頭がいい人になりたい? 頭がいい人に見られたい?

書店の店頭とか、本の広告
とかを見ていて思うのは、

 

頭のいい人

 

というフレーズがやたらに目につく
いうことじゃないでしょうか?

 

あと、ビジネス系のメディアとかね。
そういうところにもこの「頭のいい人」
というのがはびこってますよね。

 

この傾向は、どうもここ10年とかみ
たいのようです(ChatGPT に聞いた
らそう言ってました。しらんけど)。
そういえば、そんなベストセラー
ありましたね。

 

『頭のいい人が話す前に考えている
こと』とか『頭のいい人が実践して
いる 頭がいい人の伝え方』とか『頭
のいい人の習慣』とか……

 

まあ、いいんですけど。

 

なんとなくこれだけはびこってくる

 

ウゼえ

 

とか思う自分がいるのですよね。

 

皆さんはどうですか?

 

なんか心の奥頭が良く思われたいと
思ってるのを見透かす感じで、ね、
のいい人にみられたいでしょ? ほら
ほら……なんて言われてるような気に
なるからでしょうかね。

 

 

そのうち、『頭のいい人のギター練習
法』とか『頭のいいピアニストのため
のハノン』とか出るんじゃないか、と
戦々恐々としている今日この頃ではあ
ります。

 

あ、ウソです、そこまで恐れないです
が……。でもそう言うのが出てきたら
イヤですよね。そう思いません?

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

カバーとジャケットと、帯と

って、本そのものに加えて

 

カバー

 

ってついてることが多いですよね。

 

それだけじゃなくて、それにさらに

 

 

ってのがついてくることも多いです。
とくに新刊書とか。

 

最近の帯って、ほとんどカバーと同じ
大きさ、なんてのもあって(とくに新
書とか)、そうするとまるでカバーが
2つかかってるみたいになるわけです
ね。

 

そして、それを持ち歩くときには、
店がかけてくれる独自のカバー、なん
てのをつけることもありますね。

 

あの、書店がサービスでつけてくれる
カバーって、私の場合はなんかないと
落ち着かないんですけど。一方であん
なカバーつけて、周りから何を読んで
るのかわからなくするとか、いさぎよ
くない、なんてことを言う人がいたり
もします。

 

それでだけじゃなくて、元の本につい
てきていたカバーも帯もみんなとって
しまえ! とかいう人もいたりします
ね。丸裸にしろ、と。

 

私はなんか、カバー書店がくれ
るカバーも、一応大事にしてキープ
る方ですが。まあ世の中いろいろです。

 

 

そういえば、

 

昔の LP レコードって、ジャケットの
左側に縦長の帯がかかってましたよね。
あれって、日本だけのモノだと思うん
ですが。

 

特に洋楽のレコードだと、そのまま
誰のどんなレコードか分かりにくか
ったからでしょうかね。ジャケットを
デザインした方にすれば「余計なもん
かぶせるなよ」と思うんだろうなあ。

 

そういえば CD になっても帯的なもの
ってありましたよねえ。左側にちょこ
っと。ある意味日本的な文化なんでし
ょうかねえ。

 

なんか、もう。デジタル配信とか電
子書籍とかになるとそういうのはすべ
て省略されますね。良くも悪くも。

 

て、ことで。

 

それでは、また。 ( ̄▽ ̄)

 

 

本はバック○○○○○では読めない

りと最近のことですが、

 

古書店にいったんですね。

 

それは別に珍しいことではないんです
が、その時には店先の安い本の並んで
いる棚には特に目ぼしいものはなく。

 

今日は手ぶらで帰るか、と思ったんで
すが、まあでも店の奥に並んでいる本
も見ておくか、と。中に入っていった
わけですね。

 

そうしたら、とある上下2巻で、定価
で買うとそれぞれ 6000円以上する本
が、揃いで 2000円とかで売ってたん
ですよ。状態も悪くない、というか、
かなりきれいなのが。

 

普通に考えると、古本だとしてもそん
安くならないと思うんですが。まあ
掘り出し物的に見えたんですね。

 

え? と思っておもわず買ってしまっ
んですが。

 

まあ、しかし、買ってみると、ハード
カバーずっしり重いし、2巻合わせ
て 1000ページ近くあるんで、

 

どうすんだ、これ?

