年末の訃報とシグネチャー・フレーズ?

2023年というのは、われわれア
ラカン以上の世代の人間にとって
はつらい訃報が多かったですね。

 

そんな中、最終大晦日に入ってきた訃
報が、「アホの坂田」こと坂田利夫師
のものでして。これもまたなかなか
ショッキングではありました。

 

、このニュースNHK からネット配
信されてきた記事で知ったのですが▼

 

この記事についている動画で、アナウ
ンサーが師匠の有名なギャグ紹介
ているのですが、

 

「アホの坂田」の愛称で親しまれ
た坂田さんは「あ〜りが〜とさ〜
ん」や「あんたバカね、オホホ〜」
などのギャグでお茶の間の人気を
集め……

 

なんて読み上げているところを聴くと、

 

坂田師匠のギャグの強烈さを改めて感
じる

 

のではありました。

 

音楽で、アーティスト誰でも知って
いて口ずさめるようなフレーズをその
人の「シグネチャー・フレーズ」と呼
んだりしますが、師匠の「シグネチャ
ー・フレーズ」最高でしたなあ

 

そしてまた、「アホの坂田」という
の曲を生み出した、浪速のモーツァル
ことキダ・タロー先生偉大さも身
にしみる年の暮れではございました▼

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

古本屋彷徨癖は未来志向を覆すか?

なタイトルですみません。

 

前に最近、散歩してると古本屋さんに
立寄りたくなる、なんて話を書いた
ですが。

 

その傾向は、以来まったく収まってお
りませんで。

 

相変らず散歩に出ると古本屋さんを覗
という習慣は続いております。という
かますますこじらせて(?)おりまし
て。

 

最近では、近隣沿線各駅近く古書
店を検索して散歩するというようにな
って来ております。

 

あと、最近近所にブッ○オ○が出来て
しまいまして。なので、近所の散歩コ
ースの定期立寄り所となっております。

 

先日は先日で、都内バンドの練習
あったんですが、そのスタジオ近く
のモール古本市が開催されていると
いう情報を嗅ぎ付けまして。

 

予定の時間を早めて家を出て、その古
本市を覗いて回るというようなことを
しております。

 

で、

 

そうやっていると、前にも書きました
が、

 

積読状態になってしまう本が増える

 

わけでして。

 

ちょっと本の置き場困ってきてしま
いました。

 

そんなわけで、今読まない本の処分
検討しているんですが、部屋の中で
まない本の上位に来るのが、

 

音楽の教則本

 

なんですよねえ。とはいえ、これも前
書きましたが、なかなか捨てられな
い上位にくるのもそんな教則本なんで
すよねえ。

 

手に取ると、その本をマスターして上
手になっている自分という幻想(おい
おい)と戦うわけですが……

 

でも、やっぱり処分しよう、と。ここ
宣言しておけば、さすがにやるだろ
、と。考えて書いているところでご
ざいます。

 

え? 勝手にしろ?

 

……はい。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

疑ってかかった方が良い言葉?

説得したり、自分の言って
ること信じさせたいとか思って
なのか、

 

これは研究科学的に(とか統計的に
とか)証明されているんですが

 

とか、言う人いません?

 

それで、その証明の中身とかを具体的
に示すこともなく、先に進んだりして。

 

まあ、としてはそんな話を聞いたと
きには、だいたい話半分以下で聞く
うにはしてるんですが。

 

皆さんは、どうですか?

 

で。

 

なんでそういう、根拠を示さず根拠が
あるといって流して人を説得しようと
する人が多いかというと、

 

世の中、エビデンスは? とかいって
挑んでくる人間がたまに(ちょくちょ
く?)いる

 

ってことなんでしょうが、一方で、科
学的に実証されてるんですが、とか
っておくと、

 

後からそれを検証しようとする人間
ほとんどいない

 

ってことなんだろうな、と思うわけで
すね。

 

ある種の話し方テクニック的なモノと
して、実は言ってる当人半分無意識
的に使ってるんではないか、とも思う
わけです。手癖フレーズみたいなもん
ですね。

 

なので、そう言っている話の内容自体
が役に立つ立たないは、また別の話
ということもあるので、ことはちょっ
と厄介なんですけどね。ま、少なくと
鵜呑みにはしない方がいいとは思い
ますけど。

 

……なんてことを、某乳酸菌健康飲料
んで考えたという。そんなある日のこ
ではございました。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

目覚ましは○○○○した方がいい?

る時に目覚まし時計だったり、
スマホの目覚まし機能だったりを
使ってますか?

