1人でやる練習に○○は想定されているか?

近、新しい韓国のドラマ・シ
リーズについての記事をたまたま
読んだのですが。

 

そのドラマのタイトルが、

 

誰もいない森の奥では木は音もなく倒
れる

 

というそうなんですね。なんかホラー
的なドラマみたいですが。

 

そのドラマを、私は観てはいないので
(いないのかい)内容がどうとかここ
論評するわけではないんですが。そ
記事が目についたのにはわけがあり
まして。

 

聞いた事のある方も多いかもしれませ
んが、「誰もいない森の中で木が倒れ
たとして、その時はたして音はするの
だろうか?」という哲学的な問題が昔
からあるんですよね。

 

私が初めて知ったのはその昔、何十年
も前に、SF短編小説の名手といわれた
フレドリック・ブラウンという人の小
説だったと思います。小説の筋は全く
忘れてしまったんですが、その部分だ
けは覚えてるんですね。

 

ちなみに、ドラッカーもこの問いを著
書で引用してるとか。私は読んでない
ですが……

 

で、そういえばと思い出したんですが、
だいぶ以前「たった1人で楽器の練
習をしているとき、果たしてそこに音
楽はあるのだろうか?」なんていう問
いを思いついたことがありまして。

 

夕方、頭が疲れてきたりしたときにこ
な妙なことが頭に浮かんだりしませ
か? え、しない?

 

そりゃ誰が聴いていようがいまいが
く人間が聴いてるんだから音楽はある
だろうって? 確かにその通りかもし
れません。

 

なんですが、ここで音楽ジャムセッ
ションに代表されるような、プレイヤ
ー同志やプレイヤーとオーディエンス
との間の「コミュニケーション」を前
提としたものであるとしましょう。

 

その前提に立てば、1つの重要な基準
は、たった1人で練習しているとして
も、「反応を想定している」かどうか
ではないかと思ったんですよ。

 

他のプレイヤーの演奏に対してどう反
応するか、他のプレイヤー、そして
ーディエンス反応を引き出すにはど
うしたらよいか。そんな想定をして練
習をしているか。

 

その想定のあるなしが、少なくとも
ッション的、ライブ的な視点からは、
1人練習が「意味がある」ものになる
ポイントなのかもしれない……

 

なんて事を昔思ったんですけどね。
じめか、とか突っ込みを入れる自分が
今となってはいるわけですが。もはや
元の問いとあまり関係ないし。

 

まあでも、もしかしたらご参考になれ
、と。

 

★この問いは、アイルランドの哲学者
であるジョージ・バークリという人の
思想から来ているといわれます。この
人は、「何ものも<知覚されること>
を抜きにしては存在しない」というよ
うな主張をした人でした。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

 

時間はだいだい「上げ底」である?

つもやっているセッション
有志メンバーよる八王子のお寺
さんでの演奏無事終了しました。

 

その詳しいお話はまた別途できたらい
いなと思いますが。

 

台風の影響、より正確にいうと台風が
衰えて低気圧になり、その低気圧の影
で、演奏当日関東地方は一日雨模
でした。

 

で、事前にも書きましたが、晴れの場
ご本堂前の屋外で演奏する予定だ
ったのが、本堂のでの演奏に変更
なったんですね。

 

そのため、他の出演の方々との時間の
調整がタイトになりまして、予定して
いた曲数を減らして対応することにな
ったんですね。

 

具体的には1曲減らさざるをえなかっ
んですが。

 

考えてみると、時間というものは、
縮性の極端に低いモノ(?)なので、
決められた時間の中になにかを収めよ
とすれば、多すぎたら中身を削るし
かないんですよね。

 

練習スタジオ2時間押さえたとして
正味2時間きっちり練習ができるわ
けじゃないですしね。終了10分前には
追い出しのランプが光ったりしますし。

 

入室しても、楽器のセッティングなん
かがありますしね。

 

2時間タイム・スロットがあるとい
われても、実質1時間何十分しか
来の目的には使えないわけです。常に
「上げ底」状態というか。

 

そんなことを、某コンビニの社長
品の上げ底疑惑についてコメントした
のが炎上してるというを聞いたら思
ってしまった、なんてことなんですが。

 

で、さて、

 

実は今回の演奏もう1曲削らなきゃ
いけないかも、と思っていたんですが、
お寺のご住職の一声で、終わりの時間
を(少し)引き伸ばしていただいて、
削らずに演奏できたんですね。

 

ま、最後は人間力ですかね(笑)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

撤退する?

