境界を拡げたい気持ち vs 確定したい気持ち

京スカパラダイスオーケスト
ラというバンドに “Paradise Has
NO BORDER”(「パラダイス・
ハズ・ノー・ボーダー」)という
曲がありまして。

 

このバンドの代表曲の1つなので、耳
にされたことのある方も多いと思うん
ですが▼▼▼

 

この曲、スカパラの曲なので、まあ
ャンル的にはスカの曲ではあるんです
が、聴けばわかるように、曲全体を通
してラテン音楽で使われる「モントゥ
ーノ」といわれるフレーズのパターン
が使われてるんですね(冒頭のピアノ
のフレーズがモントゥーノです)。

 

なのでこの曲のことを(うっかり?)
「ラテン」と呼んでしまったことがあ
りまして。

 

そしたら、ラテン音楽を愛するとある
「スカはラテンじゃない」とかい
われたんですよね。まあ、そう言いた
い気持ちもわからないでもないんです
が、こちらにも言い分がないわけじゃ
ないわけでして。

 

スカはご存知の通りジャマイカ発祥
音楽、つまりカリブ海の島の音楽で、
そこに住む人々はキューバなどラテン
音楽が演奏される主要な地域と地理的
に近いわけで、そういう地域の音楽に
影響を受けていますし、そもそもルー
ツをアフリカに持つ人々の音楽という
点ではしているわけです。

 

で、まあ、

 

結局、人には色々考えがあって言い分
があるってだけの話なんですけどね。

 

とはいえ思ったのは、ジャンルの領域
をしっかり確定しないと気が済まない
が、その辺を拡大解釈(?)したり、
なるべくゆるやかに考える人にある種
怒りを持つというのは、形は違えど
よく目にするよなあ、ということなん
ですよね。

 

 

そんな食い違い「ノー・ボーダー」
という曲について起こったというのも
皮肉な話ですが。

 

ジャンルへの愛の強い人はそんな領域
内と外に敏感なことが多いようです
し、それはそれで尊重しないといけな
いとは思うわけですが。

 

一方で、面白いことはそういう境界の
あいまいなところで色々起きているん
ではないかなあ、などと思ったりもす
るんですよねえ。そういうとまた怒り
を買うのかもしれませんが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ファンクの歴史が観られる?

日書いた、ファンクの歴史に
ついての動画の件なんですが。

 

相変わらず YouTube では観られるよ
うにはなっていないみたいなんですが。

 

もしかしたら、制作した大元( PBS)
当たってみればいいのかもしれない、
と思い当たりまして。

 

検索した結果……ありました!

 

こちらがそのリンクです▼▼▼

 

 

正式タイトルWe Want the Funk!
っていうんですな。こちらから動画を
観ることができました。わーい。

 

しかし、もしかしたら YouTube のよ
うにまた突然ダメを食らうかもしれな
いので、ご興味のある方早めに観る
のが吉かもしれません。

 

この週末のお楽しみにいかがでしょう?

 

上のリンク先のページにある <Watch
Now> というボタンをクリックすると
マーカス・ミラーがベースを弾きはじ
めますよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ファンクの歴史が観られない?

日、YouTube にアメリカの公
共放送局である PBS 制作の動画
がアップされてるのを見つけまし
て。

 

これが、ファンク・ミュージックの歴
を描いたドキュメンタリー映画だっ
たんですね。1時間20分ほどの動画
んですが。

 

で、見始めたら、これがなかなか面白
てですね、色んなミュージシャン
音楽や黒人の歴史についての研究者
それぞれの立場から解説しているんで
すが。

 

そこにもちろん、ファンクの有名な曲
映像とともに流れるわけですね。

 

解説は英語ですが、まああまりそれに
とらわれなくても楽しめるし、最近は
自動翻訳の字幕なんかも出せますしね。

 

そうやって楽しんでたんですが、他の
用事の関係三分の二くらいまで観た
ところでいったん停めて、またあとで
観ようと動画を閉じたんですね。

 

そしたら、

 

さて続きを観ようとしたら、なぜか、

 

動画を再生できません
この動画は、お住まいの国では公開さ
れていません

 

という字幕とともに観られなくなって
しまったんですよ。

 

