「見える」はエライか?

の前の人間のタイプ分けの話
の内容と直接関連するわけではな
いんですが

 

ちょっと思ったのは「視覚優位」とい
う言葉についてなんですけどね。

 

なんとなく、「視覚」「優位」とい
われると、ちょっとカッコいいな、と
か、そういう人はいいよね、とか。そ
んな風に思えたりしませんか?

 

音楽に関しても、ある音を聞くと視覚
的なイメージ強く感じるとか、音に
よって違った「色」が見える、なんて
いう人がいるらしいんですが。

 

そんななのも、なんかカッコいいとい
うかクールというか、そんな気にさせ
るものがあるような気がするんですが。
どうでしょうね? 個人差あるのかも
しれませんけど。

 

それに、それを実際に感じている人
とっては別にそこまで思ってなかった
、逆にそんなのない方がいいと思っ
ているのかもしれないんですけどね。

 

ともあれ、私個人的には、世の中にそ
んな「見える」タイプの人、「視覚」
優位の人がなんかカッコよく見えるの
、やはり人間にとっては「視覚」で
得られる情報の重要性が大きいせい
のかな、と考えたりしております。

 

「千里眼」とか「透視」とか、そんな
超能力あこがれるのと、ちょっと
たものがあるのかなあ、とかね。

 

逆にいえば、そういう「見える」とい
うことを過大に評価しがちバイアス
みたいなものが、われわれにはあるの
かもしれないなあ、と。

 

そんな事を考えたのではありました。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

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