理論が使える・使えないを分けるもの?

の前の音楽理論の話に関連す
ようなしないような話なんです
が。

 

たとえばドレミミの音どんな音か
なんて話になったりしたとしてですね。

 

メジャースケール3つ目の音で、
ではメディアントという名前で呼ば
れたりもして、この音がスケール
ジャーかマイナーかを決めるポイント
になっていてとか。

 

理論的に語ることや知識を得ることは
今やわりと(とても?)簡単にできる
わけです。

 

今、ChatGPT に尋ねてみたら、

 

「メディアントは、スケール内での安
定感や転調の効果をもたらす重要な音
とされています。また、コード進行や
メロディ作りにおいても重要な役割を
果たします。」

 

……という返事が返ってきました。

 

なんですが、

 

そのミの音を、たとえばアドリブ・ソ
を弾く時に効果的に使えるか、とい
うときに、上に書いたような知識だけ
を頼りにできるかといえば、まずでき
ないですよね。

 

やはり、実際に何度も弾いてみて、そ
自分の感覚と結びついていない
と使えないわけですね。響きとか、
起されるイメージとか、もしかしたら
とか。

 

それも、他の音リズムハーモニー
との関連においてね。

 

音楽理論を知ることはムダなこととは
思えませんが、そういう実践上の感覚
と結びつかないと結局、使えるように
はならないということですよね。

 

人工知能の世界やら、最近では言語の
習得のしくみの研究やらでいう「記号
接地問題」というのがあるんですが、
なにやらそれに近い話ではあるよなあ、
と思ったりしております。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

理論は使わないにこしたことはない? ○○○も?

し前、X(旧 Twitter)界隈で、
ちょっとだけバズっていたという
か話題になっていたのが

 

音楽理論は必要か不要か?

 

みたいな話で。

 

まあ、昔からある話題SNS場所
を移してされてるって感じですが。そ
れにいろんな音楽系 YouTuber だとか
いった人たちが反応してた、なんてこ
とがありました。正直またかよって思
わないでもないですが。

 

たぶん音楽やってない人の目にはほと
んど触れてないのではとは思いますけ
ど。狭い世界だなあ(笑)

 

で、おそらく、そんな流れを受けてか
なと思いますが、私の音楽仲間でもあ
る、ベーシストの Nori Shinsawa さん
も、こんなポスト(というかリポスト)
をしてました▼▼▼

 

ベーシストビクター・ウーテン
奏と理論の関係についての質問に答え
ている動画が「引用」されてます。た
しかにとても素晴しい内容でして。

 

理論というのは道具(ツール)なん
だ。クルマを運転してる時に修理道具
なんて使わずに済むならそれにこした
ことないだろ?」とか、なかなかいい
例えですね。その後のコメントも含め
ぜひご覧になるといいと思います。

 

(ここで使われている動画は、アメリ
カの音楽系 YouTuber として有名な人
の4年くらい前の動画のダイジェスト
に字幕を付けたものです。全編を観た
い方はこちらにあります。英語ですけ
どね▼▼▼

 

で、

 

まあ、そういうことなんですけど、実
はこの Nori さんのポストを読んだの
ほぼ同じ時に、こちらのポストも目
に入ってきたんですよ▼▼▼

 

理論だけで頭でっかちな MBA はいら
ないと言っている経営者の話なんです
が。なんか、ちょっとシンクロニシテ
ィ的なモノを感じたのではありました。
それだけといえばそれだけですが。

 

て、ことで。

 

それではまた ( ̄▽ ̄)

 

若者と句点とトニックと?

近の若者は「句点(文章の
終わりのマルのことですね)が怖
いらしい、という話がありまして。

 

色々と話題になってるようですが、
文末にある句点威圧的に感じ、
「(相手が)怒っているのではないか
解釈してしまう、のだそうです。

 

「マルハラ」なんて言葉もうまれてい
るそうで。

 

メールに馴れた年長者チャット中心
若者違い、なんていうもありま
すね。

 

この話を聞いたとき、さすがに
えそうなんだと思いましたが。まあそ
言われてみると、気持ちはわからな
くもない、などとも思ったりもしまし
たね。

 

英語で、言いたいこと言い切り調
「はい、おしまい」って感じで、最後
“Period.” (ピリオド)というのに
似た印象をうけるのかなあとか思った
りね。

 

で、

 

音楽で、この「マル」に相当するもの
といえば、フレーズの最後が「ドレミ」
の「ド」の音で落ち着く、なんてこと
かと思うわけですね。で、その後ろの
コードはトニック(キーCならCメジ
ャー・コード)なわけです。

