セッション・「コミュニティ」の難しさ?(続き)

ちらの続きでございますが。

 

ジャム・セッションコミュニティ的
なものが出来て、それを維持していこ
うとすると、結構微妙なさじ加減がい
るので、そう簡単ではないんじゃない
か? というような話でした。

 

ジャム・セッション愛する人たち
て、バンドによくあるような縛りの強
い関係は苦手な人も多いと思うんで、
まあ、そうだよね、と頭では理解でき
と思うんですけど。

 

でも、実際に前回も書いたような、良
い意味での(なのか?)いい加減さ
か、ユルさとかを維持するのって、
外難しいのかも、と最近思うわけです。

 

だいたい、「ユルさを維持」ってのも
変な日本語といえばそうなわけで。
なんだか不誠実なんだかよくわから
ですよね。

 

でも、そこらへんがキモだったりする
んじゃないか、と思うんですね。

 

で、

 

そんな結構綱渡り的なことをやってる
わけですが、マジメな人とか、自分に
自信のある人とか、よくいわれるよう
しっかりとした「自分」のある人
と、

 

コントロール効かせ過ぎてしまう

 

ということがあったり、あるいは自分
の考えと違うメンバー目についたり
すると

 

リセットしてゼロから始めたがる

 

とか、そんな方向に行ってしまったり
しがちかも、なんてことを思うんです
よね。

 

で、結局コミュニティは広がらない、
というか、考えが少しぐらい違ってて
ゆるく繋がれば良さそうなところを
内に閉じこもってしまうとかね……

 

まあ、それでいいなら、それでもいい
んでしょうけどね(←意味不明)。

 

なんてことを、あまり確たる自分のな
い私は思う今日この頃であるなあ、と
秋の一日考えたというお話でした。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

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