2024年、某大国の某大統領が
期大統領選挙からの撤退を表明
ましたね

 

まあ、史上最高齢の大統領とかいわれ
て、討論演説などでも人の名前を間
違えたりしてましたからねえ。各方面
から色々とプレッシャーがかかってい
たようですが。

 

しかし、

 

アラカン世代やらそれ以上の年齢の
を集めてセッションなどをしている人
間としては、ちょっと身につまされ
わけでして。というのも、

 

人の名前なんかしょっちゅう忘れる

 

わけですよ、なんかもね。

 

もちろん世界一の大国の舵取りをする
大統領とは比較にもならないといわれ
ればそれまでですが。

 

いつものセッションでも、演奏前
の段取り確認するときに、プレイヤ
の方の名前思い出せなかったり、間
違えたりなんてことちょくちょくあり
ますからねえ。

 

まあ、演奏にそれで影響が出ているっ
てわけではないですけどね。今のとこ
は。

 

老人力とか言って、ネタにしたりもし
てきたわけですが。

 

さすがに大国の大統領ともなると、
人力ともいってられないのかなあ、な
どと思ってニュースを観ておりました。

 

で、ちょっとだけ(ちょっとだけかよ)
自分が撤退する時のことも考えたある
、ということでありました。

 

何を考えたか? ……それは、また
の機会に。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

意識と時間とアドリブ・ソロと

ャムセッションやってると、

 

交替でアドリブでソロを演奏する

 

というのをやるわけですね、たいてい
の場合。

 

そうすると、演奏する人はバッキング
をしている他の人の音を聞いて、直前
つまり直近の「過去」の音反応して
その場で直近の「未来」に向けて音を
出す、なんてことをやっているわけで
す。

 

まあ、そんなことをいちいち考えてや
っているわけではないですが(そんな
人もいるかもしれませんが)、人間の
「意識」はそんな風に働いているわけ
ですね。

 

人間が「現在」のことだけしか知覚で
きないとしたら、ソとミとミの音をつ
なげて「ちょうちょ」のメロディー
して認識はできないですよね。

 

ソとミという「直近の過去」の音
えているから最後のミがきて認識でき
わけですよね。

 

当たり前といえばそうですが、実はけ
っこう不思議なことをやっているので
は? 音楽に限った話ではないですけ
ど。

 

というような話を、現代思想を扱った
ほほうなんて思ったんですが。

 

そういえば、われわれの仲間のセッシ
ョンで、メロディ反応セッションとい
うのをときどきやるんですね。

 

「カエルの歌」とか「メリーさんの羊」
とかのメロディのはじめのところ
リストが弾いたら、その次のフレーズ
はみんなユニゾンで弾かなきゃいけな
いうルールでやるセッションでして。

 

簡単なようでけっこう頭を使ったりも
するんですけど(というのは、そのフ
レーズだけに注意を払っていると、演
奏の他の部分がおろそかになったりす
るので)ね。

 

そういう人間の意識の働き関係して
いるのかもしれない、などと思ったと
いう。そんな暑い夏の日の読書時間
あった、というようなことでございま
した。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

セッションにおける Fly Me to the Moon 問題について

ッションでよくやられる曲に、

 

Fly Me to the Moon

 

というのがありましてね。フライ・ミ
ー・トゥ・ザ・ムーン

 

老若男女、たいていの人は知っている
曲で、古い曲なのに若い人にも知られ
ているのは、例の『新世紀エヴァンゲ
リオン』エンディング・テーマだっ
たせいだと思いますが。

 

で、この曲、わりとシンプルな構成
ものすごい転調とかもないので、初心
者もやりやすいし、というようなわけ
で、セッション・スタンダードになっ
ているわけですね。

 

この前も、ちょっとやったんですが。
ただ、この曲、1つ問題がありまして。

 

曲の構成が、ABAB’ という流れになっ
てまして、しかもこの B’ というとこ
ろも前半の B とほぼ一緒、という作
りなんですよね。そうすると、頻繁に
起こるのが、

 

自分が B にいるか B’ にいるのかがわ
からなくなる場合によってはバンド
全体もわからなくなる

 

というようなことなんですね。

 

そうすると、本来1コーラスの途中
前半の AB終わったところで、次の
人にバトンを渡そうとする人が出る
ということが起こりやすいんですね。

 

この前も、実際ありました。

 

で、

 

杓子定規なことを言えば、まわりは
違うよ、まだ後半があるよ、と本人
に知らせるとか、そ知らぬ顔して、後
半が終わって次のコーラスに移るまで
(ソロがなくても)バッキングする
とか、するべきなのかもしれませんが。

 

それもなんだか見苦しいというか、
き苦しいわけです。羞恥プレ、あ、い
や罰ゲームみたいだしね。

 

なので、これはもう、B のところでも
B’ のところでも、ソリストが終わった
らもう、そこからまた ABAB’ の頭だ
と思ってみんな演奏するようにする。

 

……というのを、もうセッション界の
決めごとにしてしまった方がいい、と
思ったわけです。

 

え? とか、そこじゃないYo! とか
そういうのはもうおくびにも出さず
さらっと。絶対その方がみんな平和に
楽しくできますよね、きっと。

 

めざせ業界標準?

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ただし、AとかBの途中で受け渡され
も困りますけどね(笑)

 

AI時代とセッションのゆくえ?

