に敷居の低いところに目標を設
するんですね。曲の練習だったら、

 

「楽器を手に取ってみる」

 

というところから始めるとかですね。

 

最初はそれでOKにする。手に取るだ
で弾かなくていい、ということろか
ら始めるんですね。で、それが問題な
くできるようになったら、次のステッ
プに進むわけです。

 

もっと敷居を低くして、「楽器を手に
取る自分をイメージしてみるところ
から始めてもいいかもしれません。
階を踏むのがポイントですね。

 

ま、もしそんな気の乗らない練習なん
かがあったらためしてみたらいかが
しょうか?

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

完璧主義にもいろいろある? らしい

璧主義がもたらす問題やら
弊害やらについては、こちらで
も前に書きましたし、いろいろ
な所で書かれているのを目にし
ます。

 

この前も、ネットビジネス系の記事
を読んだら、また書かれていまして。

 

なんでも、それだけいろいろ問題が指
されているにもかかわらず世の中
では「完璧さへのこだわりが強まって
いる」のだそうでして。

 

完璧さへのプレッシャーむしろ深刻
しているのだそうです。困ったもん
ですね。

 

で、まあ詳しく知りたい方は記事を読
んでいただければと思うのですが▼▼

 

その記事の中で面白いと思ったのは、
「完璧主義」にもタイプがあるという
話で、3つあるそうなんですが、簡単
にいうと、

 

1.自分自身に完璧さを求めるタイプ
2.他人が自分に完璧さを求めている
と思い込むタイプ
3.他人に対して完璧さを求めるタイ

 

分かれるということらしいんですね。

 

言われてみればっていうような話では
ありますが、確かにそんなタイプに分
かれる気もしますね。なんか特に迷
なような……

 

なんですけど、

 

そこれって3つのタイプというよりは、
「完璧主義」にはこうした側面がある
よっていうことのような気もします。

1人の人間完璧主義者だとして、そ
こにはこの3つの側面同居している
という気もしますよね。人によって
の部分が強いかには違いがあるにして
も。

 

まあ、いずれにしても厄介なことでは
あります。

 

みなさんは完璧主義的傾向強いです
か? そうだとしたら、この3つのど
の部分が強いですか?

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

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選択と集中は楽しさの敵である?

の中には、1つのことを
して集中することで成果を上げて
いる(ということになっている?)
人たちがいたり企業があったりし
す。

 

一方で、そんな選択と集中なんてこと
を考えずに、何にでも手を出す人(や
企業)も存在しますよね。

 

で、

 

別にどっちがいいか悪いかなんて話で
もないんですが、よくその対比で一方
が他方をディスったり逆にディスられ
たりなんてのも目にします。音楽界隈
でもよくみかけますよね。

 

前にも書きましたけど、楽器マルチ
プレーヤー対単一楽器ひとすじタイプ
のプレーヤーとか。

 

ジャンルを特定してこだわったプレー
ヤー対どんなジャンルでも手を出すプ
レーヤーとか。

 

大体、「ひとすじ」系の人いろいろ
と手を出す人のことをお調子者のバカ
とか思ってる節があるような。いや、
ま知らんけど。

 

いろいろ手を出してる人は、あまりそ
「ひとすじ」系の人をけなしたりはし
ない気もしますが、たぶん

 

そんなことをしてるより、いろいろ手
を出していろいろしてた方が楽しい

 

からではないかと思うんですが。ま、
偏見かもしれませんけど。

 

そういえば、最近あるビジネス系の動
を見てたら、ある人が選択と集中
てしまうと、ビジネスが面白くなくな
って、人材も集まらなくなる、なんて
ことを言っていましたっけ。

 

まあ、確かにいろんなことが得意ない
ろんな人がいた方が楽しいよなあ。な
んてことを思いながら、いろんなこと
に手を出すジャムセッション続けて
いこうかと考えている今日この頃でご
ざいます。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

日本語の音、英語の音……とマスク?

あるネットの記事読んだ
ですが。

 

どんな記事かというと、コロナで一般
化した、マスク着用の義務のことでし
て。▼▼▼

 

で、コロナが世界的にだんだん落ち着
いてきていて、特に欧米なんかでは、
マスクの着用義務というのはどんどん
解除されてきたわけですが。

 

テレビとかの中継映像とか観ても、特
イギリスとかアメリカなんか、誰も
マスクしてないですよね、ほとんど。

 

一方日本ではそういったマスクの着
用義務というのはいつなくなるのかと
考えると、なかなか難しいんじゃない
か、というようなお話なわけです。
詳しくお知りになりたい方は記事を読
んでいただくとして。

 

で、

 

マスク着用の良し悪しについては、こ
こで立入る気はないですが(ないのか
い)この記事の中に、特に英語圏
スクが嫌われる理由として、英語
本語ではしゃべり言葉「周波数」
大き違っていて、

 

「日本語の周波数は、主に125~
1500Hz(ヘルツ)に対し、英語の
波数は、750~1万2000Hzで、
日本語よりはるかに高周波」

 

だという話が書かれています。で、
スクではこの高い周波数帯の音がより
遮られやすい、つまり聞き取りづらく
なってしまう、ということが欧米でマ
スクが嫌われる理由として挙げられて
いるんです。

 

へー(まあ、じゃあフランス語は?
とか、ドイツ語は? 中国語は? と
か突っ込みたくもなりますが、それは
おいといて)

 

普段言葉として発している音の周波数
が、言語によってこれほど違うという
のはちょっと驚きですよね。

 

この読んだときに、私のにはよ
くあるイコライザーの絵が浮かびまし
よ。

 

日本語の周波数は中央より左(低め)
よりで、英語は中央から右(高め)よ
なわけですねえ。

 

