時間はだいだい「上げ底」である?

つもやっているセッション
有志メンバーよる八王子のお寺
さんでの演奏無事終了しました。

 

その詳しいお話はまた別途できたらい
いなと思いますが。

 

台風の影響、より正確にいうと台風が
衰えて低気圧になり、その低気圧の影
で、演奏当日関東地方は一日雨模
でした。

 

で、事前にも書きましたが、晴れの場
ご本堂前の屋外で演奏する予定だ
ったのが、本堂のでの演奏に変更
なったんですね。

 

そのため、他の出演の方々との時間の
調整がタイトになりまして、予定して
いた曲数を減らして対応することにな
ったんですね。

 

具体的には1曲減らさざるをえなかっ
んですが。

 

考えてみると、時間というものは、
縮性の極端に低いモノ(?)なので、
決められた時間の中になにかを収めよ
とすれば、多すぎたら中身を削るし
かないんですよね。

 

練習スタジオ2時間押さえたとして
正味2時間きっちり練習ができるわ
けじゃないですしね。終了10分前には
追い出しのランプが光ったりしますし。

 

入室しても、楽器のセッティングなん
かがありますしね。

 

2時間タイム・スロットがあるとい
われても、実質1時間何十分しか
来の目的には使えないわけです。常に
「上げ底」状態というか。

 

そんなことを、某コンビニの社長
品の上げ底疑惑についてコメントした
のが炎上してるというを聞いたら思
ってしまった、なんてことなんですが。

 

で、さて、

 

実は今回の演奏もう1曲削らなきゃ
いけないかも、と思っていたんですが、
お寺のご住職の一声で、終わりの時間
を(少し)引き伸ばしていただいて、
削らずに演奏できたんですね。

 

ま、最後は人間力ですかね(笑)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

進歩・改良しようするとアレも増える?

こそこ好評なのを、もっと良
くしたいと思うのは普通によくあ
ることで。

 

その第一歩を踏み出して、それがまた
好評だったりすると、さらに意見を聞
いて改良していこうと思ったりして。

 

それで、さらに改良して、かなり大好
なんてことになったりすると、一定
の地位を得たりして。自信もつくわけ
ですけど。

 

そうすると、その一方

 

アンチ

 

というか、いや改良の方向はそうじゃ
ないだろ、とか言う人も増えてきて。
こうしてほしいとか、いやああしてほ
しいとか、言う人もでてきて。

 

で、そんなアンチな(というか方向性
の違う意見もだんだん耳につくよう
になったりして。陣営(?)が別れた
してね。

 

今は SNS なんてものもあるので、そ
こで色々バトル(?)がおきたりして。

 

まあ、大変だなあ、と。とある人気
ンビニ商品についてのやりとりを見て
思ったりしたんですが。

 

……

 

どこかのミュージシャンの話とか、ど
こかの選挙の候補者の話だと思いまし
た?

 

そういや似てますね。まあ、おんなじ
ようなもんか(こらこら)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

「異形のもの」としてのセッション?

ャム・セッションとかしてる
とですね……

 

完璧な演奏というのは、まずありえな
わけです。絶対ないとは言いません
けど。たいてい、なんかしらちょっと
不完全な部分は残るわけですね。

 

完璧な作品を残したい、という
れが嫌とか思うかもしれないんですが。
なんかは、そこがいい! とか思っ
てしまうほうで。

 

そういう人間らしいというか、ギクシ
ャク感があったり、やらかし感があっ
たりしたほうが面白い、とか感じるの
ですよね。

 

それが特にちょっと冒険してみようか
とか考えた末のやらかしであったりす
るのであれば、なお良いのではないか
とか思うわけです。

 

テヘペロ上等って感じですかね。

 

にいうと、そんなセッション的「異
形のもの」的感覚をできたら積極的に
色々導入したい、と考えたりもするわ
けでして。

 

だから、事前練習ありの、コラボして
レコーディングとか、言ってしまえば
ライブの演奏とかでも、そういうセッ
ション感を逆に持ち込みたいなあ、な
どと考えてしまう方でもあります。

 

まあ、音楽に限らない、私の個人的趣
といえば、そうなんでしょうけどね。
だからそんなのに付き合いたくない、
という人がいてもそりゃそうかな、と
思うわけですが。

 

みなさんは、いかがですか?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

バンドマンという「夢追い」?