 

そういうのは「落ち着きが良すぎて、
なんかいやだ」とか「怖い(?)」
「ハラスメントだ」とか思う人が増
えると、それはそれで面白いかな、と
思ったりもするんですが。

 

3度(ミ)とか5度(ソ)とか、2度
(レ)とか6度(ラ)とか色々ばらば
らになったりして。

 

でも、ま、実はそういうの今でも結構
あるんですけどね。これとか(これは
6度にいってますね)▼▼▼

 

音楽なんてそうやって色々試行錯誤し
て豊かになってきたわけでしょうしね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

だまし続けて欲しかった?

語が大事だなんてよくいわ
ます。

 

ストーリーとか、最近の流行り(?)
ではナラティブなんて言葉も聞きます
が、そんな物語人を動かすとか、
ミュニティを作るとか。

 

物語マーケティングなんて言葉もあり
ますしね。モノを売るのにも「物語」
は大事ということですね。

 

確かに、別に時代を問わず人間何か
ストーリーを意識しないと行動に至ら
ないというのは真実な気もします。

 

ですが、

 

一方で、ストーリー最初から最後ま
で、気持ちよく語れる人なんて、そん
なにいないよな、とも思うわけです。
誰でも小説家や脚本家になれないのと
同じ理屈でね。

 

昔の演歌だか歌謡曲に、

 

どうせ私をだますなら、だまし続けて
ほしかった

 

なんて歌詞がありましたが、最初から
最後まで気持ちよく上手に人をノセら
れる物語を作れる人は、そんなにいな
のでは? なんて思うわけです。

 

セッションでのアドリブ・ソロスト
ーリー展開を考える、なんてくらいな
平和なんですが。

 

あまり特別な才能がないなら、それ以
上のことで最初から大きな風呂敷広げ
ない方がいいよなあなんてね。〇〇を
日本の文化にするとか……(こらこら)

 

フェイク・ニュース上手に作れる人
間は数が少ないんだそうですよ。そん
な話をこの前聞いたんですけど。

 

ちょっとうらはらな関係の話かも、な
んて思ったのではありました。

 

なんて、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

悩むくらいなら、○○○○に選んでしまえ?

を売り出そうとかいうときに、
チョイス(選択)の幅がたくさん
ある方がいいと考えるのは実は
、なんてことはよく言われてる
話でして。

 

あんまり選択肢を増やしてしまうと、
人間混乱して逆に選べなくなってしま
、というのがここ最近(でもないの
か)のマーケティングの知見だったり
するわけです。

 

実証する実験なんかも有名なのがあり
まして、店に6種類のジャムを並べた
ときと24種類のジャムを並べたときで
は、24種類のチョイスがある方が売り
上げが増えるかと思ったら逆だった
んていう結果が出ています。

 

なので、今の企業は商品のラインナッ
を広げるよりは、なるべく絞り込も
とかするわけですね。一般論として
は(製品の性格によっては、そうもい
かないこともあるでしょうが)。

 

じゃあいくつくらいの選択肢が適切な
数なのかということになるわけですが、
これも研究があるようで、だいたい
7つくらい
までなら、人間選択肢として頭に入れ
ておけるようだ、ということらしいで
す。それ以上になると混乱して選べな
くなる、らしいです。

 

で、

 

はいきなり音楽というかジャムセッ
ションに飛ぶんですが、アドリブでソ
ロを弾こうなんてときに、次にどの音
を出そうとか考えると、西洋音楽の枠
の中で考えても12あるわけですよね。

 

多すぎる、わけです。

 

もちろん音楽には調性とか、流れとい
うのがありますから、いつも12の選択
肢で悩むわけではないですけどね。
択をするベースみたいな物があるわけ
で、ここの音のチョイスが大事、とい
うようなときも、例えばコードスケ
ールの理論からチョイスを絞るとかで
きるわけですが。

 

とはいっても、

 

音楽理論とか覚えれば覚えるだけ、チ
ョイスの幅も広がるわけでして、結局
その選択で迷う、なんていうことも起
きてくるわけです。

 

そんなときどうするべきか。なんてこ
とを考えて色々ネットで調べたりして
みたんですが。

 

どうも、

 

ランダムに選ぶ

 

ということのようなんですね。

 

理論的に落とし込んでいこうとかする
よりも、そっちの方が効率がいいし、
うまくいく確率が高い、らしい、ので
すね。人類の歴史を見てもそんなこと
がいえるという話で。

 

困難を前に生き延びてきた種族がどう
やってとるべき道を選択をしていたか
というと、結局「占い」だったりする
わけですよね。

 

なので、音の選択の話に戻ると、何か
最良のチョイスを見つけようとするよ
りは、えいやっと音を出して、それで
どうにかする、というのが実は良いの
ではないか、と思うようになった今日
このごろです。

 

え? 昔からそうしてる?

