LとRといえば……

回、LとRを間違える間違え
ないという話をしましたが。

 

そういえば、別に間違いというわけじ
ゃないんですが、一時期ポルトガル語
を勉強しようかと思ったことがありま
して。

 

ま、結局モノにはなってないんですが。

 

ともあれ、そんな頃ポルトガル語の
単語を眺めていて気がついたことがあ
ったんですが。

 

何かというと、ポルトガル語の単語
他の言語、例えば英語とかもっと近い
言葉でいえばスペイン語の単語だと
になるはずのところがRになっている
ものが結構あることなんですね。

 

たとえば、「白」スペイン語だと

 

Blanco

 

ですが、ポルトガル語だと

 

Branco

 

なんですね。

 

他にも、スペイン語の plato(皿)
ポルトガル語だと prato になったりと
かね。英語だと plate ですよね。だい
たいPとかBとかの後におこるみたい
なんですけど。

 

そういえば、「ありがとう」の意味の
obrigadoスペイン語だと obligado
(感謝している)ですね。

 

なので、まあ、とくにポルトガル語を
勉強しようと思わない人にはどうでも
いい話ですが。

 

 

ボサノバやサンバの曲を原語で歌おう
なんて人は気をつけた方がいいかも、
というお話でございました。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

 

境界を拡げたい気持ち vs 確定したい気持ち

京スカパラダイスオーケスト
ラというバンドに “Paradise Has
NO BORDER”(「パラダイス・
ハズ・ノー・ボーダー」)という
曲がありまして。

 

このバンドの代表曲の1つなので、耳
にされたことのある方も多いと思うん
ですが▼▼▼

 

この曲、スカパラの曲なので、まあ
ャンル的にはスカの曲ではあるんです
が、聴けばわかるように、曲全体を通
してラテン音楽で使われる「モントゥ
ーノ」といわれるフレーズのパターン
が使われてるんですね(冒頭のピアノ
のフレーズがモントゥーノです)。

 

なのでこの曲のことを(うっかり?)
「ラテン」と呼んでしまったことがあ
りまして。

 

そしたら、ラテン音楽を愛するとある
「スカはラテンじゃない」とかい
われたんですよね。まあ、そう言いた
い気持ちもわからないでもないんです
が、こちらにも言い分がないわけじゃ
ないわけでして。

 

スカはご存知の通りジャマイカ発祥
音楽、つまりカリブ海の島の音楽で、
そこに住む人々はキューバなどラテン
音楽が演奏される主要な地域と地理的
に近いわけで、そういう地域の音楽に
影響を受けていますし、そもそもルー
ツをアフリカに持つ人々の音楽という
点ではしているわけです。

 

で、まあ、

 

結局、人には色々考えがあって言い分
があるってだけの話なんですけどね。

 

とはいえ思ったのは、ジャンルの領域
をしっかり確定しないと気が済まない
が、その辺を拡大解釈(?)したり、
なるべくゆるやかに考える人にある種
怒りを持つというのは、形は違えど
よく目にするよなあ、ということなん
ですよね。

 

 

そんな食い違い「ノー・ボーダー」
という曲について起こったというのも
皮肉な話ですが。

 

ジャンルへの愛の強い人はそんな領域
内と外に敏感なことが多いようです
し、それはそれで尊重しないといけな
いとは思うわけですが。

 

一方で、面白いことはそういう境界の
あいまいなところで色々起きているん
ではないかなあ、などと思ったりもす
るんですよねえ。そういうとまた怒り
を買うのかもしれませんが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ファンクの歴史が観られない?

日、YouTube にアメリカの公
共放送局である PBS 制作の動画
がアップされてるのを見つけまし
て。

 

これが、ファンク・ミュージックの歴
を描いたドキュメンタリー映画だっ
たんですね。1時間20分ほどの動画
んですが。

 

で、見始めたら、これがなかなか面白
てですね、色んなミュージシャン
音楽や黒人の歴史についての研究者
それぞれの立場から解説しているんで
すが。

 

そこにもちろん、ファンクの有名な曲
映像とともに流れるわけですね。

 

解説は英語ですが、まああまりそれに
とらわれなくても楽しめるし、最近は
自動翻訳の字幕なんかも出せますしね。

 

そうやって楽しんでたんですが、他の
用事の関係三分の二くらいまで観た
ところでいったん停めて、またあとで
観ようと動画を閉じたんですね。

 

そしたら、

 