ま、それだけなんですけどね(それだ
けかい)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

(2024年の追記)コロナが5種に以
降して以来、マスクの使用率はかなり
落ちましたが、それでもまだしてる人
もけっこういますよね。ちなみに、良
い悪いはさておき、私個人的にはマス
クというものは苦手です。

 

今の自分 vs. 昔の自分問題(?)について

間、年とって、キャリアを
ねて、それなりに成功体験重な
ってくると逆にその成功体験にと
らわれやすくもなりますね。

 

よく言われるのが、アラカン前後のお
じさんが、過去の仕事上の功績やそれ
によって得た地位にとらわれて、不必
要にいばったりしてうとまれる、なん
てことで。よく批判的に書かれていた
もします。

 

これは、自分の過去の成功体験に縛ら
れて、それにすがりついてしまうとい
うものですけど、一方で

 

過去の成功があるので、新しいことを
やらせてもらえない、あるいはやって
も評価してもらえない

 

なんてこともあるんですよね。

 

例えばこんな記事がありまして▼▼▼

 

あのイーグルズティモシー・シュミ
ットが、なぜイーグルズは新しい曲を
発表しないのか、と聞かれて、「人々
イーグルズの新曲が聴きたいわけで
はなくて、昔のヒット曲が聴きたい
だよ」と答えているという話です。

 

で、まあ

 

もちろん、こんな風に考えて古い曲
しかやらないバンドやアーティストだ
けではないでしょうが、同じようなこ
を考えるスターたちはいるようで。
有名なところでは、ビリー・ジョエル
なんかも長いこと新曲を作ることはや
めていましたよね。

 

ティモシー・シュミットは、ソロ
曲を発表したりすることで、彼として
創作欲みたいなものは満たされてい
ようですけどね。

 

そんなわけで、人間の過去の成功体験
というのは、その人(たち)の内面
かりでなく、周囲からの期待にも影響
を与えるということで、なかなか一筋
縄ではいかないなあと思ったと。

 

そんなわけでございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

世代論を越えた概念としてのアラカン?

最近気がついたわけでも
んですけど。

 

ときどき、今流行っている音楽にはあ
まり関心がなくて、昔のわれわれアラ
カン以上の世代が親しんでいた音楽
大好き、っていう若者出会ったり、
見かけたりするんですよね。

 

1970年代歌謡曲とか洋楽が大好き
だったり、サム・クックとかあの辺の
クラシック・ソウルがいい! とかい
ハタチそこそこの若者とか。1980年
ニューウェイヴ系ファッション
も含めて大好物だとか。

 

そういう若者いるんですよね。

 

で、同世代とは話があわないんですよ
とかいってるというね。

見た目若くても中身はアラカンみたい
な生き物、わりとみかけませんか?

 

まあ親の影響なんてのもあるでしょう
し、今は YouTube昔の映像も簡単
に見られますしねえ。そういう若者
増殖傾向にあるのかもしれません。

 

今は、昔のモノ時代を越え現代
影響力を持ちうる、そんな時代なの
ですねえ。そんな「未来」を予言した
「未来学者」が昔いたような気もしま
すが。

 

知らんけど。

 

ま、なので、そういう若者に出会った
ら、見た目にだまされずアラカン
して生暖かく接するのがいいんじゃな
いかとか。

 

「アラカン」というのは世代を表すた
んなる用語ではなくて、人間の生き方
を示す概念になっているのではないか
とか。

 

そんなことを思う今日この頃ではあり
ます。あ、半分冗談です。

 

半分ね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

音楽を「語る」ことと演奏と

楽を「語る」人というの
沢山いますよね。批評家とか評
論家という人たちとかがいたり
とかですね。

 

批評家でなくても、誰でも語ることが
できるのが音楽ですよね。好き嫌い
毛が生えたような形でも自由に語れる
わけで。それが良いことでもあるし、
色々ケンカのタネにもなったりする
けですが。

 

一方でなかなかお目にかかれないのが、
音楽を演奏する立場の人が、自分の演
奏する曲の内容や意味わかりやすく
解説するような文章とか講義とかです
ね。入り込んじゃって、唯我独尊的な
話だと聞いてる方はつらいしね。

 

もちろん、音大とかいけば、専門の先
が専門的に詳しく解説する講義とか
はあるのでしょうが(行ったことない
から知らないけど)、専門家じゃない
人にもわかりやすくて意味のある説明
ということになると、なかなか出会う
は難しかったりします。

 

ボストンフィルハーモニー管弦楽団
音楽監督である、指揮者のベンジャミ
ン・ザンダーが行った TED での講演
なんていうのは、そういう珍しい例な
のかもしれません。(英語の講演です
が人間が翻訳した日本語字幕がありま
す)▼▼▼

 

ショパンのピアノ曲を例に、音楽理論
的にも裏打ちのある解説をしているの
ですが、決して難しい理論的な用語
駆使するわけでもなく(「偽終止」と
いう言葉は使っていますが)、でも
楽を演奏する人にとっても聴くだけの
にとっても意味のある話になってい
ますよね。

 

で、

思ったのですが、別に人に聞かせるわ
けでなくても、こういう曲の分析がで
きたとしたら、自分が演奏するときに
もかなり有効な気がしてきませんか?

 

専門のクラシックの演奏家の人などは
たぶんやっていることなんでしょうが、
クラシックじゃなくても、どんなジャ
ンルでも。趣味で演奏するような立場
でもね。

 

ライブのMCなんかでこんな話できた
らスゴイでしょうけどねえ。ザンダー
ほどの説得力のある話にはならないと
しても、ちょっとまねしてみたくなり
ません? 無理か。これもある種の
ではありますな。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)