音楽のないアレなんて……

休みに入ると、色々各地で
ベントが開催されますよね。

 

イベントにも色々あるわけですが、
近よくみるのが

 

プロジェクション・マッピング

 

というやつで。

 

多くは屋外の建物などに、高輝度のプ
ロジェクター映像を映して、幻想的
だったり、驚きのある効果多くの人
に体験してもらおう、というね。そう
いうやつですね。

 

以前はかなり特別アトラクション
して行われていたわけです。なんとい
っても屋外設営も大変だし、高輝度
のプロジェクターって高価だし。見物
する人の整理も大変だし。

 

早い話、お金がかかるアトラクション
だったわけです。某自治体の庁舎でや
っているプロジェクションがお金がか
かかりすぎだとかいわれて批判されて
ましたね。

 

なんですが、

 

最近はさすがに色々と値段がこなれて
きたのか、私の住んでる東京の郊外
ある某公園でもそんなプロジェクショ
ン・マッピングをやります、なんてい
告知がこの夏に出まして。それを見
て、行ってきたんですが。

 

公園内、複数のスポットで行われてい
ライトアップのプログラムの1つ
して行われていまして。日も沈んで暗
くなる19時30分ごろからスタートした
わけです。

 

公園内にある建物の前面に映像の投影
が始まったんですが。

 

あれ?

 

この、なんかすごく盛り下がる感覚
なんだろう? と思ったら、

 

音楽がついてない

 

んですよ。というか、音響効果が一切
ないという。そういうプロジェクショ
ンだったわけです。

 

 

いやしかし、それはないだろ。と思い
ましたね。ただでさえ、他でやってる
立派な(まあ、評価は色々あるかもし
れませんが)プロジェクションに比べ
て、使ってる投影機材もしょぼいのに。

 

それに加えてじゃない、そこからさら
に引き算するように音楽とか音響効果
とかを無くしてしまったら、そりゃ盛
り下がるよな、と。

 

予算がなかったんだろうなあ、と思う
のではありますが。それでも著作権フ
リーの音楽素材でもいいから付けない
とだめじゃん、と思うんですよね。

 

そこまで BGM バカにしちゃいけない
よなあ。と自分が音楽が好きかとかそ
ういう問題を越えて思った、と。そん
経験でございました。

 

なんか、夏休みの宿題の作文みたいに
なってしまいました。すみません。

 

……て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

リピーターをめぐる違和感?

ピーターという言葉がありま
すよね。

 

「繰り返す人」という意味なわけです
が、早い話何かのサービスとか商品
かを何回も繰り返して利用したり買っ
たりする人を指す言葉ですよね。

 

じゃあ、何回繰り返したらリピーター
なんでしょうか?

 

というのは、つい最近「退職代行サー
ビス」リピーターになった人につい
てのネット記事を読んだんですが。こ
の人は2回利用しただけなんですよね。
つまり1回繰り返しただけなんですよ。

 

 

まあ、1回でも繰り返したなら、それ
はもう繰り返したわけなので、それで
もう「リピーター」だというのは、
としてはその通りかもしれませんが。

 

でも、

 

普通の語感として、リピーターといわ
れれば、少なくとも数回は繰り返して
と思いません?

 

まあ、退職代行サービス何度も何度
もリピートするという人がそう何人も
いないだろう(少なくとも今は)とは
思うものの、ではありますが。

 

なんかちょっと違和感を持ってしまっ
たのではありました。2回目じゃあね
え。

 

あまり良い言葉じゃないですが、それ
「裏を返した」だけじゃない? とか
思ったりして(馴染み客になったとい
えばいえるわけですが)

 

ま、それだけなんですけど。

 

あ、そういう意味では、私が仲間とや
っているアラカンセッションには、
当の意味(?)でのリピーターの方々
何人もいらっしゃるので、とてもあ
りがたく思っております。

 

余談ですが、会社勤めをしていた
ころは中間管理職的なことをしていた
こともあるわけなんですが。その頃
まだそんな退職代行サービスなんての
普及してなかったわけですね。

 

そんな退職代行サービスからの電話
メールとか、受け取らなくてホント
良かった、と思いますね。受け取って
たら結構心を病んだりしてたかも、な
んて思いました。

 

★ここでいう「裏を返す」の意味がよ
くわからないという方は、落語の郭ば
なしとかを聴かれるとよく出てきます。
そういえば三島由紀夫の「金閣寺」の
終わりの方(主人公が決定的な行動に
出る少し前)でもこの言葉が使われて
ました。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

 

色々「やらかす」自由?

