あえて薄くつながる?

間関係を拡げていこうとする
と、いろいろな人と「つながる」
必要があるわけですが。

 

そして、それは今の世の中では SNS
というものがあって、簡単に出来てし
まうように思えるわけですね。

 

実際簡単だし。

 

ただ問題は、

 

本当はつながらない方がいい人たちと
もつながってしまいがち

 

ということでして。

 

そうやってつながった人たちから、あ
るとき、いやそうじゃないとか、そん
なことを言うやつはダメだとか、そん
攻撃を受けたりする、なんてことも
起こりうるわけですね。この前の話み
たいに。

 

SNS でつながりが広がるとうれしくな
って(?)次の段階としてさらに強い
連帯のようなモノを求めてしまいがち
になるんですかね。どうもそこでそう
いう悲劇が起こりがちな気がします。

 

SNS で得られるつながり薄くしてお
いて、より深い連帯とかは別の場で求
めた方が良いと思うんですけどね。

 

そこはそれ、なにか「次のレベル」の
つながりもまた SNS 上で作ろうと思
ってしまうんでしょうか。理念とか、
思想とか、マニフェストとか、そんな
ものを表明したりして。

 

 

でも、そうするとえてしてそういった
理念とかに賛同する側と反対する側
いう区別顕在化してしまうんですよ
ね。

 

それがいいことか良く考えた方がよ
のでは? と思いながら SNS 上の
騒ぎとかを眺めたりしております。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

セッションの問題の解決は現場にしかない?

の前、某所でセッションを主
宰してらっしゃる方が、ジャズと
いう音楽についての意見を某 SNS
で表明されたらなんか大騒ぎ……
みたいなことを書きましたが。

 

いろいろ異論反論が出て、そればかり
誹謗中傷にさらされてもいるらしい
よくわからんけど、という状況だった
わけですが。まあ大変だなあと思いつ
つ、傍観者的に見ていたわけなんです
けどね。

 

その後の様子を見ていても事態が終息
する方向でもなく、どの人の意見が正
しいとかもっともだとか、そういう
意形成にいたる動きもないようで。

 

相変わらず言いたいことを発信しつづ
けて、それぞれに賛同する人のかたま
りが何となく出来ている、という状況
ですね。で、意見の違うかたまりとか
たまりの間には、前より深い溝が出来
てしまっているようで。

 

まあ予想はしてたんですが、あまりに
も予想通りで、傍観してる側もなんか
暗い気持ちになったりしますけど。

 

思うに、そもそも個別の現場で個別事
案的に対処して済ますのが良いことを、
問題意識にかられて、抽象度を上げた
形で理念的に語っても、それが生産的
な議論になることはまずないんですよ
ね。とくに SNS なんていう場では。

 

 

ジャムセッションなんだから、現場で
解決するのが良いのでは? なんて思
うわけですよ。

 

まあ色々思いが溢れて物申したくなる
こともあるんだよ、ということなんで
しょうし、その気持ちわからないじ
ゃないんですけどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

アラカンは「半身」である?

う1年以上前に『なぜ働いて
(通称『なぜはた』)という本に
ついて書きまして▼▼▼

 

この時はこの本読もうかどうしようか
なんて書いてましたが、まあやはり
タにした(?)以上読まないとな、と
いうことで読んだんですよ、そういえ
ば。もうしばらく前ですが。

 

この本、まあ結構なベストセラーにな
って、もいくつか獲ったりして、
評も沢山あるので、内容のことについ
てここで詳しく語るつもりはないので
すが。

 

結局、この本でいわれているのは、
の社会だと「働く」ということはその
人の全身全霊を要求されるので、本が
読めなくなるということだと思うんで
すが。

 

これって、結局読書だけじゃなくて、
他の趣味的な活動にも言えることだと
思うんですよね。音楽なんてのもその
最たる物の一つかもしれません。

 

だからバンドマンを目指す若者は、
規に就職することなく活動することが
圧倒的に(?)多いわけですね。そう
本の話もしましたっけ。

 

