オバケが大切?

の前、Twitter ……じゃなく
て今は X っていうヤツを見てた
んですが(しかし何とかなりま
せんかね、この名前)

 

ある有名なシェフの人が、「ゴースト
・ノート」って言葉を使っていたんで
すね。

 

オバケノートって何って言う人もい
るかもしれませんが、これはオバケ
手帳とも関係なくて、音楽用語なん
でして。ノートは演奏されるを意味
します。

 

ドラマースネア・ドラム軽く入れ
認識できるかできないかすれすれの
とか、ベーシストフレーズの中
弾く(弾いてしまう?)音程感のない
かすかなのことですね。

 

そんな音なんでゴーストといわれるわ
けですが、じゃあ大切じゃない音なの
かといわれればそんなことはないので
して。

 

音楽(いわゆるビート・ミュージック
ですが)には、

 

グルーヴ

 

というモノがありますんで。

 

このゴースト・ノート入れる入れな
で、演奏のノリが全く変わってきた
りもするわけでして。

 

ゴースト・ノートは拍のアタマにくる
ことはまずなくて、ウラとかウラウラ
とか、そういうところに入るので、
ズムを細分化してカッコよくしたりす
るのには不可欠なんですね。

 

くだんのシェフの人は、食事のランチ
・コースなんかについてくる、これ
ントにいるの? というようなビミ
ーなあるモノについて語る時にこの言
葉を使っていたんですが。

 

これまたなかなかビミョーな使い方
(個人的にはやや違和感ありかな、こ
のシェフのことは好きなんですけど)
ちょっと笑ってしまった、というよう
なことでございました。ヒマかよ。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

英語の語順とバッ○ビー○問題??

んな記事を見かけたんです
けどね。▼▼▼

 

それで、英語の学習ってこんなことも
覚えなきゃいけないんだなあ、大変だ
なあ、と思いつつ、また別のことも思
ったんですけど。

 

1つは、ここでいちばん最初に出てく
る、 right and leftleft and right のど
っちが正しいか? っていう質問なん
ですけど。

 

どっちもあるんじゃね?

 

と思ったわけですよ。まあ、頻度でい
うと right and left かもしれないですけ
どね。調べればわかるんだろうけど、
めんどくさいので調べませんけど(こ
らこら)。

 

こんな曲もあるしなあ、と▼▼▼

 

で、

 

それはわりとストレートな突っ込み
んですけど。

 

もう一つは、これって最近よく見る
本人のグルーヴ感がどうとか、バック
ビートがどうとか、そういう話と似て
るなあということでして。

 

なんかネイティブ(本場のミュージシ
ャン)が聴くとそれ変なんだよ、と、
ネイティブじゃない人からいわれる、
という、その感じがですね、似てる
あ、と。思ったわけですね。

 

実際に英語で読んだり、聞いたりする
前に記憶しろってのもなあ、などとも
思うわけですよね。順番間違えたって、
ネイティブ違和感持つのかもしれな
いけど、それで死ぬわけじゃないけど
なあ、なんて。

 

思ったりしましたね。ええ。それだけ
なんですけど。

 

※語順のせいでそれこそ場面とか状況
によって受取り方が大きく変わる、と
いう可能性が全くない、とはいいませ
んけどね。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

記憶力が心配なあなたに○○○で脳に刺激を?

うも、世の中あまり明るい
話題がないなあと思いまして……

 

今日はアラカン以上の世代にとっては、
明るい(?)お話です。

 

少し前に、ネット見てたら私の目に飛
込んできたのが、

 

ワサビは記憶力の増強に役立つ、かも
しれない、らしい

 

というニュースでして▼▼▼

 

ワサビって、あの薬味に使われるワサ
ビですが、こういうどんな食べ物がこ
れに効くとかいう話は色々見ますけど、
結構あやしい話も多いですよね。

 

でも、この話はこんな薬学生向けのサ
イトにも紹介されているので、結構
付けの実験しっかりしてるのかな、
とは思うんですよね。

 

しかし、これで、ワサビの消費量がド
ンと伸びたりするのですかね? ただ
でさえ安いモノではないので、これで
あまり高くなっても困る気もしますけ
ど。

 

一方で、ワサビとしては売物にならな
い、これまでは廃棄されていたモノが
有効成分の抽出に使われて、ロスが減
という効果はあるのかもとか、思っ
たりもします。

 

ともあれ、最近記憶力が落ちたとお悩
みでしたら、ワサビで脳に刺激を与え
るというのもありかも、という、そん
なツンとくるお話でございました。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

見えすぎちゃって困るの?