 

使っていると、朝になると指定した時
間にアラームがなりますよね。ま、そ
れが目覚ましの機能ですからね。

 

で、その目覚まし音を聞いて、すぐに
ぱっちり目が覚めるほうですか? そ
れともアラームのいわゆる「スヌーズ
機能」をつかって、いったん音を止め
てしまうほうですか? で、何回もそ
れを繰り返したりして?

 

スヌーズしちゃう人、結構多いと思う
んですけどね。うちの子供なんかも、
朝なんどもアラーム鳴らしてるんです
けど。

 

ま、それはともかく、

 

そういうスヌーズ機能を使ってしまう
のは、良くないとか思って落ち込む
か、すぐに起きられない罪悪感とか、
そんなことを感じたりしません?

 

世の中的にも、そういうのは眠りの質
を低下させるので良くない、なんて
われているのではないか、と。思った
りもするわけですが。

 

ところが、

 

最近の研究によると、必ずしもそうと
はいえないということがわかってきた
そうで。

 

実は、深い眠りからスヌーズを使って
段階的に起きるのは、寝起きの頭の重
さとかを回避できるので、本当は良い
ことではないか、というような話にな
っているそうです。

 

起き抜け認知機能実行機能も、
ヌーズせずに起きた人よりも良い、と
いう実験結果も出たりしてるようです。

 

そんなわけで、

 

あなたが、もし起き抜けに楽器の練習
をするという人でしたら、そうやって
スヌーズ機能を使って目を覚ますとい
うのは、実は理にかなっているようだ、
ということなんですが。

 

まあ、あまりいないでしょうけどね。
あ、でももしかしたらシニアには結構
いたりして?(笑)

 

詳しく知りたい方は、こちらの記事
をどうぞ(すみません英語です)▼▼

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

感情も労働する?

はや現実世界のビジネス
動についてはあまり関わりのな
くなった私ではあるのですが。

 

それでもまあ世の中のビジネス関連の
記事なんかをつい惰性で(こらこら)
読んでしまうことがありまして。そん
な中で読んだ記事に、

 

感情労働

 

という言葉があったんですね。

 

世の中には肉体労働というものがあり
ますね。体を使って労働するわけです
が。それに対比させる意味で作られた
言葉だと思うんですけど。

 

感情を使って、つまり自分の感情をう
まくコントロールすることで労働する
というね。サービス業なんてのは、そ
んな労働のかたまりかもしれません。

 

たとえば、「笑顔」でサービスする仕
事とかが典型的ですかね。メニュー
0円とか書かれてますけど。

 

そういう仕事は肉体的労働ではないけ
ど、疲れる心を病んだりするリスク
もあるって話なんですが。

 

で、

 

私が読んだ記事で面白いと思ったのは
CEO とかいわれるエライ人たちも、そ
んな感情労働が要求されてるんだとい
う話でして。

 

彼らはトップとして自信満々に振るま
わなければいけないし、責任を問われ
るような決断を常にしなくてはいけな
かったりとかね。そんな消耗にさらさ
れているんだというわけです。

 

リーダーであるがゆえの感情的な負荷
も大きいという話ですね。

 

で、まあ

 

そういった「感情労働」っていうのは
大企業の CEO じゃなくても、自分を
何かのリーダーだと思って行動しよう
とするとつきまとう話かな、と思った
わけですね。

 

音楽的な活動なんかでもそんなプレッ
シャーにさらされて病んでしまう人
いるよなあ、とか。思ったりもするわ
けです。

 

バンドなんかでも、活動が上手くいか
ないと人間関係が危機的になったりと
か、上手くいけばいったで、次の一手
を間違えないように決断しなきゃ、と
かね。

 

そして、おそらくそういう時に助け
なるのは色んなネットワークとか、立
場が違ってもゆるく繋がっている人た
だと思うんですが。

 

逆に自分の世界にこもって、そういう
つながりを断ち切ろうとする人も多い
んですよねえ。

 

ま、いいんですけどね(いいのか?)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

「良い」演奏とは何かを(いろいろ)考える

ンドであれ、ソロであれ、
ジャムセッションであれ、音楽
を演奏しようという時は、だれ
「悪い」演奏をしようとは思
わないわけで。

 

まあ、たまに変なことを考える人もい
るので絶対にないとは言いませんが。

 

普通何かしら「良い」演奏をしたい
と思うのだろうとは思うんですが。

 

じゃあ、その「良い」演奏というのは
どういうものか、というと、案外深く
考えてなかったりするんじゃないか
思うわけですね。

 

