警察的? 探偵的?

YouTubeとかで音楽レッスン系
のビデオとか、昔はよく観ていた
んですが。

 

最近はもうどうでも良くなってという
か、観る気が失せてしまってまして。
もうあまり観ないんですけど。

 

なんでかというと、最近そういう動
って、こんな演奏する奴らは害にな
るから排除しろとか、俺の言ったとお
りにしろ的な感じのが多いんですよね。
典型的なのが例の「バックビー○」
人たちとかですが。

 

私、こういう動画を「警察的」動画
「警察系」とか「生活指導系」とか
呼んでおります。

 

 

以前、「テレキャスター警察」なんて
いうのがありましたね。スタンダード
でない形状のテレキャスター(的なギ
ター)を「摘発」してました。まあ、
あれなんかはネタな訳ですが。

 

最近の警察系の人たちは、シャレじゃ
なくマジでやってるみたいな人が多く
て。なんか狂信的というかですね、あ
んまりかかわりたくない感じのが多い
です。

 

観てみようかなと思うのは、なぜそう
なっているか、ちゃんと理屈や筋道を
一緒に解き明かしていこうとか、そう
いう姿勢が見られる動画なんですが。

 

そういうのって(警察系に対して探偵
系とか謎解き系とか呼んでるんですが)
作るのに手間がかかるし、話がまどろ
っこしいと思うんでしょうかね。なか
なかないですよね。

 

まあ、謎解きしても全然間違ってる、
なんていう可能性もあるわけですけど
ね。

 

難しいもんですなあ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

人は音をどう「聴く」か?

し前に私の住んでるマンショ
ンの総会のことを書きましたが。

 

住人の出す「音」の問題解決しよう
とするあまり、楽器オーディオ機器
などのはすべてヘッドフォンイヤ
フォン聴けと解釈できるような文章
マンションの規約改正しようとい
うのを(とりあえず)阻止したという
ような話でしたけど。

 

そしたらその後でとある TED の動画
を観たんですが、それがイギリス(ス
コットランド)のパーカッショニスト
エヴェリン・グレニーという人のも
のでして▼▼▼

 

この人、普通に観客の前で話したりス
ネア・ドラムやマリンバを演奏したり
していますが。実は8歳くらいの時に
聴覚をほとんど失ってしまったそうな
んですね。

 

しかし彼女によれば、彼女は身体全体
を使って音を「聴いて」いるのだそう
で、実際他の音楽家とも共演したりも
しているそうなんですね。

 

で、

 

思ったのは、たとえこのグレニーさん
のように聴覚を失っていないとしても、
人間は耳だけで音を聴いているわけで
はない身体でも聴いているのだとい
うことですよね。

 

 

つまりそれを耳だけに限定してしまう
と、何かが体験として失われるという
ことでもあります。

 

なので、やはり耳からだけヘッド
フォンを通して聴くのではなく、身体
でも聴かせて欲しい、ということを
めて思ったということではありました。
なんかちょっとえらそうですけど。

 

まあ、もちろん他の住人の迷惑になら
ない範囲で、ということではあります
けどね。そこらへんが最近はとくに難
しいのはわかるのですが。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

境界を拡げたい気持ち vs 確定したい気持ち

京スカパラダイスオーケスト
ラというバンドに “Paradise Has
NO BORDER”(「パラダイス・
ハズ・ノー・ボーダー」)という
曲がありまして。

 

このバンドの代表曲の1つなので、耳
にされたことのある方も多いと思うん
ですが▼▼▼

 

この曲、スカパラの曲なので、まあ
ャンル的にはスカの曲ではあるんです
が、聴けばわかるように、曲全体を通
してラテン音楽で使われる「モントゥ
ーノ」といわれるフレーズのパターン
が使われてるんですね(冒頭のピアノ
のフレーズがモントゥーノです)。

 

なのでこの曲のことを(うっかり?)
「ラテン」と呼んでしまったことがあ
りまして。

 

そしたら、ラテン音楽を愛するとある
「スカはラテンじゃない」とかい
われたんですよね。まあ、そう言いた
い気持ちもわからないでもないんです
が、こちらにも言い分がないわけじゃ
ないわけでして。

 

