凝り性と料理と音楽と

理、お好きですか? 食べ
んじゃなくて、作る方ですけど。

 

これを読んでいらっしゃるみなさん
中で、料理が好きで「凝っている」
いう方はどのくらいいらっしゃるんで
しょうね?

 

料理好きなのは別にいいことだとは思
うんですが、とくに「料理に凝ってい
る」というような人には、主に男の人
ですけど、傾向があるんじゃないか、

 

ジャンルでいうと、カレーとか、洋食
とか、食べ応えのあるがっつり系
かね。それから道具こだわるとか。
食材にこだわるとか。カレー系に多い
と思いますが、スパイス調味料にこ
だわるとか。

 

たしかにそんな傾向ありそうだなーと
か思って読んでたんですけどね。

 

で、

 

なんというか、とくに道具とか調味料
とかにこだわる、なんていうのは、
楽やる人たち楽器とか機材とかその
周辺のモノへのこだわり似たものを
感じるよなあ、と思ったわけです。

 

男の子の趣味って、って感じで。

 

まあ、そういうんでいろいろお金が回
ってる面もあるでしょうから、悪いこ
とだというつもりもないんですが。

 

料理とのアナロジーで見てみると、
性たちからの音楽機材系への冷めた視
なんてのも分かりやすいかな、なん
て思ったりもしますね。え? なに、
それいるの? なんて。

 

ま、それだけなんですが。

 

あと、余談ですが、上の記事にも引用
料理」てのを見ると、日本の独身男の
健康は大丈夫か、とか思ったりして。

 

ま、ほどほどにね。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

頭の中の「あいつ」を飼いならす?

の中にウトサイダーを飼っ
ていたりしませんか?

 

アウトサイダーというとわかりにくけ
れば、「あまのじゃく」という方がわ
かりやすいですかね。

 

誰かの考えを聞いて面白いと思ったり
した時とか、新たに加わったコミュニ
ティのルールとか聞いたときとか、色
々あると思うんですが、そんなとき、
頭の中で、

 

えー、なんか違わない?

 

なんて突込んだりする奴がいませんか
ね? え? そんなことない?

 

まあ、その人それぞれなのかもしれな
いんですが、私個人としては

 

あるある

 

なのですよね。

 

とはいうものの、だから何にでも反抗
していたら「厨二病」とかいわれるし、
身体ももたないですからね。そこはそ
れなりに折合いをつけて取り入れるべ
きものは取り入れ、受け入れるべきも
のは受け入れて生きている(つもりな)
のですが。

 

自分でももうちょっとだけ素直になれ
ないものかと思ったりしなくもないの
ですけど。まあいまさら変わらない
は思いますが。

 

一方、

 

じゃあ、そういう「あまのじゃく」な
アウトサイダー頭の中に全くいない
としたら、それはそれで危険ではない
かとも思うわけです。

 

素晴しい考えだとか、この人の意見は
正しい、と思っても一応疑ってみる
か、みんながこうしようと言っている
ときに逆張りしたらどうなるかと考え
てみるとか。

 

詐欺だとかカルトだとかを例にとるま
でもなく、生きていればそんな思考が
必要なこともまた結構あるわけで。

 

結局、そういうアウトサイダーを頭の
中でどう飼いならしておくか、という
ことかな、と。そんなことを考えたと
いうことでございました。素直とあま
のじゃくのバランスということですか
ね。

 

SNS人の意見を読む(聞く)時
んかは、そんなアウトサイダーを前面
に立てておいた方が安全な気もします。
たぶんね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

アラカンよ立ち上れ(足でね)

ってばかりじゃ体によくな
というのはよく言われることです
が。

 

仕事の性質にもよるとは思いますが、
デスクワークの多い人なんかは、座り
っぱなしになりがちですよね。日9
時間以上座っていると統計的に亡リ
スクが高い、なんて怖い話もあります。

 

なので、ときどき意識的に立ち上るよ
うにしようとかいう話はよく聞きます
ね。テレワークなんかしてると、通勤
というものがないので、なおさらかも
しれません。

 

実はこの座りすぎのリスク運動選手
にもあるそうで、アスリートたちも
は結構座ってる時間が長いなんていう
データもあるようです。

 

アスリートたちは毎日練習などで運動
しているんだから別にいいんじゃない
と思われるかもしれませんが、そう
いうわけでもないようで。座りすぎ
競技にはマイナスの効果がある(ら
しい)なんて話を読みました

 

なので、日頃運動してるという人も
をつけたほうが良さそうです。

 

で、

 

アスリートならぬ身としてもですね、
なるべく立つことを増やそうとか思う
わけですが。なかなか思うだけでは実
態が伴わないので、私の着けている
スマート・ウォッチに定期的に立つこ
とを促してくるように設定したりして
いるんですが。

 

とりあえず、練習とかで楽器弾く時も
なるべく立って弾くことを意識しよう
かと思ってる今日この頃です。まあ、
楽器にもよるでしょうが、私の場合は
ギターを弾くことが多いので、立って
弾くのは別に不自然じゃないし。

 

……なんですけど。

 

やっぱり、気がつくと座って弾いてる
ことが多いんですよね。困ったもんだ。
気をつけよう。

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

「黒い金曜日」との相性の悪い私?