というか、そもそもこれが「良い」演
であるという唯一の基準というもの
あるのか、というとそういうわけで
もないので。

 

その人その人で、実はいろいろ違って
いたり似ていたりということがあるわ
けです。

 

技術的に正確間違いがないというこ
となのか? 自分の表現したいことが
出来ることか? 観ている(聴いてい
る)人が喜ぶことか? とかまあ、い
ろいろ。

 

そして、演奏する側演奏を聴く側
も、「良さ」の基準は変わってくる
けですよね。

 

なので、

 

「良い」演奏をしようと思うこと自体
は別にいけないとは思わないのですけ
ど、そもそもその「良い」演奏は誰に
とってのどんな演奏なのかたまに考
えてみるのもよいのかな、とも思うわ
けです。

 

曲がありまして。

 

酒が飲める理由をとにかくいろいろ上
げていく歌ですが(笑)

 

おんなじように演奏が「良い」理由
色々な視点でリストアップしておくと
いいのかもしれません。それが必ずし
誰もが納得する理由でなくてもいい
と思うんですよね。

 

リストのうちの1つでもできたとした
ら、それはなかなか立派な達成といえ
るのではないか、と。

 

そんなことを考えたヒマな一日があっ
た、ということなんですが。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

いろいろ○○く関わりたい願望

の前のAかBか決められな
(決めたくない)話にも関係する
んですけど。

 

いろんな知識とか、音楽ジャンル
理論とか、楽器テクニックとか、
ガッチリ自分のモノにしたい、とい
欲求の強いほうですか? 皆さんは。

 

もちろん、モノゴトへのそういう関
り方悪いとはいいませんし、それが
必要な人生の局面(やや大げさですが)
あることも確かだとは思うのですが。

 

が、

 

この年になったからなおさら、という
のはあるかもしれませんが、私はとい
えば、

 

なるべくいろんなことにユルく関わっ
て、ユルく知識を得たい

 

と思う方なんですよね。

 

1つのジャンルのものとかに、深くか
らめとられたくない、というかね。ま、
ビビりといわれればそうなのかもしれ
ませんが。

 

なので、あんまり縛りのキツイこと
いわれると、基本的には敬して遠ざけ
という方向になりがちなんですね。

 

これはこうでなきゃいけない、とか、
グルーヴはこうでなければならぬ、と
か(おいおい)。あんなものはダメ
害にしかならない、とかね。

 

まあ、SNS なんてそんな発言ばかり
すが。

 

そういうの聞く(見る)と、なんか引
いちゃうんですよね。

 

なんか、それよりユルく色々かかわる
ことで、自分を通り抜けていったモノ
が、何か別のモノにつながるような気
がしなくもない、と思えるんじゃない
か、と。

 

大変ユルく思っているのですが。

 

え? 頭の中までユルくなる?

 

それがいいんじゃないか、と思うんで
すけどねえ。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

下手になったと思った時がチャンス? なの?

楽やっていると、この曲は
まくやれるとか、自信があるとか、
そんな曲がだんだん出来てきたり
します

 

え? ない?

 

……

 

話を進めますが(おい)。ところが、
あるときそんな自分でも上手くやれる
自信のある曲を弾いたり・歌ったりし
たら、

 

なんか下手になった……

 

と思うことがあったりしませんか?

 

経験のある人も多いかと思うんですけ
ど、そんな時ああもう俺はダメだとか
までは思わないにしても、ショック
悲観的になりやすいんですが……

 

まあ、ぶっちゃけ私にもそういうこと
はあるわけでして。

 

で、

 

以前、哲学者小説家としても活躍
ている、千葉雅也さん

 

クオリティが下がるのは(その人が)
変化している時

 

というようなことを YouTube の動画
かなにかでおっしゃっていたのを思い
出したんですよね。

 

で、千葉さんの X (Twitter) の発言など
を見返していたら、

 

「クオリティの維持をやめないと変化
は起きない。それが、再現性から創造
性へ踏み出すということのひとつの表
現である」

 

ということを書いておられたのを見つ
けました。

 

まあクリエイティブといわれる活動
全てについていわれているとは思いま
すが、音楽もその例に漏れないだろう
と思われるわけで(ちなみに千葉さん
は、音楽も演奏されますね。ピアノ
弾かれます)。

 

なので、以前は良かったはずの自分の
演奏のクオリティがなんだか落ちてい
と感じたという時は、実は何か自分
に変化が起きている、そんなチャンス
だと思うのが良いのではないか。など
考えたのではありました。

 

そんなわけで、私の文章がなんか下手
になったなあ、などと思われたら、そ
れは私が変わろうとしている時だ、と。

 

生暖かい目で見守っていただければ幸
でございます(こらこら)

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

試してみる。色々変えて?

