読まない教則本は人生を豊かにするか?

にも音楽の教則本を読みもし
ないで積読状態になってるのがど
うとか、いろいろ書きましたけど。

 

この前、X(旧Twitter)を見てたら、
こんなポストがありました。

 

「厳しいことを言います。手に入れた
本を全て読破しよう、読む以上には買
うまいとしているあなた、間違ってい
ます。人生には余裕と幅が必要です。
読める量の10倍は本を買いましょう。
本棚にたくさんある未だ読んでいない
本があなたに刺激を与え、人生に豊か
さを、知性に謙虚さを加えます。」

 

いかがですか? なかなか良い言葉
と感じる人もいるんじゃないですかね?

 

ま、書いたのは古本屋さんなんですけ
どね(笑)わりと最近、プチ・バズり
してたんですが。

 

でまあ、

 

こういう心構えでいれば、本棚教則
読まれないまま放っておかれてい
ても、部屋の片隅に積まれたままでも
豊かな人生謙虚な知性を手に入れて
いると思えばノー・プロブレムじゃな
いか、と。

 

まあ、そう思ったわけですね。

 

リダンダンシー(冗長性)とか、いう
キーワードが頭に浮んだりしてね。な
んにつけ、ギリギリ必要なモノしかな
い状態というのはよろしくないのでは
などと……

 

え? いらない教則本、売りに出すん
じゃなかったのかって?

 

んー、そうなんですけどね。さすがに
「読める量の10倍」置いておく余裕
はないんですからねえ。

 

どうしたもんでしょうねえ……

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

理論が使える・使えないを分けるもの?

の前の音楽理論の話に関連す
ようなしないような話なんです
が。

 

たとえばドレミミの音どんな音か
なんて話になったりしたとしてですね。

 

メジャースケール3つ目の音で、
ではメディアントという名前で呼ば
れたりもして、この音がスケール
ジャーかマイナーかを決めるポイント
になっていてとか。

 

理論的に語ることや知識を得ることは
今やわりと(とても?)簡単にできる
わけです。

 

今、ChatGPT に尋ねてみたら、

 

「メディアントは、スケール内での安
定感や転調の効果をもたらす重要な音
とされています。また、コード進行や
メロディ作りにおいても重要な役割を
果たします。」

 

……という返事が返ってきました。

 

なんですが、

 

そのミの音を、たとえばアドリブ・ソ
を弾く時に効果的に使えるか、とい
うときに、上に書いたような知識だけ
を頼りにできるかといえば、まずでき
ないですよね。

 

やはり、実際に何度も弾いてみて、そ
自分の感覚と結びついていない
と使えないわけですね。響きとか、
起されるイメージとか、もしかしたら
とか。

 

それも、他の音リズムハーモニー
との関連においてね。

 

音楽理論を知ることはムダなこととは
思えませんが、そういう実践上の感覚
と結びつかないと結局、使えるように
はならないということですよね。

 

人工知能の世界やら、最近では言語の
習得のしくみの研究やらでいう「記号
接地問題」というのがあるんですが、
なにやらそれに近い話ではあるよなあ、
と思ったりしております。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

体とか脳とかに(どうでも)いい話?

し前に、「ワサビは記憶力
高めるのにいいのかも」なん
て話を書いておいてなんなんで
すけど。

 

そこでも一応書いてはいるんですが、
こういう〇〇は××にいいらしい、な
んて話は、

 

だいたいにおいてあまり信じないほう
がいい

 

基本的には思うわけですよ。

 

最近も、以前よく言われていた、赤ワ
イン健康に良い効果があるとかいう
話が、結局どうもそれを裏付けるデー
タは何もないなんていう話を読んだ
りしまして。そうかー、なんて思って
しまったわけなんですが。

 

赤ワインに含まれるポリフェノール
健康のために良い効果があるなんて話
で、一時期盛んにテレビ他のメディア
で取り上げられてましたけどね。

 

まあ、だいたいにおいて、楽しいとか
美味しいとか、そういう快感を伴うも
が、体とか脳とかの健康面にも良い
なんて話があるとそれに飛びつく人が
多いわけですね。一石二鳥とか言って。

 

なんかも、アラカン世代以上を対象
にしたジャムセッションなんてものを
やってますので、何かセッションとか
音楽の演奏とかに脳や体にいい効果
あるといいな、と思って色々探したり
もしたんですけど。

 

もちろん、本当に証明されたそういう
効果があれば嬉しいとは思うわけで
すが。

 

まあ、でもそういう話があったとして
も、いわゆるネタ的なものとして聞い
ておく以上のことはしない方が賢明か
、などと思う今日このごろではござ
います。

 

「楽しいだけ」「美味しいだけ」で十
分じゃないか、と思っているくらいで
ちょうどいいのではないか、と(そう
書いてみると、なんか説教くさくてい
だな、と思ったりもしますが 笑)

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

理論は使わないにこしたことはない? ○○○も?