で、

 

ただ思うに、それが一生というか、会
社人生の最後まで続くかというとそう
でもないという現実もあるわけでして。
アラカンとかいわれる年代に近づいて
くると、全身全霊で働くという感じで
もなくなってくるわけです。

 

『なぜはた』著者三宅香帆さん
いう「半身(はんみ)」で働けるよう
になってくるということですかね。

 

個人差はあるでしょうけどね。

 

 

そうなってくると、久しぶりにまた楽
器やってみようかとか、昔やろうと思
ったけど手が出せなかった音楽活動を
やってみようかとか、そんなことを
えたり、実際にやってみたりもするわ
けですね。

 

なので、そんな「半身」で働く体制が
とれるようになった人のために、私や
仲間たちはアラカンセッションという
のを始めた、と。まあ後付けですが、
いえるのではないか、と。

 

半身でセッション。楽しいですよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

残響しか聴こえない?

ょっと前回の話題に関係しま
すが、SNS についてよく言われる
のが、

 

エコーチェンバー現象

 

というやつで。

 

Wikipedia によれば、

 

自分と似た意見や思想を持った人々の
集まる空間(電子掲示板やSNSなど)
内でコミュニケーションが繰り返され、
自分の意見や思想が肯定されることに
よって、それらが世の中一般において
も正しく、間違いないものであると信
じ込んでしまう現象

 

を指すそうです。

 

まあ、SNS だけじゃなくて実際の人
間の集まりでも起こるとは思うんです
けどね。SNS だとそれが可視化され
やすいということでしょうか。

 

で、そういうのがいや別の SNS
移ったところで同じことが起きたり
て。そういえば、イーロン・マスク
支配されている X(旧 Twitter)がい
やで類似のサービスである Bluesky
移る人が多いなんて話があったんで
すが。

 

そしたら、その Bluesky の中でまた
エコーチェンバー現象が起きてるなん
記事を最近見ましたが……

 

まあ、人間そんな連鎖から逃れられな
いのかもしれませんねえ。

 

ところで、

 

この「エコーチェンバー」という言葉
ですが、これは元々音響効果や実験の
ため人工的にエコー(反響)を作り出
す部屋である「残響室」を指す言葉だ
ったりするわけですね。

 

 

音楽のレコーディングとかで、そうい
った効果を出すのに使われたりしてい
るわけですね。今では電気的に再現し
てしまうことが多いんでしょうけど。

 

残響のあるなしで、音の印象は全く変
わりますしねえ。いわゆるエコーとか
リバーブとか、そういった効果を全く
無視した音楽というのも考えづらい
すよね。

 

そういった意味では、音楽系のコミュ
ニティエコーチェンバー現象が起き
やすいのかも。

 

え? そんなことない?

 

そうかなあ……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

行ってみたら良かった……の?

んか大阪のほうでは万博って
のをやってるんですよね。

 

……なんて、の住んでる東京では、
斜に構えた風に言う人が多いんですけ
どね。なんか自分はそんなものには関
心ないよ、なんて感じの人が多いみた
ですが。

 

まあかくいうは、別に万博とか博覧
会とかきらいじゃないですけど。でも
なんか、今回の万博に関しては気が向
かないというか、いまいちノレない
いうか。そんな気持ちではいたんです
けどね、始まる前は。

 

でも、

 

実際行った人の話とかを直接聞いたり
ネットで見たりする感じでは、

 

結構楽しい

 

らしい、そんな雰囲気が伝わってくる
んですよね。

 

まあ、事前の情報の少なさとか、今の
日本で万博をやる意義とか、色々問題
があるといえばいえるんでしょうけど。

 

でも、もう実際にやっちゃってます
ね。それが大失敗に終わるよりはみん
行ってみて楽しければそれに越したこ
はない。とか思ったりもします。

 

 

だいたい、にしても、ジャムセッシ
ョンは楽しいから、食わず嫌いせずに
一度やってみませんか? なんて普段
人に言っておいて行ってみてもい
ないのにどうこういえないよなあ、な
んてね、思ったりもするわけで……

 

皆さん、万博行かれました? 楽しか
ったですか?