こんなことを書いたんです
が。

 

今の時代、楽器のテクニックに優れた
は世の中にいっぱいいることがす
に分かってしまうので、そんな人たち
簡単に「消費」されちゃうのよね、
といった内容でした。

 

時代を代表するような、たとえばギタ
ー・ヒーローなんていう人も生まれに
くくなっている、というのはそんなと
ころから来るのかもしれません。

 

そういえば、某所で発表された偉大な
ギタリストのランキングがプチ炎上
てましたが。そもそもそういうランキ
ングを作ること自体、時代にマッチし
てないのかもしれません。

 

で、

 

別の観点でいうと、そういうギター
らその他の楽器でも、言ってしまえば
音楽以外のことでもいいんですけど、
世の中の「達人」がこうすぐ可視化
れてしまうと、

 

ああ、それに比べて自分は……

 

なんてことを思わされることもおそら
昔に比べてとても多くなっている
では、と考えられるわけですね。

 

なので、挫折感を味わう確率というか
頻度高くなりがちなのかもしれない
なあ、と思ったのではありました。

 

「見えすぎちゃって困るの」なんてい
昭和なテレビのアンテナのコマーシ
ャルがありましたけど。

 

なんでも見えすぎるのをコントロール
する技術、というのも、今の世の中テ
クニックの習得それ自体と同様に(い
やそれ以上に?)大切みたいですね。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

Facebook のあの問題を考察する?

Facebook をやっておられる方
には、おなじみの話題かもしれま
せんが、

 

「井○香織」問題

 

てのがありまして。最近は少なくなっ
たようですが。

 

井上○織を名乗る女性らしきアカウン
から、やたら沢山友だちの申請が来
って話で。

 

どうみてもフェイクのアカウントで、
友だちになったらヤバそうなので、ま
常識的には申請を承認したりはせず、
そのまま削除しておしまい、ってこと
にするんですが。

 

これが、性懲りもなく同じ井上香○の
名前で繰り返し申請が来るんですよね。
プロフの写真だけは変わるんですけど。

 

で、

 

フェイクのアカウント(らしきもの)
から申請が来るのは、よくあるなん
でね、普通の人粛々と対するわけ
です。

 

なんかは、○上香織で申請が来たら
アカウントの情報をいちいち確認した
りせずに即ワンクリックで削除できる
ので、手間が減っていいとか思う方な
んですが。

 

ときどき、それを「また今日も井○香
織から申請が来た」とかいって、スク
ショとったりして書込みする人がいる
んですよね。けしからん、ってことな
んでしょうかね。

 

で、またそれを繰り返しやったりする
んですよね。

 

まあ、一度そういう問題があることを
知らない(かもしれない)人のために
注意喚起の意味で上げるのはいいのか
しれませんが。繰り返しやられると、
本家の井上○織と同じくらい、

 

めんどくせー

 

とか思ってしまうがいます。

 

井上香○に限らず、こんな詐欺(フィ
ッシングとか)メールが来たとか、そ
ういうのもありますね。

 

で、

 

見てて思ったんですけど、そういう投
稿を頻繁にする人って、けっこうこれ
はこうあらねばならない、とか、こう
いうことはけしからん、とか。そうい
思いの強そうな人に多い気がするん
ですね。

 

規範意識というんでしょうか? ちょ
っと違う? 世の中はこうであらねば
ならない、という意識。正義感?

 

このジャンルの音楽のこれはこうでな
ければいけない、異論はみとめません、
みたいな(おいおい)。ま、ちょっと
偏見もありますが。

 

こうやってぼやいてみてもなくならな
のは重々承知してますけどね。失礼
しました。

 

て、ことで。

 

では、また ( ̄▽ ̄)

年末の訃報とシグネチャー・フレーズ?

