「良い」演奏とは何かを(いろいろ)考える

ンドであれ、ソロであれ、
ジャムセッションであれ、音楽
を演奏しようという時は、だれ
「悪い」演奏をしようとは思
わないわけで。

 

まあ、たまに変なことを考える人もい
るので絶対にないとは言いませんが。

 

普通何かしら「良い」演奏をしたい
と思うのだろうとは思うんですが。

 

じゃあ、その「良い」演奏というのは
どういうものか、というと、案外深く
考えてなかったりするんじゃないか
思うわけですね。

 

というか、そもそもこれが「良い」演
であるという唯一の基準というもの
あるのか、というとそういうわけで
もないので。

 

その人その人で、実はいろいろ違って
いたり似ていたりということがあるわ
けです。

 

技術的に正確間違いがないというこ
となのか? 自分の表現したいことが
出来ることか? 観ている(聴いてい
る)人が喜ぶことか? とかまあ、い
ろいろ。

 

そして、演奏する側演奏を聴く側
も、「良さ」の基準は変わってくる
けですよね。

 

なので、

 

「良い」演奏をしようと思うこと自体
は別にいけないとは思わないのですけ
ど、そもそもその「良い」演奏は誰に
とってのどんな演奏なのかたまに考
えてみるのもよいのかな、とも思うわ
けです。

 

曲がありまして。

 

酒が飲める理由をとにかくいろいろ上
げていく歌ですが(笑)

 

おんなじように演奏が「良い」理由
色々な視点でリストアップしておくと
いいのかもしれません。それが必ずし
誰もが納得する理由でなくてもいい
と思うんですよね。

 

リストのうちの1つでもできたとした
ら、それはなかなか立派な達成といえ
るのではないか、と。

 

そんなことを考えたヒマな一日があっ
た、ということなんですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

いろいろ○○く関わりたい願望

の前のAかBか決められな
(決めたくない)話にも関係する
んですけど。

 

いろんな知識とか、音楽ジャンル
理論とか、楽器テクニックとか、
ガッチリ自分のモノにしたい、とい
欲求の強いほうですか? 皆さんは。

 

もちろん、モノゴトへのそういう関
り方悪いとはいいませんし、それが
必要な人生の局面(やや大げさですが)
あることも確かだとは思うのですが。

 

が、

 

この年になったからなおさら、という
のはあるかもしれませんが、私はとい
えば、

 

なるべくいろんなことにユルく関わっ
て、ユルく知識を得たい

 

と思う方なんですよね。

 

1つのジャンルのものとかに、深くか
らめとられたくない、というかね。ま、
ビビりといわれればそうなのかもしれ
ませんが。

 

なので、あんまり縛りのキツイこと
いわれると、基本的には敬して遠ざけ
という方向になりがちなんですね。

 

これはこうでなきゃいけない、とか、
グルーヴはこうでなければならぬ、と
か(おいおい)。あんなものはダメ
害にしかならない、とかね。

 

まあ、SNS なんてそんな発言ばかり
すが。

 

そういうの聞く(見る)と、なんか引
いちゃうんですよね。

 

なんか、それよりユルく色々かかわる
ことで、自分を通り抜けていったモノ
が、何か別のモノにつながるような気
がしなくもない、と思えるんじゃない
か、と。

 

大変ユルく思っているのですが。

 

え? 頭の中までユルくなる?

 

それがいいんじゃないか、と思うんで
すけどねえ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

下手になったと思った時がチャンス? なの?

楽やっていると、この曲は
まくやれるとか、自信があるとか、
そんな曲がだんだん出来てきたり
します

 

え? ない?

 

……

 

話を進めますが(おい)。ところが、
あるときそんな自分でも上手くやれる
自信のある曲を弾いたり・歌ったりし
たら、

 

なんか下手になった……

 

と思うことがあったりしませんか?

 

経験のある人も多いかと思うんですけ
ど、そんな時ああもう俺はダメだとか
までは思わないにしても、ショック
悲観的になりやすいんですが……

 

まあ、ぶっちゃけ私にもそういうこと
はあるわけでして。

 

で、

 

以前、哲学者小説家としても活躍
ている、千葉雅也さん

 

クオリティが下がるのは(その人が)
変化している時

 

というようなことを YouTube の動画
かなにかでおっしゃっていたのを思い
出したんですよね。

 

で、千葉さんの X (Twitter) の発言など
を見返していたら、

 

「クオリティの維持をやめないと変化
は起きない。それが、再現性から創造
性へ踏み出すということのひとつの表
現である」

 