 

……て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

LとRといえば……

回、LとRを間違える間違え
ないという話をしましたが。

 

そういえば、別に間違いというわけじ
ゃないんですが、一時期ポルトガル語
を勉強しようかと思ったことがありま
して。

 

ま、結局モノにはなってないんですが。

 

ともあれ、そんな頃ポルトガル語の
単語を眺めていて気がついたことがあ
ったんですが。

 

何かというと、ポルトガル語の単語
他の言語、例えば英語とかもっと近い
言葉でいえばスペイン語の単語だと
になるはずのところがRになっている
ものが結構あることなんですね。

 

たとえば、「白」スペイン語だと

 

Blanco

 

ですが、ポルトガル語だと

 

Branco

 

なんですね。

 

他にも、スペイン語の plato(皿)
ポルトガル語だと prato になったりと
かね。英語だと plate ですよね。だい
たいPとかBとかの後におこるみたい
なんですけど。

 

そういえば、「ありがとう」の意味の
obrigadoスペイン語だと obligado
(感謝している)ですね。

 

なので、まあ、とくにポルトガル語を
勉強しようと思わない人にはどうでも
いい話ですが。

 

 

ボサノバやサンバの曲を原語で歌おう
なんて人は気をつけた方がいいかも、
というお話でございました。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

 

絶対間違えない? なんてことはない?

く日本語にはLとRの区別
ないとか、日本人はその区別が出
来ないとかいわれますよね。

 

なので日本人はLとRをよく間違える
けど、区別があるネイティブ・スピー
カーは絶対間違えないなんて言われる
んですが。

 

本当かそれ? と昔から思ってたんで
すよね。

 

違う音だとしても、聞き間違えること
はあってもおかしくないのでは? と
思っていたのですが。

 

この前、YouTube 眺めてたら、英語の
歴史や語源の専門家の方が、間接的で
はありますが、LとRの取り違えはネ
イティブでもある(あった)という
拠(?)がある、という話をしている
動画を観たんですよね。

 

つまり、語源的に単語がどのように変
化してきたかを見ていくと、ある時点
で元々RだったのがLに変化していた
り、その逆だったりなんてことが起き
ているようなんですよね。

 

なので、まあ世の中「絶対」なんてこ
とはないのだということなわけですが。

 

結局、この前の話じゃないですが、
対オレが正しいからこうしろとかいう
ようなは、だいたい真に受けない方
がいいよなあ、なんて改めて思った
いう。

 

そんな梅雨入り直後の昼下がり、とい
感じでございました。

 

 

おまけ
そういえばこんなジョークがありまし
て。

 

アメリカのラーメン屋には LAMEN と
書いてある店と RAMEN と書いてある
店があるとかでして。

 

それを見てアメリカ人がだから日本人
はLとRの区別もつかなくてしょうが
ねえな、といったそうなんですが。

 

それに対して、日本人がでもお前らア
メリカ人は LAMEN と RAMEN の味の
違いをわからねえじゃないか、と反論
したんだとか。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

 

警察的? 探偵的?

YouTubeとかで音楽レッスン系
のビデオとか、昔はよく観ていた
んですが。

 

最近はもうどうでも良くなってという
か、観る気が失せてしまってまして。
もうあまり観ないんですけど。

 

なんでかというと、最近そういう動
って、こんな演奏する奴らは害にな
るから排除しろとか、俺の言ったとお
りにしろ的な感じのが多いんですよね。
典型的なのが例の「バックビー○」
人たちとかですが。

 

私、こういう動画を「警察的」動画
「警察系」とか「生活指導系」とか
呼んでおります。

 

 

以前、「テレキャスター警察」なんて
いうのがありましたね。スタンダード
でない形状のテレキャスター(的なギ
ター)を「摘発」してました。まあ、
あれなんかはネタな訳ですが。

 