さて続きを観ようとしたら、なぜか、

 

動画を再生できません
この動画は、お住まいの国では公開さ
れていません

 

という字幕とともに観られなくなって
しまったんですよ。

 

 

ファンクの歴史を、ジェイムズ・ブラ
ウンから始まってスライ・アンド・ザ
・ファミリー・ストーンジョージ・
クリントンのパーラメント/ファンケ
デリックとたどり、ゴスペル・ファン
なんていう日本ではあまりなじみの
ないジャンルの話をはさみながら、
部への黒人の移住によってファンクの
中心地も移り変わるなんて話の中で、
さて、プリンスが登場……

 

なんてところだったんですよね。観て
たこっちはすんごく宙づり状態という
かね……

 

なんで急に観られなくなったんでしょ
うね、版権とかの関係かなあ。

 

そんなわけで、とてもモヤモヤしてる
今日この頃です。くそー

 

ちなみに、こちらがその動画のリンク
なんですが▼▼▼

 

皆さん、観られますか? もし万が一
観られたら教えてくださいね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

モスラの人たち?

年(2025年)のゴールデン・
ウィークに吉祥寺音楽祭というの
に出させていただきまして

 

いつもやってるアラカンセッション
仲間たちと出たわけなんですが。

 

そのセットリストの中に、「モスラの
歌」というのがありまして。怪獣映画
「モスラ」ザ・ピーナッツが歌っ
た曲なんですが。

 

これがなぜかアラカンセッションでの
定番曲になってるんですね。

 

で、今回それをやろうということにな
って、やったんですが。あるメンバー
が、この「モスラの歌」の前に、イン
トロとして、

 

アランフェス協奏曲

 

を弾いたら面白いんじゃないか、とい
うことを言い出しまして。で、やって
しまったんですが▼▼▼

 

アランフェス協奏曲って、元々はもち
ろん独立した曲なんですが、チック・
コリアという人が有名な「スペイン」
という曲の前にイントロとしてやった
ことから、このメロディを聴くと、あ
スペインやるんだな、と思う人が多い
んですね。

 

特にジャズのセッションとかやる人た
ちはね。

 

で、まあそういう人の意表をつくとい
うかね、そんな狙いだったんですけど。

 

で、

 

ライブの本番が終わった後いつもセ
ッションするお店(バー)打ち上げ
してたんですが、そこにわれわれのバ
ンドの次に演奏したバンドの人が入っ
てきたんですね。

 

そしたら、われわれを見て開口一番、

 

「あ、モスラの人たちだ」

 

と、言ったんですよね……

 

 

われわれ、これからモスラの人たちと
して知られるようになるのかもしれま
せん。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

写真に撮れない?

でもヴァレンタイン・デー
てあるんですよねえ(あります)。

 

まあ、この歳になって会社も行かなく
なって義理チョコなんていうものにも
触れる機会がめっきりなくなると、
うでもよくなってくるわけですが。

 

え? ひがんでる?

 

……ま、それはともかく。

 

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
という曲については前にも書いたこと
がありまして。この曲は元々ミュージ
カルの中の曲なんですよね。

 

そしてこのヴァレンタインというのは
実は登場人物の男性の名前なので、元
々はヴァレンタイン・デーとは無関係
なんてことを書いたんですが。

 

で、

 

男の人についての歌ということですが、
まあある種のラブソングではあるわけ
で、そうするとその男性を(なぜか)
好きな人の側からの歌なんですね。

 

上になんで「なぜか」なんていう言葉
を入れたかというと、歌詞をよく読む
と、見た目は笑っちゃうけどとか、
リシャの彫刻のようではないとか、
を開けばあんた頭大丈夫?とか。

 

まあディスりまくっているんですね。
も好きなの、というね。まあツンデレ
たいな歌なわけです。

 

そんなディスりの中、いちばんひでー
、と私が思ったのは、上の笑っちゃ
う見た目の次に出てくる、

 

Unphotographable

 

という形容詞でして。つまり写真には
撮れない、そんな外見、といってるわ
けですね。でも好き、と。

 

なかなか素晴らしいツンデレではない
か、と。改めて久しぶりに思ったので
はありました。

 

ま、それだけなんですが。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

本はバック○○○○○では読めない

りと最近のことですが、

 

古書店にいったんですね。

 

それは別に珍しいことではないんです
が、その時には店先の安い本の並んで
いる棚には特に目ぼしいものはなく。

 