ラック・フライデーという
言葉を耳にするようになったの
はわりと最近だと思うんですが。

 

最初聞いた時、なにか悪いことがあっ
金曜日かと思ったんですよね。ブラ
ック・マンデーなんて言葉もあります
し。

 

なんでも、アメリカフィラデルフィ
で、感謝祭の翌日の金曜日に、感謝
祭のプレゼントの売れ残り一掃セー
をやって繁盛したのが始まりだそう
で。店の外に人が溢れるくらいだった
とかで。

 

人だかりの整理警察仕事が増える
ので、警官たちが「真っ暗な金曜日」
と呼んだのが始まりなんだとか。最近
小売業界が黒字になる、という意味
解釈されているようですが。

 

まあ、それはいいんですが、日本でも
ここ数年ネット通販系を中心に盛り
上がるようになってるようで。ついに
うちの近所のスーパーでも今年はやっ
てましたね。音楽・楽器関係も色々と
目につきました

 

で、

 

そんなセールの誘惑につられて色々と
散財したとか、欲しいモノを手に入れ
とかいう SNS なんかで見る
けなんですが。音楽だと機材系とかね。
最近の言葉で言うと MNG てやつです
ね。

 

まあ別にそれはいいんですけど。

でも、このブラック・フライデーとい
いうやつは、なんかいつも私の「物欲」
の周期(?)とは噛み合わないんです
よね。この時期はなんか「欲しい!」
ってものがないというタイミングなん
ですよ、いつも。音楽・楽器関連にし
ても、それ以外でも。

 

散財しなくていいじゃないか、という
見方もあるんですが。そういう時に買
わないと、それはそれでなんか損した
ような気になりません? ならない?

 

ま、そんなこんなで今年も私はブラッ
ク・フライデーに何も買わなかった
いう。それだけのお話でした。

 

みなさんは、何か買いました?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

「出来ないこと」が世の中を回す?

に、ビジネス系の雑誌とか
サイトを見ても、ビジネスそのも
のというより、自己啓発とか健康
とか脳トレとか、そんな話の方が
人気、なんてことを書いたんです
が。

 

そういうのがなぜ氾濫するのか、あれ
からもいろいろ考えたんですけどね。
ヒマなもんで。

 

結局、ああいうのって、唯一の本当の
答えなんてものはない世界のものじゃ
ないですか。だから悪く言えばなんと
でも書けるし、お互い食い違ったり
るような話が出てきてもまあ人それぞ
なんてことも言えるし。

 

ある意味、いろんな人のいろんな「意
見」として出しておけばどうとでもな
感じですしね。

 

その上、こうした記事に書かれている
ああしなさいとか、これを毎日やりな
さいとか、これはこう言い換えなさい
とか、人にはこうしなさいとか、そう
いうことって、ふつうの人には

 

たいてい出来ない

 

ことじゃないですか。たまに出来る人
がいるのかもしれないけど。

 

なので、手を変え品を変えというか、
これがダメならこっちという感じで、
出てるモノにみんなまた食いついて
くるのではないか? なんて思ったり
して。

 

音楽の教則本とかメソッドなんてのも
ある意味似てるかもしれません。あと
英会話のメソッドとか。健康食品とか。

 

どれも「出来ない」から百花繚乱(?)
山ほど生まれてきて、それをあれこれ
追いかける人もいるわけではなかろう
かと、思うんですが。

 

で、

 

それがいけないことかというと、まあ
見方にもよるんでしょうけど、私個人
には、別にいいのかも、と生ぬるく
思ったりしております。案外それで世
の中回っているのかも

 

あー、またやってるなとか。おー、
んどはそうきたか、とか。そうやって
側で見て面白がっているのが吉なんで
はないですかね? カッコよくいえば
メタな視点で。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

他人のせいにするのはいけないことか?

