理論が使える・使えないを分けるもの?

の前の音楽理論の話に関連す
ようなしないような話なんです
が。

 

たとえばドレミミの音どんな音か
なんて話になったりしたとしてですね。

 

メジャースケール3つ目の音で、
ではメディアントという名前で呼ば
れたりもして、この音がスケール
ジャーかマイナーかを決めるポイント
になっていてとか。

 

理論的に語ることや知識を得ることは
今やわりと(とても?)簡単にできる
わけです。

 

今、ChatGPT に尋ねてみたら、

 

「メディアントは、スケール内での安
定感や転調の効果をもたらす重要な音
とされています。また、コード進行や
メロディ作りにおいても重要な役割を
果たします。」

 

……という返事が返ってきました。

 

なんですが、

 

そのミの音を、たとえばアドリブ・ソ
を弾く時に効果的に使えるか、とい
うときに、上に書いたような知識だけ
を頼りにできるかといえば、まずでき
ないですよね。

 

やはり、実際に何度も弾いてみて、そ
自分の感覚と結びついていない
と使えないわけですね。響きとか、
起されるイメージとか、もしかしたら
とか。

 

それも、他の音リズムハーモニー
との関連においてね。

 

音楽理論を知ることはムダなこととは
思えませんが、そういう実践上の感覚
と結びつかないと結局、使えるように
はならないということですよね。

 

人工知能の世界やら、最近では言語の
習得のしくみの研究やらでいう「記号
接地問題」というのがあるんですが、
なにやらそれに近い話ではあるよなあ、
と思ったりしております。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

理論は使わないにこしたことはない? ○○○も?

し前、X(旧 Twitter)界隈で、
ちょっとだけバズっていたという
か話題になっていたのが

 

音楽理論は必要か不要か?

 

みたいな話で。

 

まあ、昔からある話題SNS場所
を移してされてるって感じですが。そ
れにいろんな音楽系 YouTuber だとか
いった人たちが反応してた、なんてこ
とがありました。正直またかよって思
わないでもないですが。

 

たぶん音楽やってない人の目にはほと
んど触れてないのではとは思いますけ
ど。狭い世界だなあ(笑)

 

で、おそらく、そんな流れを受けてか
なと思いますが、私の音楽仲間でもあ
る、ベーシストの Nori Shinsawa さん
も、こんなポスト(というかリポスト)
をしてました▼▼▼

 

ベーシストビクター・ウーテン
奏と理論の関係についての質問に答え
ている動画が「引用」されてます。た
しかにとても素晴しい内容でして。

 

理論というのは道具(ツール)なん
だ。クルマを運転してる時に修理道具
なんて使わずに済むならそれにこした
ことないだろ?」とか、なかなかいい
例えですね。その後のコメントも含め
ぜひご覧になるといいと思います。

 

(ここで使われている動画は、アメリ
カの音楽系 YouTuber として有名な人
の4年くらい前の動画のダイジェスト
に字幕を付けたものです。全編を観た
い方はこちらにあります。英語ですけ
どね▼▼▼

 

で、

 

まあ、そういうことなんですけど、実
はこの Nori さんのポストを読んだの
ほぼ同じ時に、こちらのポストも目
に入ってきたんですよ▼▼▼

 

理論だけで頭でっかちな MBA はいら
ないと言っている経営者の話なんです
が。なんか、ちょっとシンクロニシテ
ィ的なモノを感じたのではありました。
それだけといえばそれだけですが。

 

て、ことで。

 

それではまた ( ̄▽ ̄)

 

若者と句点とトニックと?

近の若者は「句点(文章の
終わりのマルのことですね)が怖
いらしい、という話がありまして。

 

色々と話題になってるようですが、
文末にある句点威圧的に感じ、
「(相手が)怒っているのではないか
解釈してしまう、のだそうです。

 

「マルハラ」なんて言葉もうまれてい
るそうで。

 

メールに馴れた年長者チャット中心
若者違い、なんていうもありま
すね。

 

この話を聞いたとき、さすがに
えそうなんだと思いましたが。まあそ
言われてみると、気持ちはわからな
くもない、などとも思ったりもしまし
たね。

 

英語で、言いたいこと言い切り調
「はい、おしまい」って感じで、最後
“Period.” (ピリオド)というのに
似た印象をうけるのかなあとか思った
りね。

 

で、

 

音楽で、この「マル」に相当するもの
といえば、フレーズの最後が「ドレミ」
の「ド」の音で落ち着く、なんてこと
かと思うわけですね。で、その後ろの
コードはトニック(キーCならCメジ
ャー・コード)なわけです。

 

そういうのは「落ち着きが良すぎて、
なんかいやだ」とか「怖い(?)」
「ハラスメントだ」とか思う人が増
えると、それはそれで面白いかな、と
思ったりもするんですが。

 

3度(ミ)とか5度(ソ)とか、2度
(レ)とか6度(ラ)とか色々ばらば
らになったりして。

 

でも、ま、実はそういうの今でも結構
あるんですけどね。これとか(これは
6度にいってますね)▼▼▼

 

音楽なんてそうやって色々試行錯誤し
て豊かになってきたわけでしょうしね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

〇〇〇〇本はもう読まない?