 

※とはいえ、そんなランダムな選択を
後付け的にではあってもバックアップ
するのは理論だったりするので、理論
の勉強が大事じゃないと言うつもりも
ないないんですけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

性格を切り替えて〇〇する?

も昔も英語をどう勉強したら
いいかというテーマのコンテンツ
はよく読まれるようで。

 

最近もこんな記事を読んだんですけど
ね▼▼▼

 

なんか熱く語ってますが。「とにかく
詰め込むのだ!」だそうです。

 

別に、としてここに書かれているこ
とを、うんそうだね、と思っているわ
けでもお勧めしようとしているわけで
もないので、誤解のないようにお願い
しますが。

 

というか、なんかはこの年ですから
ちょっとそこまでは勘弁してください
って思う方だったりするんですが。

 

ただ、

 

ここに書かれていることの中で、この
筆者の方が「私は英語に切り替えると
き、人格も変える」と言っている部分
に関しては、ちょっと、ああそれは
うかもしれない、と思ったわけです。

 

もなんか英語とか外国語を話さなき
ゃいけないときは(最近滅多にない
すけど)、ちょっと性格が変わるとい
うか、変えないと話せえないというか、
そう感じることがありますね。

 

そして思うんですけど、これは前にも
楽器を持って演奏するときも、音楽の
ジャンルや演奏する楽器によって、
格を切り替えるのも、有効な気がする
んですよね。

 

いろんな人格渡り歩いてセッション
したりすると盛り上がるんではないか
と思ったりするわけですが。どんなも
んでしょうかね?

 

英語? そっちはまあ、好きにして
ださい(こらこら)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

オバケが大切?

の前、Twitter ……じゃなく
て今は X っていうヤツを見てた
んですが(しかし何とかなりま
せんかね、この名前)

 

ある有名なシェフの人が、「ゴースト
・ノート」って言葉を使っていたんで
すね。

 

オバケノートって何って言う人もい
るかもしれませんが、これはオバケ
手帳とも関係なくて、音楽用語なん
でして。ノートは演奏されるを意味
します。

 

ドラマースネア・ドラム軽く入れ
認識できるかできないかすれすれの
とか、ベーシストフレーズの中
弾く(弾いてしまう?)音程感のない
かすかなのことですね。

 

そんな音なんでゴーストといわれるわ
けですが、じゃあ大切じゃない音なの
かといわれればそんなことはないので
して。

 

音楽(いわゆるビート・ミュージック
ですが)には、

 

グルーヴ

 

というモノがありますんで。

 

このゴースト・ノート入れる入れな
で、演奏のノリが全く変わってきた
りもするわけでして。

 

ゴースト・ノートは拍のアタマにくる
ことはまずなくて、ウラとかウラウラ
とか、そういうところに入るので、
ズムを細分化してカッコよくしたりす
るのには不可欠なんですね。

 

くだんのシェフの人は、食事のランチ
・コースなんかについてくる、これ
ントにいるの? というようなビミ
ーなあるモノについて語る時にこの言
葉を使っていたんですが。

 

これまたなかなかビミョーな使い方
(個人的にはやや違和感ありかな、こ
のシェフのことは好きなんですけど)
ちょっと笑ってしまった、というよう
なことでございました。ヒマかよ。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

英語の語順とバッ○ビー○問題??

んな記事を見かけたんです
けどね。▼▼▼

 

それで、英語の学習ってこんなことも
覚えなきゃいけないんだなあ、大変だ
なあ、と思いつつ、また別のことも思
ったんですけど。

 

1つは、ここでいちばん最初に出てく
る、 right and leftleft and right のど
っちが正しいか? っていう質問なん
ですけど。

 

どっちもあるんじゃね?