し前、X(旧 Twitter)界隈で、
ちょっとだけバズっていたという
か話題になっていたのが

 

音楽理論は必要か不要か?

 

みたいな話で。

 

まあ、昔からある話題SNS場所
を移してされてるって感じですが。そ
れにいろんな音楽系 YouTuber だとか
いった人たちが反応してた、なんてこ
とがありました。正直またかよって思
わないでもないですが。

 

たぶん音楽やってない人の目にはほと
んど触れてないのではとは思いますけ
ど。狭い世界だなあ(笑)

 

で、おそらく、そんな流れを受けてか
なと思いますが、私の音楽仲間でもあ
る、ベーシストの Nori Shinsawa さん
も、こんなポスト(というかリポスト)
をしてました▼▼▼

 

ベーシストビクター・ウーテン
奏と理論の関係についての質問に答え
ている動画が「引用」されてます。た
しかにとても素晴しい内容でして。

 

理論というのは道具(ツール)なん
だ。クルマを運転してる時に修理道具
なんて使わずに済むならそれにこした
ことないだろ?」とか、なかなかいい
例えですね。その後のコメントも含め
ぜひご覧になるといいと思います。

 

(ここで使われている動画は、アメリ
カの音楽系 YouTuber として有名な人
の4年くらい前の動画のダイジェスト
に字幕を付けたものです。全編を観た
い方はこちらにあります。英語ですけ
どね▼▼▼

 

で、

 

まあ、そういうことなんですけど、実
はこの Nori さんのポストを読んだの
ほぼ同じ時に、こちらのポストも目
に入ってきたんですよ▼▼▼

 

理論だけで頭でっかちな MBA はいら
ないと言っている経営者の話なんです
が。なんか、ちょっとシンクロニシテ
ィ的なモノを感じたのではありました。
それだけといえばそれだけですが。

 

て、ことで。

 

それではまた ( ̄▽ ̄)

 

似てるとこ、似てないとこ

ットの動画を観ることが今は
日常になってしまった人も多いと
は思うんですが。

 

どういうジャンルの動画を観ることが
多いですか?

 

の場合、

 

音楽と料理

 

関係のモノがダントツに多いんですよ
ね。

 

そりゃまあ、他のテーマの動画を観る
ことだってありますが、やはりこの2
つが群を抜いて多いですね。

 

なんでかと言えば、それはもう、どっ
ちも好きだから、なわけですが。

 

で、

 

この2つのジャンルの共通点なんかを
つらつら考えてみたわけですね、ヒマ
なので。

 

そうすると、思いつくのは、例えば、

 

趣味として比較的とっつきやすい
これが趣味ですと言っても、あま
変な目で見られない
プロとアマ(素人)がいるが、そ
の間の垣根がわりと低い(ジャンルに
よりますが)
でも楽しめる
道具の使い方の上手い下手はある
が、下手でもそれなりに楽しめる
とはいえ、上手くなった方が確実
に楽しい
プロのやることに素人も文句がつ
けやすい
アレンジの仕方は無数にある

 

とかとか、色々出てくるわけですね。

 

なので、どっちも好きなんていう私と
か某関西のベーシストみたいな人間が
いても全然不思議はないわけだと思う
んですが。

 

でも、

 

その一方YouTubeチャンネル
フォロワー数とか見ると、だいたい
理系のチャンネルの方が、話にならな
いくらい多かったりするんですよねえ。

 

音楽系のチャンネル100万フォロワ
超えてるのなんてあまりないです
けど。料理系はけっこういっぱいある
ような……

 

なんでですかね?

 

やっぱり、

 

人間食事しないと死んでしまう

 

というのは大きいでしょうかね?