ャムセッションをなぜ「ジャ
ム」ッションというのか?

 

なんて話は前に書いたんですが。

 

で、そこで私の「推し」(?)の説
して、黒人と白人のリズムの取り方が
違うので、リズム(グルーブ)が「ジ
ャムってしまう(詰まってしまう)」
から、というの上げたんですね。

 

そもそもジャムセッションなんていう
のはつっかえたり、ひっかかったりす
るものだ、ということではないか?
と思ったわけです。

 

というか、今もそう思うわけですが。

 

ジャムセッションというのは自由なも
のだ、そうあるべきだ、という考え
あるわけで、実際そうだと思いますが。
自由であるがゆえに、いろいろやらか
す、やらかすことが許容されるとい
う場がジャムセッションだろうとも思
うわけですよね。

 

ジャムセッションを失敗なく乗り切る
コツ、なんていう話を聞きたいと思う
人は多いかもしれないけど、それって
そもそもある意味矛盾した話ではある
わけです。だって「ジャム」りに来た
んでしょう、あなたは? なんてね。

 

ジャムセッションというモノには「自
ら望んで“詰まりに行く”という、創造
的覚悟がある」のではないか? と、
まあこれは私ではなく ChatGPT くん
が言ってました。

 

「だからこそ、そこには真の自由があ
るのかもしれない。自由とは『放って
おかれること』だけではなく、『自分
の意志で、誰かと詰まりに行くこと』
でもあるのだ」……だそうです。

 

だいぶ賢くなりましたなあ、ChatGPT
くんも。

 

でもま、ちょっと大げさな気もします
が。恥ずかしくて私だったら書けませ
(おいおい)。

 

て、ことで。

 

それでは、また ( ̄▽ ̄)

 

アドバイスおじさんとネット

かれてもいないアドバイスを
したがるおじさん、という話題が
バズったのって、もう何年か前な
わけですが。

 

それで、そんなおじさん駆逐された
のかというと、おそらくそんなことは
ないわけですよね。きっと今日もそん
なおじさんはアドバイスをまき散らし
ているのでしょう。しらんけど。

 

で、さて、

 

人間、仲間というか自分を支援したり
共感したりする人がいてくれるのはや
はり嬉しいものだとは思うわけですが。

 

とはいえ現実には、

 

放っておいてほしい

 

思う時もあるわけです。

 

色々考えていたりとか、ひたすらイン
プットを精力的にしようとか、集中的
練習したいとか。いろいろ。

 

そんな時に周りからあーでもない、こ
ーでもないと言われると、やはり気が
散るのでね。そういう聞かな
後回しにするようにしたいわけです
よね。

 

 

ところが、今の世の中、そうしたいと
思っても周りから色々余計なものが流
れ込んできて、それを目にしたり耳に
したりするわけです。

 

それはアドバイスという形だったり、
人の成功事例だったり、他人のリア充
な写真だったりします。

 

そういう時、いかに自分をいい感じで
「放っておかれる」状況にできるか
いうのが結構大切だと思うんですが。
その一方、今って、SNS やらのおかげ
「アドバイス」が世の中に満ちあふ
れてるわけです。

 

つまり実は今のネットというのはそれ
自体が「聞いてもいないアドバイスを
くれるおじさん」的存在なんじゃない
か、ということでして。

 

そんな中でいかに自分を「放っておか
れる」ようにできるか、というテクニ
ックというのも大事だよなあと。

 

そんなことを思ったのではありました。
抽象的ですみません。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

体調の変化は気圧のせいなのか問題について

風が来ると気圧が下がります
よね。

 

台風は「熱帯低気圧」といわれる低気
圧の一種なので、当たり前といえばそ
うなんですが。

 

そうすると、気圧が下がることで体調
に変化が出る人がいますよね。そんな
話は前にも書いた気がします。もちろ
んそんな体調の変化は感じない、とい
う人もいると思いますが。

 

皆さんはいかがですか?