最近の警察系の人たちは、シャレじゃ
なくマジでやってるみたいな人が多く
て。なんか狂信的というかですね、あ
んまりかかわりたくない感じのが多い
です。

 

観てみようかなと思うのは、なぜそう
なっているか、ちゃんと理屈や筋道を
一緒に解き明かしていこうとか、そう
いう姿勢が見られる動画なんですが。

 

そういうのって(警察系に対して探偵
系とか謎解き系とか呼んでるんですが)
作るのに手間がかかるし、話がまどろ
っこしいと思うんでしょうかね。なか
なかないですよね。

 

まあ、謎解きしても全然間違ってる、
なんていう可能性もあるわけですけど
ね。

 

難しいもんですなあ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

人は音をどう「聴く」か?

し前に私の住んでるマンショ
ンの総会のことを書きましたが。

 

住人の出す「音」の問題解決しよう
とするあまり、楽器オーディオ機器
などのはすべてヘッドフォンイヤ
フォン聴けと解釈できるような文章
マンションの規約改正しようとい
うのを(とりあえず)阻止したという
ような話でしたけど。

 

そしたらその後でとある TED の動画
を観たんですが、それがイギリス(ス
コットランド)のパーカッショニスト
エヴェリン・グレニーという人のも
のでして▼▼▼

 

この人、普通に観客の前で話したりス
ネア・ドラムやマリンバを演奏したり
していますが。実は8歳くらいの時に
聴覚をほとんど失ってしまったそうな
んですね。

 

しかし彼女によれば、彼女は身体全体
を使って音を「聴いて」いるのだそう
で、実際他の音楽家とも共演したりも
しているそうなんですね。

 

で、

 

思ったのは、たとえこのグレニーさん
のように聴覚を失っていないとしても、
人間は耳だけで音を聴いているわけで
はない身体でも聴いているのだとい
うことですよね。

 

 

つまりそれを耳だけに限定してしまう
と、何かが体験として失われるという
ことでもあります。

 

なので、やはり耳からだけヘッド
フォンを通して聴くのではなく、身体
でも聴かせて欲しい、ということを
めて思ったということではありました。
なんかちょっとえらそうですけど。

 

まあ、もちろん他の住人の迷惑になら
ない範囲で、ということではあります
けどね。そこらへんが最近はとくに難
しいのはわかるのですが。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

境界を拡げたい気持ち vs 確定したい気持ち

京スカパラダイスオーケスト
ラというバンドに “Paradise Has
NO BORDER”(「パラダイス・
ハズ・ノー・ボーダー」)という
曲がありまして。

 

このバンドの代表曲の1つなので、耳
にされたことのある方も多いと思うん
ですが▼▼▼

 

この曲、スカパラの曲なので、まあ
ャンル的にはスカの曲ではあるんです
が、聴けばわかるように、曲全体を通
してラテン音楽で使われる「モントゥ
ーノ」といわれるフレーズのパターン
が使われてるんですね(冒頭のピアノ
のフレーズがモントゥーノです)。

 

なのでこの曲のことを(うっかり?)
「ラテン」と呼んでしまったことがあ
りまして。

 

そしたら、ラテン音楽を愛するとある
「スカはラテンじゃない」とかい
われたんですよね。まあ、そう言いた
い気持ちもわからないでもないんです
が、こちらにも言い分がないわけじゃ
ないわけでして。

 

スカはご存知の通りジャマイカ発祥
音楽、つまりカリブ海の島の音楽で、
そこに住む人々はキューバなどラテン
音楽が演奏される主要な地域と地理的
に近いわけで、そういう地域の音楽に
影響を受けていますし、そもそもルー
ツをアフリカに持つ人々の音楽という
点ではしているわけです。

 

で、まあ、

 

結局、人には色々考えがあって言い分
があるってだけの話なんですけどね。

 

とはいえ思ったのは、ジャンルの領域
をしっかり確定しないと気が済まない
が、その辺を拡大解釈(?)したり、
なるべくゆるやかに考える人にある種
怒りを持つというのは、形は違えど
よく目にするよなあ、ということなん
ですよね。

 

 

そんな食い違い「ノー・ボーダー」
という曲について起こったというのも
皮肉な話ですが。

 

ジャンルへの愛の強い人はそんな領域
内と外に敏感なことが多いようです
し、それはそれで尊重しないといけな
いとは思うわけですが。

 

一方で、面白いことはそういう境界の
あいまいなところで色々起きているん
ではないかなあ、などと思ったりもす
るんですよねえ。そういうとまた怒り
を買うのかもしれませんが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ファンクの歴史が観られる?