の前、「バンドマン」という
言葉について書きましたが。

 

そんなことを書いていると、セレンデ
ィピティというかなんというか、こん
な本のことが目に入ってくるものでし
て▼▼▼

 

「夢と生きる バンドマンの社会学」
という書名でもわかるように、学術系
研究者の方の書いた本でして。博士
論文をもとに書籍化したようで、最初
導入部分などは特にとっつきにくい
印象をもつ人もいるようですが。

 

でも、具体的な中身は実際に活動して
いる(していた)バンドマンへのイン
タビューを元に書かれているので、結
構一気に読めてしまいます。

 

そんなインタビューを通して、バンド
活動という「夢追い」スタートするき
っかけや、活動を維持するための要因
そして夢を諦めるに至るプロセスなど
が語られています。

 

著者によれば、バンド活動という夢を
追う若者に影響を与えるのは、彼らの
属する「若者文化」を中心に、「教育」
「家庭」「労働」という領域があると
いうことでした。

 

例えばバンドへの入り口になるのは、
「教育」現場である学校軽音などの
サークル文化祭の影響が大きいわけ
ですね。

 

他にも「ライブハウス共同体」という
「若者文化」とか、フリーターという
「労働」のあり方バンド活動の維持
には重要な役割を果たしているとか。

 

まあ、詳しい内容にご興味のある方は
本を読んでいただきたいと思うのでは
ありますが。

 

版元が岩○書店ハードカバーで、値
段も3000円近くしますしね。そんな
気軽に手に取るというわけにもいか
ないかもしれませんけど。

 

発売当時、結構話題になったりしてた
んですが。音楽系やらサブカル系
ディア扱われることがあまり多くな
ようなのがちょっと残念ですね。

 

最新の動向の研究(この本はコロナ前
のインタビューが中心なので、コロナ
禍後の状況とか)を加えて新書とかに
まとめてくれたら、もっと売れるよう
気がしなくもありません。知らんけ
ど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

この本の著者の方は音楽をやった経
験ないのだそうです。研究始めた時は
ビートルズのメンバーが何人か知らな
かったのだとか。

 

バンドマン(という言葉)の悲しみ?

たまた、音楽業界(?)で使
われる英語のような英語のようで
ないような用語の話なんですけど、

 

バンドマン

 

という言葉がありますよね。いわゆる
バンド活動をする人ですが。

 

この「バンドマン」というのも、和製
英語というか、英語のネイティブの人
は使わない単語のようです。

 

Bandsman という単語はあるんですけ
どね。バンズマン。これは、軍楽隊
ブラスバンドとか、そういうバンド
のメンバーを指す言葉だそうで。

 

日本語のバンドマンというのは、主に
4人くらいベース、ギター、ドラム、
ヴォーカル、みたいな編成バンドの
メンバーをいうことが多いですよね。

 

ジャズバンドやってる人もそう呼ばれ
ることがありますけどね。「ドンバ」
なんていう言い方がジャズ業界にはあ
りますな。

 

それはともかく、

 

だいたい、バンドマンとかいうと、
職につかずにバイトしながら、苦労し
て音楽やってる、そんなイメージあり
ますね。

 

定職持っててバンドマンというのは、
なにか言葉が矛盾しているように感じ
てしまうのはなぜなんでしょうね?

 

なんとなく、ホモソーシャルな響き
あるし、といってバンドパーソンなん
言い換えしてもそもそも和製英語
し、むなしい感じもあるし……

 

なんか、悲哀を感じさせる言葉ではあ
りますよね。

 

そんなことを考えてしみじみしており
ました。とりとめないなあ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

古びるもの、古びないもの?

し前の話ですが、YouTube
を覗いてたら、こんな動画があ
りまして▼▼▼ ちょっと長い
んですが……

 

 

昨年(2023年)の11月惜しまれつ
つ亡くなった大橋純子さんの、1978
というから45年以上前の FM ラジ
オでのスタジオ・ライブですね。美乃
家セントラル・ステイションと一緒に
やっています。

 

大橋さんの歌と美乃家セントラル・ス
テイションの演奏懐かしさは感じま
すし、もちろんある程度の時代性
じますが。それでも、今聴いてもそれ
ほど古びた印象を受けることはない
思うんですが、いかがでしょう。

 

まあ、そこら辺の受け取り方は個人差
あるとは思いますが。

 

で、

 

それとは別に、この音源「時代」と
いうか「古さ」を一番感じさせるのは、

 

MC の人(司会者)のしゃべり方

 

ではないか、と思ったんですよね。

 

言葉遣いとか、しゃべるスタイルとか。
思い返せば、この頃ラジオテレビ
司会者というのは、こんな感じが多
かったよなあと思うわけです。

 

1980年代に入って変わったんでしょう
か。もっと「不適切」になっていく前
の時代の音源ってことですかね。

 

今では、NHK に少し残っているのか
もしれませんけど、ほとんどこういう
MC のしゃべりのスタイルなくなっ
ていると思うんですよね。

 