 

実はそういう体調の変化を感じる
でして、だいたい気圧が下がる時
頭が痛くなるわけです。頭というか、
正確にいうと首筋の後ろ側あたりが特
に痛むことが多いわけですが。

 

ただ、それを自覚するようになったの
は、いつかというと、そんなに古い話
ではない気がするんですよね。端的に
いえば、世の中で気圧と体調の関係に
ついて色々言われだしてから、ではな
いかと思うわけです。

 

その前は、別に台風が来ても、通勤ど
うしよう(その頃はまだ会社勤めして
たので)とか、窓ガラスは大丈夫だろ
うかとか、そんな心配はしてましたが
体調については、特に気にしていなか
った気がするんですよね。

 

でね、

 

そうすると、そういう気圧による体調
の変化というのは、実際に起きている
のか、それともそんな気にさせられて
いるのか、実は良くわからない。そん
な気もしてくるわけです。

 

 

気圧が体調に影響する、なんていう
を知らなければ、そんな体調の変化
感じなかったのかもしれません。
もそもそれは事実なのか? 事実とは
何なのか? なんてことも考えたりし
てね。

 

しかし、気圧の変化を無視して生活で
きないようになってしまっている自分
という現実もあるわけで。もはやそこ
から逃れる術もない気もしますが。

 

人間の心(脳?)と体調の関係なんて
なんか良くわからないですよね。

 

すみません、ヒマです。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ロスト・イン日常生活?

んかこの話の続きみたいなこ
となんですけど。

 

今の世の中って、ボーッとしてると
ントに色んなことが起こって過ぎ去っ
いきますよねえ。

 

半年前のことがもやたら遠い過去のよ
うに思えたりしません?

 

たとえば、あの選挙のこととか、あの
暗殺未遂事件とか、そこまで大きくな
くてもあの芸能人やら政治家スキャ
ンダルとか……

 

そういうのに乗り遅れたり忘れたり
ないようにたとえば Web やら SNS
目配りしようとするじゃないですか。
でも、結局いろいろあり過ぎて、脳の
処理能力越えてしまいません? 私の
年のせいですかね?

 

そうするとどうなるか?

 

結局、頭がボーッとなってしまうわけ
ですね。

 

超絶難しいコード進行の曲をやってる
うちに、なんかもうついていけなくな
って、立ち尽くす。なんていう感覚
近いものがありますね。

 

早い話「ロスト」してるわけです。

 

 

ロストなんて、ジャムセッションの中
だけでいいよと思うわけですが。もは
世の中全般についてロストしている、
なんて感覚日常化しているのではな
いか?

 

なんてことを考えているわけですが、
だからといって対策もなく。結局のと
ころただボーッとする今日この頃、と
いうお話でした。すみませんオチはな
いです。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

「継続は力」かもしれないけれど……

近、また高齢者が音楽をやる
メリットについての研究が発表さ
れた、という記事を見たんですが。

 

これがなんと(?)京都大学の研究な
んですが。▼▼▼

 

まず、4年前70歳すぎのそれまで
器未経験の高齢者に楽器(鍵ハモらし
いですが)を始めてもらって4ヶ月続
けたら認知・脳機能が向上した、とい
研究すでにあったらしいんですね。

 

で、今回はその4年後、その実験に参
加した人たちをまた集めて、最初の実
験の後ずっと楽器を続けてきた人たち
と、その後は別の趣味とかに移って楽
器は止めてしまった人たち比べた
ということらしいんですが。

 

そうしたら、楽器を止めた人たち(中
止群)には脳の機能に低下が見られた
のに対して、楽器を続けた人たち(継
続群)にはそういう低下が見られなか
ったという結果だったそうです。

 

 

で、

 

思ったんですが、確かにわれわれのよ
うな好きで楽器や音楽を続けている人
にとっては、これは良い話に聞こえ
ますよね。

 

自分の好きな趣味としてやってる音楽
脳の機能維持するのに役立つらし
いということなので。

 

でも、世の中にはそんなに音楽の演奏
にのめり込めない人だっていますよね。

 

そういう人たちに、脳のために楽器を
やれと、強制とまではいわないまでも
強く推奨とかいうになったとしたら、
それがそういう人たちのクォリティ・
オブ・ライフの向上につながるのか?

