残響しか聴こえない?

ょっと前回の話題に関係しま
すが、SNS についてよく言われる
のが、

 

エコーチェンバー現象

 

というやつで。

 

Wikipedia によれば、

 

自分と似た意見や思想を持った人々の
集まる空間(電子掲示板やSNSなど)
内でコミュニケーションが繰り返され、
自分の意見や思想が肯定されることに
よって、それらが世の中一般において
も正しく、間違いないものであると信
じ込んでしまう現象

 

を指すそうです。

 

まあ、SNS だけじゃなくて実際の人
間の集まりでも起こるとは思うんです
けどね。SNS だとそれが可視化され
やすいということでしょうか。

 

で、そういうのがいや別の SNS
移ったところで同じことが起きたり
て。そういえば、イーロン・マスク
支配されている X(旧 Twitter)がい
やで類似のサービスである Bluesky
移る人が多いなんて話があったんで
すが。

 

そしたら、その Bluesky の中でまた
エコーチェンバー現象が起きてるなん
記事を最近見ましたが……

 

まあ、人間そんな連鎖から逃れられな
いのかもしれませんねえ。

 

ところで、

 

この「エコーチェンバー」という言葉
ですが、これは元々音響効果や実験の
ため人工的にエコー(反響)を作り出
す部屋である「残響室」を指す言葉だ
ったりするわけですね。

 

 

音楽のレコーディングとかで、そうい
った効果を出すのに使われたりしてい
るわけですね。今では電気的に再現し
てしまうことが多いんでしょうけど。

 

残響のあるなしで、音の印象は全く変
わりますしねえ。いわゆるエコーとか
リバーブとか、そういった効果を全く
無視した音楽というのも考えづらい
すよね。

 

そういった意味では、音楽系のコミュ
ニティエコーチェンバー現象が起き
やすいのかも。

 

え? そんなことない?

 

そうかなあ……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

行ってみたら良かった……の?

んか大阪のほうでは万博って
のをやってるんですよね。

 

……なんて、の住んでる東京では、
斜に構えた風に言う人が多いんですけ
どね。なんか自分はそんなものには関
心ないよ、なんて感じの人が多いみた
ですが。

 

まあかくいうは、別に万博とか博覧
会とかきらいじゃないですけど。でも
なんか、今回の万博に関しては気が向
かないというか、いまいちノレない
いうか。そんな気持ちではいたんです
けどね、始まる前は。

 

でも、

 

実際行った人の話とかを直接聞いたり
ネットで見たりする感じでは、

 

結構楽しい

 

らしい、そんな雰囲気が伝わってくる
んですよね。

 

まあ、事前の情報の少なさとか、今の
日本で万博をやる意義とか、色々問題
があるといえばいえるんでしょうけど。

 

でも、もう実際にやっちゃってます
ね。それが大失敗に終わるよりはみん
行ってみて楽しければそれに越したこ
はない。とか思ったりもします。

 

 

だいたい、にしても、ジャムセッシ
ョンは楽しいから、食わず嫌いせずに
一度やってみませんか? なんて普段
人に言っておいて行ってみてもい
ないのにどうこういえないよなあ、な
んてね、思ったりもするわけで……

 

皆さん、万博行かれました? 楽しか
ったですか?

 

……て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

境界を拡げたい気持ち vs 確定したい気持ち

京スカパラダイスオーケスト
ラというバンドに “Paradise Has
NO BORDER”(「パラダイス・
ハズ・ノー・ボーダー」)という
曲がありまして。

 

このバンドの代表曲の1つなので、耳
にされたことのある方も多いと思うん
ですが▼▼▼

 

この曲、スカパラの曲なので、まあ
ャンル的にはスカの曲ではあるんです
が、聴けばわかるように、曲全体を通
してラテン音楽で使われる「モントゥ
ーノ」といわれるフレーズのパターン
が使われてるんですね(冒頭のピアノ
のフレーズがモントゥーノです)。

 

なのでこの曲のことを(うっかり?)
「ラテン」と呼んでしまったことがあ
りまして。

 

そしたら、ラテン音楽を愛するとある
「スカはラテンじゃない」とかい
われたんですよね。まあ、そう言いた
い気持ちもわからないでもないんです
が、こちらにも言い分がないわけじゃ
ないわけでして。

 