2023年というのは、われわれア
ラカン以上の世代の人間にとって
はつらい訃報が多かったですね。

 

そんな中、最終大晦日に入ってきた訃
報が、「アホの坂田」こと坂田利夫師
のものでして。これもまたなかなか
ショッキングではありました。

 

、このニュースNHK からネット配
信されてきた記事で知ったのですが▼

 

この記事についている動画で、アナウ
ンサーが師匠の有名なギャグ紹介
ているのですが、

 

「アホの坂田」の愛称で親しまれ
た坂田さんは「あ〜りが〜とさ〜
ん」や「あんたバカね、オホホ〜」
などのギャグでお茶の間の人気を
集め……

 

なんて読み上げているところを聴くと、

 

坂田師匠のギャグの強烈さを改めて感
じる

 

のではありました。

 

音楽で、アーティスト誰でも知って
いて口ずさめるようなフレーズをその
人の「シグネチャー・フレーズ」と呼
んだりしますが、師匠の「シグネチャ
ー・フレーズ」最高でしたなあ

 

そしてまた、「アホの坂田」という
の曲を生み出した、浪速のモーツァル
ことキダ・タロー先生偉大さも身
にしみる年の暮れではございました▼

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

古本屋彷徨癖は未来志向を覆すか?

なタイトルですみません。

 

前に最近、散歩してると古本屋さんに
立寄りたくなる、なんて話を書いた
ですが。

 

その傾向は、以来まったく収まってお
りませんで。

 

相変らず散歩に出ると古本屋さんを覗
という習慣は続いております。という
かますますこじらせて(?)おりまし
て。

 

最近では、近隣沿線各駅近く古書
店を検索して散歩するというようにな
って来ております。

 

あと、最近近所にブッ○オ○が出来て
しまいまして。なので、近所の散歩コ
ースの定期立寄り所となっております。

 

先日は先日で、都内バンドの練習
あったんですが、そのスタジオ近く
のモール古本市が開催されていると
いう情報を嗅ぎ付けまして。

 

予定の時間を早めて家を出て、その古
本市を覗いて回るというようなことを
しております。

 

で、

 

そうやっていると、前にも書きました
が、

 

積読状態になってしまう本が増える

 

わけでして。

 

ちょっと本の置き場困ってきてしま
いました。

 

そんなわけで、今読まない本の処分
検討しているんですが、部屋の中で
まない本の上位に来るのが、

 

音楽の教則本

 

なんですよねえ。とはいえ、これも前
書きましたが、なかなか捨てられな
い上位にくるのもそんな教則本なんで
すよねえ。

 

手に取ると、その本をマスターして上
手になっている自分という幻想(おい
おい)と戦うわけですが……

 

でも、やっぱり処分しよう、と。ここ
宣言しておけば、さすがにやるだろ
、と。考えて書いているところでご
ざいます。

 

え? 勝手にしろ?

 

……はい。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

疑ってかかった方が良い言葉?

説得したり、自分の言って
ること信じさせたいとか思って
なのか、

 

これは研究科学的に(とか統計的に
とか)証明されているんですが

 

とか、言う人いません?

 

それで、その証明の中身とかを具体的
に示すこともなく、先に進んだりして。

 

まあ、としてはそんな話を聞いたと
きには、だいたい話半分以下で聞く
うにはしてるんですが。

 

皆さんは、どうですか?

 

で。

 

なんでそういう、根拠を示さず根拠が
あるといって流して人を説得しようと
する人が多いかというと、

 

世の中、エビデンスは? とかいって
挑んでくる人間がたまに(ちょくちょ
く?)いる

 

ってことなんでしょうが、一方で、科
学的に実証されてるんですが、とか
っておくと、

 

後からそれを検証しようとする人間
ほとんどいない

 

ってことなんだろうな、と思うわけで
すね。

 

ある種の話し方テクニック的なモノと
して、実は言ってる当人半分無意識
的に使ってるんではないか、とも思う
わけです。手癖フレーズみたいなもん
ですね。

 

なので、そう言っている話の内容自体
が役に立つ立たないは、また別の話
ということもあるので、ことはちょっ
と厄介なんですけどね。ま、少なくと
鵜呑みにはしない方がいいとは思い
ますけど。

 

……なんてことを、某乳酸菌健康飲料
んで考えたという。そんなある日のこ
ではございました。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

目覚ましは○○○○した方がいい?

る時に目覚まし時計だったり、
スマホの目覚まし機能だったりを
使ってますか?