スカはご存知の通りジャマイカ発祥
音楽、つまりカリブ海の島の音楽で、
そこに住む人々はキューバなどラテン
音楽が演奏される主要な地域と地理的
に近いわけで、そういう地域の音楽に
影響を受けていますし、そもそもルー
ツをアフリカに持つ人々の音楽という
点ではしているわけです。

 

で、まあ、

 

結局、人には色々考えがあって言い分
があるってだけの話なんですけどね。

 

とはいえ思ったのは、ジャンルの領域
をしっかり確定しないと気が済まない
が、その辺を拡大解釈(?)したり、
なるべくゆるやかに考える人にある種
怒りを持つというのは、形は違えど
よく目にするよなあ、ということなん
ですよね。

 

 

そんな食い違い「ノー・ボーダー」
という曲について起こったというのも
皮肉な話ですが。

 

ジャンルへの愛の強い人はそんな領域
内と外に敏感なことが多いようです
し、それはそれで尊重しないといけな
いとは思うわけですが。

 

一方で、面白いことはそういう境界の
あいまいなところで色々起きているん
ではないかなあ、などと思ったりもす
るんですよねえ。そういうとまた怒り
を買うのかもしれませんが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ファンクの歴史が観られる?

日書いた、ファンクの歴史に
ついての動画の件なんですが。

 

相変わらず YouTube では観られるよ
うにはなっていないみたいなんですが。

 

もしかしたら、制作した大元( PBS)
当たってみればいいのかもしれない、
と思い当たりまして。

 

検索した結果……ありました!

 

こちらがそのリンクです▼▼▼

 

 

正式タイトルWe Want the Funk!
っていうんですな。こちらから動画を
観ることができました。わーい。

 

しかし、もしかしたら YouTube のよ
うにまた突然ダメを食らうかもしれな
いので、ご興味のある方早めに観る
のが吉かもしれません。

 

この週末のお楽しみにいかがでしょう?

 

上のリンク先のページにある <Watch
Now> というボタンをクリックすると
マーカス・ミラーがベースを弾きはじ
めますよ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ファンクの歴史が観られない?

日、YouTube にアメリカの公
共放送局である PBS 制作の動画
がアップされてるのを見つけまし
て。

 

これが、ファンク・ミュージックの歴
を描いたドキュメンタリー映画だっ
たんですね。1時間20分ほどの動画
んですが。

 

で、見始めたら、これがなかなか面白
てですね、色んなミュージシャン
音楽や黒人の歴史についての研究者
それぞれの立場から解説しているんで
すが。

 

そこにもちろん、ファンクの有名な曲
映像とともに流れるわけですね。

 

解説は英語ですが、まああまりそれに
とらわれなくても楽しめるし、最近は
自動翻訳の字幕なんかも出せますしね。

 

そうやって楽しんでたんですが、他の
用事の関係三分の二くらいまで観た
ところでいったん停めて、またあとで
観ようと動画を閉じたんですね。

 

そしたら、

 

さて続きを観ようとしたら、なぜか、

 

動画を再生できません
この動画は、お住まいの国では公開さ
れていません

 

という字幕とともに観られなくなって
しまったんですよ。

 

 

ファンクの歴史を、ジェイムズ・ブラ
ウンから始まってスライ・アンド・ザ
・ファミリー・ストーンジョージ・
クリントンのパーラメント/ファンケ
デリックとたどり、ゴスペル・ファン
なんていう日本ではあまりなじみの
ないジャンルの話をはさみながら、
部への黒人の移住によってファンクの
中心地も移り変わるなんて話の中で、
さて、プリンスが登場……

 

なんてところだったんですよね。観て
たこっちはすんごく宙づり状態という
かね……

 

なんで急に観られなくなったんでしょ
うね、版権とかの関係かなあ。

 

そんなわけで、とてもモヤモヤしてる
今日この頃です。くそー

 

ちなみに、こちらがその動画のリンク
なんですが▼▼▼

 

皆さん、観られますか? もし万が一
観られたら教えてくださいね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

モスラの人たち?