スカはご存知の通りジャマイカ発祥
音楽、つまりカリブ海の島の音楽で、
そこに住む人々はキューバなどラテン
音楽が演奏される主要な地域と地理的
に近いわけで、そういう地域の音楽に
影響を受けていますし、そもそもルー
ツをアフリカに持つ人々の音楽という
点ではしているわけです。

 

で、まあ、

 

結局、人には色々考えがあって言い分
があるってだけの話なんですけどね。

 

とはいえ思ったのは、ジャンルの領域
をしっかり確定しないと気が済まない
が、その辺を拡大解釈(?)したり、
なるべくゆるやかに考える人にある種
怒りを持つというのは、形は違えど
よく目にするよなあ、ということなん
ですよね。

 

 

そんな食い違い「ノー・ボーダー」
という曲について起こったというのも
皮肉な話ですが。

 

ジャンルへの愛の強い人はそんな領域
内と外に敏感なことが多いようです
し、それはそれで尊重しないといけな
いとは思うわけですが。

 

一方で、面白いことはそういう境界の
あいまいなところで色々起きているん
ではないかなあ、などと思ったりもす
るんですよねえ。そういうとまた怒り
を買うのかもしれませんが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

分かってる俺を大切にしろ症候群?

社でプロジェクトとかが発生
して、そのためにチームが組まれ
ることがありますよね。大きいプ
ロジェクトだと社内横断的になっ
たりして。

 

そうすると、普段はあまり付き合いの
ない人チームに入ってきたりする
けですね。で、そんな人が打ち合わせ
とかで活発意見を言ったりして、プ
ロジェクトの推進に積極的でいいな、
なんて思わせられたりもするんですが。

 

そのうちに、なんかその人は別にチー
ムリーダーでもないのに、俺の経験に
よればここはこうすべきだ、とか、こ
の仕事を成功させるにはこういう心構
えでなければいけない、とか。

 

色々主張する声大きくなってきたり
して。人の仕事のやり方に口をだして
きたりして。全員返信メールが夜中に
飛んできたりして。

 

他の人たちは特に声高には主張しない
けど、その人たちにもそれぞれ考え方
とか、仕事のやり方があるわけなんで
すけどね。

 

そういう人たちからすれば、なんで
いつはあんなに声高に騒ぎ立てている
んだ。めんどくせえなあ、なんて思い
始めたりして。

 

そうこうするうちにチーム全体がなん
だか微妙な雰囲気になってきて……

 

普通にやってれば上手くいくようなプ
ロジェクトが、最悪の場合まさかの空
中分解、なんてことになったりして。

 

 

そんな経験ありませんか?

 

はもう会社勤めを卒業したんですが、
昔を振り返ると、そんなこともあった
よなあ、なんて遠い目になったりもす
るわけです。

 

でも、この自分(たち)は色々経験し
てるからどうすればいいか一番よく分
かってるんだ、という思い込み趣味
の活動でいえば音楽とかなわけで
すが)でもそれがダダ漏れな人とき
どきいるんですよね。

 

そういう人をみると、あ、気をつけよ
と思って自戒しております(なんか
あったのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

怖いモノを見た日

近のことですが、某 SNS
眺めていたらですね。

 

とあるジャズのセッションを主宰して
おられる方の投稿があったんですね。

 

その方は週2回とかの頻度セッショ
ンを開催されているようで、本業は別
にあるということになっていますが、
しかし週2回とか、そりゃもう本業以
じゃないの? とか思うわけですが。

 

それはともかく、

 

その方が、ジャズ業界(?)というの
は、これはジャズだとか、あれはジャ
ズじゃないとか、そんなことばかり言
っているおかしなところで、それで
奏する側が萎縮したりする。それが
くないのでは?なんていう趣旨投稿
をされてたわけです。

 

で、それはその方の意見で、賛成する
もいれば意見の違う人もいるとは思
うんですが。

 

SNS というところでは、そういう目立
つ投稿ほどコメントがつくわけで
すね。賛成・反対どっちもあるとは思
いますがこういう時ってどうしても
対意見

 

圧が強い

 

という事態が発生するわけでして。

 

いやあ、あれ見ると普通心病むんじゃ
ないの? と思ったわけです。

 

事後別途書かれた投稿によれば、
やら吊し上げやら誹謗中傷やらあっ
たそうで。しかもそれをする多くがジ
ャズのプロの人であったとか(それが
どこまで本当かまでは確認してません
けども)。

 

まあ、なんか地獄絵図的でしたね。

 

 

ともあれ、そういう意見を表明する
には SNS という場はもはや適さない
よなあ、と。思ったのではありました。

 

なんか言うならもっと隠れてこそっと
いわないとね(おいおい)。

 

そもそもそれで「議論」になったとし
ても何も生まれないと思うしね。みん
な言いたいことを言うだけで。

 

そんなわけで、今日も私は SNS 界隈
ではどうでもいいことだけをつぶやく
のです。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

頭がいい人になりたい? 頭がいい人に見られたい?