器の演奏とかしていて、
定のフレーズを覚えなきゃいけ
ない、きちんと弾けるようにな
らなきゃいけない、なんてこと
ありますよね。

 

ジャム・セッションなんて、わりと演
奏の自由度の高いことやっていても、
によってはお決まりのフレーズを弾
く必要なんてことがあったりします。

 

たとえば? そう「サー・デューク」
のあのフレーズとか。

 

で、

 

そんな時、だいたいとにかく毎回同じ
ように正確に弾こうと人間しがちじゃ
ないですか。最短できっちり弾けるよ
うにしようと思いますからね。

 

ところが、最近ヴァイオリニストでも
ある例の心理学者ノア・カゲヤマ
んのブログを読んでたら、実は毎回毎
回きっちり同じように弾くことを心が
けるよりは、

 

毎回ちょっとずつ変化させてみる

 

のがいいらしい、なんてことが書いて
あったんですね。

 

ちょっと大きい音で、あるいは小さい
でとか、ビブラートを強めにかけて
みるとかみないとか。色々試してみた
ほうが、最終的に毎回きっちり同じよ
うに弾こうとするより、最終的に上手
に弾けるようになる、らしい、という
ことでして。

 

それから、そうやって色々変えて試し
てやってみた方が、長期的に記憶に残
りやすいようだ、なんてことも書いて
ありましたね。

 

まあ、ご興味のある方は、カゲヤマさ
が(英語ですけど、まあ最近は Web
翻訳なんてのがありますから)、なん
か、ああそういうもんだよなあ、なん
妙に納得したりしたのではありまし
た。

 

こと楽器の演奏に限らず1つのこと
をやるにしても色々ちょっとずつ変え
ながら試してみるのが、結局上手くい
くコツってことではないかな、と。
にしても趣味にしてもね。

 

あまり、1つの考えとか理念にとらわ
れすぎて、色々やってみる余裕がない
のはよくないのでは、と。あ、それは
また別の話か。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

セッション・「コミュニティ」の難しさ?(続き)

ちらの続きでございますが。

 

ジャム・セッションコミュニティ的
なものが出来て、それを維持していこ
うとすると、結構微妙なさじ加減がい
るので、そう簡単ではないんじゃない
か? というような話でした。

 

ジャム・セッション愛する人たち
て、バンドによくあるような縛りの強
い関係は苦手な人も多いと思うんで、
まあ、そうだよね、と頭では理解でき
と思うんですけど。

 

でも、実際に前回も書いたような、良
い意味での(なのか?)いい加減さ
か、ユルさとかを維持するのって、
外難しいのかも、と最近思うわけです。

 

だいたい、「ユルさを維持」ってのも
変な日本語といえばそうなわけで。
なんだか不誠実なんだかよくわから
ですよね。

 

でも、そこらへんがキモだったりする
んじゃないか、と思うんですね。

 

で、

 

そんな結構綱渡り的なことをやってる
わけですが、マジメな人とか、自分に
自信のある人とか、よくいわれるよう
しっかりとした「自分」のある人
と、

 

コントロール効かせ過ぎてしまう

 

ということがあったり、あるいは自分
の考えと違うメンバー目についたり
すると

 

リセットしてゼロから始めたがる

 

とか、そんな方向に行ってしまったり
しがちかも、なんてことを思うんです
よね。

 

で、結局コミュニティは広がらない、
というか、考えが少しぐらい違ってて
ゆるく繋がれば良さそうなところを
内に閉じこもってしまうとかね……

 

まあ、それでいいなら、それでもいい
んでしょうけどね(←意味不明)。

 

なんてことを、あまり確たる自分のな
い私は思う今日この頃であるなあ、と
秋の一日考えたというお話でした。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

セッション・「コミュニティ」の難しさ?