 

……なんてことを考えると、なかなか
難しいところもあるよなあ、なんて思
ったわけでして。

 

どう思われます?

 

まあ、好きでやってますから、
器は続けると思うんですけどね。でも
それはそれこれはこれ、かもなあと。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

パ〇タ男の謎?

SNS にあまり期待しない方がい
なこと書いておいてなんな
んですが……

 

そうはいいながらけっこう SNS に
毎日時間を費やしてましてツイ廃
んて言葉が脳裏を横切ったりします)。

 

この前、X(旧 Twitter)を覗いてい
たら、

 

パスタ男

 

という言葉をみつけたんですね。

 

インド料理店専門店総料理長イナ
ダシュンスケ(稲田俊輔)さん投稿
(というか質問への回答のリポスト)
で見たんですが▼▼▼

 

つまり、パスタ男というのは巷の店の
パスタに対して、

 

この程度であれば自分が自宅で作るも
のの方がよほどうまい

 

とか、

 

これは(本物の)○○○とは言えない

 

というような攻撃あびせかける男
ことをいうみたいなんですね。イナダ
さんはこういう物言いを「パスタ男構
文」と名付けていて、あるあるとか思
って笑ってしまったんですが。

 

 

パスタ男っていうネーミング・センス
がいいですよね。

 

でまあ、

 

音楽界隈にも、こういう「パスタ男構
文」的な言説はかなりはびこっていて。
一つ一つ間違いともいえないこと
言っているわけですが、でも総体とし
て、理解不能で、まあウザイというね。

 

いますよねえ。そういう人。

 

イナダさんは、そいういう人は「ざし
き童子(わらし)」的に畏れ敬いつつ
その領域には踏み込まず、その怪異を
語り継いでいくのがいい、と書いてま
すが。

 

まあ、音楽界隈聞いてもいないのに
色々言ってくる人についてもそんな風
に対処するのが吉かな、と思ったとい
うある日のことではございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

あえて薄くつながる?

間関係を拡げていこうとする
と、いろいろな人と「つながる」
必要があるわけですが。

 

そして、それは今の世の中では SNS
というものがあって、簡単に出来てし
まうように思えるわけですね。

 

実際簡単だし。

 

ただ問題は、

 

本当はつながらない方がいい人たちと
もつながってしまいがち

 

ということでして。

 

そうやってつながった人たちから、あ
るとき、いやそうじゃないとか、そん
なことを言うやつはダメだとか、そん
攻撃を受けたりする、なんてことも
起こりうるわけですね。この前の話み
たいに。

 

SNS でつながりが広がるとうれしくな
って(?)次の段階としてさらに強い
連帯のようなモノを求めてしまいがち
になるんですかね。どうもそこでそう
いう悲劇が起こりがちな気がします。

 

SNS で得られるつながり薄くしてお
いて、より深い連帯とかは別の場で求
めた方が良いと思うんですけどね。

 

そこはそれ、なにか「次のレベル」の
つながりもまた SNS 上で作ろうと思
ってしまうんでしょうか。理念とか、
思想とか、マニフェストとか、そんな
ものを表明したりして。

 

 

でも、そうするとえてしてそういった
理念とかに賛同する側と反対する側
いう区別顕在化してしまうんですよ
ね。

 

それがいいことか良く考えた方がよ
のでは? と思いながら SNS 上の
騒ぎとかを眺めたりしております。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

セッションの問題の解決は現場にしかない?

の前、某所でセッションを主
宰してらっしゃる方が、ジャズと
いう音楽についての意見を某 SNS
で表明されたらなんか大騒ぎ……
みたいなことを書きましたが。

 

いろいろ異論反論が出て、そればかり
誹謗中傷にさらされてもいるらしい
よくわからんけど、という状況だった
わけですが。まあ大変だなあと思いつ
つ、傍観者的に見ていたわけなんです
けどね。

 

その後の様子を見ていても事態が終息
する方向でもなく、どの人の意見が正
しいとかもっともだとか、そういう
意形成にいたる動きもないようで。

 

相変わらず言いたいことを発信しつづ
けて、それぞれに賛同する人のかたま
りが何となく出来ている、という状況
ですね。で、意見の違うかたまりとか
たまりの間には、前より深い溝が出来
てしまっているようで。

