最近、新しい韓国のドラマ・シ
リーズについての記事をたまたま
読んだのですが。
そのドラマのタイトルが、
誰もいない森の奥では木は音もなく倒
れる
というそうなんですね。なんかホラー
的なドラマみたいですが。
そのドラマを、私は観てはいないので
(いないのかい)内容がどうとかここ
で論評するわけではないんですが。そ
の記事が目についたのにはわけがあり
まして。
聞いた事のある方も多いかもしれませ
んが、「誰もいない森の中で木が倒れ
たとして、その時はたして音はするの
だろうか?」という哲学的な問題が昔
からあるんですよね。★
私が初めて知ったのはその昔、何十年
も前に、SF短編小説の名手といわれた
フレドリック・ブラウンという人の小
説だったと思います。小説の筋は全く
忘れてしまったんですが、その部分だ
けは覚えてるんですね。
ちなみに、ドラッカーもこの問いを著
書で引用してるとか。私は読んでない
ですが……
で、そういえばと思い出したんですが、
だいぶ以前に「たった1人で楽器の練
習をしているとき、果たしてそこに音
楽はあるのだろうか?」なんていう問
いを思いついたことがありまして。
夕方、頭が疲れてきたりしたときにこ
んな妙なことが頭に浮かんだりしませ
んか? え、しない?
そりゃ誰が聴いていようがいまいが弾
く人間が聴いてるんだから音楽はある
だろうって? 確かにその通りかもし
れません。
なんですが、ここで音楽をジャムセッ
ションに代表されるような、プレイヤ
ー同志やプレイヤーとオーディエンス
との間の「コミュニケーション」を前
提としたものであるとしましょう。
その前提に立てば、1つの重要な基準
は、たった1人で練習しているとして
も、「反応を想定している」かどうか
ではないかと思ったんですよ。
他のプレイヤーの演奏に対してどう反
応するか、他のプレイヤー、そしてオ
ーディエンスの反応を引き出すにはど
うしたらよいか。そんな想定をして練
習をしているか。
その想定のあるなしが、少なくともセ
ッション的、ライブ的な視点からは、
1人練習が「意味がある」ものになる
ポイントなのかもしれない……
なんて事を昔思ったんですけどね。ま
じめか、とか突っ込みを入れる自分が
今となってはいるわけですが。もはや
元の問いとあまり関係ないし。
まあでも、もしかしたらご参考になれ
ば、と。
★この問いは、アイルランドの哲学者
であるジョージ・バークリという人の
思想から来ているといわれます。この
人は、「何ものも<知覚されること>
を抜きにしては存在しない」というよ
うな主張をした人でした。
て、ことで。
では、また ( ̄▽ ̄)