の前、「曲」を決めてやるセ
ッションとそうじゃないセッショ
ンの話をしまして

 

のやってるアラカンセッションでは
どうしても曲を使ってやるセッション
傾きがちなんて話を書いたんですけ
ど。

 

つい先日にやったセッションでも、
和の歌謡曲なんかをネタにしたセッシ
ョン大盛り上がりしたんですよね。
(しかしカサブランカ・ダンディー
か、今の世の中では考えられない歌詞
ですなあ……)

 

思うに、それはその曲を単なる素材と
して演奏しているだけではないんです
よね。歌ってる歌手バンドだとか、
当時の音楽シーンだとか、そういった
ものを含めて改めて楽しんでいる、と
いうことではないかと。

 

別にだから、セッションは曲を使って
やるべきだとか言いたいわけではない
んですが。そして、曲を使わずにやる
セッションやればやったでちゃんと
楽しめるメンバーだったと思うんです
けどね。

 

で、

 

ふと思うとですね、たぶんこれから
世の中AI によって作られた曲
山出てくると思うんですが。そんな時
代のセッションというのは、どうなっ
ていくんだろうとか思うわけです。

 

そんな作者 AI というを、昭和の歌
謡曲みたいにみんなセッションとかで
やりたがるのか? やるのだとしても、
それは単なる素材として使われるのか?
あるいは時代やら音楽シーンも含めて
味わうようなことになるのか?

 

どうなっていくんでしょうね? 知ら
んけど。(まあ、その AI の作った曲
がどうマーケティングかによるんだろ
うとは、想像されますが)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ジャムセッションと楽曲の微妙な関係?

ャムセッションという活動は、
を決めてやるもの、と思ってい
る方が多いのではと思うのですが。

 

ここでというのは、既存の楽曲とい
う意味ですね。それを素材にというか、
その構成を基本にしてアドリブ・ソロ
を回したりするというやり方です。

 

もちろんそういうセッションは多くて、
ジャズのセッションなんてものは、
いたいそういうものだったりします。

 

なのであの黒い本(こらこら)が売れ
るわけですね。

 

でも、それがジャムセッションのすべ
てではないのでして。そんな既存の楽
曲に依存しないジャムセッションとい
うのもあるわけです。

 

どうやるか、というと、その場で曲の
構成コード進行とかグルーヴを決め
て、その決めた構成の上でアドリブで
ソロを回すなんていうもので。フリー
・セッションなんていう呼び方をする
人もいます。

 

この「フリー・セッション」(まあ
製英語でしょうけど)の良いところは、
事前の準備が(ほぼ)いらない、って
いうところですね。

 

曲をベースにしたセッションですと、
誰かがテーマのメロディを弾かないと
いけないわけですが、その準備もいら
ないしね。

 

ある意味敷居は低いと言えるのかもし
れません。もちろん、曲ベースじゃな
くても複雑にしようと思えば、いくら
でもできるんですが。

 

一方で、自分の好みの曲をやりたい、
という人も多いわけで、特に若い頃か
ら沢山音楽を聴いてきた人には、そう
いう思いの強い人もいます。

 

私のやってるセッションでは、どちら
もやるのですが、参加者アラカン世
代から上の人が中心なので、どうして
曲中心の比重が多くなりがちではあ
りますね……

 

個人的には、どちらも楽しいと思うん
で、どっちもありでいいんじゃないか
と思ってるんですけどね。

 

まあ、やりよう次第なので、結局、
っちも大して違わないともいえますし。

 

みなさんは、どちらがいい派ですか?
え? 考えたことない?

 

ま、そうか。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ブルー・ボッサ簡単アドリブ法?

あ、単なる一つのアイデア
んですが。

 

この前、「ヨイトマケの唄」の話をし
たときに、この曲は基本メジャー・ペ
ンタトニック・スケールで出来ている
なんてことを書いたんですが。

 

ペンタ(トニック・スケール)といえ
ばですね……

 

ブルー・ボッサ(Blue Bossa)とい
う、セッションでよく演奏される曲
あるんですが▼▼▼

 

基本16小節というシンプルさセッシ
ョン向きで、哀愁のあるメロディ
サノバのグルーヴにのっていて人気
んだと思うんですけど。

 

この曲途中で部分転調するんで、アド
リブソロを弾く時なんかにそこで
ケールを切替えるのが難しいんだよね
ー、なんて話がこの前出ていたんです
よね。

 

こんな感じのコード進行になっている
んですが▼▼▼

頭の8小節(と最後の4小節)はCマ
イナーのキーなんですが、9小節目か
らの4小節が Dbメジャーという半音
上のキーになるというね。しかもマイ
ナー→メジャーという切替えもある
いうことで。

 

そこが躓きやすいところではあるんで
すが。

 

これをなるべく頭のリソース(?)を
使わない方向ソロに集中するには
うしたらいいかと考えたんですね。

 

で、

 

頭の8小節と終わりの4小節はCマイ
ナー・キーなのでここはCのマイナー
・ペンタで弾けるわけです。で、Cの
マイナー・ペンタは Ebメジャー・ペ
ンタと同じ(構成音)ですよね。

 