今日は手ぶらで帰るか、と思ったんで
すが、まあでも店の奥に並んでいる本
も見ておくか、と。中に入っていった
わけですね。

 

そうしたら、とある上下2巻で、定価
で買うとそれぞれ 6000円以上する本
が、揃いで 2000円とかで売ってたん
ですよ。状態も悪くない、というか、
かなりきれいなのが。

 

普通に考えると、古本だとしてもそん
安くならないと思うんですが。まあ
掘り出し物的に見えたんですね。

 

え? と思っておもわず買ってしまっ
んですが。

 

まあ、しかし、買ってみると、ハード
カバーずっしり重いし、2巻合わせ
て 1000ページ近くあるんで、

 

どうすんだ、これ?

 

って感じになってます。

 

そんな買い物してしまうことってない
ですか、みなさんは?

 

CD のボックス・セットを買ってしま
ったような?……しかしボックスセッ
ならプレイヤーにかけて、BGM 的
に流し聴きするという手もありますけ
ど。

 

 

流し読みっていうのはできますけ
、何かの片手間にバックグラウンド
でやることは出来ませんよねえ。

 

なかなか手間のかかるメディアですね、
というのは。

 

そういえば、著作権の切れた書物を集
めた「青空文庫」っていうプロジェク
がありますが、最近「青空朗読」
いうスマホのアプリを見つけまして。

 

ボランティア(?)の朗読者の人が、
そんな青空文庫に入っている作品を読
み上げくれているのを聴くことができ
んですよね。朗読されている作品数
はまだ数に限りがありますけど

 

なんかとめどない話になりましたが、
本はバックグラウンドに流せない、と
いう、当たり前のことを今さら思い知
ったというお話でした。

 

しかし、読まないとな、あの本……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

続けて読めない? 聴けない?

近、気がついてしまったんで
すけど。

 

本を読むとき、熟読して同じ本を何時
間も読むタイプですか? みなさんは。

 

はといえば、

 

そういうのムリ

 

タイプなんですよね。

 

昔からそうだったかといわれれば、実
昔は違ったのかもしれないとうっす
ら思ったりもするんですが……

 

でも、少なくとも最近は一つの本
読んでいてもしばらくすると別の本
読んでいて、またしばらくするとさら
に別の本を読んでいる。そんな感じな
んですよね。

 

新刊社会的なことを書いた本を読ん
でいたかと思えば、外国の小説を読ん
いて、またしばらくすると今度は日本
の小説を読んでいて……なんて感じで。

 

そういうのって内容がごっちゃになっ
頭に入らないんじゃないの?って思
われるかもしれないんですが、そうい
うこともないように思うんですよね。

 

で、

 

音楽を聴くのもなんかそんな感じなこ
とが多くて、最近は、

 

アルバム1枚聴きとおすのがなかなか

 

ムズイ

 

なんてことを思ってしまい。

 

アーティストジャンル横断的細切
れに聴いてしまう、なんてことが多い
んですよね。

 

最近のアルバムっていろいろ詰め込ん
であって長いですしね。ボーナス・ト
ラックとかいらんわなんてことも思う
し……。まあ、それはまた別の話です
が。

 

なんで、こういう読み方、聴き方にな
ってしまったかなあ。ノン・ジャンル
のジャムセッションとかやってるせい
かなあ。なんてときどき思うんですけ
ど。

 

まあ、別にいいんですけどね。誰に迷
惑かけてるわけでもないし。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

○○やるなら☆☆は全部読め/聴け?

りと最近、X(旧Twitter)
少しだけ(?)騒がせていた話題
がありまして、

 

哲学をやるなら岩波文庫を全部読め

 

ということを言った人がいたようなん
ですね。

 

まあ、結構昔からあるある種の恫喝
いうかカマシ的な発言繰り返しみた
いなんですが、そんな発言に賛成
だと盛り上がっていた、と。そんな
わけでして。

 

で、まあ

 

こういう権威主義的(に聞こえる)こ
とを言う人一定数いるわけで、特に
それなりに実績を積み上げてきた自負
のある人若い人に向かっていいがち
かとは思います。

 

「岩波文庫は大事だよ」くらいのつも
本人は言っているのかもしれない
んですが、発言としてのインパクト
つけるためにネタ的に言ってるのでは?
と思わないでもないですが。

 

いや、でも本気かもしれないですけど
ね……

 

それはともかく、こういう物言いって
音楽とかの世界でもときどき耳にした
りもするよなあとか思ったりもするん
ですよね。

 

ジャズを聴くならブルーノートの○○
○○番台は全部聴けとかね。特に聴く
専門の人に多い気がしますが。

 

色々聴いてるうちに結果的にそうなっ
てしまった、というのなら分からない
でもないですが。なんか、一種の生存
者バイアス的なものかな、などと思っ
生暖かく眺めております。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

最適解は1.75倍なのか?