日書いた、ファンクの歴史に
ついての動画の件なんですが。

 

相変わらず YouTube では観られるよ
うにはなっていないみたいなんですが。

 

もしかしたら、制作した大元( PBS)
当たってみればいいのかもしれない、
と思い当たりまして。

 

検索した結果……ありました!

 

こちらがそのリンクです▼▼▼

 

 

正式タイトルWe Want the Funk!
っていうんですな。こちらから動画を
観ることができました。わーい。

 

しかし、もしかしたら YouTube のよ
うにまた突然ダメを食らうかもしれな
いので、ご興味のある方早めに観る
のが吉かもしれません。

 

この週末のお楽しみにいかがでしょう?

 

上のリンク先のページにある <Watch
Now> というボタンをクリックすると
マーカス・ミラーがベースを弾きはじ
めますよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ファンクの歴史が観られない?

日、YouTube にアメリカの公
共放送局である PBS 制作の動画
がアップされてるのを見つけまし
て。

 

これが、ファンク・ミュージックの歴
を描いたドキュメンタリー映画だっ
たんですね。1時間20分ほどの動画
んですが。

 

で、見始めたら、これがなかなか面白
てですね、色んなミュージシャン
音楽や黒人の歴史についての研究者
それぞれの立場から解説しているんで
すが。

 

そこにもちろん、ファンクの有名な曲
映像とともに流れるわけですね。

 

解説は英語ですが、まああまりそれに
とらわれなくても楽しめるし、最近は
自動翻訳の字幕なんかも出せますしね。

 

そうやって楽しんでたんですが、他の
用事の関係三分の二くらいまで観た
ところでいったん停めて、またあとで
観ようと動画を閉じたんですね。

 

そしたら、

 

さて続きを観ようとしたら、なぜか、

 

動画を再生できません
この動画は、お住まいの国では公開さ
れていません

 

という字幕とともに観られなくなって
しまったんですよ。

 

 

ファンクの歴史を、ジェイムズ・ブラ
ウンから始まってスライ・アンド・ザ
・ファミリー・ストーンジョージ・
クリントンのパーラメント/ファンケ
デリックとたどり、ゴスペル・ファン
なんていう日本ではあまりなじみの
ないジャンルの話をはさみながら、
部への黒人の移住によってファンクの
中心地も移り変わるなんて話の中で、
さて、プリンスが登場……

 

なんてところだったんですよね。観て
たこっちはすんごく宙づり状態という
かね……

 

なんで急に観られなくなったんでしょ
うね、版権とかの関係かなあ。

 

そんなわけで、とてもモヤモヤしてる
今日この頃です。くそー

 

ちなみに、こちらがその動画のリンク
なんですが▼▼▼

 

皆さん、観られますか? もし万が一
観られたら教えてくださいね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

モスラの人たち?

年(2025年)のゴールデン・
ウィークに吉祥寺音楽祭というの
に出させていただきまして

 

いつもやってるアラカンセッション
仲間たちと出たわけなんですが。

 

そのセットリストの中に、「モスラの
歌」というのがありまして。怪獣映画
「モスラ」ザ・ピーナッツが歌っ
た曲なんですが。

 

これがなぜかアラカンセッションでの
定番曲になってるんですね。

 

で、今回それをやろうということにな
って、やったんですが。あるメンバー
が、この「モスラの歌」の前に、イン
トロとして、

 

アランフェス協奏曲

 