で、問題の転調する4小節なんですが
ここは Dbメジャー・キーですが、こ
ここは Ebマイナー・ペンタで乗切る
こともできるんですよ。そもそも、こ
部分の最初のコードは Ebm7 だし。

 

確認してみればわかるんですが、 Db
メジャーのスケールの中に Ebマイナ
ー・ペンタの構成音全てが含まれてい
んですよね。

 

なので、まず Eb メジャー・ペンタと
Eb マイナー・ペンタの行ったり来た
りで乗切るところから始めたら、どう
か? と思ったわけです。

 

特にロック小僧系の方にはお勧めでか
もしれない、と。

 

馴れてきたら、そこに色々音を足して
行くこともできますしね。

 

ま、あくまで一つのアイデアですけど
ね(くどい)。

 

て、ことで。

 

それでは、また ( ̄▽ ̄)

 

もしジャムセッションに某候補者が紛れ込んでいたら

(SNSでこういう○○構文とかがバズっ
ると、どうしてもやりたくなってし
まうんですよねえ。悪いくせですが)

 

(セッションホスト)「まだ
スタジオの時間があるようなので、
何か曲のリクエストある方います
か? はい、石○さん」

 

(石○さん)フライ・ミー・トゥ・
ザ・ムーンをやりたいです」

 

「わかりました。グルーヴ4ビート
にしますか? ボサノバにしますか?」

 

「私グルーヴの話しました?」

 

「今日はまだボサの曲やってないんで、
それでいいですか?」

 

「私フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
っていいましたよね?」

 

「だからそのフライ・ミー・トゥ・ザ
・ムーンをどんなグルーヴでやりたい
聞いてるんですけど?」

 

「同じ質問を繰り返してます? さっ
き答えたばっかりですけど」

 

「だからグルーヴをどうするか聞いて
んです」

 

「え? もう1回言えっていうことで
すか?」

 

「いや、まだ答えてもらってないから
聞いてるんです。石○さんのリクエス
したフライ・ミー・トゥ・ザ・ムー
で……」

 

「え? リクエストフライ・ミー・
トゥ・ザ・ムーンってさっき言ったば
かりですよ」

 

整理しましょう。石○さんはまず、
フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
クエストされましたよね。石○さんは
まだグルーヴを指定されてないグル
ーヴの種類どうされますか?

 

「ん? さっきのリクエストの話は?

 

「だからそのリクエストを聞いてる
です。グルーヴをどうするかっていう
リクエストの問題です」

 

「え? だからだからグルーヴじゃな
くて、リクエストを聞いてるってこと
よろしいですか?

 

石○さんフライ・ミー・トゥ・ザ
・ムーンリクエストしてるわけじゃ
ないですか。そこまで合ってますよね?
一方でグルーヴの指定はされてない
けですよね、今ね。」

 

「もうちょっとまとめて質問してもら
っていいですか?」

 

(スタジオの店員)「すみません時間
でーす。退出お願いしまーす」

 

このお話はフィクションですので、
現実のジャムセッションや都知事選挙
や候補者とは無関係です。ちなみに政
治的意図はいっさいありません。それ
にしても、恐ろしい……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

「ハウリング」は間違いか?

楽用語、というか PA 関連用
というのが正しいかもしれませ
んが、

 

ハウリング

 

っていう言葉がありますね。

 

マイクでしゃべったり、エレキギター
で弾いたスピーカーから出力され
て、その音がまたマイクやピックアッ
プで増幅されて……ということになっ
「キーン」とか「ブーン」とかいう
普通に聞けば不快な音になることを言
います。

 

とくにイベント会場とかカラオケ
イクの扱いの問題などで起こりやすく
て、誰でも一度はそういう場面に立ち
会った経験あるんじゃないかと思い
ますが。

 

ロック・ギタリスト変態が多いので
わざとそういう音を狙って出したり
しますけど。基本、これは避けるべき
ものとされています。

 

で、

 

この現象を「ハウリング」というのは
和製英語で、間違いである、というの
よく言われることなんですが。本当
にそうか? と思ったんですね。

 

というのは、ハウリング、つまり

 

howling

 

という単語は、犬が遠吠えしたり唸っ
というのを表す言葉なわけで、そ
れはそれでいわゆる「ハウリング」を
現する言葉としては適切というか、
りではないか、と思ったわけです。

 

と思って調べてみると英語圏でも、
この現象を「ハウリング」と呼ぶ例
あるようでして、例えば、この記事
んかがそうです▼▼▼

 

あと、これとか▼▼▼

 

というわけで、少なくとも「ハウリン
グ」は和製英語ではなく、この現象を
形容する言葉としては使われる(こと
もたまにある)、ということはわかり
ました。

 

ただ専門用語というか、テクニカルな
用語としては、(audio) feedbackとか
いうのが一般的なようではあります
どね。

 

て、ことで。

 

それでは、また ( ̄▽ ̄)

 

音のダイナミクスとニューヨーク(?)