社勤めを辞めると、それまで
は多少でも気になっていたものが、
気にならなくなってしまうという
ことがいくつかありまして。

 

例えば、会社内の人事とかが最たるも
のですかね。ま、当たり前ですが、も
自分とはなんの関係もないわけで。

 

業界の動向なんてのもそうですよね。
日々の業務のこまごましたことを考え
ることもないですし。

 

で、

 

読書の傾向にも変化が出てきますよね。
いわゆる、

 

ビジネス書(本)

 

というものにがいくことが、極端に
少なくなります。いわゆる「自己啓発
本」とかも。

 

たまにこんな本が出たんだなんて思う
こともありますが。手にとって読もう
(あるいはスマホに入れて読もう)な
んて思うことはまずないです。

 

なら、なんとなく立ち読みするくら
いはしたかもしれないんですがね。
金なもんだといえば、その通りですが。

 

じゃあ、本を読まなくなったのかとい
えば、そういうことはなくて、前のメ
ルマガでも書いたんですが、最近は
歩ついでに古本屋を巡るというのが
のようになっていまして。

 

ビジネス本とか自己啓発本じゃない本
を色々買っては、読んだり積んでおい
たりしているわけです。

 

暇な時間が増えたこともあるので、お
そらく読書量は増えていると思うんで
すよね。

 

まあそんなわけなんですが、そうやっ
読書量が増えたにも関わらず、

 

音楽の教則本を読むことはほとんどな

 

というのも、また面白いことではある
なあ、と。まるで人ごとのように思っ
たりする今日この頃でございます。

 

たぶん(即効性のある)「役に立つ」
本とか情報には、興味がなくなりつつ
あるのでしょうかね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

悩むくらいなら、○○○○に選んでしまえ?

を売り出そうとかいうときに、
チョイス(選択)の幅がたくさん
ある方がいいと考えるのは実は
、なんてことはよく言われてる
話でして。

 

あんまり選択肢を増やしてしまうと、
人間混乱して逆に選べなくなってしま
、というのがここ最近(でもないの
か)のマーケティングの知見だったり
するわけです。

 

実証する実験なんかも有名なのがあり
まして、店に6種類のジャムを並べた
ときと24種類のジャムを並べたときで
は、24種類のチョイスがある方が売り
上げが増えるかと思ったら逆だった
んていう結果が出ています。

 

なので、今の企業は商品のラインナッ
を広げるよりは、なるべく絞り込も
とかするわけですね。一般論として
は(製品の性格によっては、そうもい
かないこともあるでしょうが)。

 

じゃあいくつくらいの選択肢が適切な
数なのかということになるわけですが、
これも研究があるようで、だいたい
7つくらい
までなら、人間選択肢として頭に入れ
ておけるようだ、ということらしいで
す。それ以上になると混乱して選べな
くなる、らしいです。

 

で、

 

はいきなり音楽というかジャムセッ
ションに飛ぶんですが、アドリブでソ
ロを弾こうなんてときに、次にどの音
を出そうとか考えると、西洋音楽の枠
の中で考えても12あるわけですよね。

 

多すぎる、わけです。

 

もちろん音楽には調性とか、流れとい
うのがありますから、いつも12の選択
肢で悩むわけではないですけどね。
択をするベースみたいな物があるわけ
で、ここの音のチョイスが大事、とい
うようなときも、例えばコードスケ
ールの理論からチョイスを絞るとかで
きるわけですが。

 

とはいっても、

 

音楽理論とか覚えれば覚えるだけ、チ
ョイスの幅も広がるわけでして、結局
その選択で迷う、なんていうことも起
きてくるわけです。

 

そんなときどうするべきか。なんてこ
とを考えて色々ネットで調べたりして
みたんですが。

 

どうも、

 

ランダムに選ぶ

 

ということのようなんですね。

 

理論的に落とし込んでいこうとかする
よりも、そっちの方が効率がいいし、
うまくいく確率が高い、らしい、ので
すね。人類の歴史を見てもそんなこと
がいえるという話で。

 

困難を前に生き延びてきた種族がどう
やってとるべき道を選択をしていたか
というと、結局「占い」だったりする
わけですよね。

 

なので、音の選択の話に戻ると、何か
最良のチョイスを見つけようとするよ
りは、えいやっと音を出して、それで
どうにかする、というのが実は良いの
ではないか、と思うようになった今日
このごろです。

 

え? 昔からそうしてる?