ということを書いておられたのを見つ
けました。

 

まあクリエイティブといわれる活動
全てについていわれているとは思いま
すが、音楽もその例に漏れないだろう
と思われるわけで(ちなみに千葉さん
は、音楽も演奏されますね。ピアノ
弾かれます)。

 

なので、以前は良かったはずの自分の
演奏のクオリティがなんだか落ちてい
と感じたという時は、実は何か自分
に変化が起きている、そんなチャンス
だと思うのが良いのではないか。など
考えたのではありました。

 

そんなわけで、私の文章がなんか下手
になったなあ、などと思われたら、そ
れは私が変わろうとしている時だ、と。

 

生暖かい目で見守っていただければ幸
でございます(こらこら)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

AかBか決められないワタクシ? 決めたくないワタクシ?

ノゴトについて語る時、それ
AかBかのどっちかだよ、とい
ういい方で話を進めること結構あ
りますよね。

 

そんなときすぐに納得して、そうだ、
だからこっちだ、というように決定
きる人ですか? 皆さんは?

 

は、どうもそういうのって昔から苦
というか、そもそも2つのうちのど
っちかだっていうのはホントかな? 
とか考えてしまうんですよね。

 

人間の脳というのは記憶を書き換えて
しまうものらしいので、昔からこうだ
とかいう話も結構あやしかったりしか
ねませんが、それだと話がどんどんや
やこしくなるので、ここではまあそう
いうことだと思ってください。

 

で、そんなとき、私の考えがどういう
方向に向かうかというと、AでもBで
もない行き方(とかやり方とか)が
はあるんじゃないかとか、そんなこと
を少なくとも一度は考えずにいられな
んですよね。

 

まあ、それは優柔不断とか、あまのじ
ゃくとか、そういう奴だよねといわれ
ることにも繋がりかねないわけですけ
どね。

 

なので、

 

音楽、例えばコード理論の話なんかで、

 

コード盛り上がりか落ち着きかのど
ちらか2種類で捉えるんだ

 

とか言われると、なるほどと思う一方
で、え? でもホントに2種類しかな
いのかな?とか思ったりもするわけで
すね。

 

もちろん、リアルタイムでどんどん
行していくセッションの中とかでアド
リブソロを弾くなんて時に、二択よ
り多い選択肢で考えていられない、と
いう理屈実用上の有用性否定する
わけではないんですけどね。

 

でも一方で、そういう二択でこうだ、
という考え方に対して、一度は一歩引
いて考えてみる、というあり方は大切
にしたいとも思うわけです。

 

え? めんどくさい奴?

 

皆さんは、いかがですか?

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

試してみる。色々変えて?

器の演奏とかしていて、
定のフレーズを覚えなきゃいけ
ない、きちんと弾けるようにな
らなきゃいけない、なんてこと
ありますよね。

 

ジャム・セッションなんて、わりと演
奏の自由度の高いことやっていても、
によってはお決まりのフレーズを弾
く必要なんてことがあったりします。

 

たとえば? そう「サー・デューク」
のあのフレーズとか。

 

で、

 

そんな時、だいたいとにかく毎回同じ
ように正確に弾こうと人間しがちじゃ
ないですか。最短できっちり弾けるよ
うにしようと思いますからね。

 

ところが、最近ヴァイオリニストでも
ある例の心理学者ノア・カゲヤマ
んのブログを読んでたら、実は毎回毎
回きっちり同じように弾くことを心が
けるよりは、

 

毎回ちょっとずつ変化させてみる

 

のがいいらしい、なんてことが書いて
あったんですね。

 

ちょっと大きい音で、あるいは小さい
でとか、ビブラートを強めにかけて
みるとかみないとか。色々試してみた
ほうが、最終的に毎回きっちり同じよ
うに弾こうとするより、最終的に上手
に弾けるようになる、らしい、という
ことでして。

 

それから、そうやって色々変えて試し
てやってみた方が、長期的に記憶に残
りやすいようだ、なんてことも書いて
ありましたね。

 

まあ、ご興味のある方は、カゲヤマさ
が(英語ですけど、まあ最近は Web
翻訳なんてのがありますから)、なん
か、ああそういうもんだよなあ、なん
妙に納得したりしたのではありまし
た。

 

こと楽器の演奏に限らず1つのこと
をやるにしても色々ちょっとずつ変え
ながら試してみるのが、結局上手くい
くコツってことではないかな、と。
にしても趣味にしてもね。

 

あまり、1つの考えとか理念にとらわ
れすぎて、色々やってみる余裕がない
のはよくないのでは、と。あ、それは
また別の話か。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