 

そんなことを昼ごはんに、某チャンネ
で覚えた、白菜のスープを作りなが
ら考えておりました。

 

ちなみに美味しかったですよ。かなり

 

ま、それだけなんですが。ええ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

「反応しない」という反応

の世の中、SNS あるいは
ーシャル・メディアと呼ばれる
モノの影響が強いので、なんか
あると、すぐに

 

反応を返さなきゃ

 

思いがちじゃないでしょうか。

 

それでまあ、骨髄反射的反応をして
言わないでいいようなコメントして、
炎上なんて事態もよく出現したりする
んですが。

 

これがまた文字情報として残りやすい
ですからね、SNS というやつは。な
おさら炎上が続いたりします。で、そ
の元になった書き込みを削除したりし
ても、今度は

 

魚拓

 

なんてのを取られていたりするわけで
すね。

 

GUI(グラフィカル・ユーザー・イン
ターフェイス)の呪いとでもいうんで
しょうかね……

 

まあ、何かの刺激反応することで
ミュニケーションは生まれるわけなの
で、コミュニケーションなしでは生き
られない人間には避けようもないリス
ともいえますけども。

 

余計な反応をしないというのもアリ
だというのはよくよく頭に入れておい
たほうがいいですね。

 

で、

 

コミュニケーションといえば、ジャム
セッションです(いつもながらに強引
ですけど)。

 

ジャムセッションは、音によるコミュ
ニケーションなんてことをいうわけで
すが。とはいうものの、たとえジャム
セッションでも、

 

すべてに対して反応する必要はない

 

とは思うわけですよ。

 

その場の状況精神状態体調とかそ
れぞれのプレイヤーには、その時々の
事情というのがあるわけでして、

 

ときには無反応という反応を返す

 

のもアリ、ということも思ったりする
のですね。

 

もちろん、そればっかりやっていたら
なんのためにジャムセッションしてる
んだということにはなると思うんです
けど。

 

でも、ときには積極的に反応すること
に気を取られすぎずに、まず自分ので
きることをする、というモードあっ
てもいいのでは、と思うわけです。
きには、ね。

 

なんて、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

褒めすぎ注意?

を褒めるって得意ですか?
今の世の中、人をどう褒めるかって、
結構重要というか、重視されてますよ
ね。

 

褒めて育てる、なんていう言葉がよく
聞かれるようになって、もうだいぶた
気もしますね。一説によれば 1990
年代あたりかららしいですが(日本
話ですけど)。

 

自分で自分のことを「褒められて伸び
るタイプ」とかいうヤ……あ、いやそ
ういう方もいますが、まあそういうの
は放っておくとして……

 

私がよく読んでいるジュリアード出身
のバイオリニスト心理学者ノア・
カゲヤマさんブログに書いてあった
んですが。

 

子供を対象とした実験がありまして、
そこでは子供たちに、の模写をさせ
た(ゴッホの絵だったとか)んだそう
です。

 

そして、子供を3つのグループに分け
1つめのグループの子供には、「素
晴らしい!」とか「ファンタスティッ
ク!」とか、かなり強い褒め言葉をか
けたそうです。

 

2つめのグループには「よくできたね」
程度の普通の褒め言葉をかけ、3つめ
のグループには特に何も言葉をかけな
いままでした。

 

そうした後に、同じ子供たちに、次に
模写にトライする絵のチョイスを示し
たんだそうです。より複雑でチャレン
ジングな絵シンプルで簡単な絵があ
ったそうですが。

 

そうしたら、(事前の測定で)自己肯
定感の高い子供は、強い「インフレ気
味の」褒め言葉で褒められると、自信
を持って難しい絵にチャレンジする傾
向が強く、一方自己肯定感の低い子供
は、さらにャレンジすることなく
単な課題をやろうとする傾向が強かっ
のだそうです。

 

つまり相手によっては、過剰に褒める
と、それ以上のチャレンジに尻込みし
てしまうようになるかも、ということ
ですね。

 

で、

 

音楽とかやってると、基本的には人が
演奏したのを聴いて、ポジティブ
メントをかけようとしたりすることが
多いとは思うんですね。もちろん、そ
の場とか人にもよるでしょうが、基本
それは良いことだとも思うわけですよ。

 

でも、あまり過剰な褒め言葉は、相手
にもよるけどその人の向上心のような
ものを削いでしまいかねない、という
研究が一方であるわけでして。

 

ことに日本人自己肯定感の低い人が
多いっていいますしね。

 

匙加減が難しいよなあ、なんて考えて
しまったというようなことでした。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

偽りのファイナル・カウントダウン?