 

※とはいえ、そんなランダムな選択を
後付け的にではあってもバックアップ
するのは理論だったりするので、理論
の勉強が大事じゃないと言うつもりも
ないないんですけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

○○○のありなしで人を分けることについて

本の「笑い」というのが、
「わかる」人と「わからない」
に分けられてしまうようになった、
なんて話があります。

 

ただ面白い楽しいというレベルでは
なくて、その笑いが「わかる」「わ
からない」かが重大問題視(?)され
るようになった。笑いそのものでだけ
ではなくて、それを受け取る側も問題
にされるようになった、ということな
んですが。

 

笑いセンスのある人ない人に分け
て語られるようになったというかね。
そういう対立軸が出来てしまったとい
うか。

 

特に、今世の中を騒がせているあの芸
人さんが出てきてからのことといわれ
ています。

 

例の週刊誌報道をめぐるゴタゴタにつ
いてここで語る気はないんですが。そ
んな報道を横目に見ながら、あらため
笑いをめぐる「わかる」「わからな
い」、「センスがある」「センスがな
い」問題を思い起していたりしたんで
すよね。

 

で、

 

こうやって、センスのあり/なし
を分けるというのは、お笑いの世界だ
けではなくて、今の世の中いろんなと
ころで起きている気がします。

 

単に分けるというより、「分断」して
「ある」(と主張する)側が「ない」
側を批判したり、糾弾したりとか。
立をあおったりとか、そういうのよく
みかけませんか?

 

音楽でも、例の「バック○ート問題」
とか、そんな感じを受けたりすること
増えたような気がしますけど。気の
せいですかね?

 

そういう「センス」敏感になって、
それを身に着けようと焦る(?)
持ちもわからないんじゃないですが。

 

でも、ちょっと一歩引いて鈍感力
を発揮して「なにそれ? 美味しい
の?」とか言ってる方がなんか良さ
そうとか、シニア世代に入った
んかは思うんですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

オバケが大切?

の前、Twitter ……じゃなく
て今は X っていうヤツを見てた
んですが(しかし何とかなりま
せんかね、この名前)

 

ある有名なシェフの人が、「ゴースト
・ノート」って言葉を使っていたんで
すね。

 

オバケノートって何って言う人もい
るかもしれませんが、これはオバケ
手帳とも関係なくて、音楽用語なん
でして。ノートは演奏されるを意味
します。

 

ドラマースネア・ドラム軽く入れ
認識できるかできないかすれすれの
とか、ベーシストフレーズの中
弾く(弾いてしまう?)音程感のない
かすかなのことですね。

 

そんな音なんでゴーストといわれるわ
けですが、じゃあ大切じゃない音なの
かといわれればそんなことはないので
して。

 

音楽(いわゆるビート・ミュージック
ですが)には、

 

グルーヴ

 

というモノがありますんで。

 

このゴースト・ノート入れる入れな
で、演奏のノリが全く変わってきた
りもするわけでして。

 

ゴースト・ノートは拍のアタマにくる
ことはまずなくて、ウラとかウラウラ
とか、そういうところに入るので、
ズムを細分化してカッコよくしたりす
るのには不可欠なんですね。

 

くだんのシェフの人は、食事のランチ
・コースなんかについてくる、これ
ントにいるの? というようなビミ
ーなあるモノについて語る時にこの言
葉を使っていたんですが。

 

これまたなかなかビミョーな使い方
(個人的にはやや違和感ありかな、こ
のシェフのことは好きなんですけど)
ちょっと笑ってしまった、というよう
なことでございました。ヒマかよ。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

英語の語順とバッ○ビー○問題??

んな記事を見かけたんです
けどね。▼▼▼

 

それで、英語の学習ってこんなことも
覚えなきゃいけないんだなあ、大変だ
なあ、と思いつつ、また別のことも思
ったんですけど。

 

1つは、ここでいちばん最初に出てく
る、 right and leftleft and right のど
っちが正しいか? っていう質問なん
ですけど。

 

どっちもあるんじゃね?

 

と思ったわけですよ。まあ、頻度でい
うと right and left かもしれないですけ
どね。調べればわかるんだろうけど、
めんどくさいので調べませんけど(こ
らこら)。

 

こんな曲もあるしなあ、と▼▼▼

 

で、

 

それはわりとストレートな突っ込み
んですけど。

 

もう一つは、これって最近よく見る
本人のグルーヴ感がどうとか、バック
ビートがどうとか、そういう話と似て
るなあということでして。

 

なんかネイティブ(本場のミュージシ
ャン)が聴くとそれ変なんだよ、と、
ネイティブじゃない人からいわれる、
という、その感じがですね、似てる
あ、と。思ったわけですね。

 

実際に英語で読んだり、聞いたりする
前に記憶しろってのもなあ、などとも
思うわけですよね。順番間違えたって、
ネイティブ違和感持つのかもしれな
いけど、それで死ぬわけじゃないけど
なあ、なんて。

 

思ったりしましたね。ええ。それだけ
なんですけど。

 

※語順のせいでそれこそ場面とか状況
によって受取り方が大きく変わる、と
いう可能性が全くない、とはいいませ
んけどね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

古本屋彷徨癖は未来志向を覆すか?