45年経っても古さをあまり感じない
、とても古くさく感じるもの
いろあるんだなあ、と。

 

そんなことを感じたというお話でござ
いました。まあ、それだけなんですけ
どね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

またまた音楽ジョーク2024

前からよくやっている音楽
ョークのご紹介でございます。
に2024年にできたジョークって
ではないんですが。

 

で、今回はまず、ドラマーから。

 

Q. 三揃いのスーツを着たドラマーを何
と呼びますか?
A. 被告

 

いきなり犯罪者扱いしてますね。次は
ギターで……

 

Q. コード2つしか知らないギタリスト
のことをなんと呼びますか?
A. 音楽批評家

 

批評家、こういうジョークでは嫌われ
ですね、やはり。

 

今回感じたのはトロンボーンについて
のジョークが結構多いことで、例えば

 

Q. トロンボーンの別の呼び方は何があ
りますか?
A. 風力稼働の、人力で操作する、おお
よその音程を出すモノ(Pitch approxi-
mator)

 

というのがありました。まあ、これな
んか優しい方でしたが。

 

それから、相変らずベーシストは狙わ
れてまして、

 

Q. ベーシストの腕から離れないあのブ
ロンドの女の子は何?
A. タトゥーだね。

 

指揮者に対する恨みもやはり根強いよ
うで、

 

Q. 指揮者の理想的なウェイトはどのく
らいですか?
A. 3.5ポンド(1.6キロくらい)。骨壷
の重さ込みで。

 

ちょっと理屈っぽいやつもありました。

 

地獄へのハイウェイ(Highway to Hell)
があるのに、天国への階段(Stairway
to Heaven)しかないのは、想定される
交通量の違いを表しているよね。

 

ていうんですけどね。

 

最後に、

 

Q. ピアニストがスーパーマーケットに
持っていった物はなんですか?
A. ショパン、リスト

 

これは答えの “Chopin Liszt”“Shop-
ping List”(買い物リスト)のダジャレ
になっているということなんですが、

 

後から解説されても面白くない

 

ですよねえ……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

集団での役割と個人の価値とセッションの後の反省と

間、いろんな組織とかコミュ
ニティとかの一員として活動する
ことが多いわけでして。

 

人間は社会的動物なんて言葉もありま
すけど、そんな集団の一員として仕事
とか役割を受け持って貢献することで、
成長を実感したり、目的意識が持てた
りもするわけですが。

 

その一方、そういうコミュニティの中
での出来事(過剰に)個人的に受け
止めるようになったりもします。

 

仕事の失敗が自分の個人的な価値まで
おとしめるモノとして捉えられたりと
か。逆に仕事の成果イコール自分の価
みたいに思うとかね。

 

もちろん、その人の性格にもよるとは
思いますけどね。ドライな性格の人は
仕事は仕事、自分は自分と切り分ける
ことができるんでしょうけど。

 

アメリカの人なんかそういう切り分け
が上手いというイメージはありますが、
でもそういう悩みを持つ人はアメリカ
にも結構いるということも聞くので、
程度の差こそあれ、どこにでもあるこ
なんでしょう。

 

人間というのは、社会的に活動するこ
とで種の存続を図ってきたので、それ
貢献できないと自分の存続も危うく
なる、というそんな昔の(種としての)
記憶関係しているのかもしれません。
知らんけど。

 

で、

 

セッションとかバンドとか、音楽の
奏の後でも、どうしてもその演奏中の
失敗のことがまず思い返される、とい
うのはよくあることですよね。それで
とても落ち込んだりする人もいます。

 

まあ、別に反省するなというわけじゃ
ないですが、「過剰に」ならないよう
に気をつけて欲しいものだ、と思うわ
けで。

 

ですが、少しはその演奏での良かった
ことも思い出すようにしたほうがい
んだろうと思うわけです。

 

特に落ち込みやすい人は意識的にでも。

 

なんて、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

感情も労働する?