当は緊急性のあることじゃな
いのにあたかも緊急性があるよう
に見せかけて行動を促す手口って
ありますよね。

 

偽りの緊急性、なんていう用語が生れ
てもいます。

 

期間限定セール、なんてのはもうあま
りにも頻繁に使われてますよね。それ
強調するために

 

カウントダウン・タイマー

 

なんてものを使うなんてのもよくある
話です。

 

クリスマスとか、ヴァレンタイン・デ
とか、色々日を決めてそれに向けて
セールをする、なんてのもそんなとこ
ろありますよね。

 

まあ、クリスマスなんてのは元々そ
ために生れた日ではないので、微妙な
ところはありますが、でも色々と利用
されちゃってますよね。

 

人間、セールス・トークを考えるとき
に、どうしても早い決断をしてもらい
たいと思うのは自然ではあるわけです
けどね。オペレーター○○人用意して
お待ちしてます! とか。

 

もっとタチが悪いのはといえば、閉店
しない閉店セールとか。そんなのも
では見られたりもしますよね。

 

だんだん、犯罪すれすれみたいな話に
もなってきかねないんですが。

 

で、

 

そんなことを考えていたら、よくメー
やら LINE やらで来る、音楽教室の
期間限定入会勧誘メッセージなんて
のもかなり「偽りの緊急性」だよなあ
なんてことを思ったりし……

 

おっと誰か来たようだ。

 

て、ことで。

 

それではまた ( ̄▽ ̄)

 

若者と句点とトニックと?

近の若者は「句点(文章の
終わりのマルのことですね)が怖
いらしい、という話がありまして。

 

色々と話題になってるようですが、
文末にある句点威圧的に感じ、
「(相手が)怒っているのではないか
解釈してしまう、のだそうです。

 

「マルハラ」なんて言葉もうまれてい
るそうで。

 

メールに馴れた年長者チャット中心
若者違い、なんていうもありま
すね。

 

この話を聞いたとき、さすがに
えそうなんだと思いましたが。まあそ
言われてみると、気持ちはわからな
くもない、などとも思ったりもしまし
たね。

 

英語で、言いたいこと言い切り調
「はい、おしまい」って感じで、最後
“Period.” (ピリオド)というのに
似た印象をうけるのかなあとか思った
りね。

 

で、

 

音楽で、この「マル」に相当するもの
といえば、フレーズの最後が「ドレミ」
の「ド」の音で落ち着く、なんてこと
かと思うわけですね。で、その後ろの
コードはトニック(キーCならCメジ
ャー・コード)なわけです。

 

そういうのは「落ち着きが良すぎて、
なんかいやだ」とか「怖い(?)」
「ハラスメントだ」とか思う人が増
えると、それはそれで面白いかな、と
思ったりもするんですが。

 

3度(ミ)とか5度(ソ)とか、2度
(レ)とか6度(ラ)とか色々ばらば
らになったりして。

 

でも、ま、実はそういうの今でも結構
あるんですけどね。これとか(これは
6度にいってますね)▼▼▼

 

音楽なんてそうやって色々試行錯誤し
て豊かになってきたわけでしょうしね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

選択(チョイス)といえば……

し前に、選択肢が多すぎると、
人間選択できなくなってしまう、
らしい、という話を書いたんです
が。

 

そういえば、と思い出したのが

 

サンドイッチ

 

だったんですね。

 

みなさんサンドイッチというと、どん
なのがお好きですか? というか、
んな形状のサンドイッチをそもそも頭
に思い浮かべます?

 

日本人の多くは、コンビニとかで売っ
ている食パンに食材を挟んで、三角と
いうか台形というか切りそろえられ
た、あれがまず頭に浮かぶんじゃない
かと思うんですが。

 

もそういうサンドイッチが嫌いなわ
けじゃない、というか普通に好き(美
味しければね)ですが、それとは違う
細長くて断面の丸いパンを横に切って
挟んであるタイプのサンドイッチ、つ
まりあの

 

サブ⚪︎ェイ

 

で売ってるような、あのタイプのヤツ
かなり好きなんですよね。ま、アメ
リカンなタイプと言いましょうか。

 

あれ、一時は店がたくさんあった気が
するんですが、最近あまり見なくなっ
てしまって、私としてはさみしい思い
をしてるんですよね。

 

で、なんで店が減ってしまったのか
考えてたんですが、1つに

 

チョイスすることが多すぎる

 

というのがあるんじゃないか、と思っ
たりするんですよ。

 

まず、大きくどのメニューにするか
決めるわけですが、それを決めるだけ
では終わらないわけですね。

 

パンの種類は4つあって、それをトー
ストするかとか、野菜はみんな入れて
いいかとか、トッピングはどうする?
ドレッシングは? とか、色々。

 

ドリンクはどうするかとか、他にサイ
ドメニューは? とかもあるし。

 

そんなわけで、決められない人にはつ
らい、ということかなあ、なんてね。

 

なんてことを今日のランチはどうしよ
うかと思いながら考えていたんですが。

 

とはいえ、サ⚪︎ウェイ好きとしてはが
んばってもらいたいんですがねえ。あ、
BLT が食べたくなってきた。

 

え? 音楽と関係ない? んー、ま、
良い演奏をするには食生活の充実も大
、とどっかのベーシストの人が言っ
ていたような気がしなくもないですよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

素材の火の通し方?