セッション・「コミュニティ」の難しさ?(続き)

ちらの続きでございますが。

 

ジャム・セッションコミュニティ的
なものが出来て、それを維持していこ
うとすると、結構微妙なさじ加減がい
るので、そう簡単ではないんじゃない
か? というような話でした。

 

ジャム・セッション愛する人たち
て、バンドによくあるような縛りの強
い関係は苦手な人も多いと思うんで、
まあ、そうだよね、と頭では理解でき
と思うんですけど。

 

でも、実際に前回も書いたような、良
い意味での(なのか?)いい加減さ
か、ユルさとかを維持するのって、
外難しいのかも、と最近思うわけです。

 

だいたい、「ユルさを維持」ってのも
変な日本語といえばそうなわけで。
なんだか不誠実なんだかよくわから
ですよね。

 

でも、そこらへんがキモだったりする
んじゃないか、と思うんですね。

 

で、

 

そんな結構綱渡り的なことをやってる
わけですが、マジメな人とか、自分に
自信のある人とか、よくいわれるよう
しっかりとした「自分」のある人
と、

 

コントロール効かせ過ぎてしまう

 

ということがあったり、あるいは自分
の考えと違うメンバー目についたり
すると

 

リセットしてゼロから始めたがる

 

とか、そんな方向に行ってしまったり
しがちかも、なんてことを思うんです
よね。

 

で、結局コミュニティは広がらない、
というか、考えが少しぐらい違ってて
ゆるく繋がれば良さそうなところを
内に閉じこもってしまうとかね……

 

まあ、それでいいなら、それでもいい
んでしょうけどね(←意味不明)。

 

なんてことを、あまり確たる自分のな
い私は思う今日この頃であるなあ、と
秋の一日考えたというお話でした。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

セッション・「コミュニティ」の難しさ?

ャム・セッションをやりた
い人を募って・集めてやってる
んですけど、私

 

もう結構長くやってまして、そうする
と、おなじみの方もできてきて、ある
種コミュニティみたいな感覚も生まれ
るわけですね。

 

ジャム・セッションのコミュニティ

 

ですが、良く考えてみると、これって
結構自己矛盾的というか、難しさを孕
んだ概念だよなあ、と思ったんですね。

 

といっても話としてはそんな小難しい
話でもないんですが、ジャム・セッシ
ョンてバンド活動じゃないんで、そも
そも

 

一過性のもの

 

じゃないですか。

 

そのコミュニティってなんだろうなあ
と思うわけですよ。

 

もちろん、そういうコミュニティ
って悪いってことじゃないんですが、
あまりガチガチの縛りの強い形にする
というのはなんかそもそもの趣旨に反
するというかね、そう思ったりもする
わけで。

 

だから、コミュニティといいながらも
ある種の

 

スカスカ感とか、不安定感とか、一過
性感とか、気まぐれ感とか

 

を(ある種意図的に?)残しておきた
なあ、なんて考えるんですね。

 

良い意味でのいい加減さといいますか
ね。とはいえ、けっこうそれはそれで
難しいさじ加減なんじゃないか、なん
てね、自分でやっててなんですが、思
うわけです。

 

ちょっと続きます。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

努力する時 vs. 手持ちでなんとかする時?

間、何かを習得しようとす
るときには少しずつでも成長
ようと思うわけですね。たぶん。

 

音楽でも同じで、楽器の演奏なんても
のはいろんなこまかい技術の習得の積
み重ねの上に成り立っていえるわけで
すよね。まあ、知識的なこともありま
すけど。

 

ですが、演奏のテクニックとかそうい
う特に人の身体性に関わってくるもの
については、

 

どこかで限界が見えてくる

 

ということもあるわけです。まあ壁に
ぶつかるというかね。天井でもいいで
すが。

 

特に、アラカンとかそれ以上になると
そりゃ身体的に衰えもするわけですよ
ね。

 

いやそうじゃない、そんなものに限界
はないとか、努力しだいだとか、そん
な議論もあるかもしれませんが、そう
いうポジティブ一辺倒でこられても、
なかなか前に進める人は多くないので。

 

それで心病んだりしてもつまらない
でね、

 

とりあえず手持ちのものでなんとかす

 

というような発想で臨むことが必要に
なってくるんではないか、と思うわけ
です。

 

その一方、

 

だから努力が 100% 不要であるとか、
そこまで大上段に構える必要もない
思ったりもするわけです。

 

人間その人、その立場とか状況とか、
そういうものによって、どこまで努力
するか、手持ちでなんとかするのか、
配分を考えるのが良いのではないか。

 

そんなことを、とある休日音楽仲間と
お酒を飲みながら考えた、というよう
なお話でございました。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

イメージで考える? 音楽も?