なタイトルですみません。

 

前に最近、散歩してると古本屋さんに
立寄りたくなる、なんて話を書いた
ですが。

 

その傾向は、以来まったく収まってお
りませんで。

 

相変らず散歩に出ると古本屋さんを覗
という習慣は続いております。という
かますますこじらせて(?)おりまし
て。

 

最近では、近隣沿線各駅近く古書
店を検索して散歩するというようにな
って来ております。

 

あと、最近近所にブッ○オ○が出来て
しまいまして。なので、近所の散歩コ
ースの定期立寄り所となっております。

 

先日は先日で、都内バンドの練習
あったんですが、そのスタジオ近く
のモール古本市が開催されていると
いう情報を嗅ぎ付けまして。

 

予定の時間を早めて家を出て、その古
本市を覗いて回るというようなことを
しております。

 

で、

 

そうやっていると、前にも書きました
が、

 

積読状態になってしまう本が増える

 

わけでして。

 

ちょっと本の置き場困ってきてしま
いました。

 

そんなわけで、今読まない本の処分
検討しているんですが、部屋の中で
まない本の上位に来るのが、

 

音楽の教則本

 

なんですよねえ。とはいえ、これも前
書きましたが、なかなか捨てられな
い上位にくるのもそんな教則本なんで
すよねえ。

 

手に取ると、その本をマスターして上
手になっている自分という幻想(おい
おい)と戦うわけですが……

 

でも、やっぱり処分しよう、と。ここ
宣言しておけば、さすがにやるだろ
、と。考えて書いているところでご
ざいます。

 

え? 勝手にしろ?

 

……はい。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

疑ってかかった方が良い言葉?

説得したり、自分の言って
ること信じさせたいとか思って
なのか、

 

これは研究科学的に(とか統計的に
とか)証明されているんですが

 

とか、言う人いません?

 

それで、その証明の中身とかを具体的
に示すこともなく、先に進んだりして。

 

まあ、としてはそんな話を聞いたと
きには、だいたい話半分以下で聞く
うにはしてるんですが。

 

皆さんは、どうですか?

 

で。

 

なんでそういう、根拠を示さず根拠が
あるといって流して人を説得しようと
する人が多いかというと、

 

世の中、エビデンスは? とかいって
挑んでくる人間がたまに(ちょくちょ
く?)いる

 

ってことなんでしょうが、一方で、科
学的に実証されてるんですが、とか
っておくと、

 

後からそれを検証しようとする人間
ほとんどいない

 

ってことなんだろうな、と思うわけで
すね。

 

ある種の話し方テクニック的なモノと
して、実は言ってる当人半分無意識
的に使ってるんではないか、とも思う
わけです。手癖フレーズみたいなもん
ですね。

 

なので、そう言っている話の内容自体
が役に立つ立たないは、また別の話
ということもあるので、ことはちょっ
と厄介なんですけどね。ま、少なくと
鵜呑みにはしない方がいいとは思い
ますけど。

 

……なんてことを、某乳酸菌健康飲料
んで考えたという。そんなある日のこ
ではございました。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

いろいろ○○く関わりたい願望

の前のAかBか決められな
(決めたくない)話にも関係する
んですけど。

 

いろんな知識とか、音楽ジャンル
理論とか、楽器テクニックとか、
ガッチリ自分のモノにしたい、とい
欲求の強いほうですか? 皆さんは。

 

もちろん、モノゴトへのそういう関
り方悪いとはいいませんし、それが
必要な人生の局面(やや大げさですが)
あることも確かだとは思うのですが。

 

が、

 

この年になったからなおさら、という
のはあるかもしれませんが、私はとい
えば、

 

なるべくいろんなことにユルく関わっ
て、ユルく知識を得たい

 

と思う方なんですよね。

 

1つのジャンルのものとかに、深くか
らめとられたくない、というかね。ま、
ビビりといわれればそうなのかもしれ
ませんが。

 

なので、あんまり縛りのキツイこと
いわれると、基本的には敬して遠ざけ
という方向になりがちなんですね。

 

これはこうでなきゃいけない、とか、
グルーヴはこうでなければならぬ、と
か(おいおい)。あんなものはダメ
害にしかならない、とかね。

 

まあ、SNS なんてそんな発言ばかり
すが。

 

そういうの聞く(見る)と、なんか引
いちゃうんですよね。

 

なんか、それよりユルく色々かかわる
ことで、自分を通り抜けていったモノ
が、何か別のモノにつながるような気
がしなくもない、と思えるんじゃない
か、と。

 

大変ユルく思っているのですが。

 

え? 頭の中までユルくなる?