はや現実世界のビジネス
動についてはあまり関わりのな
くなった私ではあるのですが。

 

それでもまあ世の中のビジネス関連の
記事なんかをつい惰性で(こらこら)
読んでしまうことがありまして。そん
な中で読んだ記事に、

 

感情労働

 

という言葉があったんですね。

 

世の中には肉体労働というものがあり
ますね。体を使って労働するわけです
が。それに対比させる意味で作られた
言葉だと思うんですけど。

 

感情を使って、つまり自分の感情をう
まくコントロールすることで労働する
というね。サービス業なんてのは、そ
んな労働のかたまりかもしれません。

 

たとえば、「笑顔」でサービスする仕
事とかが典型的ですかね。メニュー
0円とか書かれてますけど。

 

そういう仕事は肉体的労働ではないけ
ど、疲れる心を病んだりするリスク
もあるって話なんですが。

 

で、

 

私が読んだ記事で面白いと思ったのは
CEO とかいわれるエライ人たちも、そ
んな感情労働が要求されてるんだとい
う話でして。

 

彼らはトップとして自信満々に振るま
わなければいけないし、責任を問われ
るような決断を常にしなくてはいけな
かったりとかね。そんな消耗にさらさ
れているんだというわけです。

 

リーダーであるがゆえの感情的な負荷
も大きいという話ですね。

 

で、まあ

 

そういった「感情労働」っていうのは
大企業の CEO じゃなくても、自分を
何かのリーダーだと思って行動しよう
とするとつきまとう話かな、と思った
わけですね。

 

音楽的な活動なんかでもそんなプレッ
シャーにさらされて病んでしまう人
いるよなあ、とか。思ったりもするわ
けです。

 

バンドなんかでも、活動が上手くいか
ないと人間関係が危機的になったりと
か、上手くいけばいったで、次の一手
を間違えないように決断しなきゃ、と
かね。

 

そして、おそらくそういう時に助け
なるのは色んなネットワークとか、立
場が違ってもゆるく繋がっている人た
だと思うんですが。

 

逆に自分の世界にこもって、そういう
つながりを断ち切ろうとする人も多い
んですよねえ。

 

ま、いいんですけどね(いいのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

「良い」演奏とは何かを(いろいろ)考える

ンドであれ、ソロであれ、
ジャムセッションであれ、音楽
を演奏しようという時は、だれ
「悪い」演奏をしようとは思
わないわけで。

 

まあ、たまに変なことを考える人もい
るので絶対にないとは言いませんが。

 

普通何かしら「良い」演奏をしたい
と思うのだろうとは思うんですが。

 

じゃあ、その「良い」演奏というのは
どういうものか、というと、案外深く
考えてなかったりするんじゃないか
思うわけですね。

 

というか、そもそもこれが「良い」演
であるという唯一の基準というもの
あるのか、というとそういうわけで
もないので。

 

その人その人で、実はいろいろ違って
いたり似ていたりということがあるわ
けです。

 

技術的に正確間違いがないというこ
となのか? 自分の表現したいことが
出来ることか? 観ている(聴いてい
る)人が喜ぶことか? とかまあ、い
ろいろ。

 

そして、演奏する側演奏を聴く側
も、「良さ」の基準は変わってくる
けですよね。

 

なので、

 

「良い」演奏をしようと思うこと自体
は別にいけないとは思わないのですけ
ど、そもそもその「良い」演奏は誰に
とってのどんな演奏なのかたまに考
えてみるのもよいのかな、とも思うわ
けです。

 

曲がありまして。

 

酒が飲める理由をとにかくいろいろ上
げていく歌ですが(笑)

 

おんなじように演奏が「良い」理由
色々な視点でリストアップしておくと
いいのかもしれません。それが必ずし
誰もが納得する理由でなくてもいい
と思うんですよね。

 

リストのうちの1つでもできたとした
ら、それはなかなか立派な達成といえ
るのではないか、と。

 

そんなことを考えたヒマな一日があっ
た、ということなんですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

いろいろ○○く関わりたい願望

の前のAかBか決められな
(決めたくない)話にも関係する
んですけど。

 

いろんな知識とか、音楽ジャンル
理論とか、楽器テクニックとか、
ガッチリ自分のモノにしたい、とい
欲求の強いほうですか? 皆さんは。

 

もちろん、モノゴトへのそういう関
り方悪いとはいいませんし、それが
必要な人生の局面(やや大げさですが)
あることも確かだとは思うのですが。

 

が、

 

この年になったからなおさら、という
のはあるかもしれませんが、私はとい
えば、

 

なるべくいろんなことにユルく関わっ
て、ユルく知識を得たい

 

と思う方なんですよね。

 

1つのジャンルのものとかに、深くか
らめとられたくない、というかね。ま、
ビビりといわれればそうなのかもしれ
ませんが。

 

なので、あんまり縛りのキツイこと
いわれると、基本的には敬して遠ざけ
という方向になりがちなんですね。

 

これはこうでなきゃいけない、とか、
グルーヴはこうでなければならぬ、と
か(おいおい)。あんなものはダメ
害にしかならない、とかね。

 

まあ、SNS なんてそんな発言ばかり
すが。

 

そういうの聞く(見る)と、なんか引
いちゃうんですよね。

 

なんか、それよりユルく色々かかわる
ことで、自分を通り抜けていったモノ
が、何か別のモノにつながるような気
がしなくもない、と思えるんじゃない
か、と。

 

大変ユルく思っているのですが。

 

え? 頭の中までユルくなる?