承知のように、私 50 歳以上
の方々を中心としたセッション
んていうのを開催しているのです
が。

 

なんとなく思っていたのが、そういう
場でイキイキとというか水を得た魚の
ように演奏する方たちって、

 

理系の仕事をしてた人に多い

 

ということなんですが。

 

より正確にいうと、理系というか、特
に専門のプログラマーとまではいかな
くても、プログラミングの知識のある
方が多いな。と、なんとなく思ってい
たんですが。

 

そしたら、最近人間の思考タイプの話
をちょっと読んだのですが、人間には
視覚思考型言語思考型があって、ど
うも特に音楽のスキル的に優れた人に
は視覚思考型が多いと書かれていたん
ですね。

 

もうちょっと細かくいうと、実は視覚
思考型は、写真とか短い動画のような
リアルな画像で考える「物体思考型」
とよばれる人と、もうちょっと抽象的
な概念とかパターンで思考する「空間
思考型」に別れるそうで。

 

そして、プログラミングとか音楽
キルに優れた人には「空間思考型」
多いという話のようなんですね。

 

で、まあ、なるほどね、と。思ったわ
けなんですが。

 

まあ、こういう人間のタイプ分けは、
いつもいうように、話半分くらい
に聞くようにはしてるんですけど。何
となく、セッションで感じている印象
には近いなという気がした、というお
話でした。

 

ですが、

 

とはいえ、セッションというアクティ
ビティは何人かの集団でおこなう共同
作業なので、

 

いろんな人がいたほうが結局面白い結
果になる

 

とも思うのですね。

 

別に空間思考型の人だけでやればいい
という話ではないとは思うので、そこ
間違えないようにしないとね。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

人は教則本に自分の○○を見る?

楽の教則本については、前に
も書きましたが。

 

前回書いた時には、何で音楽の教則本
というのは、挫折するとかしないとか、
読まないで本棚にたまるばかりとか、
そんなどんな本にでもあることを、
りたてて騒ぐ人が多いのか? なんて
ことを書きました(気がします)。

 

で、まあ、

 

そんなことどうでもいいじゃない(あ、
野口五郎だ)というような話ではあり
ますが、ちょっと思いついたことがあ
ったんですけど。

 

音楽の教則本というのは、その内容的
に、

 

読む人の未来を想像させてしまう

 

のですよね。

 

つまりその本を読んで、そこに書かれ
ていることをマスターして、早い話
奏が上手になった自分、というのを
メージさせるわけです。

 

で、買う、と。

 

そうすると、人はその本を見るたび
演奏が上達した(たぶん実現しないか
もしれないけど)未来を思い起こさせ
られるわけですね。

 

そういう意味ではフツーの本に比べる
と人間が執着するレベルは高くなる
かな、と思ったりしたわけです。

 

なので、それを捨てるということは、
(ありえるかもしれない可能性として
の)自分の未来を捨てる、ということ
なわけで。心理的ハードルは高いです
よね。

 

結果として、なかなか捨てられない
ね。と考えたということでございまし
た。

 

まあ、それが人間てもんなので、それ
でいいんじゃない? と思うわけです
が。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

明日から ○○% の本気出す?

間、頑張らなきゃいけない、
力を入れて取り組まなきゃいけな
いなんてことは誰しも(たまには
?)あるわけですが。

 

そんなとき、じゃあ 100% 全力で取り
組むのがいいのかというと、色々と
が分かれます。

 

まあ、昔からよくあった考え方は、な
にごとも全力で取り組むのがいいとか、
120% 出し尽くせなんていうのかもし
れないんですが。

 

さすがに最近「バーンアウト」とか
「燃え尽き症候群」とかいうこともよ
くいわれるようになってきたので、そ
れを全面的に主張する人少なくなっ
てる気はするんですけどね。

 

でも、なんとなくわれわれの心の中
100% 出し切る人感動したり共感
したり、称賛したりする気持ちがまだ
まだある気も一方ではします。いかが
ですか?