りと最近、動画の視聴スピー
ドを速くして観る「倍速視聴」
ついて、校生が研究発表したと
いう話がありまして。

 

で、この高校生の研究結果によれば、

 

1.75倍までは理解度は変わらない

 

のだそうで、ネット界隈ちょっと話
になってました。

 

そしたら、なんかプロの(?)研究者
の人が、いやこのデータからこの結果
は導き出せないのでは? なんていう
ことをX(旧 Twitter)に書いたり
てたんですね。

 

それに対して、いやいや高校生の研究
発表そんなマジに反応しなくても、
なんていう反応がさらに出て、それに
さらに反論が出て……なんていうこと
が起こってました。

 

最近は研究発表する高校生も、それを
指導する高校の先生色々大変だなあ、
とか思いながら横目で見てたんですが。

 

で、

 

この研究の結論科学的な当否はまあ
置くとしてですね、この結論は、なん
私の日ごろの感覚とは結構マッチし
てる感じがしたんですよね。

 

なんか2倍速までいくと、ちょっとし
んどいなと思うことがあるんですが、
1.75倍だと結構、頭に入る感じがする
んですよね。あくまで個人の感想です
が。

 

なので、なんとなくこの高校生に同意
してしまう(全く科学的でない)私
いた、と。そんな話でございました。

 

あ、それからそういえば、YouTube
倍速設定って、一度1.75倍なら1.75倍
設定すると、その後の動画もみんな
その設定で再生しようとするんですよ
ね。

 

ときどき、倍速で聴いた後、音楽の動
画をみると、ビックリしたりするんで
よね……。まあどうでもいい話ですけ
ど。

 

自分に合った倍速設定お持ちですか、
みなさんは?

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

○○と賞を争う日?

年、10月というのはノーベル
の各賞の発表があるわけですが。

 

今年(2024年)の話題は、やはり

 

AI

 

でしたかね。

 

物理学賞はその AI の技術の中核であ
「機械学習」基礎となる手法
した研究者に贈られましたし。

 

化学賞AI を使ってたんぱく質の構
造を予測した研究者や、AI を活用して
まったく全く新しいたんぱく質を設計
することに成功した研究者に贈られま
した。

 

まあ、世の中 AI がこういった科学の
世界でも研究の中心になったり研究に
不可欠になる時代が来たということな
んでしょうけど。

 

で、

 

そんな流れをうけて、文学賞発表さ
れる直前SNS などでは、今年の文
学賞は、

 

ChatGPT になるかも……

 

なんていう冗談(?)がつぶやかれた
りもしていたんですよね。
まあ、結果はそうはならずに人間が受
したんですが。

 

なんかほっとしたような「人間で良か
った!」的な声も聞こえてきたりして
いました。

 

しかし、

 

そのうち冗談じゃなく音楽の世界
も、例えばグラミー賞人間と AI が
争ったりAI 部門なんていうのができ
たりするんじゃないかな……

 

なんてことを思わせられたりする展開
になってますね、世の中は。

 

良いことなのか悪いことなのかはわか
りませんけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

1人でやる練習に○○は想定されているか?

近、新しい韓国のドラマ・シ
リーズについての記事をたまたま
読んだのですが。

 

そのドラマのタイトルが、

 

誰もいない森の奥では木は音もなく倒
れる

 

というそうなんですね。なんかホラー
的なドラマみたいですが。

 

そのドラマを、私は観てはいないので
(いないのかい)内容がどうとかここ
論評するわけではないんですが。そ
記事が目についたのにはわけがあり
まして。

 

聞いた事のある方も多いかもしれませ
んが、「誰もいない森の中で木が倒れ
たとして、その時はたして音はするの
だろうか?」という哲学的な問題が昔
からあるんですよね。

 

私が初めて知ったのはその昔、何十年
も前に、SF短編小説の名手といわれた
フレドリック・ブラウンという人の小
説だったと思います。小説の筋は全く
忘れてしまったんですが、その部分だ
けは覚えてるんですね。

 

ちなみに、ドラッカーもこの問いを著
書で引用してるとか。私は読んでない
ですが……

 

で、そういえばと思い出したんですが、
だいぶ以前「たった1人で楽器の練
習をしているとき、果たしてそこに音
楽はあるのだろうか?」なんていう問
いを思いついたことがありまして。

 

夕方、頭が疲れてきたりしたときにこ
な妙なことが頭に浮かんだりしませ
か? え、しない?