 

ファンクの歴史を、ジェイムズ・ブラ
ウンから始まってスライ・アンド・ザ
・ファミリー・ストーンジョージ・
クリントンのパーラメント/ファンケ
デリックとたどり、ゴスペル・ファン
なんていう日本ではあまりなじみの
ないジャンルの話をはさみながら、
部への黒人の移住によってファンクの
中心地も移り変わるなんて話の中で、
さて、プリンスが登場……

 

なんてところだったんですよね。観て
たこっちはすんごく宙づり状態という
かね……

 

なんで急に観られなくなったんでしょ
うね、版権とかの関係かなあ。

 

そんなわけで、とてもモヤモヤしてる
今日この頃です。くそー

 

ちなみに、こちらがその動画のリンク
なんですが▼▼▼

 

皆さん、観られますか? もし万が一
観られたら教えてくださいね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

スチャラカの語源は(やっぱり?)○○だった

を書いたんですが。

 

人間、とくにアラカン以降になったら、
多少スチャラカに生きた方がいいんじ
ゃないか、なんてことを書いた訳です
ね。だからいつもやってるアラカン・
セッションもスチャラカでいいんだ、
なんて。

 

で、

 

スチャラカというのは、おちゃらけた
とかいい加減とか、あるいは無責任
そんな意味ですよね、だいたい。

 

ただ、語源については知らなかった
ですが、思い立って調べてみたんです
ね。
そうしたら、

 

〘 名詞 〙 歌舞伎下座音楽の一つ。幕
末から流行した阿呆陀羅経(あほだら
きょう)を三味線にのせたもので(以
下略)
(出典 精選版 日本国語大辞典)

 

というのが見つかりまして。

 

結局、音楽関係の言葉じゃないですか
スチャラカって(笑)語感からそんな
気はちょっとしてたんですが。

 

 

さらに ChatGPT によると

 

1855年の安政の大地震後には、震災の
様子を茶化した「スチャラカ節」が登
場し、風刺的な表現として用いられた
記録もあります 。

 

なんて話も出てきました。

 

てことで、音楽とスチャラカとは相性
がイイ! という確信にいたった、と。

 

そんなようなことがあったある日の調
べものではありました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

モスラの人たち?

年(2025年)のゴールデン・
ウィークに吉祥寺音楽祭というの
に出させていただきまして

 

いつもやってるアラカンセッション
仲間たちと出たわけなんですが。

 

そのセットリストの中に、「モスラの
歌」というのがありまして。怪獣映画
「モスラ」ザ・ピーナッツが歌っ
た曲なんですが。

 

これがなぜかアラカンセッションでの
定番曲になってるんですね。

 

で、今回それをやろうということにな
って、やったんですが。あるメンバー
が、この「モスラの歌」の前に、イン
トロとして、

 

アランフェス協奏曲

 

を弾いたら面白いんじゃないか、とい
うことを言い出しまして。で、やって
しまったんですが▼▼▼

 

アランフェス協奏曲って、元々はもち
ろん独立した曲なんですが、チック・
コリアという人が有名な「スペイン」
という曲の前にイントロとしてやった
ことから、このメロディを聴くと、あ
スペインやるんだな、と思う人が多い
んですね。

 

特にジャズのセッションとかやる人た
ちはね。

 

で、まあそういう人の意表をつくとい
うかね、そんな狙いだったんですけど。

 

で、

 

ライブの本番が終わった後いつもセ
ッションするお店(バー)打ち上げ
してたんですが、そこにわれわれのバ
ンドの次に演奏したバンドの人が入っ
てきたんですね。

 

そしたら、われわれを見て開口一番、

 

「あ、モスラの人たちだ」

 

と、言ったんですよね……

 

 

われわれ、これからモスラの人たちと
して知られるようになるのかもしれま
せん。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

分かってる俺を大切にしろ症候群?