 

それがいいんじゃないか、と思うんで
すけどねえ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

下手になったと思った時がチャンス? なの?

楽やっていると、この曲は
まくやれるとか、自信があるとか、
そんな曲がだんだん出来てきたり
します

 

え? ない?

 

……

 

話を進めますが(おい)。ところが、
あるときそんな自分でも上手くやれる
自信のある曲を弾いたり・歌ったりし
たら、

 

なんか下手になった……

 

と思うことがあったりしませんか?

 

経験のある人も多いかと思うんですけ
ど、そんな時ああもう俺はダメだとか
までは思わないにしても、ショック
悲観的になりやすいんですが……

 

まあ、ぶっちゃけ私にもそういうこと
はあるわけでして。

 

で、

 

以前、哲学者小説家としても活躍
ている、千葉雅也さん

 

クオリティが下がるのは(その人が)
変化している時

 

というようなことを YouTube の動画
かなにかでおっしゃっていたのを思い
出したんですよね。

 

で、千葉さんの X (Twitter) の発言など
を見返していたら、

 

「クオリティの維持をやめないと変化
は起きない。それが、再現性から創造
性へ踏み出すということのひとつの表
現である」

 

ということを書いておられたのを見つ
けました。

 

まあクリエイティブといわれる活動
全てについていわれているとは思いま
すが、音楽もその例に漏れないだろう
と思われるわけで(ちなみに千葉さん
は、音楽も演奏されますね。ピアノ
弾かれます)。

 

なので、以前は良かったはずの自分の
演奏のクオリティがなんだか落ちてい
と感じたという時は、実は何か自分
に変化が起きている、そんなチャンス
だと思うのが良いのではないか。など
考えたのではありました。

 

そんなわけで、私の文章がなんか下手
になったなあ、などと思われたら、そ
れは私が変わろうとしている時だ、と。

 

生暖かい目で見守っていただければ幸
でございます(こらこら)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

セッション・「コミュニティ」の難しさ?

ャム・セッションをやりた
い人を募って・集めてやってる
んですけど、私

 

もう結構長くやってまして、そうする
と、おなじみの方もできてきて、ある
種コミュニティみたいな感覚も生まれ
るわけですね。

 

ジャム・セッションのコミュニティ

 

ですが、良く考えてみると、これって
結構自己矛盾的というか、難しさを孕
んだ概念だよなあ、と思ったんですね。

 

といっても話としてはそんな小難しい
話でもないんですが、ジャム・セッシ
ョンてバンド活動じゃないんで、そも
そも

 

一過性のもの

 

じゃないですか。

 

そのコミュニティってなんだろうなあ
と思うわけですよ。

 

もちろん、そういうコミュニティ
って悪いってことじゃないんですが、
あまりガチガチの縛りの強い形にする
というのはなんかそもそもの趣旨に反
するというかね、そう思ったりもする
わけで。

 

だから、コミュニティといいながらも
ある種の

 

スカスカ感とか、不安定感とか、一過
性感とか、気まぐれ感とか

 

を(ある種意図的に?)残しておきた
なあ、なんて考えるんですね。

 

良い意味でのいい加減さといいますか
ね。とはいえ、けっこうそれはそれで
難しいさじ加減なんじゃないか、なん
てね、自分でやっててなんですが、思
うわけです。

 

ちょっと続きます。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

ノンリニアな時代にリニアなセッションをやることについて

ニアなメディアあるいは
テンツという用語を聞かれたこと
はありますか?

 

デジタル時代の現代ではわりとよく聞
かれる言葉ではと思うのですが、要は
「初めから終わりまで、一直線に連続
した形で見て(聞いて)もらえること
を想定した」メディアやコンテンツと
いうことです。リニア(linear)とい
う言葉ライン(line = 線)の形容詞
んですね。

 

たとえば昔のレコードやカセット・テ
ープリニアなメディアですね。映画
も(映画館で見る映画に限定すれば)
リニアなコンテンツですね。

 

本は必ずしもリニアなメディアとは言
えませんが、小説といったコンテンツ
は基本的にリニアに鑑賞されることを
前提としていますよね。ビジネス書と
かは別でしょうけど。

 

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一方、今主流のデジタル化されたメデ
ィアやコンテンツはノンリニアな傾向
のものであるといえます。ネット上に
あるコンテンツは基本的に頭から順を
追って見たり・聞いたり・読んだりす
「必要はない」ですよね。

 

