「異形のもの」としてのセッション?

ャム・セッションとかしてる
とですね……

 

完璧な演奏というのは、まずありえな
わけです。絶対ないとは言いません
けど。たいてい、なんかしらちょっと
不完全な部分は残るわけですね。

 

完璧な作品を残したい、という
れが嫌とか思うかもしれないんですが。
なんかは、そこがいい! とか思っ
てしまうほうで。

 

そういう人間らしいというか、ギクシ
ャク感があったり、やらかし感があっ
たりしたほうが面白い、とか感じるの
ですよね。

 

それが特にちょっと冒険してみようか
とか考えた末のやらかしであったりす
るのであれば、なお良いのではないか
とか思うわけです。

 

テヘペロ上等って感じですかね。

 

にいうと、そんなセッション的「異
形のもの」的感覚をできたら積極的に
色々導入したい、と考えたりもするわ
けでして。

 

だから、事前練習ありの、コラボして
レコーディングとか、言ってしまえば
ライブの演奏とかでも、そういうセッ
ション感を逆に持ち込みたいなあ、な
どと考えてしまう方でもあります。

 

まあ、音楽に限らない、私の個人的趣
といえば、そうなんでしょうけどね。
だからそんなのに付き合いたくない、
という人がいてもそりゃそうかな、と
思うわけですが。

 

みなさんは、いかがですか?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

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