く、人のせいにしてはいけ
せんなんて言葉を耳にするんで
すが。特に子供に言ったりします
よね。

 

それがそんなに悪いことか、というの
今日のお話なんですが。

 

まあ、そりゃ本当に自分が悪くても
れを人のせいにして知らん顔をしてる、
なんてのはいけないとは思うんですけ
ど。

 

人間のやることってそう簡単に割切れ
ることは少ないですよね。どっちにも
言い分がある、なんてことが大多数
ことなわけです。

 

で、

 

問題なのは、子供の時に言われた冒頭
の言葉頭に染み付いているせいなの
か、なんでも自分の方が悪いとか、
分のやり方カイゼンしなくちゃいけ
ないとか。そんな風に思ってしまう人
結構多いんじゃないか、ということ
ではないかってことなんですよね。

 

それが立派な態度だ、という思い込み
いったん忘れた方がいいのかもしれ
ません。

 

とくにメンタル的に落込んでいるとか、
そういう時に自分がいけないんだとか
思ったりしてると、下手すると心を病
でしまったりするおそれも出てきた
りするかもしれませんし。

 

そんな時は「戦略的に」相手が悪い
だとか、あいつのせいだとか、そう思
うことも必要なんではないかと。そん
な風に思う今日この頃ではあります。

 

セッションで、演奏しててちょっとグ
ズグズになったりした時とか、他のメ
ンバーと息が合わないなとか、そんな
時にも、ホストのあいつの仕切が悪い
からだと思って忘れてしまうとか、ね。

 

あれ?

 

ただし、反射的に口に出して相手に言
わないようにするべきでしょうけどね。
お互いに本当に「カイゼン」につなが
ような提案ができるなら別ですが。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

休めない日本人? 休んでばかりの日本人?

れを書いているのはサッ
ーの2022年カタール・ワール
ドカップの日本 vs ドイツ戦の
翌日なんですけど。

 

日本なぜか勝ってしまいまして。まあ
ドイツ自滅っぽいところもありまし
たけど、世の中的には日本中大喜び
たいな状況でございます。

 

まあ、勝ちは勝ちとして素直に喜んで
いいかなとか思ってネットとか SNS
見てたんですが、それで目に入ったの
こちらのツイート記事だったわけです。

 

どうも日本サポーターの人が会社
2週間休んで現地に応援に行っていて
上司に休ませてもらってありがとう
いうサインを掲げている、という写真
なんですね。

 

で、

 

これ見て微笑ましいと思うとか、そん
なの有給休暇を取るのは権利なんだか
上司に礼を言う必要なんかないとか、
いろんな反応がこのウラで聞こえてく
ような気がするんですけどね。

 

そして、なんとなく日本人休みがな
かなか取れなくて、あくせく働かされ
ているなんていうイメージがつきまと
うんですけど。

 

でも、実際には今の日本人ってそんな
に働いてないっていわれてたりするん
ですよね。もちろん人によるとは思い
ますが、全般的に働き方改革とかそ
んなことの関係が大きいのかとは思い
ますが。

 

今やイタリア人の方が年間の労働時間
でいうと日本人より働いているとかい
ないとか。

 

前に日本で働いているフランス人のパ
ティシエの話を YouTube かなんかで
見たんですが、日本ではフランスほど
長い休暇をとることは少ないけど、
日とかは結構多くて、休みは多いと思
うなんて話してたんですよね。

 

なので、最初のツイートの話に戻ると
あとは長い休みもより気兼ねなく取る
ことが出来るようになれば、日本の労
働環境は最高なのかもしれません。

 

賃金が上がらないという問題を除けば
(こらこら)。

 

空いた時間音楽などいかがですか?

 

さて、最後にサッカーに戻って、こん
ツイートもありましたよ▼▼▼

 

記者会見中ドイツが日本に負けた
とを知らされたフランス代表デンベ
レ選手反応です。わーお。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

グローバルよりパーソナル?

、もう会社勤めは終了した
ですが。

 

勤めていた時に申込んだ、ビジネス系
雑誌とかのメディアメルマガとか
まだ送ってくるんですよね。配信停
止とかしてないからそりゃそうか。で、
来るからときどき読むんですけどね。

 

それで、そこにある人気の記事とかの
ランキングを眺めると、かなりの割合
で、

 

あまりビジネスに関係ない

 

と思われる記事が多いんですよね。

 

ビジネスじゃなくてどちらかというと
人間どう生きていったらいいか、とい
うようなモノが多いわけです。

 

人間関係をどうしたらいいかとか、
年後への備えだとか、脳を活性化する
にはどうしたらいいかとか、その他の
健康維持の話題とか。モノの捨てかた
とか。料理のレシピとか。

 

そんな話を、学者とか医者とか各種
ンフルエンサーとか、そういった人が
解説したりしてるわけですね。

 