 

使っていると、朝になると指定した時
間にアラームがなりますよね。ま、そ
れが目覚ましの機能ですからね。

 

で、その目覚まし音を聞いて、すぐに
ぱっちり目が覚めるほうですか? そ
れともアラームのいわゆる「スヌーズ
機能」をつかって、いったん音を止め
てしまうほうですか? で、何回もそ
れを繰り返したりして?

 

スヌーズしちゃう人、結構多いと思う
んですけどね。うちの子供なんかも、
朝なんどもアラーム鳴らしてるんです
けど。

 

ま、それはともかく、

 

そういうスヌーズ機能を使ってしまう
のは、良くないとか思って落ち込む
か、すぐに起きられない罪悪感とか、
そんなことを感じたりしません?

 

世の中的にも、そういうのは眠りの質
を低下させるので良くない、なんて
われているのではないか、と。思った
りもするわけですが。

 

ところが、

 

最近の研究によると、必ずしもそうと
はいえないということがわかってきた
そうで。

 

実は、深い眠りからスヌーズを使って
段階的に起きるのは、寝起きの頭の重
さとかを回避できるので、本当は良い
ことではないか、というような話にな
っているそうです。

 

起き抜け認知機能実行機能も、
ヌーズせずに起きた人よりも良い、と
いう実験結果も出たりしてるようです。

 

そんなわけで、

 

あなたが、もし起き抜けに楽器の練習
をするという人でしたら、そうやって
スヌーズ機能を使って目を覚ますとい
うのは、実は理にかなっているようだ、
ということなんですが。

 

まあ、あまりいないでしょうけどね。
あ、でももしかしたらシニアには結構
いたりして?(笑)

 

詳しく知りたい方は、こちらの記事
をどうぞ(すみません英語です)▼▼

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

感情も労働する?

はや現実世界のビジネス
動についてはあまり関わりのな
くなった私ではあるのですが。

 

それでもまあ世の中のビジネス関連の
記事なんかをつい惰性で(こらこら)
読んでしまうことがありまして。そん
な中で読んだ記事に、

 

感情労働

 

という言葉があったんですね。

 

世の中には肉体労働というものがあり
ますね。体を使って労働するわけです
が。それに対比させる意味で作られた
言葉だと思うんですけど。

 

感情を使って、つまり自分の感情をう
まくコントロールすることで労働する
というね。サービス業なんてのは、そ
んな労働のかたまりかもしれません。

 

たとえば、「笑顔」でサービスする仕
事とかが典型的ですかね。メニュー
0円とか書かれてますけど。

 

そういう仕事は肉体的労働ではないけ
ど、疲れる心を病んだりするリスク
もあるって話なんですが。

 

で、

 

私が読んだ記事で面白いと思ったのは
CEO とかいわれるエライ人たちも、そ
んな感情労働が要求されてるんだとい
う話でして。

 

彼らはトップとして自信満々に振るま
わなければいけないし、責任を問われ
るような決断を常にしなくてはいけな
かったりとかね。そんな消耗にさらさ
れているんだというわけです。

 

リーダーであるがゆえの感情的な負荷
も大きいという話ですね。

 

で、まあ

 

そういった「感情労働」っていうのは
大企業の CEO じゃなくても、自分を
何かのリーダーだと思って行動しよう
とするとつきまとう話かな、と思った
わけですね。

 

音楽的な活動なんかでもそんなプレッ
シャーにさらされて病んでしまう人
いるよなあ、とか。思ったりもするわ
けです。

 

バンドなんかでも、活動が上手くいか
ないと人間関係が危機的になったりと
か、上手くいけばいったで、次の一手
を間違えないように決断しなきゃ、と
かね。

 

そして、おそらくそういう時に助け
なるのは色んなネットワークとか、立
場が違ってもゆるく繋がっている人た
だと思うんですが。

 

逆に自分の世界にこもって、そういう
つながりを断ち切ろうとする人も多い
んですよねえ。

 

ま、いいんですけどね(いいのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

「良い」演奏とは何かを(いろいろ)考える

ンドであれ、ソロであれ、
ジャムセッションであれ、音楽
を演奏しようという時は、だれ
「悪い」演奏をしようとは思
わないわけで。

 

まあ、たまに変なことを考える人もい
るので絶対にないとは言いませんが。

 

普通何かしら「良い」演奏をしたい
と思うのだろうとは思うんですが。

 

