音楽のないアレなんて……

休みに入ると、色々各地で
ベントが開催されますよね。

 

イベントにも色々あるわけですが、
近よくみるのが

 

プロジェクション・マッピング

 

というやつで。

 

多くは屋外の建物などに、高輝度のプ
ロジェクター映像を映して、幻想的
だったり、驚きのある効果多くの人
に体験してもらおう、というね。そう
いうやつですね。

 

以前はかなり特別アトラクション
して行われていたわけです。なんとい
っても屋外設営も大変だし、高輝度
のプロジェクターって高価だし。見物
する人の整理も大変だし。

 

早い話、お金がかかるアトラクション
だったわけです。某自治体の庁舎でや
っているプロジェクションがお金がか
かかりすぎだとかいわれて批判されて
ましたね。

 

なんですが、

 

最近はさすがに色々と値段がこなれて
きたのか、私の住んでる東京の郊外
ある某公園でもそんなプロジェクショ
ン・マッピングをやります、なんてい
告知がこの夏に出まして。それを見
て、行ってきたんですが。

 

公園内、複数のスポットで行われてい
ライトアップのプログラムの1つ
して行われていまして。日も沈んで暗
くなる19時30分ごろからスタートした
わけです。

 

公園内にある建物の前面に映像の投影
が始まったんですが。

 

あれ?

 

この、なんかすごく盛り下がる感覚
なんだろう? と思ったら、

 

音楽がついてない

 

んですよ。というか、音響効果が一切
ないという。そういうプロジェクショ
ンだったわけです。

 

 

いやしかし、それはないだろ。と思い
ましたね。ただでさえ、他でやってる
立派な(まあ、評価は色々あるかもし
れませんが)プロジェクションに比べ
て、使ってる投影機材もしょぼいのに。

 

それに加えてじゃない、そこからさら
に引き算するように音楽とか音響効果
とかを無くしてしまったら、そりゃ盛
り下がるよな、と。

 

予算がなかったんだろうなあ、と思う
のではありますが。それでも著作権フ
リーの音楽素材でもいいから付けない
とだめじゃん、と思うんですよね。

 

そこまで BGM バカにしちゃいけない
よなあ。と自分が音楽が好きかとかそ
ういう問題を越えて思った、と。そん
経験でございました。

 

なんか、夏休みの宿題の作文みたいに
なってしまいました。すみません。

 

……て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

リピーターをめぐる違和感?

ピーターという言葉がありま
すよね。

 

「繰り返す人」という意味なわけです
が、早い話何かのサービスとか商品
かを何回も繰り返して利用したり買っ
たりする人を指す言葉ですよね。

 

じゃあ、何回繰り返したらリピーター
なんでしょうか?

 

というのは、つい最近「退職代行サー
ビス」リピーターになった人につい
てのネット記事を読んだんですが。こ
の人は2回利用しただけなんですよね。
つまり1回繰り返しただけなんですよ。

 

 

まあ、1回でも繰り返したなら、それ
はもう繰り返したわけなので、それで
もう「リピーター」だというのは、
としてはその通りかもしれませんが。

 

でも、

 

普通の語感として、リピーターといわ
れれば、少なくとも数回は繰り返して
と思いません?

 

まあ、退職代行サービス何度も何度
もリピートするという人がそう何人も
いないだろう(少なくとも今は)とは
思うものの、ではありますが。

 

なんかちょっと違和感を持ってしまっ
たのではありました。2回目じゃあね
え。

 

あまり良い言葉じゃないですが、それ
「裏を返した」だけじゃない? とか
思ったりして(馴染み客になったとい
えばいえるわけですが)

 

ま、それだけなんですけど。

 

あ、そういう意味では、私が仲間とや
っているアラカンセッションには、
当の意味(?)でのリピーターの方々
何人もいらっしゃるので、とてもあ
りがたく思っております。

 

余談ですが、会社勤めをしていた
ころは中間管理職的なことをしていた
こともあるわけなんですが。その頃
まだそんな退職代行サービスなんての
普及してなかったわけですね。

 

そんな退職代行サービスからの電話
メールとか、受け取らなくてホント
良かった、と思いますね。受け取って
たら結構心を病んだりしてたかも、な
んて思いました。

 

★ここでいう「裏を返す」の意味がよ
くわからないという方は、落語の郭ば
なしとかを聴かれるとよく出てきます。
そういえば三島由紀夫の「金閣寺」の
終わりの方(主人公が決定的な行動に
出る少し前)でもこの言葉が使われて
ました。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

 

色々「やらかす」自由?

ャムセッションをなぜ「ジャ
ム」ッションというのか?

 

なんて話は前に書いたんですが。

 

で、そこで私の「推し」(?)の説
して、黒人と白人のリズムの取り方が
違うので、リズム(グルーブ)が「ジ
ャムってしまう(詰まってしまう)」
から、というの上げたんですね。

 

そもそもジャムセッションなんていう
のはつっかえたり、ひっかかったりす
るものだ、ということではないか?
と思ったわけです。

 

というか、今もそう思うわけですが。

 

ジャムセッションというのは自由なも
のだ、そうあるべきだ、という考え
あるわけで、実際そうだと思いますが。
自由であるがゆえに、いろいろやらか
す、やらかすことが許容されるとい
う場がジャムセッションだろうとも思
うわけですよね。

 

ジャムセッションを失敗なく乗り切る
コツ、なんていう話を聞きたいと思う
人は多いかもしれないけど、それって
そもそもある意味矛盾した話ではある
わけです。だって「ジャム」りに来た
んでしょう、あなたは? なんてね。

 

ジャムセッションというモノには「自
ら望んで“詰まりに行く”という、創造
的覚悟がある」のではないか? と、
まあこれは私ではなく ChatGPT くん
が言ってました。

 

「だからこそ、そこには真の自由があ
るのかもしれない。自由とは『放って
おかれること』だけではなく、『自分
の意志で、誰かと詰まりに行くこと』
でもあるのだ」……だそうです。

 

だいぶ賢くなりましたなあ、ChatGPT
くんも。

 

でもま、ちょっと大げさな気もします
が。恥ずかしくて私だったら書けませ
(おいおい)。

 

て、ことで。

 

それでは、また ( ̄▽ ̄)