 

そりゃ誰が聴いていようがいまいが
く人間が聴いてるんだから音楽はある
だろうって? 確かにその通りかもし
れません。

 

なんですが、ここで音楽ジャムセッ
ションに代表されるような、プレイヤ
ー同志やプレイヤーとオーディエンス
との間の「コミュニケーション」を前
提としたものであるとしましょう。

 

その前提に立てば、1つの重要な基準
は、たった1人で練習しているとして
も、「反応を想定している」かどうか
ではないかと思ったんですよ。

 

他のプレイヤーの演奏に対してどう反
応するか、他のプレイヤー、そして
ーディエンス反応を引き出すにはど
うしたらよいか。そんな想定をして練
習をしているか。

 

その想定のあるなしが、少なくとも
ッション的、ライブ的な視点からは、
1人練習が「意味がある」ものになる
ポイントなのかもしれない……

 

なんて事を昔思ったんですけどね。
じめか、とか突っ込みを入れる自分が
今となってはいるわけですが。もはや
元の問いとあまり関係ないし。

 

まあでも、もしかしたらご参考になれ
、と。

 

★この問いは、アイルランドの哲学者
であるジョージ・バークリという人の
思想から来ているといわれます。この
人は、「何ものも<知覚されること>
を抜きにしては存在しない」というよ
うな主張をした人でした。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

 

大○翔平に「いいこと」は起きたか?

る朝起きて、SNS とか眺め
てたら、

 

大谷翔平がまたホームランを打った

 

という動画がありまして。

 

まあ別にそれは珍しくないんですが、
このホームランライトポールぎり
ぎりの当たりで、

 

フェアかファールか

 

審議(?)になって、その結論が出
るまでに時間がかかったんですね。

 

で、その結論を待つ間球場(ドジャ
ー・スタジアム)でかかっていた曲
これでした。

 

ルーファス・フィーチャリング・チャ
カ・カーン“Tell Me Something
Good” という曲ですね。

 

ドジャーズの本拠地なので、「私に何
かいいこと言って」ということは「ホ
ームラン」だと言ってよ、ということ
になるわけですね。

 

で、まあそのとおりになった、と。

 

そんなことがあったというだけの話
すが、なんかちょっとしゃれてたな、
思ったという。

 

そんなとある月曜の朝だったというこ
とでございました。まあ、現地ではま
だ日曜の昼だったんですけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

セッションにおける Fly Me to the Moon 問題について

ッションでよくやられる曲に、

 

Fly Me to the Moon

 

というのがありましてね。フライ・ミ
ー・トゥ・ザ・ムーン

 

老若男女、たいていの人は知っている
曲で、古い曲なのに若い人にも知られ
ているのは、例の『新世紀エヴァンゲ
リオン』エンディング・テーマだっ
たせいだと思いますが。

 

で、この曲、わりとシンプルな構成
ものすごい転調とかもないので、初心
者もやりやすいし、というようなわけ
で、セッション・スタンダードになっ
ているわけですね。

 

この前も、ちょっとやったんですが。
ただ、この曲、1つ問題がありまして。

 

曲の構成が、ABAB’ という流れになっ
てまして、しかもこの B’ というとこ
ろも前半の B とほぼ一緒、という作
りなんですよね。そうすると、頻繁に
起こるのが、

 

自分が B にいるか B’ にいるのかがわ
からなくなる場合によってはバンド
全体もわからなくなる

 

というようなことなんですね。

 

そうすると、本来1コーラスの途中
前半の AB終わったところで、次の
人にバトンを渡そうとする人が出る
ということが起こりやすいんですね。

 

この前も、実際ありました。

 

で、

 

杓子定規なことを言えば、まわりは
違うよ、まだ後半があるよ、と本人
に知らせるとか、そ知らぬ顔して、後
半が終わって次のコーラスに移るまで
(ソロがなくても)バッキングする
とか、するべきなのかもしれませんが。

 