もちろんビジネスをするのも人間なの
で、間接的にはビジネスにかかわる話
ともいえるわけではありますけど。

 

それにしても、業界動向とか世界経済
の行方とか政府の景気対策とか、ブロ
ックチェーンとか、そんな話はあまり
ランクインしてないようなんですよね。

 

で、

 

そんな傾向について、批判的なこと
書こうと思えば書けるんですけど、
まらないのでやめておいてですね。思
うに、ビジネス系メディア読む(観
る)人たちにとっても、結局自分のま
わり半径 1.5 メートル程度の関心事が
一番なんだなあ、ということなわけで
すよ。

 

そういうのがデジタルなメディアでは
簡単に可視化されてしまうのかもしれ
ません。

 

ミュージシャン向けメディアでも、
じつはそういう話題取り上げると結構
食い付きがいいんじゃないかとか、
ったりもするんですけどね。

 

ミュージシャンメンタル問題とかね。
まあ、やってる人もいますけどね。私
知合いのベーシストの人とか(笑)

 

ライブ前食事メニューのオススメ
とか。機材整頓術とか。ミュージシ
ャン投資術とか。

 

どんなもんでしょうね?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

若い頃の記憶ってやつは……という話

日、今日の1曲なんてこと
で、主に昔の曲を Facebook
とか Twitter に投稿したりし
てるんですが。

 

この前、オリビア・ニュートン・ジョ
“A Little More Love” という曲
を投稿しまして、で、その日本版のジ
ャケット写真も紹介したんですが。

 

ん?

 

と思ったわけですよ。オリビアがサス
ペンダー付きのパンツルックで写って
写真が使われているんですが。

 

この感じどこかで見たことがある、と
思ったんですね。

 

で、色々考えて思いついたのが、こち
らの写真で。

 

近年シティ・ポップの名曲として海外
でも人気の竹内まりや「プラスティ
ック・ラブ」が最近シングル化された
ときのジャケット写真ですね。あー、
そうかそうだった、と一度は思ったん
ですが。

 

でもなんか他にもあったなあ、と思っ
ググってみたんですよね。最近は
た画像の検索なんてのもできるので、
そしたらコレが出てきたんですよね。

 

はい、安室奈美恵『PLAY』という
アルバムジャケットでした。そうか
これもよく見た気がするなあ。なんて
ことで終わったんですが。

 

その日の夜寝る前にふと、

 

あ、もしかして

 

と思ったことがありまして。

 

『愛の嵐』というイタリア映画(同名
の TV ドラマがあったようですが、映
画の方です)があったんですけどね。
1974年のもので、この有名なシーン
というか宣伝用のスチル写真がありま
して。

 

良識のある皆さんのために、あえてこ
こにその画像は出しません(まあ早い
話エロティックな映画なわけです)が、
ご興味のある方は検索してみてくださ
ませ。見る場所にはご注意を(笑)

若い頃の記憶というのは、しょうもな
いもんですねえ。というそれだけのお
でございました。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

予想どおりに(?)不合理な私

間というのは合理的に考え
合理的に行動する生き物であ
る……とも限らない、というの
は近年ではよく言われることで
すが。

 

経済学なんかでは、合理的に考え行動
する人間前提となっていたわけです。
昔はね。

 

それに対して行動経済学なんてものが
出てきて、人間の思考や行動の非合理
に焦点があてられるようになってき
たわけですね。

 

そんな経済学の話ググればいっぱい
出てくるんで、ご興味のある方は読ん
でいただければと思うんですが。

 

で、

 

そんな人間の非合理性をいちばん肌身
で感じられるのは、

 

音楽をやるとき

 

じゃないか、なんていうことを思った
わけです。アドリブで演奏する時なん
かはとくに。

 

音楽にはこうすればこうなるとか、
れをやればこういうことになる、なん
ていうこと(あえて理論とはいいませ
んが)は色々あって、それを覚えて演
するのが普通なわけですが、必ずし
それを守る人ばかりじゃないし。

 

ライブで、必要以上に声を張り上げ
り、事前には考えてもいなかった奇声
を発してしまったり。

 

決められたテンポがあるのに、なぜか
だんだん速くなって(走って)しまっ
たり

 

だけど、そういう「逸脱」した演奏が
なぜかウケてしまったり

 

本番の演奏だけでなく、練習すれば、
そしてそれを続ければ上達するわけで
すが、それが出来なかったり

まあ、色々あるわけですよね。

 

で、思うんですが、自分ごとにしても
他人事にしても、そうした非合理とい
うか不合理な現象を楽しむことができ
ることが一番なんじゃないかと思うん
ですが。

 

まあ、別に強制はしませんけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

ネガティブを受け入れていいこと、悪いこと?

