シェリー・マンというジャズの
ドラマーがいまして(故人ですが)。
ドラマーがいまして(故人ですが)。
アメリカの西海岸で活躍した人で、多
くの演奏が録音され音源となって残っ
くの演奏が録音され音源となって残っ
ています。自分で「シェリーズ・マン
・ホール」(笑)というナイトクラブ
を共同経営していたりもして、そこで
のライブの録音なども数多くあります。
この人がある時、インタビューでジャ
ズ・ミュージシャンの定義を聞かれて、
こう言ったそうです:
「我々は同じ演奏を二度出来ない人
種だ」
(ビル・クロウというジャズ・ベーシ
ストの書いた『ジャズ・アネクドーツ』
という本に出ていた話です)
シェリー・マンは「出来ない」といっ
てますが、この人は西海岸にいたせい
もあって、映画の音楽の録音などもヘ
ンリー・マンシーニかなんかと一緒に
やっていました。なので、同じことを
何度も繰り返すことが「能力的に」出
来なかったということはないはずだと
思うんです。
彼の言いたかったのは、ジャズという
音楽が、そういった同じ演奏を繰り返
すことに価値を置いていない、という
ことですね。毎回違うのが当たり前で、
その度にプレイヤーは(ある決まりご
とをふまえながらも)音を決めて演奏
したり、それにまた反応したりするの
がジャズだと言っているわけです。ア
ドリブでね。
これって、つまり基本的にはジャム・
セッションをやっているということで
すね。ジャズの本質はジャム・セッシ
ョンである、と。ジャム・セッション
というのはもともとジャズの世界から
生れたといわれていますから、まあ当
たり前といえば当たり前かもしれませ
んが。
で、こういうことをいうと、ジャズは
だから難しいとか、ジャム・セッショ
ンなんてとてもとか、そういうことを
言う人が出てくるわけなんですけど…
…。特殊技能が必要だ、と。
でも、そうじゃなくて、ジャム・セッ
ションやそこでのアドリブのソロとい
うのは、
今手持ちにしているテクニックと知識
の範囲の中で、演奏をまとめ上げる一
種の音楽的サバイバル・ゲームである
……と考えたらどうでしょうかね?そ
こでは現実的な状況の「見切り」や自
分でやれるこのとについての「割切り」
が大切になってくるのですが。そう考
えるとちょっと別の興味が湧いてきま
せんか?
え、逆になんか怖い?
んー、すいません忘れてください←オイ
て、ことで。
では、また。( ̄▽ ̄)
お読みいただきありがとうございま
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青井