ャム・セッションをやりた
い人を募って・集めてやってる
んですけど、私

 

もう結構長くやってまして、そうする
と、おなじみの方もできてきて、ある
種コミュニティみたいな感覚も生まれ
るわけですね。

 

ジャム・セッションのコミュニティ

 

ですが、良く考えてみると、これって
結構自己矛盾的というか、難しさを孕
んだ概念だよなあ、と思ったんですね。

 

といっても話としてはそんな小難しい
話でもないんですが、ジャム・セッシ
ョンてバンド活動じゃないんで、そも
そも

 

一過性のもの

 

じゃないですか。

 

そのコミュニティってなんだろうなあ
と思うわけですよ。

 

もちろん、そういうコミュニティ
って悪いってことじゃないんですが、
あまりガチガチの縛りの強い形にする
というのはなんかそもそもの趣旨に反
するというかね、そう思ったりもする
わけで。

 

だから、コミュニティといいながらも
ある種の

 

スカスカ感とか、不安定感とか、一過
性感とか、気まぐれ感とか

 

を(ある種意図的に?)残しておきた
なあ、なんて考えるんですね。

 

良い意味でのいい加減さといいますか
ね。とはいえ、けっこうそれはそれで
難しいさじ加減なんじゃないか、なん
てね、自分でやっててなんですが、思
うわけです。

 

ちょっと続きます。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

名人・達人は○○される時代である?

の中には名人とか達人と呼ば
れるミュージシャンがいて、そん
な達人たちに憧れを抱く人も多い
わけです。

 

これを読んでいる人たちにも、こんな
すごいテクニックとかとかを使える
プレイヤーになりたいとか思う憧れの
対象がいるかもしれません。

 

で、

 

昔はそういう名人とか達人とかいうよ
うなテクニックのある人は少ない、と
思われていたわけですよね。

 

レコードCDラジオテレビとい
ったメディアを通じてとか、そんな
ートでそんな人たちがわれわれの目や
耳に届くのは、そんなにしょっちゅう
あることではなかったわけです。

 

そんな制約の中で名人・達人の「希少
性」というのは担保されていたように
思うのですが。

 

ところが、

 

最近では誰でも自ら発信しようと思え
発信できるようになってしまいまし
たからね。そうすると、

 

実は、世の中にはテクニックに優れた
人は山ほどいる

 

ということが分かってきてしまった
けです。

 

YouTube とか観ればそんな人たちが
こにでもいやになるほどいる、という
ことが明らかになってしまいました。
AI の進歩によってもそんな状況は加速
していくのでしょう。

 

いまや、そんな「名人・達人」は、
間的な大量(?)消費の対象になって
しまったんですね。今どきの用語でい
えば、

 

コモディティ化

 

してしまったわけです。

 

なので、別にテクニックに優れている
からといって、質の高いものを生み出
しているからといって即ウケるわけで
も感心されるわけでも、ましてや売れ
るわけでもないという、なかなかある
意味では切ない時代になったなあと、
思ったある一日、というお話でござい
ました。

 

あ、別にだからといってテクニック
を身につけるということに意味がない
とか、名人を目指すなとか、主張する
気はありませんので。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

 

努力する時 vs. 手持ちでなんとかする時?

間、何かを習得しようとす
るときには少しずつでも成長
ようと思うわけですね。たぶん。

 

音楽でも同じで、楽器の演奏なんても
のはいろんなこまかい技術の習得の積
み重ねの上に成り立っていえるわけで
すよね。まあ、知識的なこともありま
すけど。

 

ですが、演奏のテクニックとかそうい
う特に人の身体性に関わってくるもの
については、

 

どこかで限界が見えてくる

 

ということもあるわけです。まあ壁に
ぶつかるというかね。天井でもいいで
すが。

 

特に、アラカンとかそれ以上になると
そりゃ身体的に衰えもするわけですよ
ね。

 

いやそうじゃない、そんなものに限界
はないとか、努力しだいだとか、そん
な議論もあるかもしれませんが、そう
いうポジティブ一辺倒でこられても、
なかなか前に進める人は多くないので。

 

それで心病んだりしてもつまらない
でね、

 

とりあえず手持ちのものでなんとかす

 

というような発想で臨むことが必要に
なってくるんではないか、と思うわけ
です。

 

その一方、

 

だから努力が 100% 不要であるとか、
そこまで大上段に構える必要もない
思ったりもするわけです。

 

人間その人、その立場とか状況とか、
そういうものによって、どこまで努力
するか、手持ちでなんとかするのか、
配分を考えるのが良いのではないか。

 

そんなことを、とある休日音楽仲間と
お酒を飲みながら考えた、というよう
なお話でございました。

 

てことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

イメージで考える? 音楽も?