年(2025年)のゴールデン・
ウィークに吉祥寺音楽祭というの
に出させていただきまして

 

いつもやってるアラカンセッション
仲間たちと出たわけなんですが。

 

そのセットリストの中に、「モスラの
歌」というのがありまして。怪獣映画
「モスラ」ザ・ピーナッツが歌っ
た曲なんですが。

 

これがなぜかアラカンセッションでの
定番曲になってるんですね。

 

で、今回それをやろうということにな
って、やったんですが。あるメンバー
が、この「モスラの歌」の前に、イン
トロとして、

 

アランフェス協奏曲

 

を弾いたら面白いんじゃないか、とい
うことを言い出しまして。で、やって
しまったんですが▼▼▼

 

アランフェス協奏曲って、元々はもち
ろん独立した曲なんですが、チック・
コリアという人が有名な「スペイン」
という曲の前にイントロとしてやった
ことから、このメロディを聴くと、あ
スペインやるんだな、と思う人が多い
んですね。

 

特にジャズのセッションとかやる人た
ちはね。

 

で、まあそういう人の意表をつくとい
うかね、そんな狙いだったんですけど。

 

で、

 

ライブの本番が終わった後いつもセ
ッションするお店(バー)打ち上げ
してたんですが、そこにわれわれのバ
ンドの次に演奏したバンドの人が入っ
てきたんですね。

 

そしたら、われわれを見て開口一番、

 

「あ、モスラの人たちだ」

 

と、言ったんですよね……

 

 

われわれ、これからモスラの人たちと
して知られるようになるのかもしれま
せん。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

分かってる俺を大切にしろ症候群?

社でプロジェクトとかが発生
して、そのためにチームが組まれ
ることがありますよね。大きいプ
ロジェクトだと社内横断的になっ
たりして。

 

そうすると、普段はあまり付き合いの
ない人チームに入ってきたりする
けですね。で、そんな人が打ち合わせ
とかで活発意見を言ったりして、プ
ロジェクトの推進に積極的でいいな、
なんて思わせられたりもするんですが。

 

そのうちに、なんかその人は別にチー
ムリーダーでもないのに、俺の経験に
よればここはこうすべきだ、とか、こ
の仕事を成功させるにはこういう心構
えでなければいけない、とか。

 

色々主張する声大きくなってきたり
して。人の仕事のやり方に口をだして
きたりして。全員返信メールが夜中に
飛んできたりして。

 

他の人たちは特に声高には主張しない
けど、その人たちにもそれぞれ考え方
とか、仕事のやり方があるわけなんで
すけどね。

 

そういう人たちからすれば、なんで
いつはあんなに声高に騒ぎ立てている
んだ。めんどくせえなあ、なんて思い
始めたりして。

 

そうこうするうちにチーム全体がなん
だか微妙な雰囲気になってきて……

 

普通にやってれば上手くいくようなプ
ロジェクトが、最悪の場合まさかの空
中分解、なんてことになったりして。

 

 

そんな経験ありませんか?

 

はもう会社勤めを卒業したんですが、
昔を振り返ると、そんなこともあった
よなあ、なんて遠い目になったりもす
るわけです。

 

でも、この自分(たち)は色々経験し
てるからどうすればいいか一番よく分
かってるんだ、という思い込み趣味
の活動でいえば音楽とかなわけで
すが)でもそれがダダ漏れな人とき
どきいるんですよね。

 

そういう人をみると、あ、気をつけよ
と思って自戒しております(なんか
あったのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

怖いモノを見た日

近のことですが、某 SNS
眺めていたらですね。

 

とあるジャズのセッションを主宰して
おられる方の投稿があったんですね。

 

その方は週2回とかの頻度セッショ
ンを開催されているようで、本業は別
にあるということになっていますが、
しかし週2回とか、そりゃもう本業以
じゃないの? とか思うわけですが。

 

それはともかく、

 

その方が、ジャズ業界(?)というの
は、これはジャズだとか、あれはジャ
ズじゃないとか、そんなことばかり言
っているおかしなところで、それで
奏する側が萎縮したりする。それが
くないのでは?なんていう趣旨投稿
をされてたわけです。

 

で、それはその方の意見で、賛成する
もいれば意見の違う人もいるとは思
うんですが。

 

SNS というところでは、そういう目立
つ投稿ほどコメントがつくわけで
すね。賛成・反対どっちもあるとは思
いますがこういう時ってどうしても
対意見

 