それもなんだか見苦しいというか、
き苦しいわけです。羞恥プレ、あ、い
や罰ゲームみたいだしね。

 

なので、これはもう、B のところでも
B’ のところでも、ソリストが終わった
らもう、そこからまた ABAB’ の頭だ
と思ってみんな演奏するようにする。

 

……というのを、もうセッション界の
決めごとにしてしまった方がいい、と
思ったわけです。

 

え? とか、そこじゃないYo! とか
そういうのはもうおくびにも出さず
さらっと。絶対その方がみんな平和に
楽しくできますよね、きっと。

 

めざせ業界標準?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ただし、AとかBの途中で受け渡され
も困りますけどね(笑)

 

AI時代とセッションのゆくえ?

の前、「曲」を決めてやるセ
ッションとそうじゃないセッショ
ンの話をしまして

 

のやってるアラカンセッションでは
どうしても曲を使ってやるセッション
傾きがちなんて話を書いたんですけ
ど。

 

つい先日にやったセッションでも、
和の歌謡曲なんかをネタにしたセッシ
ョン大盛り上がりしたんですよね。
(しかしカサブランカ・ダンディー
か、今の世の中では考えられない歌詞
ですなあ……)

 

思うに、それはその曲を単なる素材と
して演奏しているだけではないんです
よね。歌ってる歌手バンドだとか、
当時の音楽シーンだとか、そういった
ものを含めて改めて楽しんでいる、と
いうことではないかと。

 

別にだから、セッションは曲を使って
やるべきだとか言いたいわけではない
んですが。そして、曲を使わずにやる
セッションやればやったでちゃんと
楽しめるメンバーだったと思うんです
けどね。

 

で、

 

ふと思うとですね、たぶんこれから
世の中AI によって作られた曲
山出てくると思うんですが。そんな時
代のセッションというのは、どうなっ
ていくんだろうとか思うわけです。

 

そんな作者 AI というを、昭和の歌
謡曲みたいにみんなセッションとかで
やりたがるのか? やるのだとしても、
それは単なる素材として使われるのか?
あるいは時代やら音楽シーンも含めて
味わうようなことになるのか?

 

どうなっていくんでしょうね? 知ら
んけど。(まあ、その AI の作った曲
がどうマーケティングかによるんだろ
うとは、想像されますが)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ジャムセッションと楽曲の微妙な関係?

ャムセッションという活動は、
を決めてやるもの、と思ってい
る方が多いのではと思うのですが。

 

ここでというのは、既存の楽曲とい
う意味ですね。それを素材にというか、
その構成を基本にしてアドリブ・ソロ
を回したりするというやり方です。

 

もちろんそういうセッションは多くて、
ジャズのセッションなんてものは、
いたいそういうものだったりします。

 

なのであの黒い本(こらこら)が売れ
るわけですね。

 

でも、それがジャムセッションのすべ
てではないのでして。そんな既存の楽
曲に依存しないジャムセッションとい
うのもあるわけです。

 

どうやるか、というと、その場で曲の
構成コード進行とかグルーヴを決め
て、その決めた構成の上でアドリブで
ソロを回すなんていうもので。フリー
・セッションなんていう呼び方をする
人もいます。

 

この「フリー・セッション」(まあ
製英語でしょうけど)の良いところは、
事前の準備が(ほぼ)いらない、って
いうところですね。

 

曲をベースにしたセッションですと、
誰かがテーマのメロディを弾かないと
いけないわけですが、その準備もいら
ないしね。

 

ある意味敷居は低いと言えるのかもし
れません。もちろん、曲ベースじゃな
くても複雑にしようと思えば、いくら
でもできるんですが。

 

一方で、自分の好みの曲をやりたい、
という人も多いわけで、特に若い頃か
ら沢山音楽を聴いてきた人には、そう
いう思いの強い人もいます。

 

私のやってるセッションでは、どちら
もやるのですが、参加者アラカン世
代から上の人が中心なので、どうして
曲中心の比重が多くなりがちではあ
りますね……

 

個人的には、どちらも楽しいと思うん
で、どっちもありでいいんじゃないか
と思ってるんですけどね。

 

まあ、やりよう次第なので、結局、
っちも大して違わないともいえますし。

 

みなさんは、どちらがいい派ですか?
え? 考えたことない?

 

ま、そうか。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

新しい音楽を愛でる耳を求める心?