承知のように、私 50 歳以上
の方々を中心としたセッション
んていうのを開催しているのです
が。

 

なんとなく思っていたのが、そういう
場でイキイキとというか水を得た魚の
ように演奏する方たちって、

 

理系の仕事をしてた人に多い

 

ということなんですが。

 

より正確にいうと、理系というか、特
に専門のプログラマーとまではいかな
くても、プログラミングの知識のある
方が多いな。と、なんとなく思ってい
たんですが。

 

そしたら、最近人間の思考タイプの話
をちょっと読んだのですが、人間には
視覚思考型言語思考型があって、ど
うも特に音楽のスキル的に優れた人に
は視覚思考型が多いと書かれていたん
ですね。

 

もうちょっと細かくいうと、実は視覚
思考型は、写真とか短い動画のような
リアルな画像で考える「物体思考型」
とよばれる人と、もうちょっと抽象的
な概念とかパターンで思考する「空間
思考型」に別れるそうで。

 

そして、プログラミングとか音楽
キルに優れた人には「空間思考型」
多いという話のようなんですね。

 

で、まあ、なるほどね、と。思ったわ
けなんですが。

 

まあ、こういう人間のタイプ分けは、
いつもいうように、話半分くらい
に聞くようにはしてるんですけど。何
となく、セッションで感じている印象
には近いなという気がした、というお
話でした。

 

ですが、

 

とはいえ、セッションというアクティ
ビティは何人かの集団でおこなう共同
作業なので、

 

いろんな人がいたほうが結局面白い結
果になる

 

とも思うのですね。

 

別に空間思考型の人だけでやればいい
という話ではないとは思うので、そこ
間違えないようにしないとね。

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

人は教則本に自分の○○を見る?

楽の教則本については、前に
も書きましたが。

 

前回書いた時には、何で音楽の教則本
というのは、挫折するとかしないとか、
読まないで本棚にたまるばかりとか、
そんなどんな本にでもあることを、
りたてて騒ぐ人が多いのか? なんて
ことを書きました(気がします)。

 

で、まあ、

 

そんなことどうでもいいじゃない(あ、
野口五郎だ)というような話ではあり
ますが、ちょっと思いついたことがあ
ったんですけど。

 

音楽の教則本というのは、その内容的
に、

 

読む人の未来を想像させてしまう

 

のですよね。

 

つまりその本を読んで、そこに書かれ
ていることをマスターして、早い話
奏が上手になった自分、というのを
メージさせるわけです。

 

で、買う、と。

 

そうすると、人はその本を見るたび
演奏が上達した(たぶん実現しないか
もしれないけど)未来を思い起こさせ
られるわけですね。

 

そういう意味ではフツーの本に比べる
と人間が執着するレベルは高くなる
かな、と思ったりしたわけです。

 

なので、それを捨てるということは、
(ありえるかもしれない可能性として
の)自分の未来を捨てる、ということ
なわけで。心理的ハードルは高いです
よね。

 

結果として、なかなか捨てられない
ね。と考えたということでございまし
た。

 

まあ、それが人間てもんなので、それ
でいいんじゃない? と思うわけです
が。

 

て、ことで。

 

では、また  ( ̄▽ ̄)

 

明日から ○○% の本気出す?

間、頑張らなきゃいけない、
力を入れて取り組まなきゃいけな
いなんてことは誰しも(たまには
?)あるわけですが。

 

そんなとき、じゃあ 100% 全力で取り
組むのがいいのかというと、色々と
が分かれます。

 

まあ、昔からよくあった考え方は、な
にごとも全力で取り組むのがいいとか、
120% 出し尽くせなんていうのかもし
れないんですが。

 

さすがに最近「バーンアウト」とか
「燃え尽き症候群」とかいうこともよ
くいわれるようになってきたので、そ
れを全面的に主張する人少なくなっ
てる気はするんですけどね。

 

でも、なんとなくわれわれの心の中
100% 出し切る人感動したり共感
したり、称賛したりする気持ちがまだ
まだある気も一方ではします。いかが
ですか?

 

で、

 

そうはいっても、100% 全力出せ的な
考え弊害が大きいというのは常識
なってきたので、じゃあどこまでを求
めるのか? という問題が出てくるよ
うで。

 

100% を求めるのは良くないとしても
じゃあ、テキトーでいいよ、ともいえ
ないでしょうからね。

 

この前読んだ記事では、「85%」とい
う数字が出てました。100% の努力で
はなくて、85% にしていこう、という
話なんですね。85% の正しい判断85
% の集中。そうすることで、余計なプ
レッシャーを与えることが避けられる
ということらしいです。

 

まあ、この 85% という数字の根拠
どこにあるのか、記事を読んだだけで
よくわからなかったんですけど、な
んとなく、

 

80% というと割引率(?)が高すぎ

 

な感じがするし、

 

90% というと全力とあまり変わらない

 

感じがするので、まあ結構いい感じな
のかもなあ、と。

 

そんなことをほぼ何事にも 100% 全力
で取り組むことはなくなってしまった
おじさんは考えたと、いうようなこと
ではございました。

 

皆さんは何%くらいがお好みですか?
え? 50%? やっぱり?……

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

フレディは膵臓をロックするか?