ジティブ vs ネガティブ
たないな話は前にも書いている
んですが。

 

基本的にはなんでもポジティブであれ
ばいいというもんじゃないというこ
だったかと思います。時にはポジテ
ィブの押付けになって、害もあるぞ、
なんてね。

 

ネガティブな感情を持つことも受け入
て、何ができるかを考える必要があ
あるよ、ってことなんですが。

 

で、

 

ここで大事なのは、

 

ネガティブな「感情」を感じている
ということを受け入れる、ってことな
んですね。

何が言いたいのかというと、つまり、
ネガティブな「結果」をそのまま受け
入れろということではない、というこ
となわけです。

 

ネガティブな結果については、次回こ
うしようとか、それを避ける準備をし
ておこうとか対策を立てる必要がある
わけでして。そのままにしておいても
あまりいいことはありませんよね。

 

この違いについては、以前からよくご
紹介している、ジュリアード卒のバイ
オリニストでもある心理学者のノア・
カゲヤマさんのブログに書かれていた
んですが。

 

同じ記事には、ネガティブな考えや感
を持つことを素直に受け入れる(そ
して、受け流す傾向にある人のほう
が、ネガティブな感情をもってしまう
ことが悪いことだと考える人より、
とか不安を持つ傾向が少ないなんて、
研究結果についても書かれていました。

 

平たく言えば、そういうふうに、自分
のネガティブな思考や感情に素直に向
きあえる人の方が幸せ、ということで
すね。

 

そして、研究によればパフォーマンス
も良くなるのだそうですよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

シンプルな良さ vs 過剰な(?)ものの良さ

の中の色が消えてるという
を読んだんですが。

 

といってもマーケティングがらみの
業のロゴとかそういう話なんですが、
今の企業のロゴのトレンドとして、
手な色使いとか、そういうのは流行ら
なくて、色の落ち着いたものが主流
なんだそうでして。

 

色使いだけじゃなくて、ロゴの字体
んかも奇抜な感じのものは減っていて
普通の字体を使うことが多くなってる
んだそうです。

 

世の中のその他のトレンドを見ても、
ミニマリズムとか、断捨離だの、コン
○リだの、どちらかというと余分なも
の排除する考え方の勢いが強い気はし
ますよね。

音楽なんかでも、特に洋楽(言い方が
古い?)とかを聞くと、割と決まった
コード進行をループで使っている曲
かが多い気もします、最近はね。その
J-POP なんかは違うところもあり
が。

 

昔の例えば1970〜80年代の洋楽
ット曲なんかは、もっと複雑な構造
曲が多かったと思うんですよね。時に
は過剰なくらいに。

 

それで、最近の曲はつまらないとか
言う人もいたりもするんですが、で
も、トレンドとしては、そんな傾向
んだそうでして。

 

で、

 

まあ、売れてなんぼのマーケティング
の世界では、そういうことなんでしょ
うけど。みたいな、ジャムセッショ
ンをする人間からすれば、

 

別にどっちもあっていいんじゃね?

 

とか思うわけなんですけどね。

 

この前セッションした時も、コード4
つくらいで延々アドリブするセッショ
も面白ければ(ジャムセッション的
にはこっちの方がやりやすいってのは
ありますが)、AメロBメロにサビ
あって大サビがあって、みたいな曲
やるのもそれはそれで楽しいな、と思
ったりするわけですよ。

 

ダイバーシティとか重視するわりには
マーケティングの手法は均一的だよな
あ、なんて思ったりもするのですけど。

 

どんなもんでしょうか?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

手書きやら紙やらアナログやら

ジタル化の時代とかいわれ
がら、ってものはなかなかなく
ならないわけですが。

 

ペーパーレスの推進とかで、会社の書
とかについてはだいぶ紙の利用は減
っては来てるんだと思いますが。でも
文房具とかノートとか、なにかしら紙
に関連した道具を使う人はまだまだい
ますよね。

 

とくにアラカン以上の世代になると、
デジタルな道具を新たに使うのをおっ
くうがる人も多いでしょうし。

 

なんだかんだいいながら、前にも書い
レコードとかカセットテープとかそ
ういうアナログなモノと同様に、
なかなかしぶとく残りつづけるんだと
思わせられますね。

 

そういえば、意思決定のための道具
して使われた時、デジタルな手段にく
らべてアナログなやり方を使うと、
は「より善良に振る舞う」という傾向
があるという、そんな研究結果がある
とかいう話を前に読んだことがありま
す。