 

と思ったわけですよ。まあ、頻度でい
うと right and left かもしれないですけ
どね。調べればわかるんだろうけど、
めんどくさいので調べませんけど(こ
らこら)。

 

こんな曲もあるしなあ、と▼▼▼

 

で、

 

それはわりとストレートな突っ込み
んですけど。

 

もう一つは、これって最近よく見る
本人のグルーヴ感がどうとか、バック
ビートがどうとか、そういう話と似て
るなあということでして。

 

なんかネイティブ(本場のミュージシ
ャン)が聴くとそれ変なんだよ、と、
ネイティブじゃない人からいわれる、
という、その感じがですね、似てる
あ、と。思ったわけですね。

 

実際に英語で読んだり、聞いたりする
前に記憶しろってのもなあ、などとも
思うわけですよね。順番間違えたって、
ネイティブ違和感持つのかもしれな
いけど、それで死ぬわけじゃないけど
なあ、なんて。

 

思ったりしましたね。ええ。それだけ
なんですけど。

 

※語順のせいでそれこそ場面とか状況
によって受取り方が大きく変わる、と
いう可能性が全くない、とはいいませ
んけどね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

見えすぎちゃって困るの?

こんなことを書いたんです
が。

 

今の時代、楽器のテクニックに優れた
は世の中にいっぱいいることがす
に分かってしまうので、そんな人たち
簡単に「消費」されちゃうのよね、
といった内容でした。

 

時代を代表するような、たとえばギタ
ー・ヒーローなんていう人も生まれに
くくなっている、というのはそんなと
ころから来るのかもしれません。

 

そういえば、某所で発表された偉大な
ギタリストのランキングがプチ炎上
てましたが。そもそもそういうランキ
ングを作ること自体、時代にマッチし
てないのかもしれません。

 

で、

 

別の観点でいうと、そういうギター
らその他の楽器でも、言ってしまえば
音楽以外のことでもいいんですけど、
世の中の「達人」がこうすぐ可視化
れてしまうと、

 

ああ、それに比べて自分は……

 

なんてことを思わされることもおそら
昔に比べてとても多くなっている
では、と考えられるわけですね。

 

なので、挫折感を味わう確率というか
頻度高くなりがちなのかもしれない
なあ、と思ったのではありました。

 

「見えすぎちゃって困るの」なんてい
昭和なテレビのアンテナのコマーシ
ャルがありましたけど。

 

なんでも見えすぎるのをコントロール
する技術、というのも、今の世の中テ
クニックの習得それ自体と同様に(い
やそれ以上に?)大切みたいですね。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

いろいろ○○く関わりたい願望

の前のAかBか決められな
(決めたくない)話にも関係する
んですけど。

 

いろんな知識とか、音楽ジャンル
理論とか、楽器テクニックとか、
ガッチリ自分のモノにしたい、とい
欲求の強いほうですか? 皆さんは。

 

もちろん、モノゴトへのそういう関
り方悪いとはいいませんし、それが
必要な人生の局面(やや大げさですが)
あることも確かだとは思うのですが。

 

が、

 

この年になったからなおさら、という
のはあるかもしれませんが、私はとい
えば、

 

なるべくいろんなことにユルく関わっ
て、ユルく知識を得たい

 

と思う方なんですよね。

 

1つのジャンルのものとかに、深くか
らめとられたくない、というかね。ま、
ビビりといわれればそうなのかもしれ
ませんが。

 

なので、あんまり縛りのキツイこと
いわれると、基本的には敬して遠ざけ
という方向になりがちなんですね。

 

これはこうでなきゃいけない、とか、
グルーヴはこうでなければならぬ、と
か(おいおい)。あんなものはダメ
害にしかならない、とかね。

 

まあ、SNS なんてそんな発言ばかり
すが。

 

そういうの聞く(見る)と、なんか引
いちゃうんですよね。

 

なんか、それよりユルく色々かかわる
ことで、自分を通り抜けていったモノ
が、何か別のモノにつながるような気
がしなくもない、と思えるんじゃない
か、と。

 

大変ユルく思っているのですが。

 

え? 頭の中までユルくなる?

 

それがいいんじゃないか、と思うんで
すけどねえ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

AかBか決められないワタクシ? 決めたくないワタクシ?

ノゴトについて語る時、それ
AかBかのどっちかだよ、とい
ういい方で話を進めること結構あ
りますよね。

 

そんなときすぐに納得して、そうだ、
だからこっちだ、というように決定
きる人ですか? 皆さんは?