まに、音楽が医療の役に立つ
とか、立ちそうとか、そんな記事
を見たりします

 

以前にも、こんなのがありましたけど。

 

また最近、こんな記事が出てたんです
よ。音楽系のサイトじゃなくて、ビジ
ネス系の Forbes の記事ってところが、
ちょっとなんか、信憑性ありそうとい
うか、そんな気にさせられたりして。

 

ま、あまり関係ないとは思うんですが。

 

それはともかく、内容としては、音楽
それもロックよりピンポイントには
ユー」を流すとインスリンをつくる細
からインスリンが活発に放出される
……らしい、という話で。

 

これは、培養された細胞への効果とい
うことなので、実際人間に「ウィ・ウ
ィル・ロック・ユー」を聞かせても、
ほんとに同じ効果があるかどうか判明
するのはまだまだ先のことではあるよ
うですが。

 

ともあれ、もしかしたらそのうち糖尿
病の治療にクイーンを聴かせるなんて
音楽療法が出てくるかもしれません。

 

しかし、なんでクイーン、しかもなん
で「ウィ・ウィル・ロック・ユー」
んでしょうかね? さまざまな音源
流した結果だというんですが。

 

重低音が効くというのはなんとなくわ
かる気もするんですが、やっぱりあの
「ドッ・ドッ・タッ」というリズムの
パターンが効くんでしょうか?

 

なんにせよ、ロック・ミュージックが
健康によさそうという話、多いですよ
ね。いいことなのかもしれませんが、
ますますロックは高齢者の音楽という
イメージが強くなったりしてね(笑)

 

ま、殺伐とした状況の世の中で、こう
いう話は平和でいいのかもしれません
けどね。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

許せる失敗、許されない失敗

事を辞めてしまうと「失敗は
許されない」なんてシチュエーシ
ョンに立つことはまずなくなるん
ですよね。

 

お気楽なことばかり書いてて申し訳な
んですけど。

 

実は仕事してるときでも本当に絶対に
失敗が許されないなんてことがあった
のか? というと、けっこう怪しい
もするんですけど、まあ、それはおい
といて。

 

そんな「失敗が許されない」時にどう
対処したらいいか? そんな時の緊張
を和らげるためにどうするか? なん
記事を読んだんですよ、最近。

 

で、ここでその対処法の良し悪しとか
を議論したいわけではないんですけど
ね。ただ、読んでて急に音楽の演奏の
こととか考えたりしたわけですよ。
いクセ(?)で。

 

この記事の最後に「失敗が許される趣
味を持つ」ことで人生のバランスをと
る、という対処法が書かれてたので、
そのせいもあるかと思いますけど。

 

それでね、

 

音楽という活動は、単なる趣味として
考えると別に失敗しても問題ないとい
うか、許されるモノのはずなんですよ
ね。でも、なんかちょっとのめり込む
とある時点で、「失敗は許されない」
なんて気持ちにさせると思いません?

 

その人がプロのミュージシャンとかだ
ったりしたらまあわかるんですけど、
趣味の領域だとしても、失敗をしない
ように自分を追い込んだりする人、結
構いないですか?

 

人それぞれだと思うんで、「失敗をし
ても全然気にしない」から「失敗は絶
対に許されない」まで、個人個人で
ラデーションはあるとは思うんですけ
どね。

 

あまりに「失敗は絶対に許されない」
の側に寄ってると、色々大変だろうな
とは思うんですけどね。

 

皆さんは、どっち寄りですか?

 

て、ことで、

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

 

おれとあいつとケバブサンドと?