近、色々と世の中で物議を
醸していることの1つに、例の
ドラマとオリジナルのマンガの
原作者の問題がありますね。

 

その件自体については、そもそも事前
のドラマ化の話し合いとかやりとり
合意されたことがちゃんと守られてい
たのかとか、業界の構造そのもののあ
り方ってことがポイントだとは思うん
で、それはそれでしっかり検証される
べきとは思うんですが。

 

ここでの話は、その話題そのものにつ
いてではなくて、もうちょっと一般的
なことなんですが。

 

素材とか、元になるものがあって、そ
れを最大限大切にしようという考えと、
それより最終的に何が生まれてくるか
もっと大事だっていう考えがあるん
だと思うんですよね。

 

もちろん、その両極端の間に色々グラ
デーションはあると思うんですけど。

 

で、

 

あまり日本ではとか外国ではとかいう
議論好きではないんですが、なんと
なく日本人て、

 

おおもと(素材とか原作とか)を大事
にしろ

 

という人が多い気がするんですよね。

 

元の素材がなんだかわからないとか、
原作を大胆に換骨奪胎しましたとか。
そういうのって、どうもなかなか受け
入れられづらい気がします。音楽でも
そういうところありませんかね。

 

料理なんかでも、日本では素材を大事
にするのを良しとする傾向が強いので
余計な味付けを加えるとか、火を通し
すぎるとかじゃなくて、生で味わった
り、最小限の調理で済ませるのが好ま
れるように思うわけですが。

 

でも、料理のしかたそれだけじゃな
よなあ、とも思うわけですね。もち
ろん、素材によりけりというのもある
でしょうし。

 

生の素材を切って並べるだけでは、
では料理(Cook)したことになら
ないなんていう話を思い出します。

 

なんてことを、ブロッコリーを食べる
のにどのくらい火を通すのがいいか、
なんてことを考えながら思ったのでは
ありました。

 

私、ブロッコリーとかは割と柔らかく
なるまで火を通した方が好きなんです
けどね。歯ごたえ残した方が好きな人
も多いですよね。さて……
て、ことで。
では、また ( ̄▽ ̄)

 

 

だまし続けて欲しかった?

語が大事だなんてよくいわ
ます。

 

ストーリーとか、最近の流行り(?)
ではナラティブなんて言葉も聞きます
が、そんな物語人を動かすとか、
ミュニティを作るとか。

 

物語マーケティングなんて言葉もあり
ますしね。モノを売るのにも「物語」
は大事ということですね。

 

確かに、別に時代を問わず人間何か
ストーリーを意識しないと行動に至ら
ないというのは真実な気もします。

 

ですが、

 

一方で、ストーリー最初から最後ま
で、気持ちよく語れる人なんて、そん
なにいないよな、とも思うわけです。
誰でも小説家や脚本家になれないのと
同じ理屈でね。

 

昔の演歌だか歌謡曲に、

 

どうせ私をだますなら、だまし続けて
ほしかった

 

なんて歌詞がありましたが、最初から
最後まで気持ちよく上手に人をノセら
れる物語を作れる人は、そんなにいな
のでは? なんて思うわけです。

 

セッションでのアドリブ・ソロスト
ーリー展開を考える、なんてくらいな
平和なんですが。

 

あまり特別な才能がないなら、それ以
上のことで最初から大きな風呂敷広げ
ない方がいいよなあなんてね。〇〇を
日本の文化にするとか……(こらこら)

 

フェイク・ニュース上手に作れる人
間は数が少ないんだそうですよ。そん
な話をこの前聞いたんですけど。

 

ちょっとうらはらな関係の話かも、な
んて思ったのではありました。

 

なんて、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

言われなくてもわかってること?

近の音楽関連のネット記事
て、なんか訃報とか多くて、あま
り笑えるものが多くない気がする
んですが……

 

そんな中、最近いちばん笑わさせても
らったのがこの記事でした▼▼▼

 

全部読まなくても、文中の見出しだけ
読めば、何が言いたいかすぐわかる
うになってまして(笑)

 

まず、

 

優れたギターの腕前は女性を魅了する
か?

