この前、「曲」を決めてやるセ
ッションとそうじゃないセッショ
ンの話をしまして。
私のやってるアラカンセッションでは
どうしても曲を使ってやるセッション
に傾きがちなんて話を書いたんですけ
ど。
つい先日にやったセッションでも、昭
和の歌謡曲なんかをネタにしたセッシ
ョンで大盛り上がりしたんですよね。
(しかしカサブランカ・ダンディーと
か、今の世の中では考えられない歌詞
ですなあ……)
思うに、それはその曲を単なる素材と
して演奏しているだけではないんです
よね。歌ってる歌手やバンドだとか、
当時の音楽シーンだとか、そういった
ものを含めて改めて楽しんでいる、と
いうことではないかと。
別にだから、セッションは曲を使って
やるべきだとか言いたいわけではない
んですが。そして、曲を使わずにやる
セッションをやればやったでちゃんと
楽しめるメンバーだったと思うんです
けどね。
で、
ふと思うとですね、たぶんこれからは
世の中に AI によって作られた曲が沢
山出てくると思うんですが。そんな時
代のセッションというのは、どうなっ
ていくんだろうとか思うわけです。
そんな作者 AI という曲を、昭和の歌
謡曲みたいにみんなセッションとかで
やりたがるのか? やるのだとしても、
それは単なる素材として使われるのか?
あるいは時代やら音楽シーンも含めて
味わうようなことになるのか?
どうなっていくんでしょうね? 知ら
んけど。(まあ、その AI の作った曲
がどうマーケティングかによるんだろ
うとは、想像されますが)。
て、ことで。
それでは、また。( ̄▽ ̄)