 

それがいいんじゃないか、と思うんで
すけどねえ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

AかBか決められないワタクシ? 決めたくないワタクシ?

ノゴトについて語る時、それ
AかBかのどっちかだよ、とい
ういい方で話を進めること結構あ
りますよね。

 

そんなときすぐに納得して、そうだ、
だからこっちだ、というように決定
きる人ですか? 皆さんは?

 

は、どうもそういうのって昔から苦
というか、そもそも2つのうちのど
っちかだっていうのはホントかな? 
とか考えてしまうんですよね。

 

人間の脳というのは記憶を書き換えて
しまうものらしいので、昔からこうだ
とかいう話も結構あやしかったりしか
ねませんが、それだと話がどんどんや
やこしくなるので、ここではまあそう
いうことだと思ってください。

 

で、そんなとき、私の考えがどういう
方向に向かうかというと、AでもBで
もない行き方(とかやり方とか)が
はあるんじゃないかとか、そんなこと
を少なくとも一度は考えずにいられな
んですよね。

 

まあ、それは優柔不断とか、あまのじ
ゃくとか、そういう奴だよねといわれ
ることにも繋がりかねないわけですけ
どね。

 

なので、

 

音楽、例えばコード理論の話なんかで、

 

コード盛り上がりか落ち着きかのど
ちらか2種類で捉えるんだ

 

とか言われると、なるほどと思う一方
で、え? でもホントに2種類しかな
いのかな?とか思ったりもするわけで
すね。

 

もちろん、リアルタイムでどんどん
行していくセッションの中とかでアド
リブソロを弾くなんて時に、二択よ
り多い選択肢で考えていられない、と
いう理屈実用上の有用性否定する
わけではないんですけどね。

 

でも一方で、そういう二択でこうだ、
という考え方に対して、一度は一歩引
いて考えてみる、というあり方は大切
にしたいとも思うわけです。

 

え? めんどくさい奴?

 

皆さんは、いかがですか?

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

時には跳んでみる?(メロディーも人生も?)

ール・ポータという人の書
いたスタンダード・ナンバーで
 “I Love You” というのがありま
す。▼▼▼

 

すごくどストレートなタイトですよ
ね。歌詞の方も「春がまたやって来て
/鳥たちも再び翼を広げ」とかそんな
わりと陳腐な感じのフレーズが入って
たりするんですが。

 

これ、実はコール・ポーターが友人
こういうタイトルこんな歌詞を使
って素晴らしい曲を作ってみろ、とい
挑戦を受けて、それで書いた曲なん
だそうです。つまりポーターらしいヒ
ネリのないタイトルや歌詞で良い曲を
かけるか? というわけでして。

 

結局この曲はミュージカルの中で使わ
れて、その後ビング・クロスビーが歌
ってヒットし、スタンダードナンバー
になるわけなんですね。つまりポータ
ーの勝ちだったわけです。

 

「素晴らしいメロディーは凡庸な歌詞
を凌駕する」とかポーターはいってた
らしいですが。

 

でね、

 

ポーターの言うようにこの曲はメロデ
ィーに特徴がありまして。曲の冒頭
そのまさに I Love You という歌詞に
あわせて、上の C から下の Db に跳ぶ
というところがあるんです(ちなみに
よく演奏されるキーFでの場合です)。

 

つまり、長7度下跳び降りている
ですね。この冒頭部分につけられた
ード(サブドミナント・マイナー系)
とともに意表をつく出だしとなってま
して、この冒頭部分によってこの曲の
印象はほぼ決まっているといっても過
言ではないかも(まあ中間部の転調と
か他にもなくはないですが)。

 

曲を作る時、流れるような綺麗に音の
つながったメロディーを生み出したい
と思うことも多いですが、印象に残る
メロディラインが生まれるのは、音の
跳躍が挟まれたときだったりします。

 

つまりスケール上のとなり(たとえば
メジャースケールだったらド→レとか
ソ→ラとかですね)やすぐ近くの音
動いていくのではなく、ちょっと遠い
音へと跳ぶ動きが生まれた時ですね。

 

もちろん年がら年中跳びまわっていて
も落ち着かないので、バランスではあ
るのですけども。

 

人間も、人生でときには日常に流され
ずに「跳ぶ」ことが求められることが
あるのと一緒かな? なんて思ったり
して……あまり関係ないか。ま、でも
そんなことをちょっと考えた、と。

 

※原文は:It’s spring again / And 
birds on the wing again

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

人は教則本に自分の○○を見る?