 

何をもって善良というかってのは難し
気もしますけどね。

 

もっとも、その意思決定完全に他人
(たとえば友人)のためのもので、
分には関係のないものだと差はつかな
そうです。

ともあれ、何でもデジタルな道具に置
き換えれば世の中いい方に進むってい
うものでもないようです。うまく
ログなモノを混ぜた方がいいのではな
いでしょうかね。

 

やはりリアル手で触れることができ
るモノヒューマンな心を呼びさます
力があるのかもしれません。まじめか。

 

そういえば、音楽やってると

 

譜面

 

ていうものを使わないわけにもいかな
のですが。これなんかも最近電子
化されたビューワーとかもあるんです
けど。紙の譜面そう簡単にはなくな
らないものなのかもしれません。

 

私の周りの人でも、いち早くタブレッ
中心に切り替えた人もいれば、まだ
紙中の人もいるって感じですね。

 

とはいえ、ムダに出力したりするのも
SDGs な昨今気が引けるものもありま
すんで。なるべく大事に整理・保管
無駄なく使おうなんて思う今日この
ではあります。

 

思うだけで終わるかもしれませんけど
(こらこら)。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

静かに「辞める」人たち?

こ最近、英語圏ではやりの
言葉がありまして。まあ、主に
アメリカですけど。

 

Quiet quitting

 

っていうんですけどね。

 

まだ日本ではそれほど知られてない言
かもしれないんですが、こういうの
はだいたい日本でも後追いで流行る
じゃないかと思うんですが。

 

で、

 

この quiet quitting というのは、直訳
すると「静かな退職」ってなるわけで
すが、本当に仕事を辞めるというより
は、

 

会社の仕事は(クビにならない程度に)
必要最低限しかしない

 

ということなわけですね。しかもそれ
をストライキみたいな抗議活動として
声高にやるわけではなく「静かに」
やるわけです。

 

こういう言葉や行動が注目されてきて
いるのは、特にアメリカ「ハッスル
・カルチャー」とかいわれている、
されている以上パフォーマンス
発揮してどんどん出世しようとか、そ
ういうののアンチテーゼみたいになっ
ているからのようでして。

 

ビジネス・マネジメントについての
から TikTokYouTube動画まで、
いろんなところで目につくようになっ
ています。

で、まあ、別に私としてはこの「静か
な退職」人に勧める気が特にあるわ
けではないんですが。

 

こういうのって、自分の考える自分へ
の期待値も下げないと出来ないことで
はないかと思うんですよね。なので、
こんなことも世界では起きてるってこ
とを知っておくのは良いことではない
かと思ったりするわけです。

 

とくに、人にも自分にも厳しいおじさ
たちにはね。

 

まあ、最近では日本という国が全体と
して quiet quitting してるという気
がしないではないですが。

 

Quiet quitting についてもう少し知
たい方は、例えばこちらの記事など
どうぞ。▼▼▼
※※なお、アメリカの労働者の少なく
とも 50% は「静かな退職」をしてる
というギャラップ社の調査報告もある
そうです。

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

勝手に集大成にするな?

大成という言葉がありまして、
結構よく使われたりするんですけ
ど。

 

意味としては、「多くのものを集めて、
一つのまとまったものにすること」
「長い間、活動したり努力してきた
りした結果」とかそういうことですね。
だいたい、これまでに業績を沢山上げ
ていて功成り名遂げた人について使わ
れることが多い言葉です。

 

なので、ベテランのミュージシャンな
んかにも使われるんですが。

 

たとえば、コロナ前の2019年にステ
ィングが来日してコンサートツアーを
したことがありまして、当然チケット
が売り出されたわけですが、そこに書
かれていたコピー

 

キャリア集大成となる来日公演

 

だったんですね。

 

スティングが自分のヒット曲まとめ
て演奏するそんなコンサート・ツアー
だよ、という趣旨のようです。その頃、
ポリス時代からの自分の曲をセルフカ
バーしたアルバムを出したんですね。

CC Raph_PH QueenbdayRAH210418-34

で、どう思います、このコピー?

 

集大成という言葉は、上にも書いたよ
うに

 

沢山あるものをまとめ上げたもの

 

というようなことですね。なので、
山あるヒット曲を歌うスティングのコ
ンサートとしては間違ってない、とも
いえるかもしれませんが。

 

でも、なんだかスティングもうこれで
おしまい、みたいな風にも感じますよ
ね。

 

集大成というと、キャリアの最後の締
めくくりというニュアンスが強いんじ
ゃないでしょうかね。

 

でも、スティングは当時まだ60代でし
し、も現役バリバリやってます
しねえ。わりと最近もグラミー賞獲っ
たりもしてるし。まだまだこれからも
活躍しそうですよね。

 

集大成とか言って客を呼ぶのはまだ先
でいいんじゃないの、と思ったのでご
ざいました。言われた方も、そんなこ
と言われてもって気持ちになるかもし
れませんしねえ。

 

なんだか口うるさいおじさんみたいな
話になってしまいましたが、ま、そ
な気分の日もあるわけですよ私も。

 

知らんがな。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

成功した人の秘密は実はだいたい○○だったりする、のか?

