間違えない(ように頑張る)ことは良いことか?

間は間違いを犯す生き物なのですが、間違いを恐れる生き物でもあります。

 

間違いそのものを恐れるというよりは、
他人の前で間違いを犯すこと、そして
自分が間違っていることを認めること
を恐れる生き物と言った方が良いのか
もしれません。

 

 

アマゾン(Amazon)の CEO だった
ジェフ・ベゾス人材が優秀であるか
どうかを見極めるための基準は、その
人がどれだけいつも「正しい」かでは
なくその人がどれだけ頻繁に自分が
間違っていることを認め、考えを変え
ているだと言っているのだとか。

 

また、何かに取り組む時に「強い信念
を持ちながらも、自分が間違いを犯す
ということを認め、受け入れる」こと
のできる人のほうがより良い決断を下
す傾向にあるという研究があるのだと
か前に読んだ気がします(うろ覚え)。

 

信念が弱ければ、何かをやってみたり
試してみたりする推進力は得られない
が、その信念に固執するあまりそれを
否定するような現実が現れた時に素直
に直視できないのではいけない、とい
うわけです。

 

間違いを犯すことを恐れず試す。間違
っていたらそれを認めて修正する。
れができる人が結局、最終的に良い決
断を下せる、ということしょうか。

 

100%の確信を得るためにデータを集
める。自然科学研究の世界は別かもし
れませんが、われわれの日常ではどこ
かその手前で見切りをつけて決断をし
なければ、次に進めることはおそらく
ないんですよね。

 

そして、

 

100%の確信をもって演奏するための
練習、というのも同じではないか、と
思うのですが。どうでしょうね? と
いうか、そんな確信を持てる日はたぶ
絶対訪れないのでは?

 

(もちろん、練習が無駄だ、と言いた
いわけではありませんが 笑)

 

て、ことで、私がコロコロ意見を変え
ても驚かないように(そこかよ)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

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