圧が強い

 

という事態が発生するわけでして。

 

いやあ、あれ見ると普通心病むんじゃ
ないの? と思ったわけです。

 

事後別途書かれた投稿によれば、
やら吊し上げやら誹謗中傷やらあっ
たそうで。しかもそれをする多くがジ
ャズのプロの人であったとか(それが
どこまで本当かまでは確認してません
けども)。

 

まあ、なんか地獄絵図的でしたね。

 

 

ともあれ、そういう意見を表明する
には SNS という場はもはや適さない
よなあ、と。思ったのではありました。

 

なんか言うならもっと隠れてこそっと
いわないとね(おいおい)。

 

そもそもそれで「議論」になったとし
ても何も生まれないと思うしね。みん
な言いたいことを言うだけで。

 

そんなわけで、今日も私は SNS 界隈
ではどうでもいいことだけをつぶやく
のです。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

頭がいい人になりたい? 頭がいい人に見られたい?

書店の店頭とか、本の広告
とかを見ていて思うのは、

 

頭のいい人

 

というフレーズがやたらに目につく
いうことじゃないでしょうか?

 

あと、ビジネス系のメディアとかね。
そういうところにもこの「頭のいい人」
というのがはびこってますよね。

 

この傾向は、どうもここ10年とかみ
たいのようです(ChatGPT に聞いた
らそう言ってました。しらんけど)。
そういえば、そんなベストセラー
ありましたね。

 

『頭のいい人が話す前に考えている
こと』とか『頭のいい人が実践して
いる 頭がいい人の伝え方』とか『頭
のいい人の習慣』とか……

 

まあ、いいんですけど。

 

なんとなくこれだけはびこってくる

 

ウゼえ

 

とか思う自分がいるのですよね。

 

皆さんはどうですか?

 

なんか心の奥頭が良く思われたいと
思ってるのを見透かす感じで、ね、
のいい人にみられたいでしょ? ほら
ほら……なんて言われてるような気に
なるからでしょうかね。

 

 

そのうち、『頭のいい人のギター練習
法』とか『頭のいいピアニストのため
のハノン』とか出るんじゃないか、と
戦々恐々としている今日この頃ではあ
ります。

 

あ、ウソです、そこまで恐れないです
が……。でもそう言うのが出てきたら
イヤですよね。そう思いません?

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

写真に撮れない?

でもヴァレンタイン・デー
てあるんですよねえ(あります)。

 

まあ、この歳になって会社も行かなく
なって義理チョコなんていうものにも
触れる機会がめっきりなくなると、
うでもよくなってくるわけですが。

 

え? ひがんでる?

 

……ま、それはともかく。

 

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
という曲については前にも書いたこと
がありまして。この曲は元々ミュージ
カルの中の曲なんですよね。

 

そしてこのヴァレンタインというのは
実は登場人物の男性の名前なので、元
々はヴァレンタイン・デーとは無関係
なんてことを書いたんですが。

 

で、

 

男の人についての歌ということですが、
まあある種のラブソングではあるわけ
で、そうするとその男性を(なぜか)
好きな人の側からの歌なんですね。

 

上になんで「なぜか」なんていう言葉
を入れたかというと、歌詞をよく読む
と、見た目は笑っちゃうけどとか、
リシャの彫刻のようではないとか、
を開けばあんた頭大丈夫?とか。

 

まあディスりまくっているんですね。
も好きなの、というね。まあツンデレ
たいな歌なわけです。

 

そんなディスりの中、いちばんひでー
、と私が思ったのは、上の笑っちゃ
う見た目の次に出てくる、

 

Unphotographable

 

という形容詞でして。つまり写真には
撮れない、そんな外見、といってるわ
けですね。でも好き、と。

 

なかなか素晴らしいツンデレではない
か、と。改めて久しぶりに思ったので
はありました。

 

ま、それだけなんですが。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

 

マルチタスクしない決断?