社でプロジェクトとかが発生
して、そのためにチームが組まれ
ることがありますよね。大きいプ
ロジェクトだと社内横断的になっ
たりして。

 

そうすると、普段はあまり付き合いの
ない人チームに入ってきたりする
けですね。で、そんな人が打ち合わせ
とかで活発意見を言ったりして、プ
ロジェクトの推進に積極的でいいな、
なんて思わせられたりもするんですが。

 

そのうちに、なんかその人は別にチー
ムリーダーでもないのに、俺の経験に
よればここはこうすべきだ、とか、こ
の仕事を成功させるにはこういう心構
えでなければいけない、とか。

 

色々主張する声大きくなってきたり
して。人の仕事のやり方に口をだして
きたりして。全員返信メールが夜中に
飛んできたりして。

 

他の人たちは特に声高には主張しない
けど、その人たちにもそれぞれ考え方
とか、仕事のやり方があるわけなんで
すけどね。

 

そういう人たちからすれば、なんで
いつはあんなに声高に騒ぎ立てている
んだ。めんどくせえなあ、なんて思い
始めたりして。

 

そうこうするうちにチーム全体がなん
だか微妙な雰囲気になってきて……

 

普通にやってれば上手くいくようなプ
ロジェクトが、最悪の場合まさかの空
中分解、なんてことになったりして。

 

 

そんな経験ありませんか?

 

はもう会社勤めを卒業したんですが、
昔を振り返ると、そんなこともあった
よなあ、なんて遠い目になったりもす
るわけです。

 

でも、この自分(たち)は色々経験し
てるからどうすればいいか一番よく分
かってるんだ、という思い込み趣味
の活動でいえば音楽とかなわけで
すが)でもそれがダダ漏れな人とき
どきいるんですよね。

 

そういう人をみると、あ、気をつけよ
と思って自戒しております(なんか
あったのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

音楽の音出し問題とマンションと

回、私が住んでいるマンショ
ことを書きましたが。

 

そういえば、先日マンションの臨時総
がありまして。

 

いくつかの議題があったんですが、そ
の中に、マンションの「使用細則」
ついてのモノがありまして。具体的に
いうと「専有部分における楽器等使用
にかかる変更」ということで。

 

まあ、よくある話ですが、夕方以降
部屋の中で大きな音量で楽器を演奏
たりする人がいるんですよね。それで
前からマンションの掲示板には注意喚
のお知らせとか出てたんですが。

 

 

で、

 

そんな注意事項をマンションの使用の
細則に盛り込んでしまおう、というこ
とで、まあその方向性自体は仕方ない
ことかなあと思ってはいたのですが。

 

ただその変更部分には、禁止事項とし
て「テレビ、ラジオの音量を著しく上
げること」とあって、それは良いので
すが。その後に「特にステレオ、各種
楽器等を使用する際は、ヘッドホン・
イアホン等を使用し、近隣住戸への騒
音に配慮」するように書いてあったん
ですね。

 

いや、それだと夜だけじゃなくて、
中であってもオーディオや楽器のスピ
ーカーは全く鳴らせない読めてしま
んだけど、どうなの? と思ったん
で、ちょっと文言をもう少し考えてく
れませんか? とお願いして、ご理解
いただいて修正を考えていただけるこ
とになったんですが。

 

しかし、規則としてこういう文言でい
いだろう、と総会の場まで上がってき
ことを思うと、今はもう日中でも部
屋の中でアンプから音を出すのはより
シビアに見られているのだろうなあ、
と。

 

そんなことを思った次第ではありまし
た。

 

防音室を設置するスペースも(金も)
ないしなあ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

頭がいい人になりたい? 頭がいい人に見られたい?

書店の店頭とか、本の広告
とかを見ていて思うのは、

 

頭のいい人

 

というフレーズがやたらに目につく
いうことじゃないでしょうか?

 

あと、ビジネス系のメディアとかね。
そういうところにもこの「頭のいい人」
というのがはびこってますよね。

 

この傾向は、どうもここ10年とかみ
たいのようです(ChatGPT に聞いた
らそう言ってました。しらんけど)。
そういえば、そんなベストセラー
ありましたね。

 

『頭のいい人が話す前に考えている
こと』とか『頭のいい人が実践して
いる 頭がいい人の伝え方』とか『頭
のいい人の習慣』とか……

 

まあ、いいんですけど。

 

なんとなくこれだけはびこってくる

 

ウゼえ

 

とか思う自分がいるのですよね。

 

皆さんはどうですか?