楽というか楽器の演奏やって
ると、最初のうちはともかく音を
出すだけで精いっぱいなわけです
が。

 

そのうち、だんだん出す音の大小とか
強弱とか、そういうものが気になって
くるわけです。まあ、いつもフルテン
マックスがいい!(キリッ)という人
もいいるとは思いますが。

 

そうすると、まわりから指摘されたり、
自分でもなんかこれが大切なのかも?
と思うようになるのが、

 

ダイナミクス

 

というモノというか概念なわけです。

 

ダイナミクスというのは、音の強弱の
なんというか相対的なグラデーション
みたいなものなんですが。

 

そのグラデーションの中で、その時出
す音の強弱を調整することが、曲の表
を作ったり、ストーリー展開を生み
出したりとかしていく重要なファクタ
になるわけですね。

 

その振れ幅が大きい方が、良い音楽
良い演奏とされるのが普通でして。ま
あ、ジャンルにもよりますけどね。

 

とはいえ、言うは易しで、なかなか
しいんですよね。

 

大事なのは、上にも書いたようにダイ
ナミクスというのは、「相対的」なも
なので、重要なのは強弱の「差」
わけですね。ひたすら大きい音で弾い
てもダイナミクスは生れないわけです
が……

 

なんてことをつらつら考えていたら、
この前、ニューヨークで地震があった
というニュースが流れてきまして。

 

正確に言うと震源はとなりのニュージ
ャージー州らしいですが、普段地震な
んてほとんど感じない(この規模のも
のは140年ぶりだとか)ニューヨーク
の人たちは大騒ぎしてました。開催中
国連の会議が一時ストップしたのだ
とか、いろいろ。

 

地震国日本のように体感値を示す震度
発表されないんで、どの程度の揺れ
を感じたのか定かではないんですが。
マグニチュードは4.8とのことで(笑)
実際被害は何もなかったそうです。

 

もう地震馴れしてしまった日本人はそ
れを生暖かい目で見守っていたわけで
すね。

 

しかし、これはダイナミクスのもたら
す効果の例証としては、なかなかわか
りやすいものではないか、などと思っ
推移を見ていたのではありました。

 

大事なのは前後の「差」なんですよね。

 

て、ことで。

 

それではまた ( ̄▽ ̄)

 

フレーズを半分にして弾く?

社勤めを終了してから、ビジ
ネス系のメディアの記事を読むこ
とはだいぶ少なくなったんですが。

 

たまたまこんな記事が目に入ってきま
して▼▼▼

 

記事というか、本の紹介ですね。ビジ
ネスの現場での話し方、モノの伝えか
テレビのキャスターの方が伝授
というような、そんな本らしいですが。

 

私、この本を読んだわけでもないし、
おそらくこれから読むこともないよう
気はするんですが(おいおい)、こ
こに書いてある、

 

最初から全部を言おうとせずに、(半
分くらいで?)いったん間を開ける

 

というのは、セッションでのソロの入
り方のコツちょっと似てるな、と思
ったんですね。

 

ジャムセッションソロを弾くという
のは、一緒にセッションしている相手
反応などをうかがいながら、やりと
りで展開していくモノなので、特に最
初は短いフレーズで入って出かたを探
、というようにした方が良い結果に
なりやすいわけです。

 

最初から、やりたいことを全部吐き出
すように弾くと、ダラーっと長くなっ
てまわりはノってきづらい、なんてこ
とも起こりかねないわけですね。

 

なので、ソロの最初は弾きたいことの
半分くらいで様子を見る、なんていう
ふうに考えるのもありだよな、と。

 

そんなことを思ったのではありました。

 

考えてみれば、テレビでのトークも相
手とのコール&レスポンスのようなも
ですからね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

「反応しない」という反応

の世の中、SNS あるいは
ーシャル・メディアと呼ばれる
モノの影響が強いので、なんか
あると、すぐに

 

反応を返さなきゃ

 

思いがちじゃないでしょうか。

 

それでまあ、骨髄反射的反応をして
言わないでいいようなコメントして、
炎上なんて事態もよく出現したりする
んですが。

 

これがまた文字情報として残りやすい
ですからね、SNS というやつは。な
おさら炎上が続いたりします。で、そ
の元になった書き込みを削除したりし
ても、今度は

 

魚拓

 

なんてのを取られていたりするわけで
すね。

 

GUI(グラフィカル・ユーザー・イン
ターフェイス)の呪いとでもいうんで
しょうかね……

 

まあ、何かの刺激反応することで
ミュニケーションは生まれるわけなの
で、コミュニケーションなしでは生き
られない人間には避けようもないリス
ともいえますけども。

 

余計な反応をしないというのもアリ
だというのはよくよく頭に入れておい
たほうがいいですね。

 

で、

 

コミュニケーションといえば、ジャム
セッションです(いつもながらに強引
ですけど)。

 

ジャムセッションは、音によるコミュ
ニケーションなんてことをいうわけで
すが。とはいうものの、たとえジャム
セッションでも、

 

すべてに対して反応する必要はない

 

とは思うわけですよ。

 

その場の状況精神状態体調とかそ
れぞれのプレイヤーには、その時々の
事情というのがあるわけでして、

 

ときには無反応という反応を返す

 

のもアリ、ということも思ったりする
のですね。

 

もちろん、そればっかりやっていたら
なんのためにジャムセッションしてる
んだということにはなると思うんです
けど。

 

でも、ときには積極的に反応すること
に気を取られすぎずに、まず自分ので
きることをする、というモードあっ
てもいいのでは、と思うわけです。
きには、ね。

 

なんて、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

若者と句点とトニックと?

