この前、こんなこと書きまして。
最初は憧れて全面的に取り入れようと
か思っても、だんだんアラも見えてき
て、結局いいとこどりするようになる
(のが普通というか、いいんじゃない
の?)というようなお話なんですけど。
読み返してみたんですが、ちょっと皮
肉っぽ過ぎるかなと思ったりしたもの
で……特に「いいとこどりされる」人
たちについてですが。
で、まあちょっと関連して考えたこと
があったので、追加で書こうと思って
書いてるんですが。
最近ヒマなので(そんな話ばっかりだ
な)、脈絡なく本を読んだりしてるん
ですが、この前、精神分析というもの
の創始者である
ジークムント・フロイト
についての本をパラパラ読んでたんで
すけどね。そのフロイトの生涯につい
ての部分だったんですが。
で、それを読んでるとこの人、
友人とか弟子とかと、意見が相いれな
くなって、その友人とか弟子が袂を分
かって離れていく
ということがやたらと多い人だったみ
たいなんですよね。
有名な人ではアドラーとかユンクとか。
他にもいますけど。
で、まあその詳しいことを知りたい人
はそういう本を読んでいただければと
思うんですが、そんな離れていった友
だちとか特に弟子たちは、ある意味フ
ロイトの学説の「いいとこどり」をし
て、自分の学説を展開していくことが
多かったわけですよね。
でも、その一方でフロイトの業績の価
値がなくなってしまった訳では全くな
いわけですね。
なので、なんにつけてもいいとこどり
された人も別に悲観することもないん
じゃないか。いいとこどりされるって
ことは「いいとこ」があるんですから
なんて、思ったりしたわけです。
え? やっぱり何か皮肉っぽい?
そうかー……ま、いいか(いいのか?)
て、ことで。
それでは、また ( ̄▽ ̄)