 

は、どうもそういうのって昔から苦
というか、そもそも2つのうちのど
っちかだっていうのはホントかな? 
とか考えてしまうんですよね。

 

人間の脳というのは記憶を書き換えて
しまうものらしいので、昔からこうだ
とかいう話も結構あやしかったりしか
ねませんが、それだと話がどんどんや
やこしくなるので、ここではまあそう
いうことだと思ってください。

 

で、そんなとき、私の考えがどういう
方向に向かうかというと、AでもBで
もない行き方(とかやり方とか)が
はあるんじゃないかとか、そんなこと
を少なくとも一度は考えずにいられな
んですよね。

 

まあ、それは優柔不断とか、あまのじ
ゃくとか、そういう奴だよねといわれ
ることにも繋がりかねないわけですけ
どね。

 

なので、

 

音楽、例えばコード理論の話なんかで、

 

コード盛り上がりか落ち着きかのど
ちらか2種類で捉えるんだ

 

とか言われると、なるほどと思う一方
で、え? でもホントに2種類しかな
いのかな?とか思ったりもするわけで
すね。

 

もちろん、リアルタイムでどんどん
行していくセッションの中とかでアド
リブソロを弾くなんて時に、二択よ
り多い選択肢で考えていられない、と
いう理屈実用上の有用性否定する
わけではないんですけどね。

 

でも一方で、そういう二択でこうだ、
という考え方に対して、一度は一歩引
いて考えてみる、というあり方は大切
にしたいとも思うわけです。

 

え? めんどくさい奴?

 

皆さんは、いかがですか?

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

時には跳んでみる?(メロディーも人生も?)

ール・ポータという人の書
いたスタンダード・ナンバーで
 “I Love You” というのがありま
す。▼▼▼

 

すごくどストレートなタイトですよ
ね。歌詞の方も「春がまたやって来て
/鳥たちも再び翼を広げ」とかそんな
わりと陳腐な感じのフレーズが入って
たりするんですが。

 

これ、実はコール・ポーターが友人
こういうタイトルこんな歌詞を使
って素晴らしい曲を作ってみろ、とい
挑戦を受けて、それで書いた曲なん
だそうです。つまりポーターらしいヒ
ネリのないタイトルや歌詞で良い曲を
かけるか? というわけでして。

 

結局この曲はミュージカルの中で使わ
れて、その後ビング・クロスビーが歌
ってヒットし、スタンダードナンバー
になるわけなんですね。つまりポータ
ーの勝ちだったわけです。

 

「素晴らしいメロディーは凡庸な歌詞
を凌駕する」とかポーターはいってた
らしいですが。

 

でね、

 

ポーターの言うようにこの曲はメロデ
ィーに特徴がありまして。曲の冒頭
そのまさに I Love You という歌詞に
あわせて、上の C から下の Db に跳ぶ
というところがあるんです(ちなみに
よく演奏されるキーFでの場合です)。

 

つまり、長7度下跳び降りている
ですね。この冒頭部分につけられた
ード(サブドミナント・マイナー系)
とともに意表をつく出だしとなってま
して、この冒頭部分によってこの曲の
印象はほぼ決まっているといっても過
言ではないかも(まあ中間部の転調と
か他にもなくはないですが)。

 

曲を作る時、流れるような綺麗に音の
つながったメロディーを生み出したい
と思うことも多いですが、印象に残る
メロディラインが生まれるのは、音の
跳躍が挟まれたときだったりします。

 

つまりスケール上のとなり(たとえば
メジャースケールだったらド→レとか
ソ→ラとかですね)やすぐ近くの音
動いていくのではなく、ちょっと遠い
音へと跳ぶ動きが生まれた時ですね。

 

もちろん年がら年中跳びまわっていて
も落ち着かないので、バランスではあ
るのですけども。

 

人間も、人生でときには日常に流され
ずに「跳ぶ」ことが求められることが
あるのと一緒かな? なんて思ったり
して……あまり関係ないか。ま、でも
そんなことをちょっと考えた、と。

 

※原文は:It’s spring again / And 
birds on the wing again

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

人は教則本に自分の○○を見る?