近、映画監督のジェームズ・
キャメロンのあるインタビュー
読みまして。

 

このインタビューは、彼の作品である
『アバター2』(2022年)が公開され
た頃に行われたものなんですが。

 

その中で彼はこの映画をスマホとかで
はなくて、劇場で観て欲しいと言って
いるんですね。

 

で、その理由はというと、普通予想さ
れるような大きなスクリーンとかしっ
かりした音響システムとかというより
も、

 

マルチタスクをしない、という決断で
あり自分との約束

 

だというわけです。

 

 

外部からの情報が流れ込んでこない形
で映画の世界に没入して欲しいという
ことなんですね。

 

「家で映画を観ていては、映画館にい
るときほどには泣けない」そうです。

 

これに対してはまあ色々意見もあろう
とは思いますが、私個人的には同意す
る部分が大きいなとは思いました。

 

そして、音楽を演奏する、セッション
するなんていうアクティビティ、自
分を「マルチタスク」から(強制的に
?)切り離すモノであるよなあと思っ
たりもしたんですね。

 

楽しいセッションで得られる喜び、な
んていうことにこれは関係しているの
では? なんてことをちょっと思いま
した。ま、ちょっとですけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

そこでその話?

んかですね、某ビジネス・経
済系の雑誌のオンライン・サイト
を結構よく見てる自分にふと気が
つきまして。

 

もはやビジネスとか、企業のどうこう
とか、こういう上司とか部下とか同僚
とかとどう付き合うべきかとか。そう
いう話にはほぼ興味がない私なんです
が……

 

なんでそのサイトに行くことが多いの
というと、

 

食べ物の話が多い

 

んですよね。

 

多いだけじゃなくて、私以外の人にも
そういう記事がよく読まれているよう
で、記事の人気ランキングを見ると、
そんな食べ物関係の話だらけなんです
よ。

 

このファミレス・チェーングランド
メニューリニューアルしてこうな
ったとか、あのチェーンのモーニング
メニュー素晴らしいとか。こっち
のレストランのメニューいいとか
りよろしくない、とか。

 

 

まあ SNS の世界でもそういうフード
系の記事人気だし、そういうのに乗
っかってページビューを稼ぎたい、と
いうことなのかもしれませんけど。

 

で、

 

私個人的にはそれはそれで面白がって
読んでるので、別にかまわないんです
けど。もしこれに音楽関係の記事でも
充実してきたらさらに嬉しいとは思う
んですが。

 

でも、一方で経済ビジネス系の雑誌
人気記事こういうのばかりでいいの
と、ふと思ってしまったある日の昼
下がりであった、と。

 

そういうことなわけでした。ま、それ
だけなんですけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ある意味分かりやすい?

SNS 上での言い争いなんてのは
今やもう日常茶飯事ですよね。

 

音楽関係でも色々ありますしね。

 

この前も、また例のバックビート問題
について投稿した動画と、そこでの
張に反論するコメントを眺めたりして
いたんですが。

 

もう、なんですね。俺はバックビート
をこう考えるとかいうと、いやそれは
違うとか。俺がバックビートやってみ
るから聴けとかいうと、いやお前は
るでバックビートが出来てない、とか。

 

なんのためにもならないような応酬
くりひろげられてて、あー、もうダメ
だなこれ、なんて気分にさせられまし
て。

 

なんか SNS で交わされてる議論とい
うのは、もはや議論でもなくて。一方
言いたいことを言い、それを聞く方
(読む方)はそれを聞いても(読んで
も)自分の聞きたい(読みたい)よう
にしか理解しない、ということなんだ
なあ、と。

 

いまさらかもしれませんが、思ったり
する今日この頃なわけです。

 

 

そういう意味では、ビジネスの世界で
のやりとりというのは、お互いのニー
提供できるサービスやら商品やら
マッチングさせるとか。複雑なこと
はあるけど、お互い落とし所みたいな
のを探ろうとしますからまだ分かり
やすいんではないか。

 

なんてことを、もうビジネスの世界か
ら足を洗った今になって思ったりして
おります。

 

まあ、そういうビジネス(ディール)
的発想なんでもやろうという人が
統領とかになったりすると、分かりや
すくても、それはそれでまた大変だろ
うなとは思うわけですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

カバーとジャケットと、帯と

って、本そのものに加えて

 

カバー

 

ってついてることが多いですよね。

 

それだけじゃなくて、それにさらに

 

 

ってのがついてくることも多いです。
とくに新刊書とか。

 