んな記事が出てたんですが
▼▼▼

 

なんか、このデジャヴというか、既視
というかね。あ、同じことか。
似たような内容の記事の話を書いた
と思うんですけど。

 

人間の音楽の好み10代前半で決まる
とか、みんな自分が若かった頃の音楽
が一番だと思っている、とか。

 

またかい、と思いながら読んでる、と
いうか見てるわけでして。

 

まあこんな記事が出るたび読んでる私
どうよ、とも思ったりするわけです
が……

 

それはさておき、

 

あと、音楽の好みが時代から離れて停
滞するのはだいたい30歳すぎから、と
かね。だんだん時代の音楽の流行
いていけなくなるってことですね。

 

これも、またよく聞くというか、まあ
そうだろうねえ、というような話だと
思うわけですけど。

 

なんでしょうか、やっぱりいくつにな
っても新しい最先端の音楽「わかる」
のがカッコいいという思いがあるんで
すかね? だとしても、気持ちはわか
らないじゃないですが、

 

諦めも肝心

 

ではないか、とも思うわけですよ。

 

だいたいそういうことが気になりだし
たらもう、それはそういう歳になった
ってことなんでは? と思うわけです。

 

みなさんは、いつまでも新しい音楽が
「わかる」大人でいたいですか?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ブルー・ボッサ簡単アドリブ法?

あ、単なる一つのアイデア
んですが。

 

この前、「ヨイトマケの唄」の話をし
たときに、この曲は基本メジャー・ペ
ンタトニック・スケールで出来ている
なんてことを書いたんですが。

 

ペンタ(トニック・スケール)といえ
ばですね……

 

ブルー・ボッサ(Blue Bossa)とい
う、セッションでよく演奏される曲
あるんですが▼▼▼

 

基本16小節というシンプルさセッシ
ョン向きで、哀愁のあるメロディ
サノバのグルーヴにのっていて人気
んだと思うんですけど。

 

この曲途中で部分転調するんで、アド
リブソロを弾く時なんかにそこで
ケールを切替えるのが難しいんだよね
ー、なんて話がこの前出ていたんです
よね。

 

こんな感じのコード進行になっている
んですが▼▼▼

頭の8小節(と最後の4小節)はCマ
イナーのキーなんですが、9小節目か
らの4小節が Dbメジャーという半音
上のキーになるというね。しかもマイ
ナー→メジャーという切替えもある
いうことで。

 

そこが躓きやすいところではあるんで
すが。

 

これをなるべく頭のリソース(?)を
使わない方向ソロに集中するには
うしたらいいかと考えたんですね。

 

で、

 

頭の8小節と終わりの4小節はCマイ
ナー・キーなのでここはCのマイナー
・ペンタで弾けるわけです。で、Cの
マイナー・ペンタは Ebメジャー・ペ
ンタと同じ(構成音)ですよね。

 

で、問題の転調する4小節なんですが
ここは Dbメジャー・キーですが、こ
ここは Ebマイナー・ペンタで乗切る
こともできるんですよ。そもそも、こ
部分の最初のコードは Ebm7 だし。

 

確認してみればわかるんですが、 Db
メジャーのスケールの中に Ebマイナ
ー・ペンタの構成音全てが含まれてい
んですよね。

 

なので、まず Eb メジャー・ペンタと
Eb マイナー・ペンタの行ったり来た
りで乗切るところから始めたら、どう
か? と思ったわけです。

 

特にロック小僧系の方にはお勧めでか
もしれない、と。

 

馴れてきたら、そこに色々音を足して
行くこともできますしね。

 

ま、あくまで一つのアイデアですけど
ね(くどい)。

 

て、ことで。

 

それでは、また ( ̄▽ ̄)

 

ヨイトマケと農場の密かな関係?

レビから流れてきた「ヨイトマケの唄」を聴いて、私が何を思ったか、という話でした。

 

とくに集中して聴いていたわけではな
かったんですが、聴きなじみのある曲
だったんで耳についたんでしょうね。
で、ふと、頭に浮んだのが、この曲だ
ったんですよ▼▼▼

 

はい、“Old MacDonald Had a Farm”
というアメリカの童謡(民謡)ですが、
日本でもよく聴きますよね。「イー・
アイ・イー・アイ・オー」というとこ
ろをみんな覚えていると思うんですが、
邦題「ゆかいな牧場」だそうです。

 

で、

 

「ヨイトマケの唄」の実際のヨイトマ
ケが「引用」されている部分ではなく
て、主人公のストーリーが語られる部
の出だしのところ。「今も聞こえる、
ヨイトマケの〜」ってところですが。

 

それが、この童謡の冒頭部分

 

ほぼ同じじゃね?