楽の教則本については、前に
も書きましたが。

 

前回書いた時には、何で音楽の教則本
というのは、挫折するとかしないとか、
読まないで本棚にたまるばかりとか、
そんなどんな本にでもあることを、
りたてて騒ぐ人が多いのか? なんて
ことを書きました(気がします)。

 

で、まあ、

 

そんなことどうでもいいじゃない(あ、
野口五郎だ)というような話ではあり
ますが、ちょっと思いついたことがあ
ったんですけど。

 

音楽の教則本というのは、その内容的
に、

 

読む人の未来を想像させてしまう

 

のですよね。

 

つまりその本を読んで、そこに書かれ
ていることをマスターして、早い話
奏が上手になった自分、というのを
メージさせるわけです。

 

で、買う、と。

 

そうすると、人はその本を見るたび
演奏が上達した(たぶん実現しないか
もしれないけど)未来を思い起こさせ
られるわけですね。

 

そういう意味ではフツーの本に比べる
と人間が執着するレベルは高くなる
かな、と思ったりしたわけです。

 

なので、それを捨てるということは、
(ありえるかもしれない可能性として
の)自分の未来を捨てる、ということ
なわけで。心理的ハードルは高いです
よね。

 

結果として、なかなか捨てられない
ね。と考えたということでございまし
た。

 

まあ、それが人間てもんなので、それ
でいいんじゃない? と思うわけです
が。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

謎解きはお好き?(続き)

ちらの続きですが……

 

世の中、いろんなこと謎を解いてく
れるなんてコンテンツが溢れてるけど、
最近あんまりそんなモノに興味がなく
なってきた、というようなお話でした
が、ってことですが。

 

仕事短時間で成果を出す! とか、
そんな話が私にはもう昔のものになっ
たせいもあるんでしょうけど(まあ、
昔もそんな短時間に成果を出すとか
にやってた方じゃないですが)。

 

音楽なんかについても、音楽理論の肝
心なところとか、グルーヴ感がどうだ
とか、どうやったらジャズらしい演奏
ができるのか、とか。

 

そういった「謎」答え素早く知り
たい、なんてことを昔は思っていた
じゃないかと思うんですが。なんか、
最近は別にだんだんどうでも良くなっ
てきたというか、ね。

 

まあ、私が言うのもなんなんですが

 

とくに、仕事で急いで成果出さなきゃ
いけないなんていうのと違って、音楽
なんていうのは、いちおうアーティス
ティックな活動ですからね。

 

なんでこうなっているんだろう? と
か、このグルーヴの違いはどこから
るんだろうとか、そういった答えを急
いで求めるよりは、そんな「謎」とか
「違和感」をそのまま感じて置いて
おくというか、いったん放置しておく
というかね。

 

そんな風にしておくのが、実はいい
じゃないか、そこで、短期的な成果
求める必要ないんじゃないか。

 

なんていうか、身体にいったんしみ込
ませることをやった方がいいんじゃな
いか、なんてね。

 

まあ、思ったりもしていると、そんな
お話でございました。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

チャーチ・モードと赤い帽子の共通点?

の前、フランス語の「上手
・下手(かみて・しもて)」の
を書きましたが。

 

そういえば、全く関係ないんですが、
フランスの歴史に関係するを読んで
いたら、

 

フリジア帽

 

という物について書かれていたんです
ね。

 

フリジア帽というのは、赤い三角帽
して、サンタクロースが被ってる帽子
に似てます。古代ローマでは解放され
た奴隷が自由になった証に被るものだ
ったそうで、そのため、サン・キュロ
ットと呼ばれるフランス革命の中心と
なった人々象徴ともなったそうで。

 


▲こういうやつです

フランスでは今でも革命精神を伝える
と考えられていて、今度のパリ・オ
リンピックやパラリンピックマスコ
ットはこのフリジア帽をモチーフにし
ているんだそうです。

 

で、

 

まあ、そんなフランスの革命史にまつ
わる帽子なわけですが、この「フリジ
ア帽」という名前を聞いて、これって
ジャズとかで使われる

 

フリジアン

 

というモード(音階)と関係があるん
じゃないか、と思ったわけです。

 

そしたら、やっぱりどうもそのようで、
いわゆる教会旋法(チャーチ・モード)
と呼ばれる音階の1つであるフリジア
ン・モード古代ギリシャの音階の名
前から来ているようで、その名前は
リュギア(フリギア)という地名から
きているということだそうで。

 

そして、この帽子もフリュギア地方に
起源があるようなんですね。

 

まあ、現代のフリジアン・モードと古
代ギリシャのフリギア音階はどうも
じとはいえないようですが(古代のフ
リギア音階は今で言うドリアン・モー
に近いのだとか。知らんけど)、と
もかくも名前の由来は同じ地方の地名
らしいです。