最近の帯って、ほとんどカバーと同じ
大きさ、なんてのもあって(とくに新
書とか)、そうするとまるでカバーが
2つかかってるみたいになるわけです
ね。

 

そして、それを持ち歩くときには、
店がかけてくれる独自のカバー、なん
てのをつけることもありますね。

 

あの、書店がサービスでつけてくれる
カバーって、私の場合はなんかないと
落ち着かないんですけど。一方であん
なカバーつけて、周りから何を読んで
るのかわからなくするとか、いさぎよ
くない、なんてことを言う人がいたり
もします。

 

それでだけじゃなくて、元の本につい
てきていたカバーも帯もみんなとって
しまえ! とかいう人もいたりします
ね。丸裸にしろ、と。

 

私はなんか、カバー書店がくれ
るカバーも、一応大事にしてキープ
る方ですが。まあ世の中いろいろです。

 

 

そういえば、

 

昔の LP レコードって、ジャケットの
左側に縦長の帯がかかってましたよね。
あれって、日本だけのモノだと思うん
ですが。

 

特に洋楽のレコードだと、そのまま
誰のどんなレコードか分かりにくか
ったからでしょうかね。ジャケットを
デザインした方にすれば「余計なもん
かぶせるなよ」と思うんだろうなあ。

 

そういえば CD になっても帯的なもの
ってありましたよねえ。左側にちょこ
っと。ある意味日本的な文化なんでし
ょうかねえ。

 

なんか、もう。デジタル配信とか電
子書籍とかになるとそういうのはすべ
て省略されますね。良くも悪くも。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

ハネたりハネなかったり?

イトル見て音楽の話かと思い
ました?

 

実は違うんですよ(えばるな)。

 

あるプログラマーの人の本を読んだ
んですが、電子書籍で。そのとき気づ
いたことの話なんですが。

 

別にプログラミングの本ではなくて、
プログラマーはどういう思考をするか
なんて内容の本なんですけどね。

 

で、

 

「バグ」というプログラミングから出
た言葉があるじゃないですか。プログ
ラミングの過程で発生してしまうミス
あるいはそれによって引き起こされる
誤作動、みたいな意味ですよね。

 

元々は虫という意味の言葉なんですが
プログラマーの世界では、そんな意味
に使われるようになったわけです。

最近では比喩的に(?)「脳がバグっ
てる」なんて使われ方もされたりして
ますよね。ま、それはいいとして。

 

じゃあ、その「バグ」を取り除く作業
のことをなんというか? これも最近
はプログラミングという世界が身近
なって来てるせいか、耳にすることも
多い気がしますが、

 

デバッグ

 

というわけです。

 

あれ?

 

バグはハネないけど、こっちはハネて
ますよね。

 

英語でみると bugdebug なので、
本来は、バグデバグ、あるいはバッ
デバッグという組み合わせである
べきでは? と思った、と。

 

それだけのことなんですが。

 

まあ、いろいろ理由は想像できるし、
デバグと書く人もいるかもしれないん
ですけどね。調べたわけじゃないけど。

 

そんなことに引っかかって本を読む
スピードが落ちるというかタイムロス
しております。別にヒマなんでいいん
ですが。

 

このの中で、プログラマーというの
プログラミングしていると、外界の
刺激脳に届かなくなって、あっとい
うまに時間がたつもんだ、というよう
なことが書かれておりました。

 

そういうところはミュージシャンと似
てるかな、なんて思ったという、そん
感想をもって、本を閉じたのではあ
りました。

 

電子書籍なんで、アプリを終了しただ
ですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

本はバック○○○○○では読めない

りと最近のことですが、

 

古書店にいったんですね。

 

それは別に珍しいことではないんです
が、その時には店先の安い本の並んで
いる棚には特に目ぼしいものはなく。

 

今日は手ぶらで帰るか、と思ったんで
すが、まあでも店の奥に並んでいる本
も見ておくか、と。中に入っていった
わけですね。

 

そうしたら、とある上下2巻で、定価
で買うとそれぞれ 6000円以上する本
が、揃いで 2000円とかで売ってたん
ですよ。状態も悪くない、というか、
かなりきれいなのが。

 

普通に考えると、古本だとしてもそん
安くならないと思うんですが。まあ
掘り出し物的に見えたんですね。

 

え? と思っておもわず買ってしまっ
んですが。

 

まあ、しかし、買ってみると、ハード
カバーずっしり重いし、2巻合わせ
て 1000ページ近くあるんで、

 

どうすんだ、これ?