近の若者は「句点(文章の
終わりのマルのことですね)が怖
いらしい、という話がありまして。

 

色々と話題になってるようですが、
文末にある句点威圧的に感じ、
「(相手が)怒っているのではないか
解釈してしまう、のだそうです。

 

「マルハラ」なんて言葉もうまれてい
るそうで。

 

メールに馴れた年長者チャット中心
若者違い、なんていうもありま
すね。

 

この話を聞いたとき、さすがに
えそうなんだと思いましたが。まあそ
言われてみると、気持ちはわからな
くもない、などとも思ったりもしまし
たね。

 

英語で、言いたいこと言い切り調
「はい、おしまい」って感じで、最後
“Period.” (ピリオド)というのに
似た印象をうけるのかなあとか思った
りね。

 

で、

 

音楽で、この「マル」に相当するもの
といえば、フレーズの最後が「ドレミ」
の「ド」の音で落ち着く、なんてこと
かと思うわけですね。で、その後ろの
コードはトニック(キーCならCメジ
ャー・コード)なわけです。

 

そういうのは「落ち着きが良すぎて、
なんかいやだ」とか「怖い(?)」
「ハラスメントだ」とか思う人が増
えると、それはそれで面白いかな、と
思ったりもするんですが。

 

3度(ミ)とか5度(ソ)とか、2度
(レ)とか6度(ラ)とか色々ばらば
らになったりして。

 

でも、ま、実はそういうの今でも結構
あるんですけどね。これとか(これは
6度にいってますね)▼▼▼

 

音楽なんてそうやって色々試行錯誤し
て豊かになってきたわけでしょうしね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

英語の語順とバッ○ビー○問題??

んな記事を見かけたんです
けどね。▼▼▼

 

それで、英語の学習ってこんなことも
覚えなきゃいけないんだなあ、大変だ
なあ、と思いつつ、また別のことも思
ったんですけど。

 

1つは、ここでいちばん最初に出てく
る、 right and leftleft and right のど
っちが正しいか? っていう質問なん
ですけど。

 

どっちもあるんじゃね?

 

と思ったわけですよ。まあ、頻度でい
うと right and left かもしれないですけ
どね。調べればわかるんだろうけど、
めんどくさいので調べませんけど(こ
らこら)。

 

こんな曲もあるしなあ、と▼▼▼

 

で、

 

それはわりとストレートな突っ込み
んですけど。

 

もう一つは、これって最近よく見る
本人のグルーヴ感がどうとか、バック
ビートがどうとか、そういう話と似て
るなあということでして。

 

なんかネイティブ(本場のミュージシ
ャン)が聴くとそれ変なんだよ、と、
ネイティブじゃない人からいわれる、
という、その感じがですね、似てる
あ、と。思ったわけですね。

 

実際に英語で読んだり、聞いたりする
前に記憶しろってのもなあ、などとも
思うわけですよね。順番間違えたって、
ネイティブ違和感持つのかもしれな
いけど、それで死ぬわけじゃないけど
なあ、なんて。

 

思ったりしましたね。ええ。それだけ
なんですけど。

 

※語順のせいでそれこそ場面とか状況
によって受取り方が大きく変わる、と
いう可能性が全くない、とはいいませ
んけどね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

ノンリニアな時代にリニアなセッションをやることについて

ニアなメディアあるいは
テンツという用語を聞かれたこと
はありますか?

 

デジタル時代の現代ではわりとよく聞
かれる言葉ではと思うのですが、要は
「初めから終わりまで、一直線に連続
した形で見て(聞いて)もらえること
を想定した」メディアやコンテンツと
いうことです。リニア(linear)とい
う言葉ライン(line = 線)の形容詞
んですね。

 

たとえば昔のレコードやカセット・テ
ープリニアなメディアですね。映画
も(映画館で見る映画に限定すれば)
リニアなコンテンツですね。

 

本は必ずしもリニアなメディアとは言
えませんが、小説といったコンテンツ
は基本的にリニアに鑑賞されることを
前提としていますよね。ビジネス書と
かは別でしょうけど。

 

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一方、今主流のデジタル化されたメデ
ィアやコンテンツはノンリニアな傾向
のものであるといえます。ネット上に
あるコンテンツは基本的に頭から順を
追って見たり・聞いたり・読んだりす
「必要はない」ですよね。

 

YouTube にアップされている動画や、
私を含めていろんな人たちが書いてい
ブログの記事も、基本的には昔の映
画や小説のような見方・読まれ方はさ
れないと思うべきでしょう。

 

で、

 