 

なんか心の奥頭が良く思われたいと
思ってるのを見透かす感じで、ね、
のいい人にみられたいでしょ? ほら
ほら……なんて言われてるような気に
なるからでしょうかね。

 

 

そのうち、『頭のいい人のギター練習
法』とか『頭のいいピアニストのため
のハノン』とか出るんじゃないか、と
戦々恐々としている今日この頃ではあ
ります。

 

あ、ウソです、そこまで恐れないです
が……。でもそう言うのが出てきたら
イヤですよね。そう思いません?

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

小手先のテクニックと○の余裕

たまた本の話なんですが……

 

最近東畑開人さん「聞く技術 聞いて
もらう技術」という本を読んだんです
ね。

 

東畑さん臨床心理士で、人間の心の
ことを書いたベストセラーをいくつも
出されています。この本もそんな中の
一つですので、聞くとか聞かれるとか
いっても、プレゼン技術とかそういう
話ではありません。

 

で、まあ具体的な内容にご関心のある
かたは是非読んでいただければと思う
のですが、この本の中で、著者は人の
話を聞いたり、自分の話を聞いてもら
うための

 

小手先の技術

 

から文章を始めていきます。

 

なんか小手先のテクニックとかじゃ
メだというのが普通だと思うんです
が、著者によれば小手先の技術の良い
ところは、それを知ることで楽しくな
ることだ、と言うんですね。

 

確かに例えば YouTube にも色んな小
手先のテクニック山ほど紹介されて
いますが、そういうのが受けるのは、
知って楽しい、というのが大きい気は
しますよね。

 

音楽関係も、そういうの多いですよね。
まあ、そこからもっと深く知りたけれ
ばこちらへ……なんて有料方面に誘わ
れることになるわけですけど。

 

ライフハックなんていう概念定着
たのも、同じような心理が働いている
のでしょうね。最初から深ーい話をさ
れても手が出ないけど、小手先ならね、
と思えるというか。

 

ともあれ、そういう「小手先のテクニ
ック」を知ることのメリットもあるの
だよなあと思わされたのではありまし
た。

 

ただ、

 

東畑さんは、その後で

 

小手先が使えるのって、余裕のあると
きだけ

 

とも書いているんですね。

 

 

余裕を失ってしまっては、結局小手先
も使えない。小手先のテクニックを知
っても、上手く使えないなんてことは
音楽やってると山ほど経験しますね。
どうしたもんだか……

 

ま、なんでもそこからスタートせざる
をえないわけですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

音楽やってれば色々ハッピー?……でもない?

がメルマガを書いていようが
休んでいようが、世の中にはいろ
んなニューやら研究の発表やら
が出てくるわけですが(当たり前
だ)。

 

ここ最近読んだ音楽がらみの記事(と
いってもミュージシャンが新曲出した
とか喧嘩したとか死んだとか、そうい
うことではなくて)にも、私の目を引
いたものいくつかありましたが。

 

そのうちの1つがこちらの記事なんで
すが↓

 

音楽のセッションやると高齢者脳の
健康や心の健康が改善して、健康寿命
が伸びる、かもしれない、という研究
があったという話ですね。

 

なんか某東北大学某楽器店と「共同
研究」したそうなんですけどね。

 

アラカンとかそれ以上の人を集めてセ
ッションやったりしてる身としては、
ちょっと嬉しくなる記事ではあります
よね。

 

年齢がいっていて、たとえそれまで
験がなくても音楽やることでクォリ
ティ・オヴ・ライフが向上する希望が
もてるということなわけですからね。

 

 

その一方、

 

こんな記事も目にしたんですが↓

 

英米での話ですが、ミュージシャンの
自殺率がとても高い、という研究なん
ですね。

 

「音楽業界は非常に危険な業界である」
とまで書かれていますね。研究者の1
元ラッパーだったそうで、自分の
活動からこうした研究への問題意識
持ったのかもしれません。
日本でも同じような研究があってもい
い気もしますよね。

 

で、

 

同じ「音楽をやる」といっても、この
2つの研究の対象は全然違う(音楽未
経験の高齢者と英米のプロ・ミュージ
シャン)わけですが。

 

