写真を撮って人に見せるとき、
作品として発表する時などは特
に、その写真を「トリミング」
する、ということをよくします。
作品として発表する時などは特
に、その写真を「トリミング」
する、ということをよくします。
なんでそんな事をするのかというと、
テーマやメインの被写体を強調したり、
全体の構図を整えたり、写ってはいけ
ないものが写っていたりしているとき
とか、色々あるわけですね。
昔の銀塩写真(て言葉がすでに死語か
な?)の時は、色々と手間のかかるこ
とでしたが、デジタルになってからは、
だれでも簡単にできるようになりまし
たね。
トリミングという行為には昔から賛否
両論がありました。反対派は「写真は
撮影したその瞬間を切り取るもので、
写っているもの全てに意味がある」と
かなんとかいうわけですね。
一方、賛成派は、「撮影の意図を強調
できるし、クリエイティブな創造の過
程の一つである」とかなんとかいって、
「どんどんやるべきだ」とかなんとか
あおったりするわけです。まあ、人そ
れぞれどっちでもいいんじゃないかと
思うんですが。
で、最初の方にも書きましたが、デジ
タル時代の今となっては、おそらくト
リミングされた画像を見る方が、ノー
トリミングのモノを見るよりだいぶ多
い気がしています。
動画だって、バイラルとかバズるとか
いうことが重要な現在では、極力短時
間でインパクトを出したいとなると、
「尺のトリミング」つまりどこまでつ
まめるかが、とても重要なポイントに
なったりしています。
デジタル化が進む中で、とくにSNS化
が進む中で、人間のアテンションスパ
ンというか一つのことに集中していら
れる時間が、どんどん短くなっている
という気がしますねー。
そんな中、音楽というものは、そうい
うトリミングのプレッシャーに耐えて
(?)それなりの時間を確保している
ように見えますね。何でだろう?リニ
アに鑑賞するもの、という意識がまだ
かなり残っているということでしょう
か?
とはいえ、まったくプレッシャーがな
いわけでもなく、長ったらしいアドリ
ブソロなんていうのは、おそらく今は
あまり好まれない時代なんだろうと思
います。特にネット上などでは。
逆に言えば、純粋に「ノー・トリミン
グ」な音楽を聴きたければ、やはり現
場に足を運んでいただくしかないのか
と思えます。ライブとか、セッション
とか、ね。
もちろん、だからってだらだらとしま
りのないアドリブソロを弾いていいっ
てものじゃないんですけど(汗)
では、また ( ̄▽ ̄)
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