を弾いたら面白いんじゃないか、とい
うことを言い出しまして。で、やって
しまったんですが▼▼▼

 

アランフェス協奏曲って、元々はもち
ろん独立した曲なんですが、チック・
コリアという人が有名な「スペイン」
という曲の前にイントロとしてやった
ことから、このメロディを聴くと、あ
スペインやるんだな、と思う人が多い
んですね。

 

特にジャズのセッションとかやる人た
ちはね。

 

で、まあそういう人の意表をつくとい
うかね、そんな狙いだったんですけど。

 

で、

 

ライブの本番が終わった後いつもセ
ッションするお店(バー)打ち上げ
してたんですが、そこにわれわれのバ
ンドの次に演奏したバンドの人が入っ
てきたんですね。

 

そしたら、われわれを見て開口一番、

 

「あ、モスラの人たちだ」

 

と、言ったんですよね……

 

 

われわれ、これからモスラの人たちと
して知られるようになるのかもしれま
せん。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

分かってる俺を大切にしろ症候群?

社でプロジェクトとかが発生
して、そのためにチームが組まれ
ることがありますよね。大きいプ
ロジェクトだと社内横断的になっ
たりして。

 

そうすると、普段はあまり付き合いの
ない人チームに入ってきたりする
けですね。で、そんな人が打ち合わせ
とかで活発意見を言ったりして、プ
ロジェクトの推進に積極的でいいな、
なんて思わせられたりもするんですが。

 

そのうちに、なんかその人は別にチー
ムリーダーでもないのに、俺の経験に
よればここはこうすべきだ、とか、こ
の仕事を成功させるにはこういう心構
えでなければいけない、とか。

 

色々主張する声大きくなってきたり
して。人の仕事のやり方に口をだして
きたりして。全員返信メールが夜中に
飛んできたりして。

 

他の人たちは特に声高には主張しない
けど、その人たちにもそれぞれ考え方
とか、仕事のやり方があるわけなんで
すけどね。

 

そういう人たちからすれば、なんで
いつはあんなに声高に騒ぎ立てている
んだ。めんどくせえなあ、なんて思い
始めたりして。

 

そうこうするうちにチーム全体がなん
だか微妙な雰囲気になってきて……

 

普通にやってれば上手くいくようなプ
ロジェクトが、最悪の場合まさかの空
中分解、なんてことになったりして。

 

 

そんな経験ありませんか?

 

はもう会社勤めを卒業したんですが、
昔を振り返ると、そんなこともあった
よなあ、なんて遠い目になったりもす
るわけです。

 

でも、この自分(たち)は色々経験し
てるからどうすればいいか一番よく分
かってるんだ、という思い込み趣味
の活動でいえば音楽とかなわけで
すが)でもそれがダダ漏れな人とき
どきいるんですよね。

 

そういう人をみると、あ、気をつけよ
と思って自戒しております(なんか
あったのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

怖いモノを見た日

近のことですが、某 SNS
眺めていたらですね。

 

とあるジャズのセッションを主宰して
おられる方の投稿があったんですね。

 

その方は週2回とかの頻度セッショ
ンを開催されているようで、本業は別
にあるということになっていますが、
しかし週2回とか、そりゃもう本業以
じゃないの? とか思うわけですが。

 

それはともかく、

 

その方が、ジャズ業界(?)というの
は、これはジャズだとか、あれはジャ
ズじゃないとか、そんなことばかり言
っているおかしなところで、それで
奏する側が萎縮したりする。それが
くないのでは?なんていう趣旨投稿
をされてたわけです。

 

で、それはその方の意見で、賛成する
もいれば意見の違う人もいるとは思
うんですが。

 

SNS というところでは、そういう目立
つ投稿ほどコメントがつくわけで
すね。賛成・反対どっちもあるとは思
いますがこういう時ってどうしても
対意見

 

圧が強い

 

という事態が発生するわけでして。

 

いやあ、あれ見ると普通心病むんじゃ
ないの? と思ったわけです。

 