 

まあ予想はしてたんですが、あまりに
も予想通りで、傍観してる側もなんか
暗い気持ちになったりしますけど。

 

思うに、そもそも個別の現場で個別事
案的に対処して済ますのが良いことを、
問題意識にかられて、抽象度を上げた
形で理念的に語っても、それが生産的
な議論になることはまずないんですよ
ね。とくに SNS なんていう場では。

 

 

ジャムセッションなんだから、現場で
解決するのが良いのでは? なんて思
うわけですよ。

 

まあ色々思いが溢れて物申したくなる
こともあるんだよ、ということなんで
しょうし、その気持ちわからないじ
ゃないんですけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

「らしさ」を生むものとは?

の前、LとRの区別をネイテ
ィブが間違えないなんて本当か、
なんてことについて書いたんです
が。

 

そのとき、こんな言語学者の人のやっ
てる YouTube のチャンネルがあって
……なんて紹介をしましたが。

 

だいたい YouTube ってのは、一度何か
を観るとそれに関連してこんなのはど
う? なんておススメをしてくるわけ
で。

 

昨日も同じチャンネルの動画を観てし
まったんですが。そのテーマが、

 

go という動詞の過去形が went

 

であることについて、だったんです
よね▼▼▼

 

いわゆる不規則変化動詞の話なわけで
すが、なんでそうなったかというと、
went というのは、go と似た「行く」
という意味の wend という別の単語の
過去形だったのが借用されたというこ
とらしいんですが。

 

まあ理由はそういうことなんですが、
なぜその went という形が今まで残っ
ているのか? という理由についても
解説されてまして、まあ、あくまで動
画をやっている方の考える1つの仮説
なのですが、

 

そういう不規則な変化があることで、
英語に不慣れなよそ者識別する手が
かりになるからでは?

 

ということでして。

 

 

合理的に考えれば、なんでも規則的に
変化したりするように揃えてしまった
方が良いように思えるけど、必ずしも
そうはならない、というのが面白いと
ころですね。Go の過去形が went
なるのは、英語の「らしさ」だともい
えるわけで。Goed じゃどうも、ね。

 

で、

 

音楽ジャンルによる違いというかそ
ジャンルの「らしさ」なんてのも、
そういうズレとか不規則性が効いてく
よなあ、と。それと似てるのかも
れないとか、考えたりもしたんですよ
ね。

 

アクセントの置き方とか、シンコペー
ションとか、スケールとか……

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

アラカンは「半身」である?

う1年以上前に『なぜ働いて
(通称『なぜはた』)という本に
ついて書きまして▼▼▼

 

この時はこの本読もうかどうしようか
なんて書いてましたが、まあやはり
タにした(?)以上読まないとな、と
いうことで読んだんですよ、そういえ
ば。もうしばらく前ですが。

 

この本、まあ結構なベストセラーにな
って、もいくつか獲ったりして、
評も沢山あるので、内容のことについ
てここで詳しく語るつもりはないので
すが。

 

結局、この本でいわれているのは、
の社会だと「働く」ということはその
人の全身全霊を要求されるので、本が
読めなくなるということだと思うんで
すが。

 

これって、結局読書だけじゃなくて、
他の趣味的な活動にも言えることだと
思うんですよね。音楽なんてのもその
最たる物の一つかもしれません。

 

だからバンドマンを目指す若者は、
規に就職することなく活動することが
圧倒的に(?)多いわけですね。そう
本の話もしましたっけ。

 

で、

 

ただ思うに、それが一生というか、会
社人生の最後まで続くかというとそう
でもないという現実もあるわけでして。
アラカンとかいわれる年代に近づいて
くると、全身全霊で働くという感じで
もなくなってくるわけです。

 

『なぜはた』著者三宅香帆さん
いう「半身(はんみ)」で働けるよう
になってくるということですかね。

 

個人差はあるでしょうけどね。

 

 

そうなってくると、久しぶりにまた楽
器やってみようかとか、昔やろうと思
ったけど手が出せなかった音楽活動を
やってみようかとか、そんなことを
えたり、実際にやってみたりもするわ
けですね。

 

なので、そんな「半身」で働く体制が
とれるようになった人のために、私や
仲間たちはアラカンセッションという
のを始めた、と。まあ後付けですが、
いえるのではないか、と。

 

半身でセッション。楽しいですよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

残響しか聴こえない?