 

と思ったわけです。スローに歌ってま
すけどね、ヨイトマケの方は。

 

この「ヨイトマケの唄」は、美輪明宏
さんの作詞・作曲ということになって
いるようですが、この「ゆかいな牧場」
の冒頭部分に影響を受けているでは?
と思ったりしたということなんですが。

 

まあ、どうなんでしょうね。この2つ
の曲メジャー・ペンタトニック・ス
ケールを基本につくられてますんで、
似やすい、というのはあるとは思うん
ですけどね。

 

一方で、この2つの曲が似ているとい
うのは、なんか、

 

ほほえましい

 

と思ったりもしておりますが……

 

という、最近の「気づき」(笑)につ
いてのお話でございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

たまたま聴こえたヨイトマケの唄に何を思ったか

の前テレビを点けたら、桑田
佳祐さんの歌声が流れてきまして。

 

なんか NHK音楽番組で彼が(サザ
ンじゃなくて、桑田佳祐として歌っ
てたんですよね。歌っていたのは、
の歌謡曲とかシャンソンとかだったん
ですが。

 

で、そこで歌っていた曲の一つに、
輪明宏さんの

 

ヨイトマケの唄

 

があったんですよ▼▼▼
皆さんご存知だとは思うんですが、こ
の曲、美輪さんの代表曲で、紅白なん
かでも歌ってましたよね。歌詞の内容
から民放では長らく放送できなかった
とか、色々エピソードの多い曲ではあ
ります。

 

いわゆる土方肉体労働者作業の現
場で歌う唄題材にしてるので、どう
とかこうとか、ね。

 

そして、この曲の「復権」大きな役
を果たしたのが桑田さんで、彼が
分の番組この曲を歌ったこともあっ
民放でも放送されるようになったと
か、いろいろ。

 

で、

 

まあそれは基礎知識(?)としてです
ね、その日、この曲を聴いて、たまた
ま私が思ったことがありまして。

 

あれ? この曲って? と……

 

さて、私は何を思ったでしょう?

 

というところで、続きはまた次回(お
いおい)

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

セッションでやっていない曲について堂々と語る回

タイトルですが、これは、

 

「読んでいない本について堂々と語る
方法」

 

ヤール著)があって、私、読もうと思
って買ったけどまだ読んでないんです
が(ないのかい)。それをまあ早い話、
パクったものです。

 

買った時はある種の冗談本かと思って
たんですが、よく見てみるとけっこう
歯ごたえのありそうな本なんで、まだ
手をつけられていないんですが(笑)

 

ま、それはともかく。

 

読んでない本について堂々と語るのに
はそれなりのテクニックが要りそうで
すが、「セッションでやってない曲」
について堂々と語るのはまあ、簡単
すね。曲を知らないわけではない(も
ちろん知らない曲はできないですが)
ですから。

 

たまたま、自分のコンピュータデス
クトップに、以前からこれはセッショ
ンでやるといいかも、なんて思って
とかをまとめておいたフォルダがあ
りまして。最近、中をながめていた
でそれをネタにしようと思ったわけで
す。

 

あくまで私がセッションでやってない
というだけで、世の中でやられてない
ということではないので、ご注意(何
を?)ください。

 

で、

 

たとえば、“Wichita LIneman” なんて
曲がありまして。グレン・キャンベル
の代表曲ですね。カントリー系の人で
すが、いかようにもアレンジできそう
セッション向きだと思うんですが…
…▼▼▼

 

いちおう譜面も用意できるんですけど
ねえ。

 

ORIGINAL LOVE「接吻」なんての
も(去年 TikTok 界隈バズったりし
てましたが)、譜面作ったんだけど、
やる機会がないですねえ。セッション
向きな気がするんですが▼▼▼

 

シティ・ポップとか渋谷系とか、その
辺はあまりやってないなあ。この前、
「真夜中のドア」はやりましたが。

 

あと、ケニー・ギャレット“Sing a
Song of Song” なんてのもこれは、
の中的にはいろんなところでやられて
いるような気がしないでもないんです
が▼▼▼

 

名曲ですよねえ。

 

なんてことを思ってコンピュータの前
に座っていると、すぐ時間がたちます
ねえ。まあ、ヒマなんですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)