ジャズのスタンダードといえ
ば、この「A列車で行こう」の
ことを思い出す方も多いんじゃ
ないでしょうか。
ば、この「A列車で行こう」の
ことを思い出す方も多いんじゃ
ないでしょうか。
原題は Take the “A” Train ですの
で、そのまんまの邦題ですが……「A
列車」っていうとなんだか長距離列車
をイメージしてしまいそうですが、歌
詞を見ると「(ニュー・ヨークの)ハ
ーレムに行くにはA列車に乗ろう」っ
て言ってるので、これはニュー・ヨー
クの地下鉄のAラインのことですね。
で、この曲はもともとデューク・エリ
ントンの楽団の曲で、後には楽団のテ
ーマ曲のようになりました。ですが、
この曲デューク・エリントンの作曲で
はありません。楽団のピアニスト兼作
曲家・アレンジャーだったビリー・ス
トレイホーンの曲です。
実はこの曲が書かれた背景には、ある
逸話がありまして、1941年頃のこと
なんですが、エリントンの所属してい
た音楽著作権管理団体のASCAPと放
送局サイドとのもめ事があって、多く
の放送局側はASCAPが管理している
楽曲の放送を拒否していました(その
裏で放送局側は新しい著作権管理団体
の BMIと契約を結んだなんて話もあり
ますが)。
そんなさなか、自分の書いた曲を放送
できなかったエリントンは、ASCAP
に入っていなかったストレイホーンと
自分の息子のマーサーに曲を書かせま
した。そしてそれを演奏して楽団のシ
ョーの放送に間に合わせた、というこ
となんですね。
そして、その時にストレイホーンが書
いた曲のうちの1つが「A列車」なの
でした。息子のマーサーも「昔はよか
ったね」(Things Ain’t What They
Used to Be)というこれも後にスタ
ンダード・ナンバーとなる曲を書いて
います。
自分のピンチに有能な右腕の力を借り
てしのいだエリントンも、そのチャン
スを活かして名曲を生み出したストレ
イホーンも偉いですねって話なんです
が……
実はこの話にはさらに裏話があって、
ストレイホーンは「A列車」を書いた
ものの古めかしい曲だと思って、書い
た譜面をゴミ箱に捨ててしまったんだ
そうです。それをゴミ箱からすくい出
したのはマーサーだったんだとか。て
ことは、一番えらいのはマーサーなの
かも……
わからないもんですねー。そんな発表
当時の「A列車」をどうぞ▼▼▼
て、ことで。
では、また。( ̄▽ ̄)
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