ょっと前回の話題に関係しま
すが、SNS についてよく言われる
のが、

 

エコーチェンバー現象

 

というやつで。

 

Wikipedia によれば、

 

自分と似た意見や思想を持った人々の
集まる空間(電子掲示板やSNSなど)
内でコミュニケーションが繰り返され、
自分の意見や思想が肯定されることに
よって、それらが世の中一般において
も正しく、間違いないものであると信
じ込んでしまう現象

 

を指すそうです。

 

まあ、SNS だけじゃなくて実際の人
間の集まりでも起こるとは思うんです
けどね。SNS だとそれが可視化され
やすいということでしょうか。

 

で、そういうのがいや別の SNS
移ったところで同じことが起きたり
て。そういえば、イーロン・マスク
支配されている X(旧 Twitter)がい
やで類似のサービスである Bluesky
移る人が多いなんて話があったんで
すが。

 

そしたら、その Bluesky の中でまた
エコーチェンバー現象が起きてるなん
記事を最近見ましたが……

 

まあ、人間そんな連鎖から逃れられな
いのかもしれませんねえ。

 

ところで、

 

この「エコーチェンバー」という言葉
ですが、これは元々音響効果や実験の
ため人工的にエコー(反響)を作り出
す部屋である「残響室」を指す言葉だ
ったりするわけですね。

 

 

音楽のレコーディングとかで、そうい
った効果を出すのに使われたりしてい
るわけですね。今では電気的に再現し
てしまうことが多いんでしょうけど。

 

残響のあるなしで、音の印象は全く変
わりますしねえ。いわゆるエコーとか
リバーブとか、そういった効果を全く
無視した音楽というのも考えづらい
すよね。

 

そういった意味では、音楽系のコミュ
ニティエコーチェンバー現象が起き
やすいのかも。

 

え? そんなことない?

 

そうかなあ……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

行ってみたら良かった……の?

んか大阪のほうでは万博って
のをやってるんですよね。

 

……なんて、の住んでる東京では、
斜に構えた風に言う人が多いんですけ
どね。なんか自分はそんなものには関
心ないよ、なんて感じの人が多いみた
ですが。

 

まあかくいうは、別に万博とか博覧
会とかきらいじゃないですけど。でも
なんか、今回の万博に関しては気が向
かないというか、いまいちノレない
いうか。そんな気持ちではいたんです
けどね、始まる前は。

 

でも、

 

実際行った人の話とかを直接聞いたり
ネットで見たりする感じでは、

 

結構楽しい

 

らしい、そんな雰囲気が伝わってくる
んですよね。

 

まあ、事前の情報の少なさとか、今の
日本で万博をやる意義とか、色々問題
があるといえばいえるんでしょうけど。

 

でも、もう実際にやっちゃってます
ね。それが大失敗に終わるよりはみん
行ってみて楽しければそれに越したこ
はない。とか思ったりもします。

 

 

だいたい、にしても、ジャムセッシ
ョンは楽しいから、食わず嫌いせずに
一度やってみませんか? なんて普段
人に言っておいて行ってみてもい
ないのにどうこういえないよなあ、な
んてね、思ったりもするわけで……

 

皆さん、万博行かれました? 楽しか
ったですか?

 

……て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

LとRといえば……

回、LとRを間違える間違え
ないという話をしましたが。

 

そういえば、別に間違いというわけじ
ゃないんですが、一時期ポルトガル語
を勉強しようかと思ったことがありま
して。

 

ま、結局モノにはなってないんですが。

 

ともあれ、そんな頃ポルトガル語の
単語を眺めていて気がついたことがあ
ったんですが。

 

何かというと、ポルトガル語の単語
他の言語、例えば英語とかもっと近い
言葉でいえばスペイン語の単語だと
になるはずのところがRになっている
ものが結構あることなんですね。

 

たとえば、「白」スペイン語だと

 

Blanco

 

ですが、ポルトガル語だと

 

Branco

 

なんですね。

 

他にも、スペイン語の plato(皿)
ポルトガル語だと prato になったりと
かね。英語だと plate ですよね。だい
たいPとかBとかの後におこるみたい
なんですけど。

 

そういえば、「ありがとう」の意味の
obrigadoスペイン語だと obligado
(感謝している)ですね。

 

なので、まあ、とくにポルトガル語を
勉強しようと思わない人にはどうでも
いい話ですが。

 

 

ボサノバやサンバの曲を原語で歌おう
なんて人は気をつけた方がいいかも、
というお話でございました。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

 

絶対間違えない? なんてことはない?