 

で、

 

そうはいっても、100% 全力出せ的な
考え弊害が大きいというのは常識
なってきたので、じゃあどこまでを求
めるのか? という問題が出てくるよ
うで。

 

100% を求めるのは良くないとしても
じゃあ、テキトーでいいよ、ともいえ
ないでしょうからね。

 

この前読んだ記事では、「85%」とい
う数字が出てました。100% の努力で
はなくて、85% にしていこう、という
話なんですね。85% の正しい判断85
% の集中。そうすることで、余計なプ
レッシャーを与えることが避けられる
ということらしいです。

 

まあ、この 85% という数字の根拠
どこにあるのか、記事を読んだだけで
よくわからなかったんですけど、な
んとなく、

 

80% というと割引率(?)が高すぎ

 

な感じがするし、

 

90% というと全力とあまり変わらない

 

感じがするので、まあ結構いい感じな
のかもなあ、と。

 

そんなことをほぼ何事にも 100% 全力
で取り組むことはなくなってしまった
おじさんは考えたと、いうようなこと
ではございました。

 

皆さんは何%くらいがお好みですか?
え? 50%? やっぱり?……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

謎解きはお好き?(続き)

ちらの続きですが……

 

世の中、いろんなこと謎を解いてく
れるなんてコンテンツが溢れてるけど、
最近あんまりそんなモノに興味がなく
なってきた、というようなお話でした
が、ってことですが。

 

仕事短時間で成果を出す! とか、
そんな話が私にはもう昔のものになっ
たせいもあるんでしょうけど(まあ、
昔もそんな短時間に成果を出すとか
にやってた方じゃないですが)。

 

音楽なんかについても、音楽理論の肝
心なところとか、グルーヴ感がどうだ
とか、どうやったらジャズらしい演奏
ができるのか、とか。

 

そういった「謎」答え素早く知り
たい、なんてことを昔は思っていた
じゃないかと思うんですが。なんか、
最近は別にだんだんどうでも良くなっ
てきたというか、ね。

 

まあ、私が言うのもなんなんですが

 

とくに、仕事で急いで成果出さなきゃ
いけないなんていうのと違って、音楽
なんていうのは、いちおうアーティス
ティックな活動ですからね。

 

なんでこうなっているんだろう? と
か、このグルーヴの違いはどこから
るんだろうとか、そういった答えを急
いで求めるよりは、そんな「謎」とか
「違和感」をそのまま感じて置いて
おくというか、いったん放置しておく
というかね。

 

そんな風にしておくのが、実はいい
じゃないか、そこで、短期的な成果
求める必要ないんじゃないか。

 

なんていうか、身体にいったんしみ込
ませることをやった方がいいんじゃな
いか、なんてね。

 

まあ、思ったりもしていると、そんな
お話でございました。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

謎解きはお好き?

解き、お好きですか?

 

世の中には色んな謎解きが溢れてます
よね。

 

いわゆるミステリー系のお話としての
謎解きっていうのもももちろんあるわ
けですけどね。今日の話は、それより
も、現実にあることについて、色んな
色んなテーマで、色々と謎解き
しているというそんな現象についてが
主眼なんですが。

 

例えば、古代史の謎を解く、なんてい
歴史系もあるし、国際情勢の謎を解
くとか、ストーリーが難解な映画の謎
を解くとか、まあ色々と。

 

そして色んな人が、そんな謎解き
ログとか、動画とか、SNS とかで語
ていて、多くの人がそれを読んだ
見たりしてますよね。

 

某アニメ監督最近作について、訳わ
からないとかいう感想が色々出てきた
あとに、じゃあその謎解きをしてあげ
よう、みたいな動画が一時期溢れてた
とかね。

 

そういうのが溢れているというのは、
そういう謎解きを求める人が結構いる
ということなんでしょうかね。

 

で、

 

自分を振り返ってみてもですね、とく
以前はそんな風に自分のよく分かっ
てないことについて、バッサリ謎解
というか解説・説明をしてくれる、
なんていうコンテンツ結構好んでい
気もします。

 

やっぱり働いていたりしていた頃は、
時間的な効率、今で言うタイパを求め
やすかったのかもしれません。

 

なんですけど、

 

なんかこう、最近仕事とかにあまり追
われることも少なくなってくると、

 

別に急いで謎解きしてもらわなくても
いいか……

 

なんて思うようにもなってきたんです
よね。

 

ちょっと続きます。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

 

許せる失敗、許されない失敗

事を辞めてしまうと「失敗は
許されない」なんてシチュエーシ
ョンに立つことはまずなくなるん
ですよね。

 

お気楽なことばかり書いてて申し訳な
んですけど。

 

実は仕事してるときでも本当に絶対に
失敗が許されないなんてことがあった
のか? というと、けっこう怪しい
もするんですけど、まあ、それはおい
といて。

 