 

ときて、次に

 

ギターがうまくてもモテるわけではな
かった

 

ときて、最後に

 

女性にはモテなくても同性にマウント
をとれる

 

とくるわけですね。

 

で、出てくる感想は、

 

世の中には、言われなくてもわかって
ることがあるんだよ!

 

……なわけですよ。ええ。

 

しかし、こうやって「実験結果」とし
て突きつけられると、やはりギタリス
の人たちには胸にこみ上げるもの
あるのかもしれませんねえ。

 

まあ、でも今の若者は、そんなモテ
かいったことでギターやろうとか思わ
ないんじゃないかと思うんですが、ど
んなもんなんでしょうか。

 

そういうバカなギター小僧がいたら大
切にしてあげないと、とか思ったりし
て。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

〇〇〇〇本はもう読まない?

社勤めを辞めると、それまで
は多少でも気になっていたものが、
気にならなくなってしまうという
ことがいくつかありまして。

 

例えば、会社内の人事とかが最たるも
のですかね。ま、当たり前ですが、も
自分とはなんの関係もないわけで。

 

業界の動向なんてのもそうですよね。
日々の業務のこまごましたことを考え
ることもないですし。

 

で、

 

読書の傾向にも変化が出てきますよね。
いわゆる、

 

ビジネス書(本)

 

というものにがいくことが、極端に
少なくなります。いわゆる「自己啓発
本」とかも。

 

たまにこんな本が出たんだなんて思う
こともありますが。手にとって読もう
(あるいはスマホに入れて読もう)な
んて思うことはまずないです。

 

なら、なんとなく立ち読みするくら
いはしたかもしれないんですがね。
金なもんだといえば、その通りですが。

 

じゃあ、本を読まなくなったのかとい
えば、そういうことはなくて、前のメ
ルマガでも書いたんですが、最近は
歩ついでに古本屋を巡るというのが
のようになっていまして。

 

ビジネス本とか自己啓発本じゃない本
を色々買っては、読んだり積んでおい
たりしているわけです。

 

暇な時間が増えたこともあるので、お
そらく読書量は増えていると思うんで
すよね。

 

まあそんなわけなんですが、そうやっ
読書量が増えたにも関わらず、

 

音楽の教則本を読むことはほとんどな

 

というのも、また面白いことではある
なあ、と。まるで人ごとのように思っ
たりする今日この頃でございます。

 

たぶん(即効性のある)「役に立つ」
本とか情報には、興味がなくなりつつ
あるのでしょうかね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

かがみよ、鏡……

活のいろんなところにあるも
ので、ふだんあまり意識しないけ
れども大切なものに、

 

 

というものがあると思うんですが。

 

家の中いくつもあると思いますし、
家の外にもたとえばエレベーターの中
とかね、洗面所にも必ずありますし。

 

そんな日常の中に埋れているようにみ
える鏡ですが、宗教的に重大な意
味のあるものだったりしたわけですね。
日本でも三種の神器の1つは鏡ですか
らね。

 

色々な物語映像作品の中でも鏡は数
多く使われていますよね。現実と非現
実を結ぶモノとしてとか、ファンタジ
との相性が良いようです。

 

精神分析の世界では、ジャック・ラカ
という人が「鏡像段階」というモノ
を理論化していたりします。人間が人
間になる大切な時期だそうです。

 

またまた別の話ですが、自己肯定感
アップするために、鏡に映った自分と
ハイタッチをする、なんてことを提唱
する人もいます。

 

ことほどさように、というものは、
人間の成長やら生活やらいろんなアク
ティビティやらに大切なものなんです
よね。

 

なんてことを、私の部屋に大きな全身
の映る鏡が欲しいなあと思いながら考
えたんですがね。家の中にはもちろん
あるんですが、部屋にもほしいな、と。

 

楽器演奏する身としては、演奏する
姿勢なんかを直ぐにチェックできると
いいですよね。

 

そんなヒマな冬の日の午後でございま
した。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

悩むくらいなら、○○○○に選んでしまえ?