YouTube にアップされている動画や、
私を含めていろんな人たちが書いてい
ブログの記事も、基本的には昔の映
画や小説のような見方・読まれ方はさ
れないと思うべきでしょう。

 

で、

 

翻って、セッションあるいはバンドで
の(生の)演奏はどうかというと、こ
れはお察しの通り、きわめてリニアな
コンテンツなわけですね。

 

演奏の最中「悪いけどこいつのギタ
ーソロは飛ばしてエンディングに行こ
う」とかCDや iTunes や YouTube では
簡単にできることがセッションライ
とかではできませんよね。当たり前
ですが。

 

これは、考えてみれば現代ではなかな
か希有なことでして、コンテンツをリ
ニアな形で鑑賞することを当たり前の
ように強制(?)できるのはミュージ
シャンと(劇場公開時の)映画監督
舞台関係くらいのものかもしれません。
(あと、まあテレビもそうか。でも
というものが家庭で出来るようにな
ってからはちょっと違いますよね。)

 

ある種の特権的な事なのかもしれない
のですが、一方でこうしたコンテンツ
見る・見ないとか聞く・聞かないとか
オール・オア・ナッシングの二択でば
っさり切られやすい、ということもい
えるわけでして。

 

そんな時代なのでリニアなコンテンツ
に関わるということにはある意味なか
難しいものがあるのですよね。

 

そして、コロナという感染症の影響も
あって多くのコンテンツノンリニア
な方に流れていきました。もうそれで
いいじゃないか、なんて考える人も結
構いるかもしれないんですが。むしろ
ムダがなくていいとかね。

 

それでも、リニアなコンテンツにある
過剰さムダともいう)とか、そうし
た過剰で余計なものから生まれる新た
な気づきとか関係とか。そういったも
のがやはりわれわれには必要ではない
、とか。おじさんはそう思うんです
けどね。

 

別に誰に熱く語る気もないですが(な
いのかい)、そんなことをちょっとだ
け考えて、リアルなセッションをやっ
てます。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

イメージで考える? 音楽も?

承知のように、私 50 歳以上
の方々を中心としたセッション
んていうのを開催しているのです
が。

 

なんとなく思っていたのが、そういう
場でイキイキとというか水を得た魚の
ように演奏する方たちって、

 

理系の仕事をしてた人に多い

 

ということなんですが。

 

より正確にいうと、理系というか、特
に専門のプログラマーとまではいかな
くても、プログラミングの知識のある
方が多いな。と、なんとなく思ってい
たんですが。

 

そしたら、最近人間の思考タイプの話
をちょっと読んだのですが、人間には
視覚思考型言語思考型があって、ど
うも特に音楽のスキル的に優れた人に
は視覚思考型が多いと書かれていたん
ですね。

 

もうちょっと細かくいうと、実は視覚
思考型は、写真とか短い動画のような
リアルな画像で考える「物体思考型」
とよばれる人と、もうちょっと抽象的
な概念とかパターンで思考する「空間
思考型」に別れるそうで。

 

そして、プログラミングとか音楽
キルに優れた人には「空間思考型」
多いという話のようなんですね。

 

で、まあ、なるほどね、と。思ったわ
けなんですが。

 

まあ、こういう人間のタイプ分けは、
いつもいうように、話半分くらい
に聞くようにはしてるんですけど。何
となく、セッションで感じている印象
には近いなという気がした、というお
話でした。

 

ですが、

 

とはいえ、セッションというアクティ
ビティは何人かの集団でおこなう共同
作業なので、

 

いろんな人がいたほうが結局面白い結
果になる

 

とも思うのですね。

 

別に空間思考型の人だけでやればいい
という話ではないとは思うので、そこ
間違えないようにしないとね。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

フレディは膵臓をロックするか?

まに、音楽が医療の役に立つ
とか、立ちそうとか、そんな記事
を見たりします

 

以前にも、こんなのがありましたけど。

 

また最近、こんな記事が出てたんです
よ。音楽系のサイトじゃなくて、ビジ
ネス系の Forbes の記事ってところが、
ちょっとなんか、信憑性ありそうとい
うか、そんな気にさせられたりして。

 

ま、あまり関係ないとは思うんですが。

 

それはともかく、内容としては、音楽
それもロックよりピンポイントには
ユー」を流すとインスリンをつくる細
からインスリンが活発に放出される
……らしい、という話で。

 

これは、培養された細胞への効果とい
うことなので、実際人間に「ウィ・ウ
ィル・ロック・ユー」を聞かせても、
ほんとに同じ効果があるかどうか判明
するのはまだまだ先のことではあるよ
うですが。

 

ともあれ、もしかしたらそのうち糖尿
病の治療にクイーンを聴かせるなんて
音楽療法が出てくるかもしれません。

 

しかし、なんでクイーン、しかもなん
で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」
んでしょうかね? さまざまな音源
流した結果だというんですが。

 

重低音が効くというのはなんとなくわ
かる気もするんですが、やっぱりあの
「ドッ・ドッ・タッ」というリズムの
パターンが効くんでしょうか?