楽の教則本については、前に
も書きましたが。

 

前回書いた時には、何で音楽の教則本
というのは、挫折するとかしないとか、
読まないで本棚にたまるばかりとか、
そんなどんな本にでもあることを、
りたてて騒ぐ人が多いのか? なんて
ことを書きました(気がします)。

 

で、まあ、

 

そんなことどうでもいいじゃない(あ、
野口五郎だ)というような話ではあり
ますが、ちょっと思いついたことがあ
ったんですけど。

 

音楽の教則本というのは、その内容的
に、

 

読む人の未来を想像させてしまう

 

のですよね。

 

つまりその本を読んで、そこに書かれ
ていることをマスターして、早い話
奏が上手になった自分、というのを
メージさせるわけです。

 

で、買う、と。

 

そうすると、人はその本を見るたび
演奏が上達した(たぶん実現しないか
もしれないけど)未来を思い起こさせ
られるわけですね。

 

そういう意味ではフツーの本に比べる
と人間が執着するレベルは高くなる
かな、と思ったりしたわけです。

 

なので、それを捨てるということは、
(ありえるかもしれない可能性として
の)自分の未来を捨てる、ということ
なわけで。心理的ハードルは高いです
よね。

 

結果として、なかなか捨てられない
ね。と考えたということでございまし
た。

 

まあ、それが人間てもんなので、それ
でいいんじゃない? と思うわけです
が。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

数字の桁区切りと音楽の関係(あるいは無関係)

の前、某公共放送の「ボー
ッと生きてんじゃねーよ」と大
人が5歳児に叱られる番組観て
たらですね。

 

数字の桁区切りの話をやってまして。

 

ご承知のとおり、通常数字の桁を区切
るカンマ3桁ごとに記されるのが
ールのようになってますが、日本語の
本来の桁の区切り方4桁ごとに単位
が替わるよねえ……なんで? という
ような話だったわけですね。

 

英語とかは3桁で単位が変わるので、
問題はないんですが、確かに日本語を
使うわれわれとしては、結構日々(?)
苦労したりするわけです。まあ、馴れ
てしまえばそれまでってことでもある
んですが。

 

なんでそうなっているかというと、そ
の昔、福沢諭吉って人が外国の簿記の
本を翻訳したときに、そのまま3桁区
切りを持ち込んだから、ということら
しいんですね。

 

とまあ、単純な話ではあったんですが。

 

しかし、それでこの4桁と3桁の区切
りの違いで苦労する、というのはわれ
われ日本人には未来永劫(?)つきま
とうということになったわけですね。
まあ世界標準が3桁区切りなんで、
そらくどうしようもないんですが。

 

で、

 

思ったんですが、ふだん4つで区切っ
てるものを3つに区切る、って、

 

ポリリズム

 

みたいじゃないですか?

 

通常は4つ割りで進行するリズム
えて3つ割りとか5つ割りとかで割る
ことでリズムの盛り上がりや面白さを
生み出すというのをポリリズム的手法
というんですけどね。

 

リズムの複雑さや面白さを生み出すの
には良い手法ではあるのですが、それ
なりに馴れも必要なテクニックではあ
りますよね。

 

そういう意味では、ふだんから数字の
桁区切り3つ割りと4つ割りを行っ
たり来たりしてる日本人は、きっと
リリズムが得意に違いない……

 

な、わけないか。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

ファンタジーとしての○○本?

の前、YouTube 動画を色々
眺めてたんですが。

 

その中のある動画でビジネスの自己啓
発的な本について語っているところが
ありましてですね。

 

で、そこではそういうビジネス書は、
読めばできるわけじゃなくて、読むと
自分はそれができないことがわかる
めのものだ。なんて言ってるわけです。

 

で、さらには、そこに書かれている
キるビジネスパーソンの姿というのは、
ファンタジーなんだよ。なんてことも
言ってたんですね。

 

まあ、確かにそうだよなあ、なんて
うビジネスパーソンでもない私なんか
遠い目をして観てたんですが。

 

で、

 

ふと思ったのは、音楽の教則本なんて
のも、

 

ファンタジーとして読む

 

というのもあり、というかそういう風
に読む方が精神衛生上はよさそうかも
しれない。なんて思ったわけです。

 

課題として出来る出来ないで苦しんで
投げ出してしまうよりは、ファンタジ
ーとして楽しんで読み通す、なんて方
が結局良いのでは? なんてね。

 

YouTube でいっぱい流れている超絶技
巧の動画教則動画なんてのもファン
タジーとして見ると心穏やかに見られ
るかもしれませんね。

 

そうやって自分の本棚を見ると、ファ
ンタジー本結構一杯あるなあ、と思っ
たのではありました。この前少し売り
に出したんですけどね。

 

て、ことで、

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

「引き算で考える」のが苦手な世代? 得意な世代?