 

って感じになってます。

 

そんな買い物してしまうことってない
ですか、みなさんは?

 

CD のボックス・セットを買ってしま
ったような?……しかしボックスセッ
ならプレイヤーにかけて、BGM 的
に流し聴きするという手もありますけ
ど。

 

 

流し読みっていうのはできますけ
、何かの片手間にバックグラウンド
でやることは出来ませんよねえ。

 

なかなか手間のかかるメディアですね、
というのは。

 

そういえば、著作権の切れた書物を集
めた「青空文庫」っていうプロジェク
がありますが、最近「青空朗読」
いうスマホのアプリを見つけまして。

 

ボランティア(?)の朗読者の人が、
そんな青空文庫に入っている作品を読
み上げくれているのを聴くことができ
んですよね。朗読されている作品数
はまだ数に限りがありますけど

 

なんかとめどない話になりましたが、
本はバックグラウンドに流せない、と
いう、当たり前のことを今さら思い知
ったというお話でした。

 

しかし、読まないとな、あの本……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

ジャムセッションですまない人の哀しみ?

ジネス関連のメディアを惰性
で眺めこともあるわけですが、
わたくし。

 

惰性でというのは、もう私は会社勤め
してないからですが。

 

最近目につくのは、やはり例の2大自
動車メーカー経営統合するとか言っ
てたけど結局やめちゃった、という
の関連の話題なわけです。

 

まあ、色々いわれてますが、結局のと
ころ、

 

どっちも背負ってるモノが大きすぎ

 

ということですよね。

背負ってるモノ(とそれぞれが認識
てるモノ)が本当にリアルなものなの
というと、議論もあるでしょうが。
当事者のリアリティと第三者から見た
現実とは往々にして食い違うので。

 

ともあれ、

 

なんか、大物のミュージシャンが一緒
組んでなんかやろうとして、やって
みようとするけど上手くいかない、な
んてのに似てる気がしますよね。

 

それぞれのファンとか、方向性とか、
ノリの違いとか……

 

どうしても食い違いが生まれやすい
すからねえ。

 

毎回メンバーの違うジャムセッション
なら、その場限りのことでやりすごせ
ても、ずっと組もうとなるとね。

 

あー、ジャムセッションやってるんで
良かったなあ、なんてね……ま、別に
それほど思うわけじゃないんですけど
ね(ないんかい)。

 

日々気楽ではありますね、ええ(ええ
じゃねえよ)。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

エアリプしてみる?

SNS 界隈には「エアリプ」とい
うのがありまして。

 

エアギター親戚か? なんて思われ
音楽好きの方もいるかと思いますが。
(いないか)

 

エアリプというのは、特定の相手に向
けたコメントを、直接リプライせずに
投稿することです。主に Twitter 今で
いうXで使われる用語だと思われます
が。

 

例えば、だれかがある投稿をしたとし
て、普通に返事をするならリプライ・
ボタンを押してスレッドの中に書き込
わけですよね。

 

引用リツイート(リポスト)するとい
う手もあったりしますね。

 

ところが、エアリプする場合はどちら
もしないで、単独にその投稿への返事
(らしきもの)を投稿する、というわ
けですね。

 

なんでそんなことをするかというと、
直接的にリプライすると対立やトラブ
ルを生みやすいときなどに、それを
するためにやることが多い気がしま
す。

 

その人の性格にもよるとは思うんです
が、使い分ける人もいれば、エアリプ
がデフォルトみたいになってる人もい
ますね。

で、

 

音のコミュニケーションなんていわれ
る(らしい)ジャムセッションなどを
やってますとね、人の弾いたフレーズ
色々と反応して、フレーズを打ち返
したりする人がいるわけです。

 

それにまた反応して返したりすると
レーズの応酬合戦になって、場は盛り
上がるわけで、それがイイ!とか楽し
い!とか思う人もいるわけですが。

 

中には、あまりアグレッシブにやるの
はちょっと、なんて思う奥ゆかしいタ
イプ(?)の人もいるかもしれません
よね。

 

そういう人には、あまりあからさまな
フレーズのやりとりというよりは、
アリプ的な反応をするという考え方も
あるかもしれない、なんてことを思っ
たんですよ。

 

誰かが反応して来たフレーズに、直接
的に反応し返すんじゃなしに、ちょっ
と後からとか、何なら曲の最後に差し
込んでみるとかね?