書店の店頭とか、本の広告
とかを見ていて思うのは、

 

頭のいい人

 

というフレーズがやたらに目につく
いうことじゃないでしょうか?

 

あと、ビジネス系のメディアとかね。
そういうところにもこの「頭のいい人」
というのがはびこってますよね。

 

この傾向は、どうもここ10年とかみ
たいのようです(ChatGPT に聞いた
らそう言ってました。しらんけど)。
そういえば、そんなベストセラー
ありましたね。

 

『頭のいい人が話す前に考えている
こと』とか『頭のいい人が実践して
いる 頭がいい人の伝え方』とか『頭
のいい人の習慣』とか……

 

まあ、いいんですけど。

 

なんとなくこれだけはびこってくる

 

ウゼえ

 

とか思う自分がいるのですよね。

 

皆さんはどうですか?

 

なんか心の奥頭が良く思われたいと
思ってるのを見透かす感じで、ね、
のいい人にみられたいでしょ? ほら
ほら……なんて言われてるような気に
なるからでしょうかね。

 

 

そのうち、『頭のいい人のギター練習
法』とか『頭のいいピアニストのため
のハノン』とか出るんじゃないか、と
戦々恐々としている今日この頃ではあ
ります。

 

あ、ウソです、そこまで恐れないです
が……。でもそう言うのが出てきたら
イヤですよね。そう思いません?

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

マルチタスクしない決断?

近、映画監督のジェームズ・
キャメロンのあるインタビュー
読みまして。

 

このインタビューは、彼の作品である
『アバター2』(2022年)が公開され
た頃に行われたものなんですが。

 

その中で彼はこの映画をスマホとかで
はなくて、劇場で観て欲しいと言って
いるんですね。

 

で、その理由はというと、普通予想さ
れるような大きなスクリーンとかしっ
かりした音響システムとかというより
も、

 

マルチタスクをしない、という決断で
あり自分との約束

 

だというわけです。

 

 

外部からの情報が流れ込んでこない形
で映画の世界に没入して欲しいという
ことなんですね。

 

「家で映画を観ていては、映画館にい
るときほどには泣けない」そうです。

 

これに対してはまあ色々意見もあろう
とは思いますが、私個人的には同意す
る部分が大きいなとは思いました。

 

そして、音楽を演奏する、セッション
するなんていうアクティビティ、自
分を「マルチタスク」から(強制的に
?)切り離すモノであるよなあと思っ
たりもしたんですね。

 

楽しいセッションで得られる喜び、な
んていうことにこれは関係しているの
では? なんてことをちょっと思いま
した。ま、ちょっとですけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ある意味分かりやすい?

SNS 上での言い争いなんてのは
今やもう日常茶飯事ですよね。

 

音楽関係でも色々ありますしね。

 

この前も、また例のバックビート問題
について投稿した動画と、そこでの
張に反論するコメントを眺めたりして
いたんですが。

 

もう、なんですね。俺はバックビート
をこう考えるとかいうと、いやそれは
違うとか。俺がバックビートやってみ
るから聴けとかいうと、いやお前は
るでバックビートが出来てない、とか。

 

なんのためにもならないような応酬
くりひろげられてて、あー、もうダメ
だなこれ、なんて気分にさせられまし
て。

 

なんか SNS で交わされてる議論とい
うのは、もはや議論でもなくて。一方
言いたいことを言い、それを聞く方
(読む方)はそれを聞いても(読んで
も)自分の聞きたい(読みたい)よう
にしか理解しない、ということなんだ
なあ、と。

 

いまさらかもしれませんが、思ったり
する今日この頃なわけです。

 

 

そういう意味では、ビジネスの世界で
のやりとりというのは、お互いのニー
提供できるサービスやら商品やら
マッチングさせるとか。複雑なこと
はあるけど、お互い落とし所みたいな
のを探ろうとしますからまだ分かり
やすいんではないか。