く、「引き算の発想」なん
て言葉を目にします。

 

人間、仕事にしても普段の生活にして
も、結果を出そうとして、えてして
れを足そう、これも加えようという発
想に陥りがち。でも、実は反対に余計
なものをそぎ落としてく発想やり方
良い結果を生みやすいということな
わけですね。

 

この「引き算の発想」音楽とくに
ャムセッションの現場でも役に立つ
え方とよくいわれます。

 

アドリブでソロを弾くというような状
況になると、アレをやって驚かせてや
ろうとか、もっと複雑なこともしたい
とか、「足し算」を考えやすいんです
ね。いわゆる「弾き気」ってやつで。

 

でも、実はある程度余裕を持ったとこ
ろにクライマックスを設定して、そこ
からき算してかなりシンプルなとこ
ろからスタートするという発想で望ん
だ方がいい結果になることが多いわけ
ですね。

 

で、

 

この発想、音楽でも大事なんですが、
人のアラカン以降の生き方を考える上
でも大事ではないか、と思ったりもす
るわけですよ。

 

特にサラリーマンで、これまで色々と
「足し算」を求めてきた人は、その
ラリーマン生活一段落したところで
「引き算」発想を取り入れて行くのが
、ではないか。

 

人生の転換期夢は色々つきないとは
思うのですが、余裕のある到達目標
持つのが大切ではないか。その上で、
最終的にプラスαがつけ加えられれば
それはそれで、グ○コのおまけみたい
なもので、嬉しいんじゃないか。

 

なんてことを思うんですが。ただ、上
にも書いたように「足し算」発想が頭
に刷り込まれたようなわれわれ世代
は、自然に取り入れるには案外ハード
ルが高いのかもしれません。まあ、そ
の人その人違うとは思いますけど。

 

それに比べて、「Z世代」とか、今の
若い世代の人たちの方が、こうした考
え方に親和性が高いのかもしれないな
あ、などと思ったりもするんですが。

 

て、ことで、まあぼちぼちまいりまし
ょう。

 

それでは、また( ̄▽ ̄)

 

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

セットじゃないとおかしいもの?

ットっていっても、別に昼
の定食の話とかCD10枚組とか
いうような話じゃないんですが。

 

最近、音楽とは全く関係のない(……
ともいえないか。まあ直接的には関係
のない心理学系の本を読んでいたら、

 

相づちを打つのとうなずくのはセット
しましょう

 

というようなことが書かれていたんで
すよね。

 

つまり、対面で人の話を聞くときに
づちを打つのは大切なわけですが、そ
れと一緒にちゃんとうなずくというの
セットでしないとなんか妙というか
おかしいよね、ということですね。

 

で、まあ、そう言われりゃたしかに首
を動かさず、うなずかないで相づちを
打つというのは、やってみるとわかり
ますがかなり変なわけでして。

 

下手すると、なんかばかにしている
うに見えたりするわけです。

 

で、

 

ジャムセッションで、人のフレーズ
反応してフレーズを返したりするとき
とか、特にコール&レスポンスをする
ときとかを思い出したんですが。

 

そんな時に最初にフレーズを出した人
の方を見たりアイコンタクトとか
ないでフレーズを返したりするのも、
うなずかない相づちほどとはいえない
かもしれませんが、結構不自然だよな
あ、と思ったと。

 

ちゃんと態度でも示さないとね。

 

そんなことを思った読書の時間であっ
た、というようなお話でした。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

脳をハラハラさせるのにいいこと?

年(2023年)のゴールデン
・ウィーは結局特に遠出もせ
ずにぐうたらしていたんですが。

 

私、あまりぐうたらしてるとボケる
なあなんていう不安にかられる、そん
な年ではありましてですね。

 

そんなことを思っていると、また
ことを書いた記事なんかが目に入って
きたりするんですけど。そんな中に、

 

というのはハラハラしてるときがい
ちばんフル稼働して冴える

 

ということが書いてありまして

 

これはまあ、ボケ防止とかそんな話と
いうよりはどうやっていろんなアイデ
アを生み出すか、なんて話の流れで出
てきたんですけどね。

 

というのは、なまけものというか、
危険を避けるために無意識にハラハラ
するようなことを避ける傾向があるの
で、意識的にハラハラするような
環境に身を置くようにすると、頭が冴
えてアイデアが生れやすいなんて書い
てありました。

 

とはいえ、どうすりゃいいんだ、とい
う話ですが、例えばいつもと違ったラ
ンチを食べにいくんでもいいんだなん
と筆者はいうんですが。

 

そんなら、セッションで、ふだんやっ
たことのない曲をやったりして、うま
く弾けるかとか、ロストしないかとか、
そんなことでハラハラするのもありで
はないか、なんて考えたのではありま
した。

 

まあ、この歳になると、あんまりハラ
ハラしっぱなしというのも、心臓に良
くない気もしますからね。良く知って
いてやってて楽しい曲と、ハラハラす
るような曲とを上手く「配合」するの
がよいかな、などと思ったりした大型
連休ではありました。

 

いかがですか?(なにが?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

ビジネス書とアドリブ・ソロの盛り上げ方?