それでも、一方健康な老後につなが
るかもしれないというポジティブな内
で、一方は自ら命を絶つことにつな
がるという悲惨な内容なわけで。

 

並べて読んでみると、色々考えさせら
れた、というお話ではありました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

コスパとかタイパとかセッションとか

の世の中、コスパとかタイパ
とかそういうのが重視される、な
んていいますが。

 

特に若者はそういう意識が強くて、だ
から映画を倍速で観るとか色々言われ
ますけど。なんか、もう仕事を辞めて
セミリタイアな高齢者(私)としては、
どうでもいいとは思うわけですが。

 

一方で、人間年をとれば、何でも経験
を積んでコスパやタイパが良くなって
いくもので、それに依存してしまう
「老害」なのだ、なんていう意見
あって。結構私としては納得させられ
たりもしているんですが。

 

で、

 

ところでジャムセッションというのは
どうなんだ? と考えるとですね。こ
れはまあ、タイパとかコスパとかとは
基本無縁な世界かなとは思うんですけ
ど。

 

 

みんなで一ヶ所に集まって、曲を演奏
して、決められたコトをやるだけでな
く、時には難しいアドリブで頑張る、
とかね。どうみてもあまりコスパやタ
イパのいいことには思えない

 

を描くとか、手芸をするとか、そう
いう作品が残る趣味なわけでもない
すし。

 

なんですけど、例えばジャンルを決め
てやるセッションだと、定番曲とかが
出てきて人によってはだんだんタイパ
とかコスパの「差」が生まれたりする
んですよね。

 

で、その格差によって人を見下すとか
なると、よくあるジャズ・セッション
のハラスメント的おじさん問題につな
がるかもとかも思ったりして。上に書
いた「老害」的なね。

 

なので、なんでも雑食的ノンジャン
ルでやってるセッションがいいのだ、
なんてね。手前味噌的に思ったりして

おります。

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

店の混み具合とSNSと?

の前、家から近くの街の古本
に行ったんですが(またかよ)

 

その街にはわりと近くに2件の古本屋
さんがあるエリアがあってですね、そ
のうちの小さい(というか店が狭い
方に先に入ったらですね、なんかいつ
もより凄く混んでたんですよ。

 

まあ、混んでいるといっても、せいぜ
い5人くらいですが、店がそもそも狭
くて通路で人とすれ違うのがストレス
になるくらいの所なんで、やたらと混
みあった感覚になるんですね。

 

いつもは多くても客が1人2人しかい
ないような店なんですけどね。まあ、
繁盛しててなによりとは思いましたが、
なんかいつもと違うなあ、なんて。

 

 

で、その店でちょっと買い物して、出
ようとすると、外にも入れない人がま
だいたりして、なんだろうなあなんて
思いながらもう1軒の店に向かったら
そこで謎が解けたんですが(大げさ)。

 

つまり、もう1軒の方が休みだったん
ですよ。そっちの店わりと広くて、
表通り(といっても狭いですけど)に
面してもいるので、いつもたいてい5
人から10人くらいの人はいるんです。

 

なので、そっちにあぶれた人が狭い方
の店に流れてきた、ってことなんでし
た。

 

で、

 

なんかに似てるなあと思って考えたら
ちょっと SNS の狭い仲間内での盛り
上がり感てこんな感じかも、なんて思
ったりしたんですよね。

 

なんか今の SNS とかって、狭い場所
での盛り上がりが沢山ある感じもしま
すよね。

 

そもそも狭い所で、いっぱい仲間がい
ると思っても、広い所に出るとあれ?
なんていうあの感じ。これがエコー・
チェンバーってやつ?

 

なんてことを思ったある日のお散歩
した。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

写真に撮れない?

でもヴァレンタイン・デー
てあるんですよねえ(あります)。

 

まあ、この歳になって会社も行かなく
なって義理チョコなんていうものにも
触れる機会がめっきりなくなると、
うでもよくなってくるわけですが。

 

え? ひがんでる?