そんな「失敗が許されない」時にどう
対処したらいいか? そんな時の緊張
を和らげるためにどうするか? なん
記事を読んだんですよ、最近。

 

で、ここでその対処法の良し悪しとか
を議論したいわけではないんですけど
ね。ただ、読んでて急に音楽の演奏の
こととか考えたりしたわけですよ。
いクセ(?)で。

 

この記事の最後に「失敗が許される趣
味を持つ」ことで人生のバランスをと
る、という対処法が書かれてたので、
そのせいもあるかと思いますけど。

 

それでね、

 

音楽という活動は、単なる趣味として
考えると別に失敗しても問題ないとい
うか、許されるモノのはずなんですよ
ね。でも、なんかちょっとのめり込む
とある時点で、「失敗は許されない」
なんて気持ちにさせると思いません?

 

その人がプロのミュージシャンとかだ
ったりしたらまあわかるんですけど、
趣味の領域だとしても、失敗をしない
ように自分を追い込んだりする人、結
構いないですか?

 

人それぞれだと思うんで、「失敗をし
ても全然気にしない」から「失敗は絶
対に許されない」まで、個人個人で
ラデーションはあるとは思うんですけ
どね。

 

あまりに「失敗は絶対に許されない」
の側に寄ってると、色々大変だろうな
とは思うんですけどね。

 

皆さんは、どっち寄りですか?

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

数字の桁区切りと音楽の関係(あるいは無関係)

の前、某公共放送の「ボー
ッと生きてんじゃねーよ」と大
人が5歳児に叱られる番組観て
たらですね。

 

数字の桁区切りの話をやってまして。

 

ご承知のとおり、通常数字の桁を区切
るカンマ3桁ごとに記されるのが
ールのようになってますが、日本語の
本来の桁の区切り方4桁ごとに単位
が替わるよねえ……なんで? という
ような話だったわけですね。

 

英語とかは3桁で単位が変わるので、
問題はないんですが、確かに日本語を
使うわれわれとしては、結構日々(?)
苦労したりするわけです。まあ、馴れ
てしまえばそれまでってことでもある
んですが。

 

なんでそうなっているかというと、そ
の昔、福沢諭吉って人が外国の簿記の
本を翻訳したときに、そのまま3桁区
切りを持ち込んだから、ということら
しいんですね。

 

とまあ、単純な話ではあったんですが。

 

しかし、それでこの4桁と3桁の区切
りの違いで苦労する、というのはわれ
われ日本人には未来永劫(?)つきま
とうということになったわけですね。
まあ世界標準が3桁区切りなんで、
そらくどうしようもないんですが。

 

で、

 

思ったんですが、ふだん4つで区切っ
てるものを3つに区切る、って、

 

ポリリズム

 

みたいじゃないですか?

 

通常は4つ割りで進行するリズム
えて3つ割りとか5つ割りとかで割る
ことでリズムの盛り上がりや面白さを
生み出すというのをポリリズム的手法
というんですけどね。

 

リズムの複雑さや面白さを生み出すの
には良い手法ではあるのですが、それ
なりに馴れも必要なテクニックではあ
りますよね。

 

そういう意味では、ふだんから数字の
桁区切り3つ割りと4つ割りを行っ
たり来たりしてる日本人は、きっと
リリズムが得意に違いない……

 

な、わけないか。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

歯を磨くのも○○○○も大変な理由?

歯を磨くタイミングを最
近よく逸するようになってきま
して。

 

毎日会社に行く人とかにとっては、お
まえは何をいっているのだ、というよ
うな話かもしれませんけどね。

 

はふつうに朝、通勤してたこと
がありまして。その時はもう朝起きて
からの一連の流れってモノがあります
から。

 

朝食をすませた後、でかける身支度を
する前というタイミングで、なかば自
動的歯を磨いていたわけです。

 

ところがコロナなんてものが流行って
テレワークなんてモノに移行すると、
そういう流れがなくなったわけですね。

 

となると、なんか慌てて歯を磨かなく
ても通勤とか出社時刻とか、朝一の
会議とか、そんなものを気にしなくて
もよくなったのですよね。そうすると
なんか歯を磨くタイミング後ろにレ
イドバックしていくわけですね。

 

私の場合、そうこうしているうちに
社勤めそのものが終了してしまったの
で、なおさら、というのもあり。あと
通いつけの歯科医院の指導で、歯のケ
複数の歯ブラシとか、歯間ブラシ
とか時にはデンタル・フロスとか、
々使うので、それで腰が重くなるなん
てこともあるんですね。

 

気がつくと、11時くらいになって朝の
歯磨きしてるなんてことも起きたりし
て。で、また直ぐに昼食を食べなきゃ
なんてことになって、

 

いったい何をしてるのだ俺は?