ジネス関係の啓蒙書みたい
なのっていっぱいありますよね。

 

ビジネス書ブームなんて言葉だいぶ
にあった気がしますけど。今でも
ングセラーになっている古典から、
山のように出ている新刊から色々あ
るわけですね。

 

そんなビジネス書でも、特にたちが悪
というかこういうのは読むな、みた
いな記事を観てたんですが。エッセー
感覚で読み飛ばせる自己啓発書成功
哲学本、ライトな仕事術本みたいなや
つですね。

 

そういうビジネス書にはパターンがあ
そうで。だいたい、

 

著者がどん底を経験する→あるやり方
を始める→成功する→さあ君にもでき
る!

 

なんていう感じだそうです。なるほど。

 

たしかに著者の失敗や苦労で共感を得
とか、よくある手口(?)ですね。

 

で、

 

これって結局、アドリブのソロとかを
弾いて盛り上げるストーリーのパター
似てるなあと思ったわけです。

 

最初からドカンと盛り上げるわけでは
なくて、押さえたところか徐々に盛り
上げたり、2つ3つあったり、
度盛り上がったのがいったん落込んで
また復活したり。バリエーションはあ
るわけですが。

 

なんかセッションとかでソロを弾く身
としては複雑な気もするんですが、逆
に言えばそういう展開がある意味「効
く」ので使われるんですよね。

 

ビジネス書に書かれたメソッドとかが
効くってことじゃなくて、その語り方
のパターンがですけどね。

 

そんなわけで、ストーリー展開を意識
してソロを弾きましょうね(おざなり
やな、おい)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/

 

野球的? 蹴球的?

年(2022年)の年末あたり
サッカーのワールド・カップ
で日本中盛り上がっていたんで
すけど。

 

今年(2023年)に入ってからは、野球
ワールド・ベースボール・クラシッ
ク(WBC)盛り上がりました。日本
が優勝しましたから、なおさらでした
よね。

 

皆さんは、野球とサッカーとどちらが
お好きですか? 別にどっちが好きで
も嫌いでもかまわないんですけどね。

 

は前にも書いたと思いますが、中学
ぐらいまでサッカーをやっていた
で、どちらかといえばサッカー派です。
野球が嫌いということではないんです
けどね。

 

で、

 

同じスポーツ、同じ球技とはいえ、こ
2つの競技はだいぶ性格が違います
よね。特に違いを感じるのが、選手
プレーの見かただったり、データの
析のしかだったりします。

 

野球では、選手たちのプレーは非常に
細かく解析され、評価指標投手・野
では全く違いますよね。防御率とか
打率とか、OBPとかWHIPとか最近は
良くわからないのが色々出てきてるし、
守備の指標はまた別だし。

 

サッカーの場合は野球ほど細かい指標
のいろいろというのはあまり語られな
気がします。それよりもチームとし
ての連携とか、フォーメーションとか、
ポジショニングとか、そういうことの
分析より多く語られる気がしますね。

 

野球というのは、ワンプレーワンプレ
ーが独立していて、プレーごとに色々
分析がしやすいのに対して、サッカー
では一連のプレーの流れというものが
ありますしね。

 

そういう意味では音楽とくにセッショ
なんてものはサッカー的であるよう
な気がするんですよね。曲の頭から終
わりまでの流れがあって、その中での
連携とかやりとりとか、そんなことが
問題になるわけで。

 

だから私はセッションが好きなんでし
ょうかね? そんなこと聞かれても困
るかもしれませんが。

 

なんてことを大谷翔平選手三苫薫選
記事とか動画を眺めながら考えた
りしております。だからって演奏が良
くなるかというと、関係なさそうです
けどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

お読みいただきありがとうございま
した。こんな話やら、セッションノ
ウハウ
情報などお届けする無料のメ
ルマガ
やっておりますので、よろ
しければ
ご登録ください。その他、
色々な音楽
企画やシニアライフにま
つわる
話題をお届けしております。
こちらからどうぞ。▼▼▼
https://seniorlife.sakuraweb.com/page-48/