を売り出そうとかいうときに、
チョイス(選択)の幅がたくさん
ある方がいいと考えるのは実は
、なんてことはよく言われてる
話でして。

 

あんまり選択肢を増やしてしまうと、
人間混乱して逆に選べなくなってしま
、というのがここ最近(でもないの
か)のマーケティングの知見だったり
するわけです。

 

実証する実験なんかも有名なのがあり
まして、店に6種類のジャムを並べた
ときと24種類のジャムを並べたときで
は、24種類のチョイスがある方が売り
上げが増えるかと思ったら逆だった
んていう結果が出ています。

 

なので、今の企業は商品のラインナッ
を広げるよりは、なるべく絞り込も
とかするわけですね。一般論として
は(製品の性格によっては、そうもい
かないこともあるでしょうが)。

 

じゃあいくつくらいの選択肢が適切な
数なのかということになるわけですが、
これも研究があるようで、だいたい
7つくらい
までなら、人間選択肢として頭に入れ
ておけるようだ、ということらしいで
す。それ以上になると混乱して選べな
くなる、らしいです。

 

で、

 

はいきなり音楽というかジャムセッ
ションに飛ぶんですが、アドリブでソ
ロを弾こうなんてときに、次にどの音
を出そうとか考えると、西洋音楽の枠
の中で考えても12あるわけですよね。

 

多すぎる、わけです。

 

もちろん音楽には調性とか、流れとい
うのがありますから、いつも12の選択
肢で悩むわけではないですけどね。
択をするベースみたいな物があるわけ
で、ここの音のチョイスが大事、とい
うようなときも、例えばコードスケ
ールの理論からチョイスを絞るとかで
きるわけですが。

 

とはいっても、

 

音楽理論とか覚えれば覚えるだけ、チ
ョイスの幅も広がるわけでして、結局
その選択で迷う、なんていうことも起
きてくるわけです。

 

そんなときどうするべきか。なんてこ
とを考えて色々ネットで調べたりして
みたんですが。

 

どうも、

 

ランダムに選ぶ

 

ということのようなんですね。

 

理論的に落とし込んでいこうとかする
よりも、そっちの方が効率がいいし、
うまくいく確率が高い、らしい、ので
すね。人類の歴史を見てもそんなこと
がいえるという話で。

 

困難を前に生き延びてきた種族がどう
やってとるべき道を選択をしていたか
というと、結局「占い」だったりする
わけですよね。

 

なので、音の選択の話に戻ると、何か
最良のチョイスを見つけようとするよ
りは、えいやっと音を出して、それで
どうにかする、というのが実は良いの
ではないか、と思うようになった今日
このごろです。

 

え? 昔からそうしてる?

 

※とはいえ、そんなランダムな選択を
後付け的にではあってもバックアップ
するのは理論だったりするので、理論
の勉強が大事じゃないと言うつもりも
ないないんですけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

性格を切り替えて〇〇する?

も昔も英語をどう勉強したら
いいかというテーマのコンテンツ
はよく読まれるようで。

 

最近もこんな記事を読んだんですけど
ね▼▼▼

 

なんか熱く語ってますが。「とにかく
詰め込むのだ!」だそうです。

 

別に、としてここに書かれているこ
とを、うんそうだね、と思っているわ
けでもお勧めしようとしているわけで
もないので、誤解のないようにお願い
しますが。

 

というか、なんかはこの年ですから
ちょっとそこまでは勘弁してください
って思う方だったりするんですが。

 

ただ、

 

ここに書かれていることの中で、この
筆者の方が「私は英語に切り替えると
き、人格も変える」と言っている部分
に関しては、ちょっと、ああそれは
うかもしれない、と思ったわけです。

 

もなんか英語とか外国語を話さなき
ゃいけないときは(最近滅多にない
すけど)、ちょっと性格が変わるとい
うか、変えないと話せえないというか、
そう感じることがありますね。

 

そして思うんですけど、これは前にも
楽器を持って演奏するときも、音楽の
ジャンルや演奏する楽器によって、
格を切り替えるのも、有効な気がする
んですよね。

 

いろんな人格渡り歩いてセッション
したりすると盛り上がるんではないか
と思ったりするわけですが。どんなも
んでしょうかね?

 

英語? そっちはまあ、好きにして
ださい(こらこら)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

○○○のありなしで人を分けることについて

本の「笑い」というのが、
「わかる」人と「わからない」
に分けられてしまうようになった、
なんて話があります。

 

ただ面白い楽しいというレベルでは
なくて、その笑いが「わかる」「わ
からない」かが重大問題視(?)され
るようになった。笑いそのものでだけ
ではなくて、それを受け取る側も問題
にされるようになった、ということな
んですが。

 

笑いセンスのある人ない人に分け
て語られるようになったというかね。
そういう対立軸が出来てしまったとい
うか。

 

特に、今世の中を騒がせているあの芸
人さんが出てきてからのことといわれ
ています。

 

例の週刊誌報道をめぐるゴタゴタにつ
いてここで語る気はないんですが。そ
んな報道を横目に見ながら、あらため
笑いをめぐる「わかる」「わからな
い」、「センスがある」「センスがな
い」問題を思い起していたりしたんで
すよね。

 

で、

 

こうやって、センスのあり/なし
を分けるというのは、お笑いの世界だ
けではなくて、今の世の中いろんなと
ころで起きている気がします。

 

単に分けるというより、「分断」して
「ある」(と主張する)側が「ない」
側を批判したり、糾弾したりとか。
立をあおったりとか、そういうのよく
みかけませんか?