 

なんてことを思ったりもするわけです。

 

ま、いいんですけどね(←よくないよ
くない

 

やはりこういうことは流れにのってや
らないといかんなあ、なんてことを思
ったりするのではありました。

 

毎朝楽器の基礎練習するなんてのも、
流れがないのにいきなりやれってのも
なかなか難しいよなあ、なんてことま
で考えてしまうところが、ちょっと病
ですかね?

 

<

div>

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

モヤモヤせずにはいられない?

間生きていると、色々モヤ
モヤすることは出てくるもので。

 

特に色々と理想を持って活動している
人なんかは、そんな理想というか目標
と現実の状況のギャップモヤッとす
ことは多いんだろうと思います。音
楽やってる人には多いのかもしれませ
んね。

 

で、まあ普通そういうときにはちょっ
とずつやり方に修正を加えていって、
また様子をみる、なんてことをするわ
けですが。いわゆる PDCA サイクルを
回すなんていうのはそんなことなわけ
ですね。

 

ところが、どうもそういうんじゃなく
て、ときどきドラスティックに根っこ
のところから変える、なんてことを
る人がいるんですよね。

 

まあ、気持ちわからないじゃない
ですけど。

 

でも、そこでそれまで一緒にやってき
仲間を切ったりとか、それまでやっ
て来たことをバッサリ否定してしまう
とか、してしまうわけで。

 

なんというか、焼き畑農業的というか
スクラップ・アンド・ビルド的という
か、ちゃぶ台返し的というか、そんな
ことになるわけですね。

 

で、

 

しかも見てると、同じ人同じような
リスタートを何度も繰り返したりとか
ね。いっちゃ悪いですが、どこか OS
にバグのあるコンピュータみたいな感
じだったりして。

 

人生に一度や二度はそんな大転換が必
要なこともあるかもしれないんですけ
ど。それがそんな頻度じゃなくて、
っこう頻繁な人がね、いるんですよね
え。

 

皆さんのまわりには、そんな人いませ
んか?

 

モヤモヤしてるよりバッサリと切替え
たい気持ちはわかるんですけど、でも
やってるうちにまたモヤモヤしてくる
のはほぼ不可避なんだと私なんかは思
うのですけどね。

 

他人事ながら、そんな現象を見てこっ
ちがちょっと(ある意味メタな?
ヤモヤを感じたある日でございました。
ま、いいんですけどね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

 

直したければ○○するのが吉?

を取ると、ちょっとしたこ
とでイラッとして切れることが
多くなる、なんて話はよく聞き
ますよね。

 

そんな時にどう怒りを鎮めるか、なん
ていう記事があったりすると、やはり
もはやかなり年を取ってしまった私
とっても気になるので、見つけると読
わけですけど。

 

この前読んだ記事に、脳科学者の人が
すぐカッとなりやすい人にどんなアド
バイスをするかということが書かれて
ありまして。

 

どんなアドバイスかというと、怒りそ
うになったときの自分のや、
肉の動きや、気持ちどんなふうに変
するかをよく観察して、1週間後に
報告するようにしてください、という
言うそうなんですね。

 

そうすると、結局観察をするというこ
とに頭が使われてしまうので、怒るこ
とができなくなる、ということだそう
でして。

 

なるほどなあ、なんて思って読んでい
たんですけどね。

 

で、

 

結局、そういう風に、何かを直したい
と思ったらアドバイスを求めてそれ
で言われたようにやってみる、という
ことより、自分自分がどんな風にな
っているかを観察する、ということが
大事なのかなあ、と思うんですよね。

 

楽器なんかの技術の習得にしても、
スしてしまう時自分の動きとか、
肉の様子とか、気持ちとかがどうなっ
ているか、観察してみるといいんだろ
うなあ、なんて思うわけです。

 

まあ、これもメタ認知ってことなんで
しょうかね。知らんけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

一緒にやらないとダメ? 一緒にやらない方が気楽?