 

って感じになってます。

 

そんな買い物してしまうことってない
ですか、みなさんは?

 

CD のボックス・セットを買ってしま
ったような?……しかしボックスセッ
ならプレイヤーにかけて、BGM 的
に流し聴きするという手もありますけ
ど。

 

 

流し読みっていうのはできますけ
、何かの片手間にバックグラウンド
でやることは出来ませんよねえ。

 

なかなか手間のかかるメディアですね、
というのは。

 

そういえば、著作権の切れた書物を集
めた「青空文庫」っていうプロジェク
がありますが、最近「青空朗読」
いうスマホのアプリを見つけまして。

 

ボランティア(?)の朗読者の人が、
そんな青空文庫に入っている作品を読
み上げくれているのを聴くことができ
んですよね。朗読されている作品数
はまだ数に限りがありますけど

 

なんかとめどない話になりましたが、
本はバックグラウンドに流せない、と
いう、当たり前のことを今さら思い知
ったというお話でした。

 

しかし、読まないとな、あの本……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

続けて読めない? 聴けない?

近、気がついてしまったんで
すけど。

 

本を読むとき、熟読して同じ本を何時
間も読むタイプですか? みなさんは。

 

はといえば、

 

そういうのムリ

 

タイプなんですよね。

 

昔からそうだったかといわれれば、実
昔は違ったのかもしれないとうっす
ら思ったりもするんですが……

 

でも、少なくとも最近は一つの本
読んでいてもしばらくすると別の本
読んでいて、またしばらくするとさら
に別の本を読んでいる。そんな感じな
んですよね。

 

新刊社会的なことを書いた本を読ん
でいたかと思えば、外国の小説を読ん
いて、またしばらくすると今度は日本
の小説を読んでいて……なんて感じで。

 

そういうのって内容がごっちゃになっ
頭に入らないんじゃないの?って思
われるかもしれないんですが、そうい
うこともないように思うんですよね。

 

で、

 

音楽を聴くのもなんかそんな感じなこ
とが多くて、最近は、

 

アルバム1枚聴きとおすのがなかなか

 

ムズイ

 

なんてことを思ってしまい。

 

アーティストジャンル横断的細切
れに聴いてしまう、なんてことが多い
んですよね。

 

最近のアルバムっていろいろ詰め込ん
であって長いですしね。ボーナス・ト
ラックとかいらんわなんてことも思う
し……。まあ、それはまた別の話です
が。

 

なんで、こういう読み方、聴き方にな
ってしまったかなあ。ノン・ジャンル
のジャムセッションとかやってるせい
かなあ。なんてときどき思うんですけ
ど。

 

まあ、別にいいんですけどね。誰に迷
惑かけてるわけでもないし。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

挫折のかけら?

本屋で100円とかで安売りし
てる本の棚を見るのが好きなんで
すが。

 

見てると、これがこんな安いんだ、と
思うようなのが出てたりすることが
まにあるんですけど。

 

手に取ってみると、実は前の持ち主
線を引いたり手書きのコメントを残し
てたりするんで安くなってることが多
いんですよね。

 

その本がそれほど欲しいものでなかっ
たり他でも手に入りそうな本だった
するときは、そっと棚に戻すことに
なるわけですが。

 

なかなか手に入らないものだったりす
るときは、まあいいか安いんだし、な
んて思って買ってしまうこともある
けです。

 

で、

 

そんな本を読んでると、よくあるのが

 

線を引いてるのは本の最初の方だけ

 

なんてことでして。

 

最初の1章には沢山線が引いてある
に、次の章に入った途端に線やら書き
込みがなくなってしまうとかね。どこ
まで頑張って線を引くかの差は色々
すが。

 