 

なんてことを、もうビジネスの世界か
ら足を洗った今になって思ったりして
おります。

 

まあ、そういうビジネス(ディール)
的発想なんでもやろうという人が
統領とかになったりすると、分かりや
すくても、それはそれでまた大変だろ
うなとは思うわけですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

カバーとジャケットと、帯と

って、本そのものに加えて

 

カバー

 

ってついてることが多いですよね。

 

それだけじゃなくて、それにさらに

 

 

ってのがついてくることも多いです。
とくに新刊書とか。

 

最近の帯って、ほとんどカバーと同じ
大きさ、なんてのもあって(とくに新
書とか)、そうするとまるでカバーが
2つかかってるみたいになるわけです
ね。

 

そして、それを持ち歩くときには、
店がかけてくれる独自のカバー、なん
てのをつけることもありますね。

 

あの、書店がサービスでつけてくれる
カバーって、私の場合はなんかないと
落ち着かないんですけど。一方であん
なカバーつけて、周りから何を読んで
るのかわからなくするとか、いさぎよ
くない、なんてことを言う人がいたり
もします。

 

それでだけじゃなくて、元の本につい
てきていたカバーも帯もみんなとって
しまえ! とかいう人もいたりします
ね。丸裸にしろ、と。

 

私はなんか、カバー書店がくれ
るカバーも、一応大事にしてキープ
る方ですが。まあ世の中いろいろです。

 

 

そういえば、

 

昔の LP レコードって、ジャケットの
左側に縦長の帯がかかってましたよね。
あれって、日本だけのモノだと思うん
ですが。

 

特に洋楽のレコードだと、そのまま
誰のどんなレコードか分かりにくか
ったからでしょうかね。ジャケットを
デザインした方にすれば「余計なもん
かぶせるなよ」と思うんだろうなあ。

 

そういえば CD になっても帯的なもの
ってありましたよねえ。左側にちょこ
っと。ある意味日本的な文化なんでし
ょうかねえ。

 

なんか、もう。デジタル配信とか電
子書籍とかになるとそういうのはすべ
て省略されますね。良くも悪くも。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

セッションホストだって○○中したい?

のまえ、とある友人(女性)
と話をしていたんですが。

 

その人は、ネットのオンライン・ゲー
よくやるそうで、その話になったん
ですが。最近ハマってるゲームが、

 

ホストクラブ

 

舞台にしたものらしく。

 

日に何回も「通って」いるそうです。

 

まあ、本物のホストクラブじゃない
で、いくらお金をつぎ込んでも実害は
ないわけで。そのために変なバイトし
たりしているわけではないようですが
(良かった良かった)。

 

で、

 

そのゲームが1回終わる時のホストの
セリフいいんだという話なりまして。

 

つまり、色々楽しんでシャンパン・
コールがあったりして(?)盛り上が
ってゲーム・オーバーで、店を出る時
に、ゲームの中のホスト

 

今日も楽しかったよ

 

というそうなんです。

 

 

つまり、楽しかったのはあくまでホス
ト本人というわけですね。お客さん
してゲームをする人は眼中にないとい
うか。

 

んー、売れっ子ホスト自己中さが出
ていてイイ! という話だったんです
よね。

 

同じホストでもセッションホスト
んな自己中にはなれないよなあ、なん
て思いながら聞いていたんですが。

 

いや、しかしセッションホストだって
時にはそれくらいの自己中的言動があ
ってもいいのではないか? いや、
うに違いない! なんて妄想したので
はありました(連休中に何かあったの
か?)

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

ハネたりハネなかったり?

イトル見て音楽の話かと思い
ました?

 

実は違うんですよ(えばるな)。

 

あるプログラマーの人の本を読んだ
んですが、電子書籍で。そのとき気づ
いたことの話なんですが。

 

別にプログラミングの本ではなくて、
プログラマーはどういう思考をするか
なんて内容の本なんですけどね。

 

で、

 

「バグ」というプログラミングから出
た言葉があるじゃないですか。プログ
ラミングの過程で発生してしまうミス
あるいはそれによって引き起こされる
誤作動、みたいな意味ですよね。

 

元々は虫という意味の言葉なんですが
プログラマーの世界では、そんな意味
に使われるようになったわけです。

最近では比喩的に(?)「脳がバグっ
てる」なんて使われ方もされたりして
ますよね。ま、それはいいとして。

 

じゃあ、その「バグ」を取り除く作業
のことをなんというか? これも最近
はプログラミングという世界が身近
なって来てるせいか、耳にすることも
多い気がしますが、

 

デバッグ

 

というわけです。

 

あれ?