 

て、まあそんな話なわけですが、もう
一つちょっと意外に思ったのは、この
フリュギアという地方は、実は今でい
うトルコの中部あたりにあったという
ことなんですね。

 

チャーチ・モードって元々は古代ギリ
シャから来ているなんていうことを聞
いていたので、フリュギアというのも
今のギリシャのどこかだろうと漠然と
思っていたのですが、まあ、考えてみ
れば、古代ギリシャの範囲というのは、
今とはだいぶ違っていたのですよねえ。

 

アレクサンダー大王征服した土地と
いうのは広大だったわけですし。

 

とまあ、フリジアという言葉から、
音階古代史近代史と、様々に
思いが(?)乱れ飛んだことがありま
した、と。そんなお話でございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

数字の桁区切りと音楽の関係(あるいは無関係)

の前、某公共放送の「ボー
ッと生きてんじゃねーよ」と大
人が5歳児に叱られる番組観て
たらですね。

 

数字の桁区切りの話をやってまして。

 

ご承知のとおり、通常数字の桁を区切
るカンマ3桁ごとに記されるのが
ールのようになってますが、日本語の
本来の桁の区切り方4桁ごとに単位
が替わるよねえ……なんで? という
ような話だったわけですね。

 

英語とかは3桁で単位が変わるので、
問題はないんですが、確かに日本語を
使うわれわれとしては、結構日々(?)
苦労したりするわけです。まあ、馴れ
てしまえばそれまでってことでもある
んですが。

 

なんでそうなっているかというと、そ
の昔、福沢諭吉って人が外国の簿記の
本を翻訳したときに、そのまま3桁区
切りを持ち込んだから、ということら
しいんですね。

 

とまあ、単純な話ではあったんですが。

 

しかし、それでこの4桁と3桁の区切
りの違いで苦労する、というのはわれ
われ日本人には未来永劫(?)つきま
とうということになったわけですね。
まあ世界標準が3桁区切りなんで、
そらくどうしようもないんですが。

 

で、

 

思ったんですが、ふだん4つで区切っ
てるものを3つに区切る、って、

 

ポリリズム

 

みたいじゃないですか?

 

通常は4つ割りで進行するリズム
えて3つ割りとか5つ割りとかで割る
ことでリズムの盛り上がりや面白さを
生み出すというのをポリリズム的手法
というんですけどね。

 

リズムの複雑さや面白さを生み出すの
には良い手法ではあるのですが、それ
なりに馴れも必要なテクニックではあ
りますよね。

 

そういう意味では、ふだんから数字の
桁区切り3つ割りと4つ割りを行っ
たり来たりしてる日本人は、きっと
リリズムが得意に違いない……

 

な、わけないか。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

いいとこどりされてもいいじゃん?

の前、こんなこと書きまして。

 

最初は憧れ全面的に取り入れようと
か思っても、だんだんアラも見えてき
て、結局いいとこどりするようになる
(のが普通というか、いいんじゃない
?)というようなお話なんですけど。

 

読み返してみたんですが、ちょっと
肉っぽ過ぎるかなと思ったりしたもの
で……特に「いいとこどりされる」人
たちについてですが。

 

で、まあちょっと関連して考えたこと
があったので、追加で書こうと思って
書いてるんですが。

 

最近ヒマなので(そんな話ばっかり
な)、脈絡なく本を読んだりしてる
ですが、この前、精神分析というもの
創始者である

 

ジークムント・フロイト

 

についての本をパラパラ読んでたんで
すけどね。そのフロイトの生涯につい
ての部分だったんですが。

 

で、それを読んでるとこの人、

 

友人と弟子とかと、意見が相いれな
くなって、その友人とか弟子が袂を分
かって離れていく

 

ということがやたらと多い人だったみ
たいなんですよね。

 

有名な人ではアドラーとかユンクとか。
他にもいますけど。

 

で、まあその詳しいことを知りたい人
はそういう本を読んでいただければ
思うんですが、そんな離れていった友
だちとか特に弟子たちは、ある意味
ロイトの学説の「いいとこどり」をし
て、自分の学説を展開していくことが
多かったわけですよね。

 

でも、その一方フロイトの業績の
なくなってしまった訳では全くな
わけですね。

 

なので、なんにつけてもいいとこどり
された人も別に悲観することもないん
じゃないか。いいとこどりされるって
ことは「いいとこ」があるんですから
なんて、思ったりしたわけです。

 

え? やっぱり何か皮肉っぽい?

 

そうかー……ま、いいか(いいのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また  ( ̄▽ ̄)

 

ファンタジーとしての○○本?