んか、世の中コロナ前の働
き方に戻そうというプレッシャ
ーが強いみたいで。

 

ある調査によれば、4割の企業コロ
ナ前の働き方に戻すといってるのだと
か。つまりみんな出社して、職場で一
緒に働け、ということですよね。

 

そんな企業側の考え方には、みん
なが同じ場に集って仕事することが
果を出すために大事という考え方があ
るわけですね。「同期的」な働き方と
いうらしいですけど。

 

直接お互いの考えを伝えあいコミュ
ニケーションして調整しながら働いた
方が、チームとしていい結果になるは
ずだという、まあ一見もっともな理屈
なわけですが。

 

ところが、

 

チーム女性とかマイノリティの人と
かがいると話は違ってくるという研究
結果があるそうで。そういう人たち
上のような同期的な環境では発言の機
会が制限されるし、発言も厳しく批判
されやすい、なんてことがあるそうで
す。

 

面白いのは、この研究対象にしたの
インドの民族音楽のミュージシャン
たち(の演奏の現場)なんですね。

 

そこでは、女性のミュージシャンたち
同期的に(つまり他の男性ミュージ
シャンたちと同じスタジオで同時に)
演奏するよりも、同時でなく個別に別
録りで演奏する方が良いパフォーマン
スの演奏が出来た、という結果になっ
たそうです。

 

詳しく知りたい方こちらの記事をご
覧ください。

 

で、

 

ジャムセッションなどという、みんな
一緒に楽しくせーので! なんてノリ
活動してる人間がいうのもなんなん
ですけど人間の心理というのはそう
単純なモノではないのだな、てことを
思ったしだいです。

 

ジャムセッションというセッティング
おびえて実力を出せない人というの
も現にいるわけですしね。

 

「場」を作る側としては心に留めてお
かねば、と思ったしだいではありまし
た。まじめか。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

足したり引いたり?

だったりモノだったりを
するのに、

 

加点方式減点方式

 

というのがありますよね。

 

「加点方式」というのは、相手や物事
の良い面を見たらそれをプラスとして
加点していく考え方で、「減点方式」
は、逆に悪い面を見たらそのたびにマ
イナス(減点)するという思考の癖で
ある、ということでして。

 

人やモノゴトのことを評価するのに、
いいところを見つけては基準値からプ
ラス振れていくのか、悪いところ
見つけてはマイナス側振れていく
か、ってことですね。

 

で、

 

いつものようにヒマなので、ネット
ちょっと調べていたら、面白いと思っ
たのはですね、恋愛というシチュエー
ションでの男女差について調べると、

 

男性加点方式で相手の女性を見て
逆に女性減点方式で相手の男を見る

 

というと、

 

全く逆で男性は減点方式で、女性は加
点方式である

 

という世の中には混在してるんで
すね。どうもこの加点・減点問題につ
いては業界(何の?)的に混乱が見ら
れるようです。

 

どっちだよって話ですが。まあ別に
人的にはどっちでもいいんですけどね
(いいのかい)。

 

ただ思うのは、とりあえず、恋愛うん
ぬんとは別自分が人やモノゴトを
をするとき、どっちの方式で判断し
やすいか、その傾向というかパターン
をまず把握しておくといいのかもしれ
ないなんてことでして。

 

で、

 

実はその評価のパターンが自分自身に
も向けられる、というのは注意してお
いた方がいいのではと思ったりするわ
けです。

 

自分のことをどう見るか、ということ
に関して言うと、減点方式より加点方
式で見ておいた方が、色々しあわせ
気もするのですけどね。

 

音楽なんかでも、演奏した後あそこ
がダメだったとかあそこで間違えた
か考えるより、楽しく演奏できたとか
あそこはうまく反応できたとか、そん
な風にプラスしてった方がよさそう
思うんですが。

 

結構前者のパターンの人多そうですよ
ね。

 

皆さんはどっちのパターンですか?

 

ChatGPT さんに加点方式と減点方式
で人を評価するときの利点と注意点を
聞いてみました。ご興味のある方はど
うぞ。

 

[加点方式で評価する場合]
利点:
1. 自分自身のポジティブな心理状態を保ちやす
2. 相手に対して好意的な印象を与えることがで
きる
3. 相手が自己肯定感を高めることができる

 

注意点:
1. 現実から遠ざかることがあり、客観的な評価
が難しくなることがある
2. 褒めすぎると、逆に相手が恥ずかしくなった
り、信頼性が落ちたりすることがある
3. 同様に評価することで、他の人に優しくして
いないと感じられることがあ

 

[減点方式で評価する場合]
利点:
1. 目標を達成するための課題点が明確になる
2. 最良の結果を得るために改善点が見つかる
3. 妥当な判断を下せるようになる

 

注意点:
1. 負の感情が強まる危険性がある
2. 相手のモチベーションを下げたり、自己評
を下げたりする危険性がある
3. 先入観にとらわれ、客観的な評価が難しく
ることがある

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)