く日本語にはLとRの区別
ないとか、日本人はその区別が出
来ないとかいわれますよね。

 

なので日本人はLとRをよく間違える
けど、区別があるネイティブ・スピー
カーは絶対間違えないなんて言われる
んですが。

 

本当かそれ? と昔から思ってたんで
すよね。

 

違う音だとしても、聞き間違えること
はあってもおかしくないのでは? と
思っていたのですが。

 

この前、YouTube 眺めてたら、英語の
歴史や語源の専門家の方が、間接的で
はありますが、LとRの取り違えはネ
イティブでもある(あった)という
拠(?)がある、という話をしている
動画を観たんですよね。

 

つまり、語源的に単語がどのように変
化してきたかを見ていくと、ある時点
で元々RだったのがLに変化していた
り、その逆だったりなんてことが起き
ているようなんですよね。

 

なので、まあ世の中「絶対」なんてこ
とはないのだということなわけですが。

 

結局、この前の話じゃないですが、
対オレが正しいからこうしろとかいう
ようなは、だいたい真に受けない方
がいいよなあ、なんて改めて思った
いう。

 

そんな梅雨入り直後の昼下がり、とい
感じでございました。

 

 

おまけ
そういえばこんなジョークがありまし
て。

 

アメリカのラーメン屋には LAMEN と
書いてある店と RAMEN と書いてある
店があるとかでして。

 

それを見てアメリカ人がだから日本人
はLとRの区別もつかなくてしょうが
ねえな、といったそうなんですが。

 

それに対して、日本人がでもお前らア
メリカ人は LAMEN と RAMEN の味の
違いをわからねえじゃないか、と反論
したんだとか。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

 

警察的? 探偵的?

YouTubeとかで音楽レッスン系
のビデオとか、昔はよく観ていた
んですが。

 

最近はもうどうでも良くなってという
か、観る気が失せてしまってまして。
もうあまり観ないんですけど。

 

なんでかというと、最近そういう動
って、こんな演奏する奴らは害にな
るから排除しろとか、俺の言ったとお
りにしろ的な感じのが多いんですよね。
典型的なのが例の「バックビー○」
人たちとかですが。

 

私、こういう動画を「警察的」動画
「警察系」とか「生活指導系」とか
呼んでおります。

 

 

以前、「テレキャスター警察」なんて
いうのがありましたね。スタンダード
でない形状のテレキャスター(的なギ
ター)を「摘発」してました。まあ、
あれなんかはネタな訳ですが。

 

最近の警察系の人たちは、シャレじゃ
なくマジでやってるみたいな人が多く
て。なんか狂信的というかですね、あ
んまりかかわりたくない感じのが多い
です。

 

観てみようかなと思うのは、なぜそう
なっているか、ちゃんと理屈や筋道を
一緒に解き明かしていこうとか、そう
いう姿勢が見られる動画なんですが。

 

そういうのって(警察系に対して探偵
系とか謎解き系とか呼んでるんですが)
作るのに手間がかかるし、話がまどろ
っこしいと思うんでしょうかね。なか
なかないですよね。

 

まあ、謎解きしても全然間違ってる、
なんていう可能性もあるわけですけど
ね。

 

難しいもんですなあ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

人は音をどう「聴く」か?