 

なんにせよ、ロック・ミュージックが
健康によさそうという話、多いですよ
ね。いいことなのかもしれませんが、
ますますロックは高齢者の音楽という
イメージが強くなったりしてね(笑)

 

ま、殺伐とした状況の世の中で、こう
いう話は平和でいいのかもしれません
けどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

許せる失敗、許されない失敗

事を辞めてしまうと「失敗は
許されない」なんてシチュエーシ
ョンに立つことはまずなくなるん
ですよね。

 

お気楽なことばかり書いてて申し訳な
んですけど。

 

実は仕事してるときでも本当に絶対に
失敗が許されないなんてことがあった
のか? というと、けっこう怪しい
もするんですけど、まあ、それはおい
といて。

 

そんな「失敗が許されない」時にどう
対処したらいいか? そんな時の緊張
を和らげるためにどうするか? なん
記事を読んだんですよ、最近。

 

で、ここでその対処法の良し悪しとか
を議論したいわけではないんですけど
ね。ただ、読んでて急に音楽の演奏の
こととか考えたりしたわけですよ。
いクセ(?)で。

 

この記事の最後に「失敗が許される趣
味を持つ」ことで人生のバランスをと
る、という対処法が書かれてたので、
そのせいもあるかと思いますけど。

 

それでね、

 

音楽という活動は、単なる趣味として
考えると別に失敗しても問題ないとい
うか、許されるモノのはずなんですよ
ね。でも、なんかちょっとのめり込む
とある時点で、「失敗は許されない」
なんて気持ちにさせると思いません?

 

その人がプロのミュージシャンとかだ
ったりしたらまあわかるんですけど、
趣味の領域だとしても、失敗をしない
ように自分を追い込んだりする人、結
構いないですか?

 

人それぞれだと思うんで、「失敗をし
ても全然気にしない」から「失敗は絶
対に許されない」まで、個人個人で
ラデーションはあるとは思うんですけ
どね。

 

あまりに「失敗は絶対に許されない」
の側に寄ってると、色々大変だろうな
とは思うんですけどね。

 

皆さんは、どっち寄りですか?

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ステージの庭側から登場?

前、ステージの上手・下手
ことがありまして。

 

ステージの(観客側から見て)右側
上手、左側を下手と呼ぶんですね。知
らない人にはわかりづらいので、どう
やって覚えたらいいかとか、英語だと
ステージ側から見て右(左)を Stage
right (left) というのでややこしい、な
んて話をしたんですけど。

 

で、

 

この前、たまたまフランス語でこの上
手・下手をどう言うかを知る機会があ
ったんですね。なんて言うかというと、

 

Côté cour côté jardin

 

と言うらしいんですけどね。

 

コテ・クールコテ・ジャルダンと読
みます(だいたいですけど)。

 

共通する côté という単語は、こっち
側とか右側とかいうときの「側」を表
します。Cour は、いくつかの意味があ
りますが、ここでは「宮廷」という意
味で、jardin「庭園」の意味です。

 

てことで、フランス語では上手・下手
のことを、宮廷側・庭園側と呼び分け
ってことなんですけど。ステージの
上下と宮廷とか庭園とか何の関係が?
とか思いますよねえ。

 

実は、ヴェルサイユでお芝居を上演す
るときの野外劇場の配置からきている
んだそうで。ちょうどステージの上手
側にヴェルサイユの宮殿があって、
側に庭園があったということらしい
んですね。

 

ステージ右とか左とかいうと、見る向
きによって変わるので、そういう言い
方が定着したんだとか。

 

なんか、舞台用語フランス語だとち
ょっと優雅な感じだなあと思ったとい
う、それだけのお話ですが。

 

ま、フランスでライブやる時のために
覚えておかれるとよろしいかと。え?
そんなこと起こらない?

 

わかりませんよー(笑)

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

 

モヤモヤせずにはいられない?

