「連続している」という考え方

日のお話は、いろんなこと
残念な
ことに連続している
ということです。
あっちかこっ
ちかという風にすっぱり
切り分
けられないってことですね。

 

なぜ「残念なこと」と言うかというと、
われわれは往々にして、「あれかこれ
か」という考え方をしがちですよね。
か。か。か。そん
な感じですね。天国地獄かとか、
り上がりか落ち着きか、とか(笑)

 

もちろん、それはある意味便利で役に
も立つからでして、とくに非常に短い
時間で判断をしなければいけないとき、
二択以上の選択肢があっても人間は判
断できないので、そういうふうに絞っ
て考えることは有効な手段であるわけ
です。

 

ただ一方で、科学研究の進展などで明
らかになっていることは、色んなこと
は、正しく理解しようとすると多くの
場合はっきりと二分できるわけではな
ということです。社会的にもそんな
考え方が「多様性」という言い方で力
を得てきていますね。

 

たとえば、今私は「内向型と外向型」
に関する本を読んでいるのですけど、
当たり前ですが、すべての人間がはっ
きりと内向型と外向型に分かれている
わけではないんですね。人によって、
両極端のどこかにいるわけです。

 

多くの人は「内向的」な面と「外向的」
な面をいろんな割合で持っているとい
うことですね。全体として、「連続体」
を成しているというわけです。

 

本の著者は「自分たちのちがいに感謝」
すべきだし「人間がみな同じだったら、
この世界はひどく退屈」だと書いてい
ました。いろんなモノゴトを連続した
ものスペクトラムなんて言葉もあり
ますね。フュージョンバンドじゃない
ですよ)と捉えることにわれわれは
れないといけないようです。

 

音楽やっていても、その人その人の
はもちろんあり、楽器による違い
あり、慣れ親しんだ音楽のノリの違い
も色々出ますよね。そういうものを窮
屈に1つの枠に押し込めるよりは、そ
んな違いを味わって楽しんだほうが身
体によさそう(?)ですよね。

 

グルーヴの違いや、ハーモニーの感覚
なんていうのもそういうものな気がし
ます。

 

二分法的な考え方便利で、ガイドラ
インとして有効だけれども、現実はそ
の2つの両極の間で「連続体」となっ
ている。そんなことなのではないかと
いうお話でございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

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