 

……ま、それはともかく。

 

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
という曲については前にも書いたこと
がありまして。この曲は元々ミュージ
カルの中の曲なんですよね。

 

そしてこのヴァレンタインというのは
実は登場人物の男性の名前なので、元
々はヴァレンタイン・デーとは無関係
なんてことを書いたんですが。

 

で、

 

男の人についての歌ということですが、
まあある種のラブソングではあるわけ
で、そうするとその男性を(なぜか)
好きな人の側からの歌なんですね。

 

上になんで「なぜか」なんていう言葉
を入れたかというと、歌詞をよく読む
と、見た目は笑っちゃうけどとか、
リシャの彫刻のようではないとか、
を開けばあんた頭大丈夫?とか。

 

まあディスりまくっているんですね。
も好きなの、というね。まあツンデレ
たいな歌なわけです。

 

そんなディスりの中、いちばんひでー
、と私が思ったのは、上の笑っちゃ
う見た目の次に出てくる、

 

Unphotographable

 

という形容詞でして。つまり写真には
撮れない、そんな外見、といってるわ
けですね。でも好き、と。

 

なかなか素晴らしいツンデレではない
か、と。改めて久しぶりに思ったので
はありました。

 

ま、それだけなんですが。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

マルチタスクしない決断?

近、映画監督のジェームズ・
キャメロンのあるインタビュー
読みまして。

 

このインタビューは、彼の作品である
『アバター2』(2022年)が公開され
た頃に行われたものなんですが。

 

その中で彼はこの映画をスマホとかで
はなくて、劇場で観て欲しいと言って
いるんですね。

 

で、その理由はというと、普通予想さ
れるような大きなスクリーンとかしっ
かりした音響システムとかというより
も、

 

マルチタスクをしない、という決断で
あり自分との約束

 

だというわけです。

 

 

外部からの情報が流れ込んでこない形
で映画の世界に没入して欲しいという
ことなんですね。

 

「家で映画を観ていては、映画館にい
るときほどには泣けない」そうです。

 

これに対してはまあ色々意見もあろう
とは思いますが、私個人的には同意す
る部分が大きいなとは思いました。

 

そして、音楽を演奏する、セッション
するなんていうアクティビティ、自
分を「マルチタスク」から(強制的に
?)切り離すモノであるよなあと思っ
たりもしたんですね。

 

楽しいセッションで得られる喜び、な
んていうことにこれは関係しているの
では? なんてことをちょっと思いま
した。ま、ちょっとですけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

そこでその話?

んかですね、某ビジネス・経
済系の雑誌のオンライン・サイト
を結構よく見てる自分にふと気が
つきまして。

 

もはやビジネスとか、企業のどうこう
とか、こういう上司とか部下とか同僚
とかとどう付き合うべきかとか。そう
いう話にはほぼ興味がない私なんです
が……

 

なんでそのサイトに行くことが多いの
というと、

 

食べ物の話が多い

 

んですよね。

 

多いだけじゃなくて、私以外の人にも
そういう記事がよく読まれているよう
で、記事の人気ランキングを見ると、
そんな食べ物関係の話だらけなんです
よ。

 

このファミレス・チェーングランド
メニューリニューアルしてこうな
ったとか、あのチェーンのモーニング
メニュー素晴らしいとか。こっち
のレストランのメニューいいとか
りよろしくない、とか。

 

 

まあ SNS の世界でもそういうフード
系の記事人気だし、そういうのに乗
っかってページビューを稼ぎたい、と
いうことなのかもしれませんけど。

 

で、

 

私個人的にはそれはそれで面白がって
読んでるので、別にかまわないんです
けど。もしこれに音楽関係の記事でも
充実してきたらさらに嬉しいとは思う
んですが。

 

でも、一方で経済ビジネス系の雑誌
人気記事こういうのばかりでいいの
と、ふと思ってしまったある日の昼
下がりであった、と。

 

そういうことなわけでした。ま、それ
だけなんですけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ある意味分かりやすい?

