ーマ曲)とか、やってます。過去にも
「船橋ヘルスセンターのCMソング」
施中です。参加したいとか、見学して
みようかなとか、ご関心がありました
ら、コメントくださいませ。
グルーヴィーな「第3の居場所」を見つけるための、あれやこれや
て、ことで。
では、また ( ̄▽ ̄)
影響を受けていると思われます。山下
洋輔さんがピアノに火をつけて弾いた
ことが思い出されます。
オノ・ヨーコもジョン・ケージの影響
を受けた1人ですね。あと、皆さんが
ご存じなところでいえば草間彌生さん
などもそんなパフォーマンスをなさっ
ていましたね。
最近はネット上で検索すれば
いろんな記録やら動画やらがす
ぐ見つかるよねー、便利な時代
だねー的なお話をしてたんです
が……。
今回はじゃあ検索して色々出てきた時
に、当時の、特に洋楽の記憶をどの辺
からたどっていっているかというお話
です。時代は1970年代。当時中学~
高校生だった人間にとっては、ラジオ
というメディアが今とは比べ物になら
ない影響力をもっていました。
いわゆる深夜放送番組が各局から流れ
て来てました。オールナイトニッポン、
パックインミュージック、セイ!ヤン
グなどが代表的でしたね。それからFM
のJET STREAMとか。受験生の夜の
楽しみはこれでしたねー(←ほんとに
勉強してたのか?)当時は、旺文社の
大学受験講座ってのも真夜中前にやっ
てましたしねー。
そんな中、関東というか横浜エリアの
ローカルな局であるラジオ関東(現ラ
ジオ日本)が、1972年に「全米トッ
プ40」という番組を始めたのでした。
もともと、アメリカ発の番組でビルボ
ードの最新ヒットチャ―ト上位40曲を
3~4時間でかけまくるという番組でし
た。
DJであるケーシー・ケイサムという
人がアメリカでもカリスマ的な人気を
誇る人でしたが、日本版はそれにいま
や大御所音楽評論家である湯川れい子
さんが日本側DJとして加わり毎週金
曜日の深夜に放送されていました。当
時洋楽のリアルタイム(に近い)な情
報に飢えていたティーンエイジャー毎
週末、ラジオにかじりついておりまし
た。
私の70年代洋楽の知識は、この番組
によるところが8割方ではないかと思
いますねー。そんな知識を思い出しな
がら、毎晩当時のヒット曲をご紹介し
ているというわけなのでした。
実はこの番組いまでも続いているとい
うことですが、音楽業界の状況が当時
と今とではかなり違いますからねー。
ケイシー・ケイサムは引退し2014年
に亡くなりましたし。今でも聴いてい
らっしゃる方いますか?
そもそもヒットチャートをたどるとい
う事が今はそんな意味をなさなくなっ
ていますしねー。
みなさんの青春時代の音楽体験を形づ
くった番組は何ですか?