じゃあ、その「良い」演奏というのは
どういうものか、というと、案外深く
考えてなかったりするんじゃないか
思うわけですね。

 

というか、そもそもこれが「良い」演
であるという唯一の基準というもの
あるのか、というとそういうわけで
もないので。

 

その人その人で、実はいろいろ違って
いたり似ていたりということがあるわ
けです。

 

技術的に正確間違いがないというこ
となのか? 自分の表現したいことが
出来ることか? 観ている(聴いてい
る)人が喜ぶことか? とかまあ、い
ろいろ。

 

そして、演奏する側演奏を聴く側
も、「良さ」の基準は変わってくる
けですよね。

 

なので、

 

「良い」演奏をしようと思うこと自体
は別にいけないとは思わないのですけ
ど、そもそもその「良い」演奏は誰に
とってのどんな演奏なのかたまに考
えてみるのもよいのかな、とも思うわ
けです。

 

曲がありまして。

 

酒が飲める理由をとにかくいろいろ上
げていく歌ですが(笑)

 

おんなじように演奏が「良い」理由
色々な視点でリストアップしておくと
いいのかもしれません。それが必ずし
誰もが納得する理由でなくてもいい
と思うんですよね。

 

リストのうちの1つでもできたとした
ら、それはなかなか立派な達成といえ
るのではないか、と。

 

そんなことを考えたヒマな一日があっ
た、ということなんですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

下手になったと思った時がチャンス? なの?

楽やっていると、この曲は
まくやれるとか、自信があるとか、
そんな曲がだんだん出来てきたり
します

 

え? ない?

 

……

 

話を進めますが(おい)。ところが、
あるときそんな自分でも上手くやれる
自信のある曲を弾いたり・歌ったりし
たら、

 

なんか下手になった……

 

と思うことがあったりしませんか?

 

経験のある人も多いかと思うんですけ
ど、そんな時ああもう俺はダメだとか
までは思わないにしても、ショック
悲観的になりやすいんですが……

 

まあ、ぶっちゃけ私にもそういうこと
はあるわけでして。

 

で、

 

以前、哲学者小説家としても活躍
ている、千葉雅也さん

 

クオリティが下がるのは(その人が)
変化している時

 

というようなことを YouTube の動画
かなにかでおっしゃっていたのを思い
出したんですよね。

 

で、千葉さんの X (Twitter) の発言など
を見返していたら、

 

「クオリティの維持をやめないと変化
は起きない。それが、再現性から創造
性へ踏み出すということのひとつの表
現である」

 

ということを書いておられたのを見つ
けました。

 

まあクリエイティブといわれる活動
全てについていわれているとは思いま
すが、音楽もその例に漏れないだろう
と思われるわけで(ちなみに千葉さん
は、音楽も演奏されますね。ピアノ
弾かれます)。

 

なので、以前は良かったはずの自分の
演奏のクオリティがなんだか落ちてい
と感じたという時は、実は何か自分
に変化が起きている、そんなチャンス
だと思うのが良いのではないか。など
考えたのではありました。

 

そんなわけで、私の文章がなんか下手
になったなあ、などと思われたら、そ
れは私が変わろうとしている時だ、と。

 

生暖かい目で見守っていただければ幸
でございます(こらこら)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

AかBか決められないワタクシ? 決めたくないワタクシ?

ノゴトについて語る時、それ
AかBかのどっちかだよ、とい
ういい方で話を進めること結構あ
りますよね。

 

そんなときすぐに納得して、そうだ、
だからこっちだ、というように決定
きる人ですか? 皆さんは?

 

は、どうもそういうのって昔から苦
というか、そもそも2つのうちのど
っちかだっていうのはホントかな? 
とか考えてしまうんですよね。

 

人間の脳というのは記憶を書き換えて
しまうものらしいので、昔からこうだ
とかいう話も結構あやしかったりしか
ねませんが、それだと話がどんどんや
やこしくなるので、ここではまあそう
いうことだと思ってください。

 

で、そんなとき、私の考えがどういう
方向に向かうかというと、AでもBで
もない行き方(とかやり方とか)が
はあるんじゃないかとか、そんなこと
を少なくとも一度は考えずにいられな
んですよね。

 

まあ、それは優柔不断とか、あまのじ
ゃくとか、そういう奴だよねといわれ
ることにも繋がりかねないわけですけ
どね。

 