し前に私の住んでるマンショ
ンの総会のことを書きましたが。

 

住人の出す「音」の問題解決しよう
とするあまり、楽器オーディオ機器
などのはすべてヘッドフォンイヤ
フォン聴けと解釈できるような文章
マンションの規約改正しようとい
うのを(とりあえず)阻止したという
ような話でしたけど。

 

そしたらその後でとある TED の動画
を観たんですが、それがイギリス(ス
コットランド)のパーカッショニスト
エヴェリン・グレニーという人のも
のでして▼▼▼

 

この人、普通に観客の前で話したりス
ネア・ドラムやマリンバを演奏したり
していますが。実は8歳くらいの時に
聴覚をほとんど失ってしまったそうな
んですね。

 

しかし彼女によれば、彼女は身体全体
を使って音を「聴いて」いるのだそう
で、実際他の音楽家とも共演したりも
しているそうなんですね。

 

で、

 

思ったのは、たとえこのグレニーさん
のように聴覚を失っていないとしても、
人間は耳だけで音を聴いているわけで
はない身体でも聴いているのだとい
うことですよね。

 

 

つまりそれを耳だけに限定してしまう
と、何かが体験として失われるという
ことでもあります。

 

なので、やはり耳からだけヘッド
フォンを通して聴くのではなく、身体
でも聴かせて欲しい、ということを
めて思ったということではありました。
なんかちょっとえらそうですけど。

 

まあ、もちろん他の住人の迷惑になら
ない範囲で、ということではあります
けどね。そこらへんが最近はとくに難
しいのはわかるのですが。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

境界を拡げたい気持ち vs 確定したい気持ち

京スカパラダイスオーケスト
ラというバンドに “Paradise Has
NO BORDER”(「パラダイス・
ハズ・ノー・ボーダー」)という
曲がありまして。

 

このバンドの代表曲の1つなので、耳
にされたことのある方も多いと思うん
ですが▼▼▼

 

この曲、スカパラの曲なので、まあ
ャンル的にはスカの曲ではあるんです
が、聴けばわかるように、曲全体を通
してラテン音楽で使われる「モントゥ
ーノ」といわれるフレーズのパターン
が使われてるんですね(冒頭のピアノ
のフレーズがモントゥーノです)。

 

なのでこの曲のことを(うっかり?)
「ラテン」と呼んでしまったことがあ
りまして。

 

そしたら、ラテン音楽を愛するとある
「スカはラテンじゃない」とかい
われたんですよね。まあ、そう言いた
い気持ちもわからないでもないんです
が、こちらにも言い分がないわけじゃ
ないわけでして。

 

スカはご存知の通りジャマイカ発祥
音楽、つまりカリブ海の島の音楽で、
そこに住む人々はキューバなどラテン
音楽が演奏される主要な地域と地理的
に近いわけで、そういう地域の音楽に
影響を受けていますし、そもそもルー
ツをアフリカに持つ人々の音楽という
点ではしているわけです。

 

で、まあ、

 

結局、人には色々考えがあって言い分
があるってだけの話なんですけどね。

 

とはいえ思ったのは、ジャンルの領域
をしっかり確定しないと気が済まない
が、その辺を拡大解釈(?)したり、
なるべくゆるやかに考える人にある種
怒りを持つというのは、形は違えど
よく目にするよなあ、ということなん
ですよね。

 

 

そんな食い違い「ノー・ボーダー」
という曲について起こったというのも
皮肉な話ですが。

 

ジャンルへの愛の強い人はそんな領域
内と外に敏感なことが多いようです
し、それはそれで尊重しないといけな
いとは思うわけですが。

 

一方で、面白いことはそういう境界の
あいまいなところで色々起きているん
ではないかなあ、などと思ったりもす
るんですよねえ。そういうとまた怒り
を買うのかもしれませんが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ファンクの歴史が観られる?

日書いた、ファンクの歴史に
ついての動画の件なんですが。

 

相変わらず YouTube では観られるよ
うにはなっていないみたいなんですが。

 

もしかしたら、制作した大元( PBS)
当たってみればいいのかもしれない、
と思い当たりまして。

 

検索した結果……ありました!

 

こちらがそのリンクです▼▼▼

 

 

正式タイトルWe Want the Funk!
っていうんですな。こちらから動画を
観ることができました。わーい。

 

しかし、もしかしたら YouTube のよ
うにまた突然ダメを食らうかもしれな
いので、ご興味のある方早めに観る
のが吉かもしれません。

 

この週末のお楽しみにいかがでしょう?

 

上のリンク先のページにある <Watch
Now> というボタンをクリックすると
マーカス・ミラーがベースを弾きはじ
めますよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)