「教わること」「学ぶこと」と「できること」

っと以前、ある通信制の
校が、国の支援金を不正に受け
取るために、生徒に対していい
加減な「授業」をしていたとい
うことがニュースになりました。

 

たとえば生徒をテーマパークに連れて
行ってお土産を買った釣銭を計算させ
て、それを数学の授業としていたとか。
結構紙面やらネットやらをにぎわせて
いました。

 

まあ、結構やばいことやっていたよう
なので、いろいろ指導されたでしょう
し、そもそもそのまま学校として認め
てもらえるのかというような問題であ
ったようです。で、ここで別に、この
学校のことを弁護しようとかどうとか、
そういうことではないのですが。

 

が……

 

少々ひねくれて考えてみれば、釣銭を
計算することが数学の成績に結びつく
ということは、少なくともここには教
えた「知識」「技能」現実世界で
応用して使える
ことで、学んだ証し
する、というアイデアはあるわけです。

 

まあ、もちろんその知識や技能が高校
で教えるレベルなのかという突っ込み
は当然入るわけですが。小学校レベル
だろそれは、というね……。それはそ
うなんですけど。

 

何をいいたいのかというと、たとえば
何かを教えたときに、じゃあ「知識」
としていくら難しい理論的なことを頭
にいれたとしても、それを自分の技術
(技能)として実際に実行に移せなな
いとしたら、それは本当に何かを学ん
だことになるのか、ということなんで
すね。

 

もちろん、理論的なことを教えること
ムダだとは言えませんし、純粋な
学的基礎研究が不要というつもりはあ
りません。何の役に立つかすぐには分
からなくても、とても有用なことが後
にわかるなんていう話は、ノーベル賞
を受賞した研究の話にはごろごろして
ますが。

 

ただ、音楽の領域に話をもってくると、
音楽理論なんてものは、いくら習って
もなかなか実際に役立つ技術・技能に
転化されないものの見本かもしれませ
んね。

FB用 88

前に、教則本コレクターの話を書きま
したけど、ほとんどの教則本は、そう
した「知識」や「技能」について教え
てはくれるけれど、それを実行できる
ようになるところまではなかなかコミ
ットしてくれないのですよね。

 

そして……

 

そんな「教えられたこと」と、本当に
音楽をするために「学ぶこと」の間の
ギャップを埋めるには、ジャムセッシ
ョン
というのは良い場なのではない
と思うのですが(そこにもってくるか
笑)。

 

もし、その高校が、すべての授業で
教える「知識」を日常生活レベルで活
用するところまでコミットしてくれて
いたなら、それはそれでたいしたもん
だという気もするのですが……。まあ、
そこまでの信念でやってるようでもな
さそうでしたけどね。

 

て、ことで。

 

では、また。( ̄▽ ̄)

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