事後別途書かれた投稿によれば、
やら吊し上げやら誹謗中傷やらあっ
たそうで。しかもそれをする多くがジ
ャズのプロの人であったとか(それが
どこまで本当かまでは確認してません
けども)。

 

まあ、なんか地獄絵図的でしたね。

 

 

ともあれ、そういう意見を表明する
には SNS という場はもはや適さない
よなあ、と。思ったのではありました。

 

なんか言うならもっと隠れてこそっと
いわないとね(おいおい)。

 

そもそもそれで「議論」になったとし
ても何も生まれないと思うしね。みん
な言いたいことを言うだけで。

 

そんなわけで、今日も私は SNS 界隈
ではどうでもいいことだけをつぶやく
のです。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

頭がいい人になりたい? 頭がいい人に見られたい?

書店の店頭とか、本の広告
とかを見ていて思うのは、

 

頭のいい人

 

というフレーズがやたらに目につく
いうことじゃないでしょうか?

 

あと、ビジネス系のメディアとかね。
そういうところにもこの「頭のいい人」
というのがはびこってますよね。

 

この傾向は、どうもここ10年とかみ
たいのようです(ChatGPT に聞いた
らそう言ってました。しらんけど)。
そういえば、そんなベストセラー
ありましたね。

 

『頭のいい人が話す前に考えている
こと』とか『頭のいい人が実践して
いる 頭がいい人の伝え方』とか『頭
のいい人の習慣』とか……

 

まあ、いいんですけど。

 

なんとなくこれだけはびこってくる

 

ウゼえ

 

とか思う自分がいるのですよね。

 

皆さんはどうですか?

 

なんか心の奥頭が良く思われたいと
思ってるのを見透かす感じで、ね、
のいい人にみられたいでしょ? ほら
ほら……なんて言われてるような気に
なるからでしょうかね。

 

 

そのうち、『頭のいい人のギター練習
法』とか『頭のいいピアニストのため
のハノン』とか出るんじゃないか、と
戦々恐々としている今日この頃ではあ
ります。

 

あ、ウソです、そこまで恐れないです
が……。でもそう言うのが出てきたら
イヤですよね。そう思いません?

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

写真に撮れない?

でもヴァレンタイン・デー
てあるんですよねえ(あります)。

 

まあ、この歳になって会社も行かなく
なって義理チョコなんていうものにも
触れる機会がめっきりなくなると、
うでもよくなってくるわけですが。

 

え? ひがんでる?

 

……ま、それはともかく。

 

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
という曲については前にも書いたこと
がありまして。この曲は元々ミュージ
カルの中の曲なんですよね。

 

そしてこのヴァレンタインというのは
実は登場人物の男性の名前なので、元
々はヴァレンタイン・デーとは無関係
なんてことを書いたんですが。

 

で、

 

男の人についての歌ということですが、
まあある種のラブソングではあるわけ
で、そうするとその男性を(なぜか)
好きな人の側からの歌なんですね。

 

上になんで「なぜか」なんていう言葉
を入れたかというと、歌詞をよく読む
と、見た目は笑っちゃうけどとか、
リシャの彫刻のようではないとか、
を開けばあんた頭大丈夫?とか。

 

まあディスりまくっているんですね。
も好きなの、というね。まあツンデレ
たいな歌なわけです。

 

そんなディスりの中、いちばんひでー
、と私が思ったのは、上の笑っちゃ
う見た目の次に出てくる、

 

Unphotographable

 

という形容詞でして。つまり写真には
撮れない、そんな外見、といってるわ
けですね。でも好き、と。

 

なかなか素晴らしいツンデレではない
か、と。改めて久しぶりに思ったので
はありました。

 

ま、それだけなんですが。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

マルチタスクしない決断?