 

音楽でも、例の「バック○ート問題」
とか、そんな感じを受けたりすること
増えたような気がしますけど。気の
せいですかね?

 

そういう「センス」敏感になって、
それを身に着けようと焦る(?)
持ちもわからないんじゃないですが。

 

でも、ちょっと一歩引いて鈍感力
を発揮して「なにそれ? 美味しい
の?」とか言ってる方がなんか良さ
そうとか、シニア世代に入った
んかは思うんですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

集団での役割と個人の価値とセッションの後の反省と

間、いろんな組織とかコミュ
ニティとかの一員として活動する
ことが多いわけでして。

 

人間は社会的動物なんて言葉もありま
すけど、そんな集団の一員として仕事
とか役割を受け持って貢献することで、
成長を実感したり、目的意識が持てた
りもするわけですが。

 

その一方、そういうコミュニティの中
での出来事(過剰に)個人的に受け
止めるようになったりもします。

 

仕事の失敗が自分の個人的な価値まで
おとしめるモノとして捉えられたりと
か。逆に仕事の成果イコール自分の価
みたいに思うとかね。

 

もちろん、その人の性格にもよるとは
思いますけどね。ドライな性格の人は
仕事は仕事、自分は自分と切り分ける
ことができるんでしょうけど。

 

アメリカの人なんかそういう切り分け
が上手いというイメージはありますが、
でもそういう悩みを持つ人はアメリカ
にも結構いるということも聞くので、
程度の差こそあれ、どこにでもあるこ
なんでしょう。

 

人間というのは、社会的に活動するこ
とで種の存続を図ってきたので、それ
貢献できないと自分の存続も危うく
なる、というそんな昔の(種としての)
記憶関係しているのかもしれません。
知らんけど。

 

で、

 

セッションとかバンドとか、音楽の
奏の後でも、どうしてもその演奏中の
失敗のことがまず思い返される、とい
うのはよくあることですよね。それで
とても落ち込んだりする人もいます。

 

まあ、別に反省するなというわけじゃ
ないですが、「過剰に」ならないよう
に気をつけて欲しいものだ、と思うわ
けで。

 

ですが、少しはその演奏での良かった
ことも思い出すようにしたほうがい
んだろうと思うわけです。

 

特に落ち込みやすい人は意識的にでも。

 

なんて、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

オバケが大切?

の前、Twitter ……じゃなく
て今は X っていうヤツを見てた
んですが(しかし何とかなりま
せんかね、この名前)

 

ある有名なシェフの人が、「ゴースト
・ノート」って言葉を使っていたんで
すね。

 

オバケノートって何って言う人もい
るかもしれませんが、これはオバケ
手帳とも関係なくて、音楽用語なん
でして。ノートは演奏されるを意味
します。

 

ドラマースネア・ドラム軽く入れ
認識できるかできないかすれすれの
とか、ベーシストフレーズの中
弾く(弾いてしまう?)音程感のない
かすかなのことですね。

 

そんな音なんでゴーストといわれるわ
けですが、じゃあ大切じゃない音なの
かといわれればそんなことはないので
して。

 

音楽(いわゆるビート・ミュージック
ですが)には、

 

グルーヴ

 

というモノがありますんで。

 

このゴースト・ノート入れる入れな
で、演奏のノリが全く変わってきた
りもするわけでして。

 

ゴースト・ノートは拍のアタマにくる
ことはまずなくて、ウラとかウラウラ
とか、そういうところに入るので、
ズムを細分化してカッコよくしたりす
るのには不可欠なんですね。

 

くだんのシェフの人は、食事のランチ
・コースなんかについてくる、これ
ントにいるの? というようなビミ
ーなあるモノについて語る時にこの言
葉を使っていたんですが。

 

これまたなかなかビミョーな使い方
(個人的にはやや違和感ありかな、こ
のシェフのことは好きなんですけど)
ちょっと笑ってしまった、というよう
なことでございました。ヒマかよ。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)