 

バグはハネないけど、こっちはハネて
ますよね。

 

英語でみると bugdebug なので、
本来は、バグデバグ、あるいはバッ
デバッグという組み合わせである
べきでは? と思った、と。

 

それだけのことなんですが。

 

まあ、いろいろ理由は想像できるし、
デバグと書く人もいるかもしれないん
ですけどね。調べたわけじゃないけど。

 

そんなことに引っかかって本を読む
スピードが落ちるというかタイムロス
しております。別にヒマなんでいいん
ですが。

 

このの中で、プログラマーというの
プログラミングしていると、外界の
刺激脳に届かなくなって、あっとい
うまに時間がたつもんだ、というよう
なことが書かれておりました。

 

そういうところはミュージシャンと似
てるかな、なんて思ったという、そん
感想をもって、本を閉じたのではあ
りました。

 

電子書籍なんで、アプリを終了しただ
ですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

ジャムセッションですまない人の哀しみ?

ジネス関連のメディアを惰性
で眺めこともあるわけですが、
わたくし。

 

惰性でというのは、もう私は会社勤め
してないからですが。

 

最近目につくのは、やはり例の2大自
動車メーカー経営統合するとか言っ
てたけど結局やめちゃった、という
の関連の話題なわけです。

 

まあ、色々いわれてますが、結局のと
ころ、

 

どっちも背負ってるモノが大きすぎ

 

ということですよね。

背負ってるモノ(とそれぞれが認識
てるモノ)が本当にリアルなものなの
というと、議論もあるでしょうが。
当事者のリアリティと第三者から見た
現実とは往々にして食い違うので。

 

ともあれ、

 

なんか、大物のミュージシャンが一緒
組んでなんかやろうとして、やって
みようとするけど上手くいかない、な
んてのに似てる気がしますよね。

 

それぞれのファンとか、方向性とか、
ノリの違いとか……

 

どうしても食い違いが生まれやすい
すからねえ。

 

毎回メンバーの違うジャムセッション
なら、その場限りのことでやりすごせ
ても、ずっと組もうとなるとね。

 

あー、ジャムセッションやってるんで
良かったなあ、なんてね……ま、別に
それほど思うわけじゃないんですけど
ね(ないんかい)。

 

日々気楽ではありますね、ええ(ええ
じゃねえよ)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

エアリプしてみる?

SNS 界隈には「エアリプ」とい
うのがありまして。

 

エアギター親戚か? なんて思われ
音楽好きの方もいるかと思いますが。
(いないか)

 

エアリプというのは、特定の相手に向
けたコメントを、直接リプライせずに
投稿することです。主に Twitter 今で
いうXで使われる用語だと思われます
が。

 

例えば、だれかがある投稿をしたとし
て、普通に返事をするならリプライ・
ボタンを押してスレッドの中に書き込
わけですよね。

 

引用リツイート(リポスト)するとい
う手もあったりしますね。

 

ところが、エアリプする場合はどちら
もしないで、単独にその投稿への返事
(らしきもの)を投稿する、というわ
けですね。

 

なんでそんなことをするかというと、
直接的にリプライすると対立やトラブ
ルを生みやすいときなどに、それを
するためにやることが多い気がしま
す。

 

その人の性格にもよるとは思うんです
が、使い分ける人もいれば、エアリプ
がデフォルトみたいになってる人もい
ますね。

で、

 

音のコミュニケーションなんていわれ
る(らしい)ジャムセッションなどを
やってますとね、人の弾いたフレーズ
色々と反応して、フレーズを打ち返
したりする人がいるわけです。

 

それにまた反応して返したりすると
レーズの応酬合戦になって、場は盛り
上がるわけで、それがイイ!とか楽し
い!とか思う人もいるわけですが。

 

中には、あまりアグレッシブにやるの
はちょっと、なんて思う奥ゆかしいタ
イプ(?)の人もいるかもしれません
よね。

 

そういう人には、あまりあからさまな
フレーズのやりとりというよりは、
アリプ的な反応をするという考え方も
あるかもしれない、なんてことを思っ
たんですよ。

 

誰かが反応して来たフレーズに、直接
的に反応し返すんじゃなしに、ちょっ
と後からとか、何なら曲の最後に差し
込んでみるとかね?