近、映画監督のジェームズ・
キャメロンのあるインタビュー
読みまして。

 

このインタビューは、彼の作品である
『アバター2』(2022年)が公開され
た頃に行われたものなんですが。

 

その中で彼はこの映画をスマホとかで
はなくて、劇場で観て欲しいと言って
いるんですね。

 

で、その理由はというと、普通予想さ
れるような大きなスクリーンとかしっ
かりした音響システムとかというより
も、

 

マルチタスクをしない、という決断で
あり自分との約束

 

だというわけです。

 

 

外部からの情報が流れ込んでこない形
で映画の世界に没入して欲しいという
ことなんですね。

 

「家で映画を観ていては、映画館にい
るときほどには泣けない」そうです。

 

これに対してはまあ色々意見もあろう
とは思いますが、私個人的には同意す
る部分が大きいなとは思いました。

 

そして、音楽を演奏する、セッション
するなんていうアクティビティ、自
分を「マルチタスク」から(強制的に
?)切り離すモノであるよなあと思っ
たりもしたんですね。

 

楽しいセッションで得られる喜び、な
んていうことにこれは関係しているの
では? なんてことをちょっと思いま
した。ま、ちょっとですけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

そこでその話?

んかですね、某ビジネス・経
済系の雑誌のオンライン・サイト
を結構よく見てる自分にふと気が
つきまして。

 

もはやビジネスとか、企業のどうこう
とか、こういう上司とか部下とか同僚
とかとどう付き合うべきかとか。そう
いう話にはほぼ興味がない私なんです
が……

 

なんでそのサイトに行くことが多いの
というと、

 

食べ物の話が多い

 

んですよね。

 

多いだけじゃなくて、私以外の人にも
そういう記事がよく読まれているよう
で、記事の人気ランキングを見ると、
そんな食べ物関係の話だらけなんです
よ。

 

このファミレス・チェーングランド
メニューリニューアルしてこうな
ったとか、あのチェーンのモーニング
メニュー素晴らしいとか。こっち
のレストランのメニューいいとか
りよろしくない、とか。

 

 

まあ SNS の世界でもそういうフード
系の記事人気だし、そういうのに乗
っかってページビューを稼ぎたい、と
いうことなのかもしれませんけど。

 

で、

 

私個人的にはそれはそれで面白がって
読んでるので、別にかまわないんです
けど。もしこれに音楽関係の記事でも
充実してきたらさらに嬉しいとは思う
んですが。

 

でも、一方で経済ビジネス系の雑誌
人気記事こういうのばかりでいいの
と、ふと思ってしまったある日の昼
下がりであった、と。

 

そういうことなわけでした。ま、それ
だけなんですけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ある意味分かりやすい?

SNS 上での言い争いなんてのは
今やもう日常茶飯事ですよね。

 

音楽関係でも色々ありますしね。

 

この前も、また例のバックビート問題
について投稿した動画と、そこでの
張に反論するコメントを眺めたりして
いたんですが。

 

もう、なんですね。俺はバックビート
をこう考えるとかいうと、いやそれは
違うとか。俺がバックビートやってみ
るから聴けとかいうと、いやお前は
るでバックビートが出来てない、とか。

 

なんのためにもならないような応酬
くりひろげられてて、あー、もうダメ
だなこれ、なんて気分にさせられまし
て。

 

なんか SNS で交わされてる議論とい
うのは、もはや議論でもなくて。一方
言いたいことを言い、それを聞く方
(読む方)はそれを聞いても(読んで
も)自分の聞きたい(読みたい)よう
にしか理解しない、ということなんだ
なあ、と。

 

いまさらかもしれませんが、思ったり
する今日この頃なわけです。

 

 

そういう意味では、ビジネスの世界で
のやりとりというのは、お互いのニー
提供できるサービスやら商品やら
マッチングさせるとか。複雑なこと
はあるけど、お互い落とし所みたいな
のを探ろうとしますからまだ分かり
やすいんではないか。

 

なんてことを、もうビジネスの世界か
ら足を洗った今になって思ったりして
おります。

 

まあ、そういうビジネス(ディール)
的発想なんでもやろうという人が
統領とかになったりすると、分かりや
すくても、それはそれでまた大変だろ
うなとは思うわけですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)