翻って、セッションあるいはバンドで
の(生の)演奏はどうかというと、こ
れはお察しの通り、きわめてリニアな
コンテンツなわけですね。

 

演奏の最中「悪いけどこいつのギタ
ーソロは飛ばしてエンディングに行こ
う」とかCDや iTunes や YouTube では
簡単にできることがセッションライ
とかではできませんよね。当たり前
ですが。

 

これは、考えてみれば現代ではなかな
か希有なことでして、コンテンツをリ
ニアな形で鑑賞することを当たり前の
ように強制(?)できるのはミュージ
シャンと(劇場公開時の)映画監督
舞台関係くらいのものかもしれません。
(あと、まあテレビもそうか。でも
というものが家庭で出来るようにな
ってからはちょっと違いますよね。)

 

ある種の特権的な事なのかもしれない
のですが、一方でこうしたコンテンツ
見る・見ないとか聞く・聞かないとか
オール・オア・ナッシングの二択でば
っさり切られやすい、ということもい
えるわけでして。

 

そんな時代なのでリニアなコンテンツ
に関わるということにはある意味なか
難しいものがあるのですよね。

 

そして、コロナという感染症の影響も
あって多くのコンテンツノンリニア
な方に流れていきました。もうそれで
いいじゃないか、なんて考える人も結
構いるかもしれないんですが。むしろ
ムダがなくていいとかね。

 

それでも、リニアなコンテンツにある
過剰さムダともいう)とか、そうし
た過剰で余計なものから生まれる新た
な気づきとか関係とか。そういったも
のがやはりわれわれには必要ではない
、とか。おじさんはそう思うんです
けどね。

 

別に誰に熱く語る気もないですが(な
いのかい)、そんなことをちょっとだ
け考えて、リアルなセッションをやっ
てます。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

時には跳んでみる?(メロディーも人生も?)

ール・ポータという人の書
いたスタンダード・ナンバーで
 “I Love You” というのがありま
す。▼▼▼

 

すごくどストレートなタイトですよ
ね。歌詞の方も「春がまたやって来て
/鳥たちも再び翼を広げ」とかそんな
わりと陳腐な感じのフレーズが入って
たりするんですが。

 

これ、実はコール・ポーターが友人
こういうタイトルこんな歌詞を使
って素晴らしい曲を作ってみろ、とい
挑戦を受けて、それで書いた曲なん
だそうです。つまりポーターらしいヒ
ネリのないタイトルや歌詞で良い曲を
かけるか? というわけでして。

 

結局この曲はミュージカルの中で使わ
れて、その後ビング・クロスビーが歌
ってヒットし、スタンダードナンバー
になるわけなんですね。つまりポータ
ーの勝ちだったわけです。

 

「素晴らしいメロディーは凡庸な歌詞
を凌駕する」とかポーターはいってた
らしいですが。

 

でね、

 

ポーターの言うようにこの曲はメロデ
ィーに特徴がありまして。曲の冒頭
そのまさに I Love You という歌詞に
あわせて、上の C から下の Db に跳ぶ
というところがあるんです(ちなみに
よく演奏されるキーFでの場合です)。

 

つまり、長7度下跳び降りている
ですね。この冒頭部分につけられた
ード(サブドミナント・マイナー系)
とともに意表をつく出だしとなってま
して、この冒頭部分によってこの曲の
印象はほぼ決まっているといっても過
言ではないかも(まあ中間部の転調と
か他にもなくはないですが)。

 

曲を作る時、流れるような綺麗に音の
つながったメロディーを生み出したい
と思うことも多いですが、印象に残る
メロディラインが生まれるのは、音の
跳躍が挟まれたときだったりします。

 

つまりスケール上のとなり(たとえば
メジャースケールだったらド→レとか
ソ→ラとかですね)やすぐ近くの音
動いていくのではなく、ちょっと遠い
音へと跳ぶ動きが生まれた時ですね。

 

もちろん年がら年中跳びまわっていて
も落ち着かないので、バランスではあ
るのですけども。

 

人間も、人生でときには日常に流され
ずに「跳ぶ」ことが求められることが
あるのと一緒かな? なんて思ったり
して……あまり関係ないか。ま、でも
そんなことをちょっと考えた、と。

 

※原文は:It’s spring again / And 
birds on the wing again

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

人は教則本に自分の○○を見る?

楽の教則本については、前に
も書きましたが。

 

前回書いた時には、何で音楽の教則本
というのは、挫折するとかしないとか、
読まないで本棚にたまるばかりとか、
そんなどんな本にでもあることを、
りたてて騒ぐ人が多いのか? なんて
ことを書きました(気がします)。

 

で、まあ、

 

そんなことどうでもいいじゃない(あ、
野口五郎だ)というような話ではあり
ますが、ちょっと思いついたことがあ
ったんですけど。

 

音楽の教則本というのは、その内容的
に、

 

読む人の未来を想像させてしまう

 

のですよね。

 

つまりその本を読んで、そこに書かれ
ていることをマスターして、早い話
奏が上手になった自分、というのを
メージさせるわけです。

 

で、買う、と。

 

そうすると、人はその本を見るたび
演奏が上達した(たぶん実現しないか
もしれないけど)未来を思い起こさせ
られるわけですね。

 

そういう意味ではフツーの本に比べる
と人間が執着するレベルは高くなる
かな、と思ったりしたわけです。

 

なので、それを捨てるということは、
(ありえるかもしれない可能性として
の)自分の未来を捨てる、ということ
なわけで。心理的ハードルは高いです
よね。

 

結果として、なかなか捨てられない
ね。と考えたということでございまし
た。

 

まあ、それが人間てもんなので、それ
でいいんじゃない? と思うわけです
が。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

一緒にやらないとダメ? 一緒にやらない方が気楽?