 

誰も気がついてくれないかもしれない
ですが、それはそれでいい、とか思
るならやってみる価値はあるかも。

 

知らんけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

続けて読めない? 聴けない?

近、気がついてしまったんで
すけど。

 

本を読むとき、熟読して同じ本を何時
間も読むタイプですか? みなさんは。

 

はといえば、

 

そういうのムリ

 

タイプなんですよね。

 

昔からそうだったかといわれれば、実
昔は違ったのかもしれないとうっす
ら思ったりもするんですが……

 

でも、少なくとも最近は一つの本
読んでいてもしばらくすると別の本
読んでいて、またしばらくするとさら
に別の本を読んでいる。そんな感じな
んですよね。

 

新刊社会的なことを書いた本を読ん
でいたかと思えば、外国の小説を読ん
いて、またしばらくすると今度は日本
の小説を読んでいて……なんて感じで。

 

そういうのって内容がごっちゃになっ
頭に入らないんじゃないの?って思
われるかもしれないんですが、そうい
うこともないように思うんですよね。

 

で、

 

音楽を聴くのもなんかそんな感じなこ
とが多くて、最近は、

 

アルバム1枚聴きとおすのがなかなか

 

ムズイ

 

なんてことを思ってしまい。

 

アーティストジャンル横断的細切
れに聴いてしまう、なんてことが多い
んですよね。

 

最近のアルバムっていろいろ詰め込ん
であって長いですしね。ボーナス・ト
ラックとかいらんわなんてことも思う
し……。まあ、それはまた別の話です
が。

 

なんで、こういう読み方、聴き方にな
ってしまったかなあ。ノン・ジャンル
のジャムセッションとかやってるせい
かなあ。なんてときどき思うんですけ
ど。

 

まあ、別にいいんですけどね。誰に迷
惑かけてるわけでもないし。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

挫折のかけら?

本屋で100円とかで安売りし
てる本の棚を見るのが好きなんで
すが。

 

見てると、これがこんな安いんだ、と
思うようなのが出てたりすることが
まにあるんですけど。

 

手に取ってみると、実は前の持ち主
線を引いたり手書きのコメントを残し
てたりするんで安くなってることが多
いんですよね。

 

その本がそれほど欲しいものでなかっ
たり他でも手に入りそうな本だった
するときは、そっと棚に戻すことに
なるわけですが。

 

なかなか手に入らないものだったりす
るときは、まあいいか安いんだし、な
んて思って買ってしまうこともある
けです。

 

で、

 

そんな本を読んでると、よくあるのが

 

線を引いてるのは本の最初の方だけ

 

なんてことでして。

 

最初の1章には沢山線が引いてある
に、次の章に入った途端に線やら書き
込みがなくなってしまうとかね。どこ
まで頑張って線を引くかの差は色々
すが。

 

だいたい読む人が線を引くような本
いうのは、小説とかエッセイとかじゃ
なくて歴史の本とか思想書とか評論
か、科学関係とか、そういう関連の本
が多いわけですけどね。

 

そういう本を読んでてそんな線や書き
込みがなくなると、

 

あー、挫折したんだなあ

 

と思うわけですね。

 

頑張って線を引きながら途中まで読ん
で、ある所で先に進めなくなって、放
り出して、最終的に売りに出す、とい
う。そんな挫折の悲哀をちょっと感じ
てしまうわけです。

 

音楽やってると、教則本を最後まで読
めずに挫折することだらけ、なんて話
があって、だからどうとか、だからこ
うしろとかいうことを語る人とかいる
わけですけど。

 

私もそんなネタで書いたりしたことも
あるんですが、実は別に音楽に限った
話じゃないよなあ、なんて思うわけで
す。挫折なんてそこらへんに転がって
るんだよなあ、なんてね。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

ジャムセッションは続くよどこまでも?