SNS 上での言い争いなんてのは
今やもう日常茶飯事ですよね。

 

音楽関係でも色々ありますしね。

 

この前も、また例のバックビート問題
について投稿した動画と、そこでの
張に反論するコメントを眺めたりして
いたんですが。

 

もう、なんですね。俺はバックビート
をこう考えるとかいうと、いやそれは
違うとか。俺がバックビートやってみ
るから聴けとかいうと、いやお前は
るでバックビートが出来てない、とか。

 

なんのためにもならないような応酬
くりひろげられてて、あー、もうダメ
だなこれ、なんて気分にさせられまし
て。

 

なんか SNS で交わされてる議論とい
うのは、もはや議論でもなくて。一方
言いたいことを言い、それを聞く方
(読む方)はそれを聞いても(読んで
も)自分の聞きたい(読みたい)よう
にしか理解しない、ということなんだ
なあ、と。

 

いまさらかもしれませんが、思ったり
する今日この頃なわけです。

 

 

そういう意味では、ビジネスの世界で
のやりとりというのは、お互いのニー
提供できるサービスやら商品やら
マッチングさせるとか。複雑なこと
はあるけど、お互い落とし所みたいな
のを探ろうとしますからまだ分かり
やすいんではないか。

 

なんてことを、もうビジネスの世界か
ら足を洗った今になって思ったりして
おります。

 

まあ、そういうビジネス(ディール)
的発想なんでもやろうという人が
統領とかになったりすると、分かりや
すくても、それはそれでまた大変だろ
うなとは思うわけですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

カバーとジャケットと、帯と

って、本そのものに加えて

 

カバー

 

ってついてることが多いですよね。

 

それだけじゃなくて、それにさらに

 

 

ってのがついてくることも多いです。
とくに新刊書とか。

 

最近の帯って、ほとんどカバーと同じ
大きさ、なんてのもあって(とくに新
書とか)、そうするとまるでカバーが
2つかかってるみたいになるわけです
ね。

 

そして、それを持ち歩くときには、
店がかけてくれる独自のカバー、なん
てのをつけることもありますね。

 

あの、書店がサービスでつけてくれる
カバーって、私の場合はなんかないと
落ち着かないんですけど。一方であん
なカバーつけて、周りから何を読んで
るのかわからなくするとか、いさぎよ
くない、なんてことを言う人がいたり
もします。

 

それでだけじゃなくて、元の本につい
てきていたカバーも帯もみんなとって
しまえ! とかいう人もいたりします
ね。丸裸にしろ、と。

 

私はなんか、カバー書店がくれ
るカバーも、一応大事にしてキープ
る方ですが。まあ世の中いろいろです。

 

 

そういえば、

 

昔の LP レコードって、ジャケットの
左側に縦長の帯がかかってましたよね。
あれって、日本だけのモノだと思うん
ですが。

 

特に洋楽のレコードだと、そのまま
誰のどんなレコードか分かりにくか
ったからでしょうかね。ジャケットを
デザインした方にすれば「余計なもん
かぶせるなよ」と思うんだろうなあ。

 

そういえば CD になっても帯的なもの
ってありましたよねえ。左側にちょこ
っと。ある意味日本的な文化なんでし
ょうかねえ。

 

なんか、もう。デジタル配信とか電
子書籍とかになるとそういうのはすべ
て省略されますね。良くも悪くも。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

セッションホストだって○○中したい?

のまえ、とある友人(女性)
と話をしていたんですが。

 

その人は、ネットのオンライン・ゲー
よくやるそうで、その話になったん
ですが。最近ハマってるゲームが、

 

ホストクラブ

 

舞台にしたものらしく。

 

日に何回も「通って」いるそうです。

 

まあ、本物のホストクラブじゃない
で、いくらお金をつぎ込んでも実害は
ないわけで。そのために変なバイトし
たりしているわけではないようですが
(良かった良かった)。

 

で、

 

そのゲームが1回終わる時のホストの
セリフいいんだという話なりまして。

 

つまり、色々楽しんでシャンパン・
コールがあったりして(?)盛り上が
ってゲーム・オーバーで、店を出る時
に、ゲームの中のホスト

 

今日も楽しかったよ

 

というそうなんです。

 

 

つまり、楽しかったのはあくまでホス
ト本人というわけですね。お客さん
してゲームをする人は眼中にないとい
うか。

 

んー、売れっ子ホスト自己中さが出
ていてイイ! という話だったんです
よね。

 

同じホストでもセッションホスト
んな自己中にはなれないよなあ、なん
て思いながら聞いていたんですが。

 

いや、しかしセッションホストだって
時にはそれくらいの自己中的言動があ
ってもいいのではないか? いや、
うに違いない! なんて妄想したので
はありました(連休中に何かあったの
か?)