なので、

 

音楽、例えばコード理論の話なんかで、

 

コード盛り上がりか落ち着きかのど
ちらか2種類で捉えるんだ

 

とか言われると、なるほどと思う一方
で、え? でもホントに2種類しかな
いのかな?とか思ったりもするわけで
すね。

 

もちろん、リアルタイムでどんどん
行していくセッションの中とかでアド
リブソロを弾くなんて時に、二択よ
り多い選択肢で考えていられない、と
いう理屈実用上の有用性否定する
わけではないんですけどね。

 

でも一方で、そういう二択でこうだ、
という考え方に対して、一度は一歩引
いて考えてみる、というあり方は大切
にしたいとも思うわけです。

 

え? めんどくさい奴?

 

皆さんは、いかがですか?

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

試してみる。色々変えて?

器の演奏とかしていて、
定のフレーズを覚えなきゃいけ
ない、きちんと弾けるようにな
らなきゃいけない、なんてこと
ありますよね。

 

ジャム・セッションなんて、わりと演
奏の自由度の高いことやっていても、
によってはお決まりのフレーズを弾
く必要なんてことがあったりします。

 

たとえば? そう「サー・デューク」
のあのフレーズとか。

 

で、

 

そんな時、だいたいとにかく毎回同じ
ように正確に弾こうと人間しがちじゃ
ないですか。最短できっちり弾けるよ
うにしようと思いますからね。

 

ところが、最近ヴァイオリニストでも
ある例の心理学者ノア・カゲヤマ
んのブログを読んでたら、実は毎回毎
回きっちり同じように弾くことを心が
けるよりは、

 

毎回ちょっとずつ変化させてみる

 

のがいいらしい、なんてことが書いて
あったんですね。

 

ちょっと大きい音で、あるいは小さい
でとか、ビブラートを強めにかけて
みるとかみないとか。色々試してみた
ほうが、最終的に毎回きっちり同じよ
うに弾こうとするより、最終的に上手
に弾けるようになる、らしい、という
ことでして。

 

それから、そうやって色々変えて試し
てやってみた方が、長期的に記憶に残
りやすいようだ、なんてことも書いて
ありましたね。

 

まあ、ご興味のある方は、カゲヤマさ
が(英語ですけど、まあ最近は Web
翻訳なんてのがありますから)、なん
か、ああそういうもんだよなあ、なん
妙に納得したりしたのではありまし
た。

 

こと楽器の演奏に限らず1つのこと
をやるにしても色々ちょっとずつ変え
ながら試してみるのが、結局上手くい
くコツってことではないかな、と。
にしても趣味にしてもね。

 

あまり、1つの考えとか理念にとらわ
れすぎて、色々やってみる余裕がない
のはよくないのでは、と。あ、それは
また別の話か。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

セッション・「コミュニティ」の難しさ?(続き)

ちらの続きでございますが。

 

ジャム・セッションコミュニティ的
なものが出来て、それを維持していこ
うとすると、結構微妙なさじ加減がい
るので、そう簡単ではないんじゃない
か? というような話でした。

 

ジャム・セッション愛する人たち
て、バンドによくあるような縛りの強
い関係は苦手な人も多いと思うんで、
まあ、そうだよね、と頭では理解でき
と思うんですけど。

 

でも、実際に前回も書いたような、良
い意味での(なのか?)いい加減さ
か、ユルさとかを維持するのって、
外難しいのかも、と最近思うわけです。

 

だいたい、「ユルさを維持」ってのも
変な日本語といえばそうなわけで。
なんだか不誠実なんだかよくわから
ですよね。

 

でも、そこらへんがキモだったりする
んじゃないか、と思うんですね。

 

で、

 

そんな結構綱渡り的なことをやってる
わけですが、マジメな人とか、自分に
自信のある人とか、よくいわれるよう
しっかりとした「自分」のある人
と、

 

コントロール効かせ過ぎてしまう

 

ということがあったり、あるいは自分
の考えと違うメンバー目についたり
すると

 

リセットしてゼロから始めたがる

 

とか、そんな方向に行ってしまったり
しがちかも、なんてことを思うんです
よね。

 

で、結局コミュニティは広がらない、
というか、考えが少しぐらい違ってて
ゆるく繋がれば良さそうなところを
内に閉じこもってしまうとかね……

 

まあ、それでいいなら、それでもいい
んでしょうけどね(←意味不明)。

 

なんてことを、あまり確たる自分のな
い私は思う今日この頃であるなあ、と
秋の一日考えたというお話でした。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

セッション・「コミュニティ」の難しさ?