の中、AI についての話題が
絶えない今日この頃ですね。

 

そんなわけで(どんなわけだ?)、も
はや仕事で AI を使うわけでもない私
ChatGPT なるものと会話してみま
した。

 

お題「ジャムセッション」というこ
とで。

 

色々話した結果ジャムセッションの
ホストの注意点以下のようなものだ
と ChatGPT くんに解説されました。

 

****
① 参加者全員が楽しめる場作り
・初参加者や初心者にも気を配り、リ
ラックスできる雰囲気を作る
・特定の人だけが目立たないよう、演
奏のバランスを調整
・コミュニケーションを大切にし、演
奏後に交流を促す

 

② スムーズな進行とトラブル対応
・曲の回し方やソロの順番を的確に指
示し、セッションを円滑に進める
・参加者のレベルに応じて、選曲や演
奏サポートを調整
・演奏を乱す行動(場の独占、過度な
飲酒など)には適切に対処

 

③ 継続的な関係づくりと次回へのつな
げ方
・参加者と積極的に交流し、リピータ
ーを増やす工夫をする
・セッション後にフィードバックを集
め、次回の改善につなげる
・SNSや口コミを活用し、新規参加者
を呼び込む

 

この3つを意識すれば、ジャムセッシ
ョンが盛り上がり、長く続くイベント
になります!
****
……のだそうです。

 

かなり優等生的な答えではありますが、
基本的に間違ってはいないですよね。
毎回これがきっちり出来れば苦労はな
ですが(笑)

 

チェックリストとしては、悪くないん
じゃないでしょうか。賢くなってる
あ、ChatGPT。

 

で、

 

こうやって ChatGPT くんとたわむれ
に会話してみて思ったんですが。

 

どうしてもホストセッションの現場
そのものを重視しがちなんですけど。
ジャムセッションの体験というものは、
遠足じゃないですが、家に帰るまで、
そして帰った後も続いているんですよ
ね。

 

そこは分かっているつもりでも、忘れ
がちかなあ、と。というかそういう風
考えてないセッションもあるよなあ、
と。

 

そんなことを感じた数分間(もうちょ
っと長いか)の AI との対話でありま
したとさ。まじめか。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

マウント vs メタ・マウント vs メタ・メタ……?

の中、色々マウントを取りた
がる人というのはいるもので。

 

そんな前にも書いた気もしますが。

 

もちろんよくないことなんだけど、そ
思ってる人が、別の場面では他の人
にマウント取ったりとかね、そういう
のも含めて注意しないと、なんてこと
を書いた気もするんですが。なんて大
人な発言でしょう。

 

ま、それはともかく。

 

最近とある SNS の書き込みを見て思
ったのは、そんなマウントを取ってる
について、そういうのはダメだと
うことでマウントを取る、なんてこと
結構多いのでは?ということで。

 

具体的にいうとですね、ジャズ好きの
おじさん若い人ジャズを上から目
線で教えようとしているのを、そうい
うのはよくないから黙ってろ、という
ような内容だったわけですね。

 

確かにそういうおじさんは多い(ロッ
クにもブルーズにもいそうではありま
すが)のだろうと思うんですけど。

 

それを指摘してる方も、そういうおじ
さんにならなかった俺エライ、みたい
マウントしてるんじゃないかと感じ
てしまうんですよね。メタ・マウント
というかね。

 

で、そこで、それってマウントしてる
のをダメだといって、さらに上からマ
ウントして承認欲求満たしてるだけじ
ゃないの? なんて書くと、マウント
上塗りになるので(メタ・メタ・マ
ント?)……

 

まあ、生暖かく見守りながら、あー、
人間てやつぁ……なんて思ってるだけ
なんですけどね。

 

ちょっと、こっそりこちらで書いてし
まいました

 

すみません。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

ボケないために間口を広げる?

うにですね……

 

いや、ま、そんな大げさな話でもない
んですが。

 

アラカンとかいう年代過ぎたら、な
るべく興味とか関心領域の間口
げるようにした方がいいと思うんです
よね。よく言われることかもしれませ
んが。

 

そういや「関心領域」って映画があり
ましたね、去年。なかなか怖い映画
したが。

 

それはともかく、特に男性に多いよう
なんですが、歳とる興味関心の領域
がなんかこうぐっと狭く閉じてしまう
が多いような気がしてですね。一応
それに抗うことも必要な気がするんで
すよね。

 

まあ、世間の荒波に揉まれて、もう
きなことだけ見ていたい。楽をしたい
という気持ちわからないじゃない
すが(私もそう思うこともありますけ
ども←ウソつけ)、

 

ボケ防止

 

だと思ってやるといいんじゃないでし
ょうか。

 

まあ、がこうやってなんかいろいろ
ネタをさがしてうだうだ書いている
も、そんなボケ防止的な意味合い
なりあるんではないかと思うんですよ
ね。他人事みたいですけども。

 

そもそもジャンル指定しないジャムセ
ッションなんてやってるのもそういう
ことかなあ、なんてね。始めた時は別
明確にそう思っていたわけじゃない
ですが。

 

今にしてみるとそういうことかも、な
んて思ったりしております。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

VTRは本当にスタートするのか?