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

ハネたりハネなかったり?

イトル見て音楽の話かと思い
ました?

 

実は違うんですよ(えばるな)。

 

あるプログラマーの人の本を読んだ
んですが、電子書籍で。そのとき気づ
いたことの話なんですが。

 

別にプログラミングの本ではなくて、
プログラマーはどういう思考をするか
なんて内容の本なんですけどね。

 

で、

 

「バグ」というプログラミングから出
た言葉があるじゃないですか。プログ
ラミングの過程で発生してしまうミス
あるいはそれによって引き起こされる
誤作動、みたいな意味ですよね。

 

元々は虫という意味の言葉なんですが
プログラマーの世界では、そんな意味
に使われるようになったわけです。

最近では比喩的に(?)「脳がバグっ
てる」なんて使われ方もされたりして
ますよね。ま、それはいいとして。

 

じゃあ、その「バグ」を取り除く作業
のことをなんというか? これも最近
はプログラミングという世界が身近
なって来てるせいか、耳にすることも
多い気がしますが、

 

デバッグ

 

というわけです。

 

あれ?

 

バグはハネないけど、こっちはハネて
ますよね。

 

英語でみると bugdebug なので、
本来は、バグデバグ、あるいはバッ
デバッグという組み合わせである
べきでは? と思った、と。

 

それだけのことなんですが。

 

まあ、いろいろ理由は想像できるし、
デバグと書く人もいるかもしれないん
ですけどね。調べたわけじゃないけど。

 

そんなことに引っかかって本を読む
スピードが落ちるというかタイムロス
しております。別にヒマなんでいいん
ですが。

 

このの中で、プログラマーというの
プログラミングしていると、外界の
刺激脳に届かなくなって、あっとい
うまに時間がたつもんだ、というよう
なことが書かれておりました。

 

そういうところはミュージシャンと似
てるかな、なんて思ったという、そん
感想をもって、本を閉じたのではあ
りました。

 

電子書籍なんで、アプリを終了しただ
ですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

本はバック○○○○○では読めない

りと最近のことですが、

 

古書店にいったんですね。

 

それは別に珍しいことではないんです
が、その時には店先の安い本の並んで
いる棚には特に目ぼしいものはなく。

 

今日は手ぶらで帰るか、と思ったんで
すが、まあでも店の奥に並んでいる本
も見ておくか、と。中に入っていった
わけですね。

 

そうしたら、とある上下2巻で、定価
で買うとそれぞれ 6000円以上する本
が、揃いで 2000円とかで売ってたん
ですよ。状態も悪くない、というか、
かなりきれいなのが。

 

普通に考えると、古本だとしてもそん
安くならないと思うんですが。まあ
掘り出し物的に見えたんですね。

 

え? と思っておもわず買ってしまっ
んですが。

 

まあ、しかし、買ってみると、ハード
カバーずっしり重いし、2巻合わせ
て 1000ページ近くあるんで、

 

どうすんだ、これ?

 

って感じになってます。

 

そんな買い物してしまうことってない
ですか、みなさんは?

 

CD のボックス・セットを買ってしま
ったような?……しかしボックスセッ
ならプレイヤーにかけて、BGM 的
に流し聴きするという手もありますけ
ど。

 

 

流し読みっていうのはできますけ
、何かの片手間にバックグラウンド
でやることは出来ませんよねえ。

 

なかなか手間のかかるメディアですね、
というのは。

 

そういえば、著作権の切れた書物を集
めた「青空文庫」っていうプロジェク
がありますが、最近「青空朗読」
いうスマホのアプリを見つけまして。

 

ボランティア(?)の朗読者の人が、
そんな青空文庫に入っている作品を読
み上げくれているのを聴くことができ
んですよね。朗読されている作品数
はまだ数に限りがありますけど

 

なんかとめどない話になりましたが、
本はバックグラウンドに流せない、と
いう、当たり前のことを今さら思い知
ったというお話でした。

 

しかし、読まないとな、あの本……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)