の前、YouTube 動画を色々
眺めてたんですが。

 

その中のある動画でビジネスの自己啓
発的な本について語っているところが
ありましてですね。

 

で、そこではそういうビジネス書は、
読めばできるわけじゃなくて、読むと
自分はそれができないことがわかる
めのものだ。なんて言ってるわけです。

 

で、さらには、そこに書かれている
キるビジネスパーソンの姿というのは、
ファンタジーなんだよ。なんてことも
言ってたんですね。

 

まあ、確かにそうだよなあ、なんて
うビジネスパーソンでもない私なんか
遠い目をして観てたんですが。

 

で、

 

ふと思ったのは、音楽の教則本なんて
のも、

 

ファンタジーとして読む

 

というのもあり、というかそういう風
に読む方が精神衛生上はよさそうかも
しれない。なんて思ったわけです。

 

課題として出来る出来ないで苦しんで
投げ出してしまうよりは、ファンタジ
ーとして楽しんで読み通す、なんて方
が結局良いのでは? なんてね。

 

YouTube でいっぱい流れている超絶技
巧の動画教則動画なんてのもファン
タジーとして見ると心穏やかに見られ
るかもしれませんね。

 

そうやって自分の本棚を見ると、ファ
ンタジー本結構一杯あるなあ、と思っ
たのではありました。この前少し売り
に出したんですけどね。

 

て、ことで、

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

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ワークとライフはグルーヴしているか?

楽に「グルーヴ」って言葉
がありまして。

 

なかなか説明の難しい言葉なんですが、
そのグルーヴ感を感じるために、一種
円運動と考える、なんていうやり方
があります。

 

たしかに、リズムを取るときに身体を
動かしているのは円運動といわれると
そうかな、とも思いますし。そもそも
音は波動ですからね。円運動
深い関係がありますし。

 

で、

 

話は突然変わるんですが、が昔から
あまり好きじゃない言葉「ワーク・
ライフ・バランス」というのがあるん
ですけど。

 

なぜ好きじゃないかというと、なんだ
「ワーク(仕事)」と「ライフ(人
生)」が別物みたいじゃないですか。
仕事は人生の一部じゃないの? と思
うわけですね。(会社勤め辞めちゃっ
た今となっては、ちょっとどうでもよ
くなってる感もありますが←こらこら)

 

バランスって言われるのも、なんだか
変な気がして、仕事は辛いけどそれ以
外の生活の部分でバランスとってね、
という風にも聞こえますよね。実際そ
ういう意図なのかは別にして。

 

まあ、「仕事=人生」みたいな人もい
ますけどね。それはそれで危ういと思
わないでもないですが。

 

そんなことを常々思っていたわけです
が、そうしたら、アメリカの某大企業
の元CEO似たようなことを言ってい
るのを見たんですよ。

 

ア〇ゾンの創業者のジェフ・ベゾス
なんですが。

 

あるインタビューで、「ワーク・ライ
フ・バランスについてよく聞かれるん
だけど、気持ちを萎えさせる言葉で好
きじゃない。まるで2つが相容れない
ものだと言ってるみたいで」というよ
うなことを言ってたんですね。

 

ベゾスさんが言うには、「(ワークと
ライフというのは)バランスというよ
円(運動)のようなものなんだそ
うです。つまりお互い行ったり来たり
するもの、ライフが充実していれば仕
事に行ってもエネルギーが出るし、仕
事が充実していれば家に帰ってもエネ
ルギーが出るんだと。

 

まあ、私的には至極まっとうな考え方
かなあと思うんですが。異論もあるか
もしれませんけどね。

 

ベゾスさん、そんなわけで(?)朝食
はしっかり家で家族と取るし、自分で
皿洗いをする時間をしっかり確保して
いるんだ、なんて語っていたんですが。

 

そしたらこの人、そのわりとすぐ後に
不倫がバレて巨額の慰謝料はらって離
しちゃいました。これだから金持
てやつは……ぶつぶつ。

 

で、まあそれはそういう話なんですけ
どね。だからアマ〇ンは素晴らしい、
買い物は何でも熱帯雨林でなんてこと
を言うつもりは別にないんですが。

 

ただ、

 

もう一つ、この「(バランスではなく
て)円運動ととらえる」というのは、
個人的にいいなーと思うわけなんです
よ。別に仕事とそれ以外の生活だけじ
ゃなくても良くて、たとえば音楽のよ
うな趣味の活動と日常生活でもいいん
じゃないでしょうかね。

 

別のところで、アラカン世代の居場所
の話をしましたが、いくつかの居場所
があって、それぞれが相互作用を生み
出していくと人生いいことがある気が
します。

 

結局、色んな相互作用が円運動のよう
に働いていて、それが折り重なってラ
イフというのが成り立つのが理想では
ないか。それが人生をかっこいい音楽
のようにグルーヴさせるのではないか、
なんてことを思ったりしております。
まじめか。

 

あなたのライフはグルーヴしてますか?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

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