回の教則本の話で思い出し
たんですけど。「生存者のバイ
アス」ってものについて前に書
いたことがありました。

 

教則本とかでもそうですが、俺はコレ
でうまくいったんだからそれに従え
な話とか、SNSとかでよくみかける
うすれば儲かるみたいな話ってありま
すけど。

 

そういう事例が出てくるのは、単にそ
うやって生残ってきた人たちばかりが
目立つからなんじゃないかという話で
した。

 

『エクセレント・カンパニー』とい
ベストセラー本がありまして。そこ
で紹介された超優良と思われていた
について後追いでその後を調べてみ
ら、その多く倒産とか経営不振
かそういう憂目にあっているなんて話
もあるそうでして。

 

短期的な成功話ってそういうことある
んですよすね。

 

で、

 

そういう話っていうのは、そういう
き残りが目立つ結果っていうことでも
あるわけですが。

 

それとともに、たとえ偶然でもなにか
上手くいくと、それを何かとか誰かの
考えが正しいからそのおかげで成功し
たと人間はとらえがちっていう傾向
せいともいえそうなんですよね。

 

この前、人間は確率論より因果論でも
のを語りたがるものだ、という言葉を
聞いたんですよ。

 

つまり単なる偶然であっても、ある成
功事例があったら、それを何か(その
人の能力や手法)のおかげであるとい
原因と結果の因果関係考えがち
てことなんですよね。

 

なので、結局繰り返しにはなるんです
人が成功した事例、とくにその手法
(メソッド)なんかの紹介は、いった
ん引いて見た方がよいかな、なんて思
うわけです。

 

もちろん、そのメソッドが本当に成功
につながったという可能性完全
定できるわけではありませんけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

親(子供じゃなくて)に楽器を教える?

型コロナっていう病気のおか
で世界中のミュージシャンがい
ろいろ苦労しましたよね

 

ライブやらコンサート開けないなん
てことも多々あったわけですが、そも
そも

 

バンド仲間と集まれない

 

なんて状況だったですよね。

 

で、ひとり家でくすぶってたりするミ
ュージシャンが多かったわけです。そ
のまま音楽を続けるのを諦めてしまっ
た人たちもいたんでしょう。

 

一方で、今はネットってものがありま
すから。オンラインでコラボとかする
形で活動を続けた人たちもかなりの数
いました。

 

そんな形で作品をリリースしたり、
イブやったりとか、そちら方面のやり
もこの2年ほどでだいぶ進化してき
ましたよね。

 

ですが、

 

今回紹介するミュージシャンは、ま
たちょっと違ったアプローチで苦境を
乗り切ったそうでして。こちらの記事
に紹介されてたんですが(すみません
英語です)▼▼▼

 

ニュージーランドの若者だそうですが
彼もコロナによるロックダウンバン
ドとして集まれなくなったようで。そ
こでどうしたかというと

 

楽器演奏経験のない母親にドラムを、
父親にベースを教えて、セッションを
始めた

 

のだそうです。

1年もしないうちに2人上達は著し
く(特に母親)、いろんな曲を演奏す
るようになり、ついに Spotify でアル
バムを配信するまでになったのだとか。

 

いかがですか? なかなか面白い解決
ですね。

 

まあ、誰にでもできるとはいえないか
もしれませんが。参考に出来る方はな
さっていただければ、と。

 

(ちなみに、彼らの演奏動画は、上の
記事の中にありますのでご興味ありま
したらそちらを)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

音楽における世代間抗争(あるいは、じゃれあい?)について

んか以前 Twitter (今のX)
見てたら、んなツイートがい
いねを集めてまして▼▼▼

 

まあ、われわれ世代ビートルズやら
ストーンズ推したがるように、レッ
チリやらオアシスやらを推す(おそら
く)今 40 歳を過ぎた新たな「おじさ
ん世代」が生れている、ということな
のかもしれませんが。

 

歴史は繰り返すんでしょうかね。

 

人間、30歳を過ぎると新しい音楽を
こうとしなくなる、なんて話もこの
ツイートスレッドに出てきますね。

 