やまあ今回も大変だったな。
この前まで部長職で、つい最近定年で
再雇用されたシニア社員の先輩は俺に
言った。

 

長年の経験を活かしてもらおうという
ことで、俺と例の同僚のやっているチ
ームに参加してもらったのだ。

 

大変だったなというのは、例の同僚
またクライアントから言われたこと言
われていないこといっしょくたにし
て、社内の関係部署過剰な指示を出
しまくったため、大問題になりかけた
のだ。

 

俺とその先輩でなんとか火消しをして
遅い昼飯を食べているところだった。

 

いやあ、さすがに社内に色々と顔がお
ききになるんで助かりました。俺はそ
の先輩に改めて礼を言った。

 

しかし、今回の話でもおわかりのよう
に、あいつはいつもああやって独断で
進めてしまうんですよ。俺がいいかげ
んあいつと別れて仕事したいというの
もっともだと思われませんか?俺は
言った。

 

まあ、定年再雇用された人に言っても
ただのグチだが、こういう人から部長
に話してもらえれば、ちょっとは違っ
た見方を上がしてくれるかも、と思わ
なかったわけでもない。

 

そうだな……。先輩シニア社員は言っ
た。なあ、ケバブサンドって食べたこ
とあるか?

 

は? あの最近よく見かける焼いて薄
切りにした肉をパンに詰め込んで食べ
るあれですか? 俺は言った。

 

そうそう、最近私は定年になったんで
昔やっていたギターを弾くのを再開
たんだ。先輩シニアは続けた。この人
も音楽をやっているのか……。悪い予
しかしなかった。

 

で、ギターの教室に通っているんだけ
ど、教室の近くにケバブ屋があってさ、
レッスンの前とか後に寄ってケバブサ
ンドを買って食べたりするんだが。

 

あれって、上手くできててさ。ピタ
いうパンなんだが、袋状に開くんだよ
な。で、そこに肉だの野菜だのソース
だの詰め込むわけだが、パンが袋状に
なってるおかげで、食べる時に中の具
が飛び出しにくいわけさ。

 

はあ。俺は相づちを打ったが、もう
に何を言われるかはほぼ 100% わかる
気がしていた。

 

普通のサンドイッチみたいに作ると、
具が飛び出て大変だろうと思うんだ。
きみとあいつの関係をみてるとケバブ
サンドみたいだなってさっき思ったん
だよ。

 

つまり、あいつがやたらといろんな要
を詰め込んでも、きみがうまく包み
こんで破綻がおきないようにする。
かなか上手くできてるなあ、会社も考
えてるなあなんて思うんだよな。

 

ああ、この人に言っても無駄だった。
俺は、また暗然とした気持ちになった。
しかし、そんなケバブサンド話を部長
にでも気楽にされたらかなわない。俺
それだけは阻止しなければと真剣に
考えはじめていた。

 

※今回のお話はフィクションですので
現実の再雇用社員やケバブサンドとは
無関係だと思います。おそらく。

 

て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)

歯を磨くのも○○○○も大変な理由?

歯を磨くタイミングを最
近よく逸するようになってきま
して。

 

毎日会社に行く人とかにとっては、お
まえは何をいっているのだ、というよ
うな話かもしれませんけどね。

 

はふつうに朝、通勤してたこと
がありまして。その時はもう朝起きて
からの一連の流れってモノがあります
から。

 

朝食をすませた後、でかける身支度を
する前というタイミングで、なかば自
動的歯を磨いていたわけです。

 

ところがコロナなんてものが流行って
テレワークなんてモノに移行すると、
そういう流れがなくなったわけですね。

 

となると、なんか慌てて歯を磨かなく
ても通勤とか出社時刻とか、朝一の
会議とか、そんなものを気にしなくて
もよくなったのですよね。そうすると
なんか歯を磨くタイミング後ろにレ
イドバックしていくわけですね。

 

私の場合、そうこうしているうちに
社勤めそのものが終了してしまったの
で、なおさら、というのもあり。あと
通いつけの歯科医院の指導で、歯のケ
複数の歯ブラシとか、歯間ブラシ
とか時にはデンタル・フロスとか、
々使うので、それで腰が重くなるなん
てこともあるんですね。

 

気がつくと、11時くらいになって朝の
歯磨きしてるなんてことも起きたりし
て。で、また直ぐに昼食を食べなきゃ
なんてことになって、

 

いったい何をしてるのだ俺は?

 

なんてことを思ったりもするわけです。

 

ま、いいんですけどね(←よくないよ
くない

 

やはりこういうことは流れにのってや
らないといかんなあ、なんてことを思
ったりするのではありました。

 

毎朝楽器の基礎練習するなんてのも、
流れがないのにいきなりやれってのも
なかなか難しいよなあ、なんてことま
で考えてしまうところが、ちょっと病
ですかね?

 

<

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て、ことで。

 

それでは、また。( ̄▽ ̄)