ャム・セッションをやりた
い人を募って・集めてやってる
んですけど、私

 

もう結構長くやってまして、そうする
と、おなじみの方もできてきて、ある
種コミュニティみたいな感覚も生まれ
るわけですね。

 

ジャム・セッションのコミュニティ

 

ですが、良く考えてみると、これって
結構自己矛盾的というか、難しさを孕
んだ概念だよなあ、と思ったんですね。

 

といっても話としてはそんな小難しい
話でもないんですが、ジャム・セッシ
ョンてバンド活動じゃないんで、そも
そも

 

一過性のもの

 

じゃないですか。

 

そのコミュニティってなんだろうなあ
と思うわけですよ。

 

もちろん、そういうコミュニティ
って悪いってことじゃないんですが、
あまりガチガチの縛りの強い形にする
というのはなんかそもそもの趣旨に反
するというかね、そう思ったりもする
わけで。

 

だから、コミュニティといいながらも
ある種の

 

スカスカ感とか、不安定感とか、一過
性感とか、気まぐれ感とか

 

を(ある種意図的に?)残しておきた
なあ、なんて考えるんですね。

 

良い意味でのいい加減さといいますか
ね。とはいえ、けっこうそれはそれで
難しいさじ加減なんじゃないか、なん
てね、自分でやっててなんですが、思
うわけです。

 

ちょっと続きます。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

名人・達人は○○される時代である?

の中には名人とか達人と呼ば
れるミュージシャンがいて、そん
な達人たちに憧れを抱く人も多い
わけです。

 

これを読んでいる人たちにも、こんな
すごいテクニックとかとかを使える
プレイヤーになりたいとか思う憧れの
対象がいるかもしれません。

 

で、

 

昔はそういう名人とか達人とかいうよ
うなテクニックのある人は少ない、と
思われていたわけですよね。

 

レコードCDラジオテレビとい
ったメディアを通じてとか、そんな
ートでそんな人たちがわれわれの目や
耳に届くのは、そんなにしょっちゅう
あることではなかったわけです。

 

そんな制約の中で名人・達人の「希少
性」というのは担保されていたように
思うのですが。

 

ところが、

 

最近では誰でも自ら発信しようと思え
発信できるようになってしまいまし
たからね。そうすると、

 

実は、世の中にはテクニックに優れた
人は山ほどいる

 

ということが分かってきてしまった
けです。

 

YouTube とか観ればそんな人たちが
こにでもいやになるほどいる、という
ことが明らかになってしまいました。
AI の進歩によってもそんな状況は加速
していくのでしょう。

 

いまや、そんな「名人・達人」は、
間的な大量(?)消費の対象になって
しまったんですね。今どきの用語でい
えば、

 

コモディティ化

 

してしまったわけです。

 

なので、別にテクニックに優れている
からといって、質の高いものを生み出
しているからといって即ウケるわけで
も感心されるわけでも、ましてや売れ
るわけでもないという、なかなかある
意味では切ない時代になったなあと、
思ったある一日、というお話でござい
ました。

 

あ、別にだからといってテクニック
を身につけるということに意味がない
とか、名人を目指すなとか、主張する
気はありませんので。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

イメージで考える? 音楽も?

承知のように、私 50 歳以上
の方々を中心としたセッション
んていうのを開催しているのです
が。

 

なんとなく思っていたのが、そういう
場でイキイキとというか水を得た魚の
ように演奏する方たちって、

 

理系の仕事をしてた人に多い

 

ということなんですが。

 

より正確にいうと、理系というか、特
に専門のプログラマーとまではいかな
くても、プログラミングの知識のある
方が多いな。と、なんとなく思ってい
たんですが。

 

そしたら、最近人間の思考タイプの話
をちょっと読んだのですが、人間には
視覚思考型言語思考型があって、ど
うも特に音楽のスキル的に優れた人に
は視覚思考型が多いと書かれていたん
ですね。

 

