その練習に○○は想定されているか?

ー、またまた練習のお話で
すが。

 

聞いた事のある方も多いかもしれませ
んが、「誰もいない森の中で木が倒れ
たとして、その時はたして音はするの
だろうか?」という禅問答にでてくる
ような問題がありまして。

 

私が初めて知ったのはその昔、何十年
も前に、SF短編小説の名手といわれた
フレドリック・ブラウンという人の小
説だったと思います。小説の筋は全く
忘れてしまったんですが、この部分だ
けは覚えてるんですね。

 

で、なんでそんな事を思い出したかと
いうと、「たった1人で楽器の練習を
しているとき、果たしてそこに音楽は
あるのだろうか?」なんてことをふと
考えてしまったからなんですね。夕方
疲れて仕事に集中できないときにこん
な妙なことが頭に浮かんだりしません
か?え、しない?

 

そりゃ誰が聴いていようがいまいが弾
く人間が聴いてるんだから音楽だろう
って?そう、確かにその通りかもしれ
ません。

なんですが、ここで音楽ジャムセッ
ションに代表されるような、プレイヤ
ー同志やプレイヤーとオーディエンス
の「コミュニケーション」を前提とし
たものであるとしましょう。その前提
に立てば、音楽的に確かな意味がある
かどうかの基準は、たった1人で練習
しているとしても、「反応を想定して
いる」かどうかではないかと思うので
すね。

 

他のプレイヤーの演奏に対してどう反
応するか、他のプレイヤー、そして
ーディエンス反応を引き出すにはど
うしたらよいか。そんな想定をして練
習をしているか。その想定のあるなし
が、少なくともセッション的、ライブ
的な視点からは、1人練習が音楽的に
意味がある
ものになるポイントなのか
も、なんて事を思ったのでした。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

 

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