だいたい読む人が線を引くような本
いうのは、小説とかエッセイとかじゃ
なくて歴史の本とか思想書とか評論
か、科学関係とか、そういう関連の本
が多いわけですけどね。

 

そういう本を読んでてそんな線や書き
込みがなくなると、

 

あー、挫折したんだなあ

 

と思うわけですね。

 

頑張って線を引きながら途中まで読ん
で、ある所で先に進めなくなって、放
り出して、最終的に売りに出す、とい
う。そんな挫折の悲哀をちょっと感じ
てしまうわけです。

 

音楽やってると、教則本を最後まで読
めずに挫折することだらけ、なんて話
があって、だからどうとか、だからこ
うしろとかいうことを語る人とかいる
わけですけど。

 

私もそんなネタで書いたりしたことも
あるんですが、実は別に音楽に限った
話じゃないよなあ、なんて思うわけで
す。挫折なんてそこらへんに転がって
るんだよなあ、なんてね。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

やっぱり世の中は○○○と思う話

(とくに古書店)のことを
最近よく書いてますけど。

 

そういえば、去年あたりから世の中的
本屋の苦境をなんとかせんといかん
というような動きが色々みられます。

 

確かに経営的につらいとか後継者がい
ないとかで、廃業する書店が増えてま
からね。

 

某新聞某出版社がなんか意見表明
ていたりとか。結構ニュースになって
います。

 

本屋好きとしても、そうだそうだ
尻馬に乗って色々と言いたくなる
じゃないかと思われるかもしれません
が……

 

この件にかんしては、結構冷めた目
見ておりまして。なんでかというと、
ジャムセッションとかやっているとい
うのが大きいかと思いますね。

 

世の中には書店だけでなく時代やら
社会変動のせいで苦境になる商売
ろいろあるわけで。ライブハウスとか
CD ショップだってご同様だと思うわ
けでね。

 

そんな業界政府とか新聞社とかが
しようなんて動きは全然なかったし、
今もないわけで。ある種の認知バイア
かもしれませんけど。

 

単純世の中不公平だよなあ、まあ
ってたけど。なんて感じで冷たく眺
ております。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

受験生壇○ブルース

段は、誰の本を古本屋で買っ
とか書かないようにしてるんで
すが。

 

本人目に触れる確率低いでしょう
けど、万一目に入ったら、やっぱりあ
まりいい気はしないかなと思うんです
よね。「ちゃんと新刊の書店で買えよ
って思うだろうなあ、と。

 

なんですが、

 

今日はちょっと例外です。なぜ例外か
読めばわかると思いますが、さて。

 

最近、古書店で(まあ、ブックオフで
なんですけど)

 

 

という文庫本を買ったんですよね(笑)

 

普段なら立ち読みして、またそっと棚
に戻すと思うんですけど、なぜかその
日はそのままレジに持っていったんで
す。

 

芸能人(音楽関係は除く)の書いた本
買ったのなんて何年ぶりだろうって
感じです。まあ、その本だけ買ったわ
けじゃないんですが(言い訳が多い)。

 

で、

 

今日のテーマはその内容について……
ではなくてですね(ないのかい)、そ
に挟まっていた、

 

しおり

 

なんですね。

 

買ったその本には、「祈合格」書か
れたしおり挟まれていたんですよ。
その文庫に最初からついていたしおり
とは別にウラをみると駿台文庫なん
て書いてありまして。

 

つまり、受験用の問題集かなんかにつ
いていたしおりが(なぜか)こちらに
挟まれていたわけです。

 

それを見て、受験勉強の合間『壇蜜
日記』を読むという、変わったという
か、おじさんくさいというか、そんな
趣味の受験生の姿が目に浮かんだわけ
ですね。どんな奴だよ。

 

アイドル行かずに(まあ行ってたの
かもしれないけど)壇蜜に行き着いた
のはなぜだろう、とか。他にどんな本
読んでるんだろうとか。音楽の趣味
どんななんだろうとか。

 