以前のことですが、アラカン
セッションのジャズ編というの
をやりまして。
枯葉とフライ・ミー・トゥ・ザ・ムー
ンの2曲だけじっくりやろう、という
コンセプトでやったんですが。
この番組の売りというかコンセプトは
視聴者から手紙(実際にはサイトでの
受け付けもしているようですが、番組
の作りはアナログ感がただよってます
ね)でリクエストを受け付けて、その
人が行きたくても行けない思い出の場
所に、火野さん(とクルー)がかわり
に行ってあげるというものです。
最近のインフルエンザの薬は結構解熱
効果高いので、すぐにわりと元気にな
るんですが家の外には出るな、といわ
れてしまうんですよね。
【2016年3月追記】
ジャムセッションにとって、スタンダ
ードとは何か、ということについては、
シニアという文脈だけではなく、われ
われの仲間のセッションインストラク
ターたちの間でも、議論になったりし
ています。
講座で取り上げるスタンダードという
のは、いわゆるセッションバーなどで
よく演奏される曲という意味合いが強
いのですが、果たしてそれだけでよい
のか、といった議論が交わされたりも
しています。
一方、2016年2月から「アラカン以上
限定ゆるセッション」というのを始め
ました。そちらでは、参加者の皆さん
のやりたい曲をリクエストとして、持
ち込んでいただいて、その場でやれる
範囲のアレンジを加えてやってみる、
という試みをしたりしています。
そんな中で、今のシニアにとってのス
タンダードとは何か、についてわかっ
たことや知りえたことがあれば、また
このブログでも取り上げたいなと思っ
ております。
( ̄▽ ̄)
フェイスブックのほうで、私が夜な夜な
つぶやきとともに投稿しているものの
まとめの続きです。前回はこちら。
その前はこちら。
繰り返しになりますが、私が音楽に目覚めた中学生
のころのヒット曲を振り返って、同世代の方々
と懐かしがったり、若い方々には珍しがって
いただこう、という趣旨でございます。
1970年(頃)のヒット曲の3回目です。
私、中学1年でございました。3回に分けて
その時のつぶやきとともにお送りしています。
▲【そしてジェームズ・テイラー】
彼も当初Appleレコードに発掘されたの
ですが、大ブレイクしたのは、やはり
70年のこの曲ですね ( ̄▽ ̄)b
▲【久しぶりに日本に戻ります】
リリースは69年ですが、70年にかけて
ヒット。このデビュー曲で鮮烈に登場
したイメージがありますね。
▲【ダイアナ・ロスの初のソロヒット】
Ain’t No Mountain High Enoughは色々
バージョンがありますが、一番ヒット
したのはやはり70年のこれでしたね。
▲【ジャクソン5!】
ジャクソン5の結成は1962年だそうな。
マイケルも1963年には加入しました。
ってことは、5歳でデビュー ( ̄▽ ̄)
▲【もいっちょジャクソン5】
マライア・キャリーのカバーもヒット
しましたが、もちろんこちらが
オリジナルです。
▲【70年に解散したのはS&Gだけでなく】
もちろんビートルズも。この曲は
Long And Winding RoadのB面(笑)
でした。ジョージの曲です。
▲【テリー・キャスというギタリスト】
…がいまして(後に事故で死亡)、
初期のシカゴの印象的なナンバーは
彼がボーカルのモノが多いです。
▲【これも1970年でしたか】
後にカバーされてもいますが、
こちらがオリジナルです。
脳天気(?)でいいすねー ( ̄▽ ̄)
▲【First of May (1969)】
Bee Geesの名曲です。
大ヒットではないですが、例の映画
にも使われ日本では結構人気の曲。
▲【Teach Your Children (1970)】
昨日も出た例の映画、といえば
「小さな恋のメロディー」ですが、
この名曲も使われてましたね。
1970年(頃)はこれでひとまず終り。
1971年に続きます ( ̄▽ ̄)
フェイスブックのほうで、私が夜な夜な
つぶやきとともに投稿しているものの
まとめの続きです。前回はこちら。
趣旨としましては、私が音楽に目覚めた中学生
のころのヒット曲を振り返って、同世代の方々
と懐かしがったり、若い方々には珍しがって
いただこう、ということでございます。
1970年(頃)のヒット曲の続きです。
私、中学1年でございました。3回に分けて
その時のつぶやきとともにお送りしています。
▲【さて、Chicagoに行きますか】
69年デビュー。実はプロデューサーが
BS&Tと同じ人。今でも間奏部分そらで
歌えちゃうくらい聴きました(笑)
▲【Chicago番外編(笑)】
おはようございます。昨晩お届けした
シカゴの歌ですが、実はなんと日本語
バージョンがあるのです。どうぞ(笑)
▲【長い夜(松山千春じゃなくて ^^;)】
原題は25 or 6 to 4(4時25, 6分前)w
「眠れねーよー」て曲ですな。イントロの
リフは山ほど弾きましたw 70年リリース。
▲【「いったい現実を把握している者は…】
…いるだろうか?」というのが邦題。
初期のシカゴはメッセージ色の強い曲を
やってました。今はAOR色ですが(笑)
▲【夏休みなのでさわやか路線(笑)】
シカゴに回数とりすぎました(汗)
Breadは70年〜77年位まで活躍した、
ソフトロックバンドです。
▲【1970年ビルボード年間第1位】
は、サイモン&ガーファンクルの
「明日に架ける橋」でした。
その年に解散しちゃうんですけどね。
▲【こちらも70年の同じアルバムから】
解散後も彼らは時々一緒にツアーなど
やっています。日本にもやってきたり
してますよね。
▲【名曲ぞろいだな、このアルバム】
これも「明日に架ける橋」のアルバムから。
セシリアのシングルB面だったのですかね?