もうちょっと細かくいうと、実は視覚
思考型は、写真とか短い動画のような
リアルな画像で考える「物体思考型」
とよばれる人と、もうちょっと抽象的
な概念とかパターンで思考する「空間
思考型」に別れるそうで。

 

そして、プログラミングとか音楽
キルに優れた人には「空間思考型」
多いという話のようなんですね。

 

で、まあ、なるほどね、と。思ったわ
けなんですが。

 

まあ、こういう人間のタイプ分けは、
いつもいうように、話半分くらい
に聞くようにはしてるんですけど。何
となく、セッションで感じている印象
には近いなという気がした、というお
話でした。

 

ですが、

 

とはいえ、セッションというアクティ
ビティは何人かの集団でおこなう共同
作業なので、

 

いろんな人がいたほうが結局面白い結
果になる

 

とも思うのですね。

 

別に空間思考型の人だけでやればいい
という話ではないとは思うので、そこ
間違えないようにしないとね。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

人は教則本に自分の○○を見る?

楽の教則本については、前に
も書きましたが。

 

前回書いた時には、何で音楽の教則本
というのは、挫折するとかしないとか、
読まないで本棚にたまるばかりとか、
そんなどんな本にでもあることを、
りたてて騒ぐ人が多いのか? なんて
ことを書きました(気がします)。

 

で、まあ、

 

そんなことどうでもいいじゃない(あ、
野口五郎だ)というような話ではあり
ますが、ちょっと思いついたことがあ
ったんですけど。

 

音楽の教則本というのは、その内容的
に、

 

読む人の未来を想像させてしまう

 

のですよね。

 

つまりその本を読んで、そこに書かれ
ていることをマスターして、早い話
奏が上手になった自分、というのを
メージさせるわけです。

 

で、買う、と。

 

そうすると、人はその本を見るたび
演奏が上達した(たぶん実現しないか
もしれないけど)未来を思い起こさせ
られるわけですね。

 

そういう意味ではフツーの本に比べる
と人間が執着するレベルは高くなる
かな、と思ったりしたわけです。

 

なので、それを捨てるということは、
(ありえるかもしれない可能性として
の)自分の未来を捨てる、ということ
なわけで。心理的ハードルは高いです
よね。

 

結果として、なかなか捨てられない
ね。と考えたということでございまし
た。

 

まあ、それが人間てもんなので、それ
でいいんじゃない? と思うわけです
が。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

明日から ○○% の本気出す?

間、頑張らなきゃいけない、
力を入れて取り組まなきゃいけな
いなんてことは誰しも(たまには
?)あるわけですが。

 

そんなとき、じゃあ 100% 全力で取り
組むのがいいのかというと、色々と
が分かれます。

 

まあ、昔からよくあった考え方は、な
にごとも全力で取り組むのがいいとか、
120% 出し尽くせなんていうのかもし
れないんですが。

 

さすがに最近「バーンアウト」とか
「燃え尽き症候群」とかいうこともよ
くいわれるようになってきたので、そ
れを全面的に主張する人少なくなっ
てる気はするんですけどね。

 

でも、なんとなくわれわれの心の中
100% 出し切る人感動したり共感
したり、称賛したりする気持ちがまだ
まだある気も一方ではします。いかが
ですか?

 

で、

 

そうはいっても、100% 全力出せ的な
考え弊害が大きいというのは常識
なってきたので、じゃあどこまでを求
めるのか? という問題が出てくるよ
うで。

 

100% を求めるのは良くないとしても
じゃあ、テキトーでいいよ、ともいえ
ないでしょうからね。

 

この前読んだ記事では、「85%」とい
う数字が出てました。100% の努力で
はなくて、85% にしていこう、という
話なんですね。85% の正しい判断85
% の集中。そうすることで、余計なプ
レッシャーを与えることが避けられる
ということらしいです。

 

まあ、この 85% という数字の根拠
どこにあるのか、記事を読んだだけで
よくわからなかったんですけど、な
んとなく、

 

80% というと割引率(?)が高すぎ

 

な感じがするし、

 

90% というと全力とあまり変わらない

 

感じがするので、まあ結構いい感じな
のかもなあ、と。

 

そんなことをほぼ何事にも 100% 全力
で取り組むことはなくなってしまった
おじさんは考えたと、いうようなこと
ではございました。

 

皆さんは何%くらいがお好みですか?
え? 50%? やっぱり?……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)