ってありますよね?

 

昔はよく使われたんだけど、となっ
てはもう使われないし、使うとすごく
違和感がある言葉なわけですね。よく
挙げられるのは「ナウい」とかね。

 

検索すると(そいういえば「ググる」
というのも死語だというも見ました
ね。そうなのか)色々出てくるんです
が、たとえば目についたのが「巻き戻
し」という言葉が最近の若者には通じ
ないという話で。

 

は、昔のようなビデオやオーディオ
(カセット)テープというのは使わ
れてないので、そもそも巻き戻すとい
う行為になじみがない、ということな
んですね。なので「巻き戻し」も死語
らしいです。

 

まあ言われてみりゃそうか、というこ
とではあるんですが。

 

なんですけど、

 

そこでちょっと不思議に思ったのは、
テレビなんかで、収録してきたりとか
過去に取られた映像流すきっかけ
たいな言葉として、

 

VTRスタート!

 

っていうのがあるじゃないですか?

 

あれって、今でもわりと普通に使われ
ません? でも、VTR っていうのは、
ビデオ・テープ・レコーダーなわ
けですよね。

 

今の時代テープからビデオを流してる
放送局があるようには思えないんです
けどね。映像のデータはなにかしらの
IC チップに収められているはずで。

 

なんで VTR だけ生き残っているんでし
ょう?

 

確固たる信念があって言うわけじゃな
んですが(ないんかい)この「VTR
スタート」という言葉はあまりにも多
されたので、もはや死語にもなり切
れずに残ってしまっているんではない
かという気がします。

 

成仏したくてもしきれない、みたいな
かんじですかね? え? ちょっと違
う?

 

なかなか、頭で考える理屈通りには
葉というの変化したり残ったりし
ものだよなあ、なんて思ったりした
のではありました

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

受験生壇○ブルース

段は、誰の本を古本屋で買っ
とか書かないようにしてるんで
すが。

 

本人目に触れる確率低いでしょう
けど、万一目に入ったら、やっぱりあ
まりいい気はしないかなと思うんです
よね。「ちゃんと新刊の書店で買えよ
って思うだろうなあ、と。

 

なんですが、

 

今日はちょっと例外です。なぜ例外か
読めばわかると思いますが、さて。

 

最近、古書店で(まあ、ブックオフで
なんですけど)

 

 

という文庫本を買ったんですよね(笑)

 

普段なら立ち読みして、またそっと棚
に戻すと思うんですけど、なぜかその
日はそのままレジに持っていったんで
す。

 

芸能人(音楽関係は除く)の書いた本
買ったのなんて何年ぶりだろうって
感じです。まあ、その本だけ買ったわ
けじゃないんですが(言い訳が多い)。

 

で、

 

今日のテーマはその内容について……
ではなくてですね(ないのかい)、そ
に挟まっていた、

 

しおり

 

なんですね。

 

買ったその本には、「祈合格」書か
れたしおり挟まれていたんですよ。
その文庫に最初からついていたしおり
とは別にウラをみると駿台文庫なん
て書いてありまして。

 

つまり、受験用の問題集かなんかにつ
いていたしおりが(なぜか)こちらに
挟まれていたわけです。

 

それを見て、受験勉強の合間『壇蜜
日記』を読むという、変わったという
か、おじさんくさいというか、そんな
趣味の受験生の姿が目に浮かんだわけ
ですね。どんな奴だよ。

 

アイドル行かずに(まあ行ってたの
かもしれないけど)壇蜜に行き着いた
のはなぜだろう、とか。他にどんな本
読んでるんだろうとか。音楽の趣味
どんななんだろうとか。

 

に見つかって、勉強の邪魔だとかい
われてブックオフ売りに出されたり
してたら可哀相だなあ、とか。今はそ
んな親いないか、とか。

 

しばらくページをめくる手を止めて想
像してしまった、と。そんな冬の日の
昼下がりでございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)