 

誰も気がついてくれないかもしれない
ですが、それはそれでいい、とか思
るならやってみる価値はあるかも。

 

知らんけど。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

続けて読めない? 聴けない?

近、気がついてしまったんで
すけど。

 

本を読むとき、熟読して同じ本を何時
間も読むタイプですか? みなさんは。

 

はといえば、

 

そういうのムリ

 

タイプなんですよね。

 

昔からそうだったかといわれれば、実
昔は違ったのかもしれないとうっす
ら思ったりもするんですが……

 

でも、少なくとも最近は一つの本
読んでいてもしばらくすると別の本
読んでいて、またしばらくするとさら
に別の本を読んでいる。そんな感じな
んですよね。

 

新刊社会的なことを書いた本を読ん
でいたかと思えば、外国の小説を読ん
いて、またしばらくすると今度は日本
の小説を読んでいて……なんて感じで。

 

そういうのって内容がごっちゃになっ
頭に入らないんじゃないの?って思
われるかもしれないんですが、そうい
うこともないように思うんですよね。

 

で、

 

音楽を聴くのもなんかそんな感じなこ
とが多くて、最近は、

 

アルバム1枚聴きとおすのがなかなか

 

ムズイ

 

なんてことを思ってしまい。

 

アーティストジャンル横断的細切
れに聴いてしまう、なんてことが多い
んですよね。

 

最近のアルバムっていろいろ詰め込ん
であって長いですしね。ボーナス・ト
ラックとかいらんわなんてことも思う
し……。まあ、それはまた別の話です
が。

 

なんで、こういう読み方、聴き方にな
ってしまったかなあ。ノン・ジャンル
のジャムセッションとかやってるせい
かなあ。なんてときどき思うんですけ
ど。

 

まあ、別にいいんですけどね。誰に迷
惑かけてるわけでもないし。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

挫折のかけら?

本屋で100円とかで安売りし
てる本の棚を見るのが好きなんで
すが。

 

見てると、これがこんな安いんだ、と
思うようなのが出てたりすることが
まにあるんですけど。

 

手に取ってみると、実は前の持ち主
線を引いたり手書きのコメントを残し
てたりするんで安くなってることが多
いんですよね。

 

その本がそれほど欲しいものでなかっ
たり他でも手に入りそうな本だった
するときは、そっと棚に戻すことに
なるわけですが。

 

なかなか手に入らないものだったりす
るときは、まあいいか安いんだし、な
んて思って買ってしまうこともある
けです。

 

で、

 

そんな本を読んでると、よくあるのが

 

線を引いてるのは本の最初の方だけ

 

なんてことでして。

 

最初の1章には沢山線が引いてある
に、次の章に入った途端に線やら書き
込みがなくなってしまうとかね。どこ
まで頑張って線を引くかの差は色々
すが。

 

だいたい読む人が線を引くような本
いうのは、小説とかエッセイとかじゃ
なくて歴史の本とか思想書とか評論
か、科学関係とか、そういう関連の本
が多いわけですけどね。

 

そういう本を読んでてそんな線や書き
込みがなくなると、

 

あー、挫折したんだなあ

 

と思うわけですね。

 

頑張って線を引きながら途中まで読ん
で、ある所で先に進めなくなって、放
り出して、最終的に売りに出す、とい
う。そんな挫折の悲哀をちょっと感じ
てしまうわけです。

 

音楽やってると、教則本を最後まで読
めずに挫折することだらけ、なんて話
があって、だからどうとか、だからこ
うしろとかいうことを語る人とかいる
わけですけど。

 

私もそんなネタで書いたりしたことも
あるんですが、実は別に音楽に限った
話じゃないよなあ、なんて思うわけで
す。挫折なんてそこらへんに転がって
るんだよなあ、なんてね。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)