間生きていると、色々モヤ
モヤすることは出てくるもので。

 

特に色々と理想を持って活動している
人なんかは、そんな理想というか目標
と現実の状況のギャップモヤッとす
ことは多いんだろうと思います。音
楽やってる人には多いのかもしれませ
んね。

 

で、まあ普通そういうときにはちょっ
とずつやり方に修正を加えていって、
また様子をみる、なんてことをするわ
けですが。いわゆる PDCA サイクルを
回すなんていうのはそんなことなわけ
ですね。

 

ところが、どうもそういうんじゃなく
て、ときどきドラスティックに根っこ
のところから変える、なんてことを
る人がいるんですよね。

 

まあ、気持ちわからないじゃない
ですけど。

 

でも、そこでそれまで一緒にやってき
仲間を切ったりとか、それまでやっ
て来たことをバッサリ否定してしまう
とか、してしまうわけで。

 

なんというか、焼き畑農業的というか
スクラップ・アンド・ビルド的という
か、ちゃぶ台返し的というか、そんな
ことになるわけですね。

 

で、

 

しかも見てると、同じ人同じような
リスタートを何度も繰り返したりとか
ね。いっちゃ悪いですが、どこか OS
にバグのあるコンピュータみたいな感
じだったりして。

 

人生に一度や二度はそんな大転換が必
要なこともあるかもしれないんですけ
ど。それがそんな頻度じゃなくて、
っこう頻繁な人がね、いるんですよね
え。

 

皆さんのまわりには、そんな人いませ
んか?

 

モヤモヤしてるよりバッサリと切替え
たい気持ちはわかるんですけど、でも
やってるうちにまたモヤモヤしてくる
のはほぼ不可避なんだと私なんかは思
うのですけどね。

 

他人事ながら、そんな現象を見てこっ
ちがちょっと(ある意味メタな?
ヤモヤを感じたある日でございました。
ま、いいんですけどね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

 

シーラ・ユーキと7人の小人

々、パーカッション
踊りの得意な女性ミュージシャ
ンがいました。

 

結城志摩子という古風な名前でしたが、
シーラ・Eに憧れていたので、シーラ
・ユーキという名前で YouTube演奏
動画とかをアップしていたところ、見
た目も悪くないので、そこそこファン
がつきました。

 

そこで、活動の幅を広げようと思った
シーラ・ユーキは周りでくすぶってい
た音楽仲間に声をかけて、7人編成の
のバックバンドをつくりました。

 

そして、シーラ・ユーキと7人の小人
という名前で、さらに動画を作ると同
時にライブハウスでのステージ活動
始めました。派手な衣装で、ファンキ
ーにパーカッションを叩きまくって歌
って踊るというステージはそれなりに
注目を集め、かなりの人気となりまし
た。

 

さて、そんなシーラ・ユーキの活動
横目で見て面白くなかったのが、同じ
ように YouTuber からのし上がろうと
していたある女性ミュージシャンでし
た。人生の苦悩を歌う陰キャな彼女の
動画は、それなりに受けたのですが、
再生数もフォロワーの数もシーラには
今一つ及びませんでした。

 

そんな、ある日……

 

なんの巡り合せか、とあるライブハウ
でこの陰キャの女性シンガーシー
ラのバンド対バンになったのです。
その時、陰キャのシンガーの頭にある
悪い考えが浮んでしまったのです。

 

シーラのバンドのちょうど1つ前のス
テージだったその陰キャ・シンガー
こっそりステージの上に飲んでいた水
をこぼしました。ちょうどシーラが
しく踊るあたりを狙って……

 

その日のライブハウスのスタッフは、
あまり注意力のない人だったので、ス
テージに水がこぼれたのに気がつかず、
そのままシーラのバンドをステージに
送り込んでしまいました。

 

そして、演奏が始まり、シーラ歌い
パーカッションを叩いて踊り始め
客はノリノリになりました。が、その
時、ステージの水ですべってバランス
を崩したシーラは、足をくじいて倒れ
てしまったのです。

 

シーラは倒れたまま起き上れません
演奏中断し、大騒ぎになりました。

 

と、その時、客席から1人の王子様の
ようないでたちの男性ステージに飛
び出してきたのです。

 

それはメジャー・デビューして人気が
出たものの最近活動に行き詰りを感じ
ていたあるミュージシャンの男性(説
明的)でした。シーラの噂を聞いて、
その日観に来ていたのです。

 

感動した。君はこんなレベルの小屋
満足していてはいけない僕と一緒
に活動しないか?」

 

聞きようによっては大きなお世話なそ
んなセリフともに、その男はシーラを
抱きかかえるとそのまま彼女を連去っ
てしまいました。

 

その後2人は一緒に活動を始め、さら
にメジャーなスターになっていったそ
うです。

 

「……」

 

残された陰キャなシンガーと「7人の
小人」はしかたなく新ユニットを組ん
だそうですが、鳴かず飛ばずで消えて
いきましたとさ。

 

おしまい。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)