んか、世の中コロナ前の働
き方に戻そうというプレッシャ
ーが強いみたいで。

 

ある調査によれば、4割の企業コロ
ナ前の働き方に戻すといってるのだと
か。つまりみんな出社して、職場で一
緒に働け、ということですよね。

 

そんな企業側の考え方には、みん
なが同じ場に集って仕事することが
果を出すために大事という考え方があ
るわけですね。「同期的」な働き方と
いうらしいですけど。

 

直接お互いの考えを伝えあいコミュ
ニケーションして調整しながら働いた
方が、チームとしていい結果になるは
ずだという、まあ一見もっともな理屈
なわけですが。

 

ところが、

 

チーム女性とかマイノリティの人と
かがいると話は違ってくるという研究
結果があるそうで。そういう人たち
上のような同期的な環境では発言の機
会が制限されるし、発言も厳しく批判
されやすい、なんてことがあるそうで
す。

 

面白いのは、この研究対象にしたの
インドの民族音楽のミュージシャン
たち(の演奏の現場)なんですね。

 

そこでは、女性のミュージシャンたち
同期的に(つまり他の男性ミュージ
シャンたちと同じスタジオで同時に)
演奏するよりも、同時でなく個別に別
録りで演奏する方が良いパフォーマン
スの演奏が出来た、という結果になっ
たそうです。

 

詳しく知りたい方こちらの記事をご
覧ください。

 

で、

 

ジャムセッションなどという、みんな
一緒に楽しくせーので! なんてノリ
活動してる人間がいうのもなんなん
ですけど人間の心理というのはそう
単純なモノではないのだな、てことを
思ったしだいです。

 

ジャムセッションというセッティング
おびえて実力を出せない人というの
も現にいるわけですしね。

 

「場」を作る側としては心に留めてお
かねば、と思ったしだいではありまし
た。まじめか。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

音楽活動のブラック化の傾向と対策?

ディア等で一時クローズア
プされて今や定着化した言葉
「ブラック業」とか「ブ
ック化」なんてのありますよ

 

別にここで、個別の事例を取り上げて
あれはこうだとか、これはああじゃな
いかとか、話をしたいわけじゃないん
ですが、そんなブラック企業などの
とかを読んで感じたのは、

 

何につけブラック化ていうのは結構簡
に起こりうることなんじゃないか

 

……て、ことでして。

 

よく、この業種がどうとか、この業界
はああだから、とかいいますけど。
ラック化の危険は、多少の程度の差こ
そあれどこにでも同じようにあるので
ないか、と思うわけです。(だから
といって、「ブラック企業」を擁護し
たいわけじゃないですけどね)

 

より一般化すれば、人が集まればブラ
ックなことの起こる危険性は多かれ少
なかれある、ということかもしれませ
んね。

 

で、考えてみれば音楽の世界でも、ブ
ラックな話はたくさん聞くじゃないで
すか。過重なノルマとか、集客の苦労
にともなう諍い意見の食違い、様々
ハラスメントバンド内人間関係の
ごたごたなどで夢破れて去っていくな
んて人の話は腐るほどありますよね。

 

思うに、バンドとかいう割と少数で固
定化したメンバーでの煮詰まった人間
関係はブラック化の傾向を生みやすい
気はしますね。もちろん、きわめてホ
ワイトな(?)バンドだってきっとあ
るのでしょうが。

 

そんなストレスやブラック化の危険を
避けて音楽活動をするにはどうしたら
よいか、と考えるとですね、

 

バンドを組まないで音楽をすればいい

 

……と思ったわけですね。

 

と、なると、やっぱり「あれ」ですよ
ね。

 

ま、そんなわけでジャムセッション
ってるんですが。

 

でもまあ、

 

実はジャムセッション業界(?)でも
色々ブラックなことは起きてると言う
話も聞きますしね……。

 

結局人間同士の関係性の話なので、
ャムセッションやってても、ブラ
化の危険から完全に逃れるこはで
ないということですな。闇は深いな。

 

となると、つまりは一緒にやる相手
仲間次第ってことになるんですよねえ。
身もふたもない話ですが、ま、そんな
もんか。

 

私個人のことをいわせていただければ
アラカンセッションなどでご一緒させ
ていただいている仲間の方々にはとて
も恵まれていると感じておりますので、
大変感謝しております。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)