に見つかって、勉強の邪魔だとかい
われてブックオフ売りに出されたり
してたら可哀相だなあ、とか。今はそ
んな親いないか、とか。

 

しばらくページをめくる手を止めて想
像してしまった、と。そんな冬の日の
昼下がりでございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

文庫本の上部とジャム・セッションの関係(あるいは無関係)

の前、文庫本のサイズの出版
社による微妙な違いについて書き
ましたが。

 

同じように、各社の文庫本を眺めてい
ると気がつくことがありまして。それ
は、

 

本のページの上部が不ぞろいになって
いるものがある

 

ということでして。これは、製本のミ
とかそういうことではなくて、意図
にそうしているものだそうで。

 

もともと元祖文庫本といわれる岩波文
始めたもののようですが、その他
にも新潮、ハヤカワ、創元社といった
ところが採用しているようです。

 

これ、専門用語「天アンカット」
いう製本のやり方だそうです。普通の
製本だと、各ページ天地と手前の3
つの辺のところをきれいに裁断して
ろえてあるわけですが、天(上部)
ところだけあえて不ぞろいにしている
ので、そう呼ばれるわけですね。

 

この製本方法は、手抜きのように見え
て、じつはかえって製本コストのかか
るやり方だそうです。昔の本の雰囲気
を残すために、意図的にそういうやり
をとっているとのことです。

 

完成品あえて不ぞろいというかラフ
な部分を残すこのやり方、私、個人的
には好きなんですよね。

 

これはまあ、人それぞれで、ちゃんと
きれいにそろえてあった方が好きとい
う人もいれば、どっちでもいいよ別に
と思う人もいるんだろうと思いますが。

 

そういうのを好むのは、ジャムセ
ッションなんていう、あえてどこか不
ぞろいな部分があることで面白くなる
モノ好きなのに繋がっているのかも
しれない、とか。

 

そんなことを思って本棚の整理をして
いたのではありました。ヒマだなあ。

 

天アンカットについて、くわしいこ
とを知りたい方は、たとえばこちらを
ご参照ください▼▼▼

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

高齢社会は○○○の背を高くしたか?

回も書いてますが、古本屋巡
が最近の趣味みたいになってま
して。

 

それで、よく店頭の100円で売ってる
安売り本家に増えてるという話も前
に書きましたが。そういう100円の本
というのは

 

文庫本が多い

 

わけですよね。

 

なので、必然的に文庫本が増えてくる
んですが。そんな文庫本を整理してい
ると気がつくのが、

 

出版社によって高さが違う

 

ということなんですよ。

 

文庫本のサイズというのはA6判つま
105mm×148mm のはずでして、そ
れで統一されていると思ってたんです
が、どうもこの高さについては各社自
由に(といっても数ミリの幅の中でで
すが)決めているらしいと思われるん
ですね。

 

この違いというのは高さ関してだけ
で、については各社大きな違いはな
いらしいというのも面白いところです
が(1mm程度の差はあるもよう)。

 

筑摩とか岩波とか講談社とか、文庫の
老舗系は、ほぼ A6 判の基準値に近い
ようですが、新興(?)の光文社とか
ハヤカワとかの文庫本はかなり背が高
のようです。

 

とくにハヤカワ155mm くらいの高
さがあったりして、本来なら文庫本が
おさまるはずの高さの棚におさまらな
、なんて問題が起きたりしておりま
して。ちょっといらつくんですよね。

 

なんでこんなに違うんだろう、と思っ
たら、一説によれば文字を大きくしろ
という世の中のプレッシャーがあり、
それにページ数を極力増やさずに対応
するため、という話を見かけました。
ほんとかどうか知りませんけど。

 

文庫本の読者層も高齢化してるってこ
とか、とか思いましたが。

 

人間て、基準をしっかり決めても、
合によってちょっとずつ変えてしまう
生き物だよなあ、と。思ったりもさせ
られたのではありました。

 

音楽でも、基準となるラ(A)の音
440Hzにしたはずなのに、いつのまに
444とか448とかになってたりして
るよなあ、なんて。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)