さらにこのツイートのスレッドを見て
いくと、「ミスチルおじさん」「ニル
ヴァーナおじさん」とか他にも色々出
てきますね。

 

まあ、ロックの歴史なんてモノは、
の世代への反抗心で出来上っていると
思うので、こうした状況むしろ正常
運転な気がしなくもありません。ある
種の予定調和というか。

しかし、今の音楽状況を見ると、これ
から先はどうなっていくんでしょうか
ね。「ビートルズ」とか「ストーンズ」
とかいう大きなくくりのできるクラス
ター維持できるのか。ちょっと心配
してしまうところもあります。

 

前にも書いた気もしますが、若い人た
ちの音楽的興味結構拡散している気
がするんですよね。ジャンル的にも時
代的にも

 

Official髭男おじさん(おばさん?)
か生れるんでしょうか。東京事変あた
りはありそうかな。あとは K-POP ね。

 

一方、無駄な争いを好まないといわれ
Z世代と呼ばれる人たちが、こうい
ったロックな世代間抗争乗ってくる
のか? とかいう別の心配(?)も湧
き上ってくる今日この頃でもあります。

 

ま、ヒマだと色々考えちゃうんですよ
ね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

めんどくさい奴になりたくなければ、ちょっとめんどくさく考える?

SNSとかの投稿読んでるとた
(よく?)めんどくさい人がい
るなあとか思いません?

 

なんか、自分の主張を繰り広げること
読む人間押さえ込もうというか、
自分の理屈万能であるかのように書
いたりしてるとかね。で、それに反対
なことを書かれたりすると怒ったり
バカにしたりとか。

 

まるで理屈さえ通っていればなんでも
許されると思ってるというかね。まあ
その人の理屈なんですが。

 

あと、コロナ直接対面でのコミュニ
ケーションの量が減ってメールとか
文章でのコミュニケーションが増える
中で、正論を振りかざして人を追いつ
めるなんていうケースも増えているの
だとか。

まあ文章というのは、書いてからも見
直して(自分から見て)スキのない
うに手直しできたりするのでね。そん
なことをやったりする人は、スキのな
いメールが送れれば、それで誰でも納
するなんて思いがちですが。

 

実は文字でのコミュニケーションは、
対面のコミュニケーションに比べて情
報量が格段に少ないので、伝わらない
ことも十分考えられるのですが、書く
側はそれが我慢できなくて、結局言い
たいことの押し付けになったりして。

 

結果めんどくさいやつ認定されてしま
うなんてことになったりしてね。

 

結局、大事なのは、そんなふうに白黒
ハッキリつけられることそんなに
ないわけで、それを受け入れられるか
どうか、そんな思考ができるかなので
はないかとか思うんですけど。

 

グレーな領域を無視しないというかね。

 

ある意味めんどくさいことなわけです
が、そういう考え方ができると「めん
どくさいやつ」と思われるのを防ぐこ
とができるのではないか。

 

なんてことを考えて、SNS でのやり
とり覗いたりしておりますですよ。
あーめんどくさ。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

ハイパーな修正?

楽理論を学ぶというのは、
に悪いことじゃないし、役にも立
とは思うんですが。

 

ときに、中途半端な知識がかえって
になったり、奏がおかしなことに
なったりもします。

 

演奏そのものよりも、自分がちゃんと
理論にかなった演奏してるかが気にな
ったりしてね。演奏の方がおろそかと
いわないまでも微妙になってしまった
り。

 

でもまあ、それも通らねばならない道
なのかもしれませんけどね。

 

この前、言語学に関連した、といっ
ても本格的な学術書ではなくて、エッ
セイ集みたいなものですが、そんな本
を読んでいたんですが。

 

外国語を話すときよくある間違い
にするあまり、過度に修正をかけてし
まうことがあるそうで。

 

例えばラテン系の言葉(フランス語
とかイタリア語とか)ネイティブ
スピーカーH の音発音ができな
というか、そもそも H はそういった
語だと無音なので、「花」を「穴」
たいに読んでしまう、なんてことが起
こります。

 

で、それを教える側は修正するわけで
すけど、話す側が、そのことを気にす
るあまり過剰に修正しようとする傾向
が出ることがあるそうです。つまり、
この場合「穴」を「花」と読んでしま
うことになったりするわけで、

 

Hypercorrection

 

とかいうそうですけど。

 

ハイパー修正?

 

ま、用語はどうでもいいんですが、よ
言語の習得と音楽(理論)の習得を
比較する話を見たりするんですが、
んなことも似てるかな、などと、思っ
たある日の読書体験ではありました。

 

て、ことで。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)