いずれにせよ、名曲です。
▲【映画「いちご白書」(’70)の主題歌】
原曲はもちろんジョニ・ミッチェルですが、
映画で使われたのは、こちらのバフィー・
セント・メリーバージョンでした。
▲【マルタ島の砂】
って邦題ですが、Maltese Melody
が原題。69〜70年のヒット。ハーブ・
アルパートはA&Mレコードの創設者です。
続きます ( ̄▽ ̄)
えー、今回もフェイスブックのほうで、
私が夜な夜なつぶやきとともに投稿して
いるもののまとめです。
趣旨としましては、私が音楽に目覚めた中学生
のころのヒット曲を振り返って、同世代の方々
と懐かしがったり、若い方々には珍しがって
いただこう、ということでございます。
まずは、1970年(頃)のヒット曲です。
私、中学1年でございました。3回に分けて
つぶやきとともにお送りいたします。
▲【1970年のヒットソング。今も色あせない曲です】
いろんな意味でターニングポイントな年でしたね。
Badfingerはビートルズの秘蔵っ子といわれ、
Appleレコードからデビューしました。
https://youtu.be/9x1MZEDQbtA
▲【Badfingerの名曲の一つ】
Without You
後にニルソンがヒットさせますが、
こちらがオリジナル。
https://youtu.be/49dquH8tn6E
▲【Close to Youも1970年でしたね】
デビューはその前年でしたが、
彼らを一躍スターにしたのは
このバカラック・ナンバーでした。
https://youtu.be/6inwzOooXRU
▲【これも70年でした】
パートリッジ・ファミリー!
テレビシリーズの挿入歌です。
邦題が「悲しき初恋」(^.^)
https://youtu.be/wJYSu2OVCGM
▲【エルトンのブレイクも70年】
映像には1971年となってますが、
発売は70年です。もともと
B面(ってわかります?)だったとか。
https://youtu.be/RwzdVHTNpXs
▲【1970年:その頃日本では…】
邦楽年間1位は「黒ネコのタンゴ」(笑)
それ以外に目をひくのは、藤圭子ですね。
宇多田ヒカルのお母さんです。
https://youtu.be/sbJJxGDVeGY
▲【ヒットメイカーといえば…】
70年のチャートを見るとバカラック
ナンバーが目につきます。発売は前年
ですが、この曲も70年の大ヒット。
https://youtu.be/JebowNHkA_M
▲【バカラックナンバーもう一つ】
これも70年の大ヒット。ディオンヌ・
ワーウィックはバカラックの曲を
たくさん歌ってますね。
https://youtu.be/FzQBOBoPg04
▲【70年ビルボードチャート14位】
そんな大ヒットだった?とも思いますが、
好きな曲です。スカっぽいリズムだったり
R&Bぽくなったり、面白いですね。
https://youtu.be/TIwnAs4iwaE
▲【これも70年でしたか…】
イギリスのバンド、Christieの
ヒット曲。Yellow Riverっていうから、
黄河のことかと思ってました。
https://youtu.be/VBkVH38h5JY
▲【70年代といえば…】
ブラス・ロックを語らずばなりますまいw
この曲は69年のヒットですが、ブラス・
ロックムーブメントの先駆けでしたね。
https://youtu.be/TPkVEi3Woy0
続きます ( ̄▽ ̄)